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Abnormalization  作者: Gissele
1 篠突く雨とワルキューレ
2/6

1-1 4月1日

本編始まります。よろしくどうぞ。

『生んでしまって、ごめんなさい』


 母親にかけられた言葉は、それ以外に存在しない。


『ごめんなさい、わたしが悪いの』


 母の言葉を初めて聞いた瞬間、幼い彼は首を絞められていた。母が覆いかぶさる形で、首に添えた両手に力を込めている。指が深く食い込んでいて、息苦しさと吐き気を同時に感じる。母の殺意は本物だったと、今はそう感じている。


『恨んでもいいから』


 あの時の俺は、母の言葉を理解できなかった。いや、自分を殺そうとしていることすら理解できていなかった。そもそも、自分の首を絞めている女が母親だと理解していたかすら怪しい。感じる痛みを言葉にすることすら知らないほど、あの時の俺は幼かった。


『ごめんね、礼』


 指に込められる力が徐々に強くなる。指先に乗った殺意が、更に強く彼の命を握り潰す。ゆっくりと、それでも確実に気道を狭められ、血が止まる感覚と呼吸できない不快感を強く感じる。「ああ、これから死ぬんだな」と、今の自分なら理解できただろうに。


『でも、これだけは信じて。わたしは……』


 ここで、目の前の光景が暗転する。いや、この場合は途絶えたと言ったほうが正しい。この先彼がどうなったか、という結果は分かる。それでも、この先の光景を彼は見ていない。だから、こうして映像にぽっかりと穴が開いている。


 ここ最近、何度も夢を見る。あの日母親に首を絞められ殺されかけた光景を、こうして夢で上映される。映画館で一人、上映されている『あの日の記憶』を見せられているといったところか。そんな夢を、彼は何度も見続けている。実際の記憶を、何度も、何度も。


 これに何の意味があるのかは分からない。いや、夢に意味を求めること自体が間違いなのかもしれない。自分の記憶を何度も夢で見させられる奇怪な現象が何故起こるのか。そんなことを考えても意味などない。これは、あの日母に殺されかけた記憶でしかないのだから。


 だから、彼はいつも通りに、自分の部屋で目を覚ます。拭いきれない違和感を抱えながら、あるのかすら分からない答えを求めながら。



*



「おはよ」


 瞼を開けた先の視界は、姉で埋め尽くされていた。


「……近すぎ」


「ごめんごめん」


 寝ぼけた彼の声に、姉は微笑みながら顔を遠ざけた。離れた時の顔が小さく見えて、実際はどこまで近づいていたんだと疑問に思った。不快ではないし、特に嫌でもなかったけど、危うく触れてしまいそうで怖かった。


「なんで、あんなに近かったの」


「寝顔が綺麗だったから?」


 それは死に顔の話では?と彼は思ったが、彼女の発言の意図は理解できたので言及はしなかった。むしろ喜びを感じているくらいだ。寝起きでなかったら、彼はニヤけ顔を晒すことになっただろう。


「それはそうと、早めに起きてね。ご飯はどうする?」


「自分でやるからいいよ」


「分かった。じゃあ下に行ってるね」


 用事を済ませ、下のリビングに降りようとする彼女の姿を、彼はじっと眺めていた。しかし、彼女が部屋を出ていく瞬間、大事なことを忘れてたことを思いだした。


「姉さん」


「ん?」


 突然呼びかけたのに、彼女は器用に半回転し、こちらを向いた。きっと、彼女には分かっているのだろう。そうでなければ、咄嗟にあんな反応はできない。


 多少の敗北感の中、彼は口を開く。


「おはよ、姉さん」


「うん、うん。おはよ、礼」


 寝ぼけた彼と、笑顔の彼女のやり取り。秋月礼の朝は、姉の空李と共に始まる。



*



『次のニュースです。先日、○○市で起きた殺人事件ですが……』


 女性のキャスターが読み上げるニュースをBGMに、トーストを齧る。サクッといい音が鳴り、上に乗ったベーコンと目玉焼きが素晴らしいハーモニーを奏でる。ベーコンエッグを乗せたトーストに、サラダと牛乳。礼自身が用意した朝食ではあるが、満足のいく内容だったようだ。


『殺害された川瀬さんですが、背中に多数刺し傷があり……』


 物騒なニュースを聞いていると、二階から空李が降りてきた。黒の濃いスーツを纏い、青のネクタイを首に絞める。寝起きに見せてくれた姉に比べて、やや引き締まった印象を受ける。それでも、忘れものがないか何度も確認する姿はいつもの空李だ。


『警察は、殺人症候群の関与も視野に入れて……』


 今日の日付は4月1日。大抵の人間にとっては何かの始まりを連想させる日だ。そんな今日、空李は大学に入学する。慌ただしく準備する空李に不安を感じるものの、姉の晴れ姿をこの目に焼き付けたかったなあという気持ちが勝っていた。


 礼はというと、自らが通う「鏑木高校」の入学式のため、学校に駆り出される。上級生がわざわざ登校する必要があるのかと憤りすら感じるものの、逆らったところでメリットなんてない。仕方なく、本当に仕方なく登校するのだ。礼の口からは、重い溜め息が落ちる。


「礼ー!それじゃ行ってくるねー!」


 準備が済んだようで、姉は既に玄関にいた。「ごちそうさま」と簡単に手を合わせ、すぐに玄関へと向かう。


「大丈夫?忘れ物ない?弁当持った?時間間に合う?体調おかしくない?」


「全部大丈夫!心配性だなー礼は」


 そう言っていつもやらかすくせに、と喉でせき止めた本音を無理やり飲み込んだ。


「いってきます!礼も気をつけて学校に行ってねー」


 空李は返事を待たずに外へ走り出した。行ってらっしゃいと言う時間も与えてもらえず、一人玄関に立つ礼の頬を冷たい風が撫でる。相変わらずで、安心するし心配である。


「一番気をつけなきゃいけないのは姉さんなんだけど……」


 姉への言葉は不満以上愚痴未満。言っても馬耳東風なのはこの12年間で経験済み。それなら気にするだけ無駄だと割り切り、礼はリビングへと戻っていった。


『松木教授、今回の事件に殺人症候群が関与している可能性ですが……』


『十分ありえますな。あのトチ狂った連中は何をしでかすか分かりませんからねえ。しかし、奴らが関与しているとなると捜査の障害に……』


 食器を片付けている途中、朝の情報番組にしては態度の悪い教授のコメントが聞こえてきた。先日の殺人事件についてのコメントらしく、彼は犯人を殺人症候群だと疑い、罵倒に寄った憤りを見せる。爽やかさが売りのこの番組には似合わないと礼は思った。


 「殺人症候群」。数年前に国連が発見したそれは、人を殺す病。いや、人を殺させる病というべきだろうか。後天的に発症するもので、対象者に人ならざる能力を与え、殺人衝動を掻き立てるらしい。具体的な情報は明らかになってはいないが、そいつらのせいで奇怪な殺人事件が増加しているらしい。実際に遭遇した人間はほとんどおらず、ネットでは都市伝説扱いされている。


 礼自身、ほとんど信じてはいなかった。こんなライトノベルの設定のようなものを聞かされて「はいそうですか」と信じるわけがない。実際に会ったこともないし、そんな可能性は微塵も存在しないと思っている。まあ、実際に存在する可能性を否定できていないので「ほとんど」と言わざるをえない。


「まあ、どうでもいいか。そんな非日常あるわけない」


 洗い終わった皿を拭き、食器棚へとしまう。毎日のルーティーンワークを終え、テレビを消し、玄関に置いた鞄を持って学校へと向かう。彼にとって、殺人症候群とはそれ以下の存在でしかない。頭の中から、すぐに削除される。


「いってきます」


 誰もいない家に声は吸い込まれる。それでも満足したように、礼は自転車を走らせるのだった。



*



「……だっる」


 予想通りの結果に、礼の口からはため息がこぼれた。入学式には多くの新入生が出席した。新入生、厚化粧をした親御さん、そしてどこの馬の骨か分からない来賓の爺と在校生によって、何事もなく入学式を終えた。まあ、こんな作業めいた行事に何かがあるわけがない。期待するだけ無駄だ。


 そんな入学式が終わり、変な疲れと「これ出なくてよかったんじゃね」と必要性を感じなかったことが疲労となり、妙な怠さが体を重くする。教室に戻った礼は、そんな重力に逆らえず力なく机に突っ伏していた。


「えー、入学式も終わったしもうやることもないけど」


 教卓では黒滝先生が帰りのHRをしていた。眼鏡の奥にある瞳はいつも通りやる気が感じられない。こういうテンションの低さは礼と相性がいいため、彼自身この時間を心地よく思っていた。そのせいか、眠気すら感じる。


「このクラスに新しい生徒、俗に言う転校生が加わります」


 クラスの連中がざわつく。


「ちなみに転校生はニ人。どっちも女子ね」


 クラスのざわつきが二つに裂けた。男子の方は勝利の雄叫びを、女子は落胆の溜め息をそれぞれ出していた。互いに異性の転校生を望んでいたようで、今回の戦は男子に軍配が上がった。性に飢えた同級生を見ながら「この国の将来は安泰だな」と考える礼であった。


「それじゃ、二人とも入ってきていーよ」


 だらしない声の後に、教室の扉が開く。先生の予告通り二人の女子が教室に入ってくる。その姿を見るなり、各々が全く違う反応をしてみせる。娯楽としては、動物園より劣っていた。


「二人は今日から同級生になるんで、みんな仲良くしてねー。あ、自己紹介よろしく」


 「じゃあ、私から」と、左の転校生が軽く手を挙げた。


「えっと、私は『本宮撫子』といいます。三代高校から来ました。今日からよろしくお願いします!」


 盛大な拍手が起こる中、礼は彼女を眺めていた。長髪に切り揃えた前髪、柔らかな表情と立ち振る舞いが特徴的で、確かに「大和撫子」だと納得した。八方美人だなんて言葉もお似合いだろう。それでも取り繕っていない様子だったのが、まあ好印象だった。


 拍手も次第に治まり、観衆の視線はもう一人の転校生に集まる。期待、羨望、好奇心といった一方的な感情を、パイのようにぶつけている印象ではあった。興味のない人間から寄せられる感情ほど対応に困るものはないだろうに、相変わらずここの生徒は容赦がない。まあ、当の本人はまんざらでもないようだからよしとしよう。


「…………ん?」


 礼はふと、もう片方の転校生に目を向ける。今の歓迎ムードを哀れと思ったとか、理由はまあそんなものだろう。そんな軽い動機で見た。見てしまった。見なければよかったと思った。見たらいけなかった。激しく後悔しても、もう遅かった。


「あ、は」


 酷い笑顔で、礼を見ていた。口元はだらしなく開いており、下の奥歯まではっきりと見えるほど。そのまま頬が裂けてしまうようにも思えた。礼を見つめる目は、あまりにも無邪気で猟奇的だった。じっくりと品定めする視線の先、純粋なほどに黒い目が、歓喜と快感で爛々としている。無くした宝物を見つけた子供のようで、砂漠でオアシスを見つけた遭難者のようでもあった。


 そんな異形の眼光に、礼は恐怖を感じた。この冒涜的な化け物を見ただけで、正気が失われていくように思えた。なのに、視線をそらせない。吸い込まれて、囚われて、そのまま喉に牙を突き立てられる。このまま噛まれて、自分は殺されるのだと錯覚する。それが錯覚や勘違いの類のものであれ、背筋を這う悪寒は確かに存在していた。


「んじゃ、次は折原さんお願いね」


 先生の発言が、彼を現実へと引き戻した。途端に視界がクリアになり、今まで通りの教室と生徒、転校生が認識できる。恐ろしさはそのままに転校生を見るが、目を閉ざし微笑んでいた。人形のようで可愛らしさもあったが、もうそんな目では見れない。内側の彼女を、知ってしまったから。


「……はい」


 低く、落ち着いた声がした。澄んだ声は、どこか澱んでいた。


「折原藍乃です。よろしくどうぞ」


 簡単な挨拶に戸惑うも、皆は先程と同じく手を鳴らした。礼はそれすらできず、ただ藍乃を直視している。感じた恐怖が真実なのか、ただはっきりさせたかった。しかし藍乃は皆に向けて、作り上げたれた笑顔を振りまいていた。それが不気味だった。


「仲良くやってねー。そんじゃ帰りのHR終わりー」


 礼もなく、帰りの挨拶もない。いつも通りHRが終わったことも、動揺が残っていた礼には届いていなかった。



*



「本宮さんよろしくね!」


「折原さんってどこ高だったの?」


「Limeやってる?友達登録しよ!」


「この後予定空いてる?ちょっとお茶していかない?」


 撫子と藍乃の周りには、クラスの8割近い生徒が群がっていた。親睦を深めようとする者、連絡先を交換しようとする者、デートに誘おうとする者と様々だが、その誰もが欲を剥き出しにしていた。撫子は押しの強さに戸惑いながらも愛想を振りまき、藍乃は張り付けた笑顔をばら撒いた。まあ、対して興味がないということは明らかになった。


 礼はというと、一人椅子に座ってその光景を眺めていた。クラスの輪から離れ、ただ俯瞰する。クラスの連中との関わりが面倒だというのもあるが、藍乃に近づきたくないのが本音だろう。しかし気にはなるので、こうして外から見ているわけである。


「あの二人、なかなかレベル高いですなあ」


 背後から、女子の声が聞こえた。振り返ると、椅子に跨りながら転校生を眺める女子生徒がいた。不意な問いかけに驚いたものの、見慣れたそばかすを見ると少し安心した。


「いきなり話しかけるなよ。背中ぞわってした」


「あひゃひゃ、ごめんちゃい」


 河西遥はいつものそばかす顔で、にへらにへらと笑っていた。礼にとって、彼女は何気ない話をする唯一のクラスメートであり、気の合う友人でもある。


「でさでさー」


 馴れ馴れしいことも、近めの距離感も、今となっては心地よい。


「あの二人、礼から見てどうよ」


「どうと言われても。あんな能面みたいな顔見ても分かんねえ」


「それはそうだけど、そうじゃないんだよ」


 遥は、藍乃の違和感を感じていないようだ。もしそうだったら、今頃笑っていられないだろう。


「きゃわいくないあの2人!撫子ちゃんは和っぽい可愛さだし、藍乃ちゃんの営業スマイルも辛辣ながらいい!これは妄想が捗るね!」


「あっそ」


「冷たいけど突き放さないあたりツンデレかな?」


「もういいやそれで」


 遥の話を聞き流しながら、礼は再び藍乃に目を向けていた。未だに多くの生徒に囲まれながら、当たり障りのない応答を繰り返している。よほど興味がないんだな、と感じた。まあ、あの猟奇的な顔で興味を持たれているとも想像したくないところだ。


「なあ、遥」


「んー?」


 先程の違和感のことを、彼女に尋ねてみる。


「あの転校生、何か変じゃなかったか?特に折原藍乃」


「およ?もしかして礼にも春が」


「それはない。真面目に答えろ」


 やれやれ、とめんどくさそうに遥が答える。


「何もおかしいことはないんじゃない?あたしにはそう見えたけど」


「……そうか」


「それよかさー、礼はどっち派?撫子ちゃんもピュアでかわいいんだけど、藍乃ちゃんの落ち着いたところもたまらないんだよねー!」


 語りだす遥を無視して、再び藍乃に目を向ける。彼女には女子が多く纏わりついているように見えた。男子への適当なあしらいが、女子から一定の好感を得たところか。逆に撫子は男子から人気のようで、当の本人は疲れているようだった。


 今一度、彼女が自分に向けた笑みの意味を考えた。考えたが何の意味があったのかは分からない。自分に対しての報復のため、あんな顔になったとも考えたものの、そんな記憶も折原藍乃との関係も全くない。恨みを買っていたというのも怖いものだが、そうではないことが余計に怖い。


 ふと、藍乃の視線がこちらに向く。顔は話している女子に向けたまま、眼球だけを動かして無理やり礼を見た。またあの目で見られるのか、と少々不安になる。珍しく臆病な礼であったが、藍乃は怪しげに、それでも優しく笑っていた。少しばかり安心して、大きな溜め息が漏れ出した。


「―――――」


 彼女の唇が、微かに動いたように見えた。何かを言ったようでもあったが、何も聞こえない。騒ぐ生徒の声に掻き消されたか、それとも何も言ってないのか。真実は藍乃にしか分からない。


「……はぁ」


 それが「よろしくね」ならどんなに楽か。そう考える礼の口から、重い溜め息が落ちた。

主要キャラの名前の呼び方です。


秋月(あきづき) (れい)

秋月(あきづき) 空李(くうり)

折原(おりはら) 藍乃(あいの)

本宮(もとみや) 撫子(なでしこ)

河西(かわにし) (はるか)


となります。他に不明な点があれば聞いてください。

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