1-7. 模擬戦へ
『…やめてよ!』
あぁまたこの夢か。
『だめだよ…』
いつ見るかはわからない。
特に規則性もない。
だけど何回見たんだろう。
覚えるくらいは見たんだろう。
ツゥーっと頬を流れる涙を右手で拭き取りながら僕は体を起こす。
「はっ……!!」
起きて。起きた瞬間に。
「……ロイ?」
うっすらと見える2つの影の片方を彼に重ねてしまった。
はは、まさかな。
***
「それじゃあ、模擬戦の対戦相手を発表します」
翌朝、教室にて。
ついにこの日が来てしまった(といっても、一度寝ただけなんだけど)。
カナタ先生はそれはもう、ばりばりの張り切りようである。
一体何が楽しいんだか。
一方の僕は、心臓がばくばくのはち切れ寸前である。
特に、あの2人の財閥のご子息とは対戦したくない。
田舎者と皮肉られ、罵られるのがオチだ。きっと。
クラスの雰囲気もどこか重々しい。
ただカナタ先生1人だけ、あの輝きっぷりだ。
浮いている、と言えば浮いている。
緊張した面持ちの僕らのことなど関係ないかのように、先生は宣告した。
「対戦相手は、隣同士ね」
委員長vs副委員長の構図がここに成り立ちました。
昨日の予想が当たってしまったよ。
いい機会、といえば、いい機会なのだろうが。
教室はとにかく騒がしくなった。
ホッとした感じの子も多少はいたが、大多数はその決定の簡易さに嘆いていた。
「先生!強さも考慮してほしいです」
ふと誰かが先生に異議申し立て。
その生徒の言葉に納得はした僕だった。
EランクvsBランクとははてさていかがなものか。
なんて、昨日の決意は何処へやら。
「まだ知り合ったばかりで、互いの強さなんてわからないでしょう。それに、模擬戦には個々のある程度の実力を測るという意味もあるから。今回は、これで決定ね」
そうだろうなと思いつつ。
僕の前の住人たちはなんともまぁ派手なリアクションを取っているようで。
「なんとスミレ君!僕と当たってしまったね。光栄だよ。ローズマリー家のご子息とお手合わせ願えるなんて」
俗に言う権力争い、というものなのだろうか。
財閥の力関係などさっぱりわからない。
「先生」
と、思ってみたけれど。
左の席の財閥息子、クミンに返答することなく、右の席の財閥娘、スミレはゆっくりと手を挙げた。
指先までピンと伸ばして、まるでお手本のように。
こういうとこの躾はなっているんだよな。と、感心。
でも、なんだろう?
「対戦相手を変えてください」
その一言で。
教室の全生徒が騒ぐのをやめ、動くのをやめ、呼吸をも止めた。
財閥間の仲違いが起きたのか。
空気がまた痛い。ピリリと痛い。
一気に訪れた静寂。見つめあう、スミレとカナタ先生。
その横で、少しだけ表情の固まっているクミン。
「いいよ。誰かな?君のお気に入りは」
OKするのかよ!
さっき決定とおっしゃったではないか!
と、思いっきり突っ込みたかったが、この雰囲気の中できるはずがあるまい。
これが財閥の力?
あの先生の決定をも曲げてしまうのか?
スミレを見やれば、先生の方から左に向きを変え、後ろを向いた。
右手を高々とあげ、人差し指は天井を指して。
降りおろし、改めて指した。
「彼と、対戦させてください」
誰もが見つめる指の先には、ロイがいた。
あの、ロイが指名を受けた。
えっ。何で?
やはり、ロイは財閥関連なのか?
アカネの情報が間違っていたと?
教室は一斉に静まり返った。
彼が絡むといっつもこうだ。
みな逃げるように息を潜める。
さも自分は関係ないかのように。蛇に睨まれた蛙のように。
次々と押し寄せる疑問の波を受け流すように、事は進む。
「いいよ、わかった。じゃあクミンちゃんは、クロウちゃんとね」
ちゃんづけ?
いや、今はそれどころではない。
あのロイが、あのスミレに名指しされているこの状況下において、そんなことはどうでもいい。
何が起こっているのかさっぱりわからない。
「な、何を言い出すんだスミレ君!この僕じゃ不満だというのかい!?」
沈黙を破ったのは他でもない、たった今絶賛裏切られたばかりのクミンだった。
今回ばかりは、クミンの気持ちもわかる気がする。
「えぇ」
軽くあしらわれた。
「ど、どこが!僕のどこが不満なんだ!」
財閥としての自尊心を傷つけられたも同然だからな、この指名は。
そりゃ、怒るのも当然か。
だけど、それだけであんなに血相を変えて怒るなんて。
プライドの高さもすごいんだな、財閥人間は。
「私は強い人と戦いたいの」
「僕は、あんな下等な奴よりも弱いっていうのか!」
「えぇ」
見ていてなんだか清々しい光景。
財閥同士、気の合う関係かと思っていたが、案外対立していたみたいだ。
そこのところ、後でアカネに詳しく聞いておこう。
残念なことに、僕の財閥に関する知識には若干の不足があるようだから。
アカネも知っているかどうかは知らないが。
「み、認めないぞ……こんな、屈辱」
「はいはい、落ち着いてクミンちゃん。よし、みんな早速模擬戦の会場へ移動しましょう」
クミンは先生にさっと宥められた。
当然、怒りは露わにしたままだ。黒いオーラが顕現されているかのよう。
うん、目を合わせないでおこう。
みんなも、この雰囲気に耐えかねてか、そそくさと教室を後にする。
僕は、そんな中ロイへと目を向けた。
理不尽な決定が今ここでなされたわけだが、ロイは相変わらずといったところか。
表情も変えないままゆっくりと立ち、隣のクロウと一緒に出て行った。
そういえば、指名された時もあまり動じていなかったような気がする。
若干眉が動いてた気もするけれど。
「さ、行きましょ」
何でアカネは平然としていられるのかなぁ。
僕はスタスタと先へ行くアカネを追って、会場へ向かった。
すれ違いざま、クミンのロイを睨みつける目はしっかりと僕の目に刻まれた。
鬼の形相とはまさにこのこと。
そんなに怒らなくてもいいのに。
***
試合場では、すでに模擬戦が繰り広げられている。
カナタ先生からは特に説明もなく、みんなが到着してすぐに始まることとなった。
僕の出番まではまだ遠い。
他の生徒の戦いも見てみたかったけれど、実力差にせっかく持った自信が消えるといけないからやめた。
遠目では見ているけどね。うっすらと。
なんたって、この会場はすごく広い。
それだけ都会の試合ってものはスケールが大きいのだろうか?
都会との差異に圧倒されながらも、僕はアカネに先ほどの疑問を投げかけた。
「カナタ先生、よくスミレの提案受け入れたよね」
「アンタ、まさか財閥の人間の言うことに服従したんじゃないか、とか思ってるんじゃないでしょうね?」
ご名答でございます。
それでも、正解とは言ってあげないけれど。
「別に、そうじゃないんだけど」
「正解って顔に書いてあるわよ」
やってしまった。
あとで消しゴムで消しておくか。
「相手なんて誰でもよかった。面倒だっただけでしょ」
そうだよね。
あれを気に全員が全員組み替え始めたらとんでもなく面倒くさそうだからな。
といっても、あれだけの出来事が起これば誰もその後に口なんて開かないだろうけれど。
「ねぇ、ショウ。アンタはどう思う?」
唐突にどうした。
「うん?何が?」
「教室の雰囲気よ。アンタ、まさか何も感じないって言うんじゃないでしょうね」
アカネの僕に対する評価の低さってどれほどなんだろう。
さすがの僕でも、それくらいは気づくさ。
そして、僕もずっと思っていたことだ。
やっぱりアカネも気づいていたか。いや、当たり前だよな。
あれほどおかしい雰囲気に気づかない人なんて、きっといない。
「感じてたよ。なにか、よくはわからないけれど。おかしい」
おかしい。
その一言に尽きる。
「そう。おかしいのよ。財閥の人間がいるっていうこともあるけれど、それとは別の何か。特に、あのロイって生徒ね。彼のことになると、クラスのみんながちょっとぎこちなくなるし」
「同じだよ、僕も。どうして彼だけあんな反応をされなきゃいけないんだろう?」
本当に、どうして?
教室で挨拶をした時からずっと思っていた。
「さぁね。理由は今のところ全然わからないわ。ただ、その理由を知らないというのは、私たちが田舎者であることも関係しているのかもね」
僕たちは知らない。
いや、僕たち以外は知っている。
つまりは、都会での暗黙の了解なのではないかと。
アカネはそう言いたいのだろう。
こっちの下級学校時代に何かあったのか?
「そうかもね。誰かに聞いたら教えてくれるかな」
「きっと無理ね」
無理なことは、自分でもなんとなくわかっていた。
アカネがそう答えることも。
でも、聞かずにはいられなかった。
何とか、その理由を知りたくて。どうしても、知りたくて。
――あいつ、話しかけたぞ。
――勇者かよ。
――怖いもの知らずめ。
ふと、昨日、僕が教室内で初めてロイと会話したときに感じたみんなの気持ちを思い出した。
なにをみんな恐れているのだろうか。
「そういえば、ショウ。アンタ、他の人の試合見なくていいの?」
少し暗くなった雰囲気をリセットするためだろうか。
アカネは少し改まって僕に聞いてきた。
「えっ?いや、いいよ。僕はアカネとの対戦に集中したいから」
本当は見ると自信がなくなりそうなんだ、なんて言えるかよ。
適当なことを言って、その場をごまかす。
「ふーん。別にいいんだけど、次、あのクミンとかいう凄く腹を立ててた生徒よ」




