2-29. スミレの記憶①
私は代々火の魔法を継承する財閥の一、ローズマリー家の一人娘として生を受けた。
幼い頃から帝王学や高度な魔法の鍛錬を強制的に行わされ、それはもう大事に大事に育てられた。
娘としてではない。
大切な、跡取りとして。
父も母も私を一度たりとも娘として扱ってくれたことはないように思う。
毎日毎日、私はルーティーンをこなすだけの人間になっていた。
何人もの家庭教師に勉学や帝王学を叩き込まれ、できないところは父から厳しい叱責を受ける。
何人もの魔法師を相手に魔法の訓練を行い、できないところは母から厳しい罰を受ける。
こうして過ごした私の下級学校時代は文字通りあっという間に過ぎていった。
学校はただの学歴を作る場所。そこに両親は何も求めてはいなかった。
朝ギリギリに登校し、淡々と遊びのようなぬるい授業を受け、放課後はチャイムがなると同時に使用人が迎えに来る。
家に帰ればまた訓練の日々、と私に憩いの時間などほとんどなかった。
おかげで下級学校では友達などできるわけもなく、周囲からは一線を引かれ近寄るものなど誰もいなかった。
私が一方的に遠ざけていたのかもしれない。いや、詳しくは分からない。
何故なら私は知らなかったのだ。同世代の子供との話し方を。
そんな冷徹な私だったが、ある時友達ができた。
偶然なのかどうなのかはわからない。友達の作り方なんてわかるはずもないのに彼女はまさしく世間が呼ぶところの友達だったに違いない。
一度、家出をしたことがある。
その日は、そう。確か下級学校の魔術競技祭の前日だったように思う。
私は初めてみんなと練習をしてみたかったのだ。
毎日一人で淡々と練習をする日々に嫌気がさしたのだ。
後でどれくらい怒られるだろう。それはわからなかった。けれど、そんなことよりも大事なことだったのだ。
家出をしている間は心が躍った。初めての感覚だった。
だけど、そんな高揚感もクラスメイトと遭遇した瞬間に消滅してしまった。
彼らは混ぜてという私の提案を無下にも断ったのだ。
私は邪魔な存在だった。実力に差がありすぎるとこうも人は羨望の、妬みの対象になるのかと身に沁みて実感した瞬間だった。
呆然と立ち尽くしていた私に声をかけてきたのが、初めての友達。レンという女の子だった。
彼女は私とは違う下級学校に通っているようだったが、事の一部始終を目撃していたらしい。
何よアイツらは、と一緒になって怒ってくれた。
私にはそれだけでよかった。何故なら彼女は初めて私のことをローズマリー家の跡取りとしてではなくスミレとして扱ってくれたのだから。
それから私はレンに会うためよく寄り道をするようになった。
待ち合わせ場所は誰の目にもつかない寂れた公園。それでもレンは場所など構わず私の話を元気に聞いてくれた。
そのせいか何度も怒られてはいたけれど、そんなもの余裕で耐えられるほど私は楽しかったんだと今も思う。
彼女の存在は私にとっての憩いの場所だった。
憩いの場所はもう一つあった。私の祖父である。
連日連夜欠かさない鍛錬の中のわずかな休憩時間。私は必ずと言っていいほど祖父の元を訪ねていた。
祖父は私に面白い御伽噺を聞かせてくれたり、知らない外の世界のことを事細かに教えてくれたり、両親に対する愚痴を聞いてくれたりと私が望むことをなんでもしてくれた。
祖父も祖父で両親から怒られていたようだが、そんなの気にするなと言わんばかりに私に尽くしてくれた。
唯一の友達、レンと私の祖父。
二人のおかげで私はあの厳しい地獄のような毎日を耐えることができたんだと思う。
……あの日。私がテトラス・エドに助けられた日までは。
'記憶狩り'という事件をご存知だろうか。
当時頻発していた享楽事件の一つで対象の人物の記憶だけを奪い去りその人を文字通り抜け殻にしてしまう事件だ。
魔法には波長や相関関係のようにいくつか絶対的なルールが存在する。
そしてそれは記憶を奪うという行為も例外ではない。
記憶を奪う、すなわち消去する時の絶対のルール。
『対象者からは目的の、行使者からは全ての記憶が消去される』
この絶対のルールがある限り'連続した'記憶消去、つまり記憶狩りという事件は不可能である。
何故なら記憶を奪った本人からは全ての記憶が消去されるため、再発が絶対に起きないためである。
しかし、このルールを打破する性質を持った例外がいた。
理由は未だに不明だが、記憶狩りの犯人は他者の記憶を消去しても自分の記憶は消えなかったというのだ。
すなわちそれは、記憶を消す衝動のみにかられた人間を生み出すことになった。
犯人はその日以前にすでに5件もの記憶狩り事件を引き起こしていた。
そして記憶を奪われた人間はこう呼ばれるのだ。抜け殻と。
この記憶狩りに私の家が巻き込まれた。
私がテトラス・エドに助けられた日。あの暑い夏の日に。
「お祖父様、またあのお話聞かせて!」
一年の中で一度きりの夏休み。
たった二泊三日のみ許されるその休みの期間、私は祖父と海沿いの別荘へ旅行に出かけていた。
ここには両親はいない。二人とも仕事で忙しいのだ。
別荘には私と祖父、そして何人かの使用人のみ。本当に最高の休暇だった。
「たまには違う話でもしてあげよう。スミレ、海のことはどこまで知っているかい」
別荘のベランダのベンチに二人並んで腰掛け夕日が沈みかけている海を眺めていた。
地平線まで伸びるゆらゆらとした水面が橙色にキラキラと輝いていた。
「海はそんなに好きじゃないわ!水は火を消しちゃうもの」
そもそも海なんて左手の指で数えられるほども見たことがない。
ずっと高いビルの中に閉じ込められていて下界に疎いのは祖父も知っている。
「はっはっは。しかし水と火が友達になった時、そこには素晴らしい世界が開けてくるというものだよ」
「水と火が友達?」
私にはなんのことだかさっぱりわからなかった。
犬猿の仲ではないか。そしていつも負けるのは火のほうなのだ。
「自然は共生の中多くのものを循環させながらその平和を維持しているんだよ。水は火で温められ空へと上り、上空で冷やされて雨となり地上へと戻る。海はこうして形を変えながら私たちに恵の雨をもたらしているんだ」
「うーん」
まだ幼い私にはよくわからないこともあった。
今でも祖父の話をしっかりと理解することはできないことも多々ある。
「つまりだ。水と火は必ずしも敵対しているわけではないということだ。むしろ敵と見ているのは火の方であって、水の方は歩み寄ろうとしているのかもしれない。世の中そういった間違ってはいないが間違っている価値観が山積しているからね。スミレもそれもしっかり自分の目で見極めるような女の子にならなければ」
「もう!何言ってるかわかんないわ!」
プイッと。私は祖父の分からない話を投げ出してベランダから下へと飛び降りた。
そして祖父へと一言叫ぶ。
「とりあえず水とお友達になるために遊んでくるわ!」
祖父の言葉に影響を受けたのか私は別荘の方から海の方へ踵を返し走って行こうとした。
そしてドンっと何かにぶつかり尻餅をつく。
「いたた……」
何もない砂浜で一体私は何にぶつかったのだろうと頭が混乱した。
そのまま上を見上げるとどうやらぶつかったのが人であるということがわかったんだ。
「……だれ?」
「お嬢ちゃん、スミレちゃんかい?ローズマリー家の」
そうだよ、と答えようとした瞬間。
「スミレ!下がりなさい!」
祖父の大きな声が後ろから聞こえてきたんだ。
その時にはもう私がぶつかった人は正面にはいなくて。
私が祖父の方を見た時には、祖父はすでに抜け殻になっていた。




