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2-24. 研修旅行⑧


「……しーっ。大きな声を出さないで」


とはいえ。

現実は理想とは異なるもので。似て非なるもので。反対なもので。

僕の後ろに立っていたのはハルの言う追手ではなく、この声は以前学校の保健室で聞いた声、そうジル長官だった。

僕が長官の存在を認識して抵抗の意志を見せなくすると、長官もそれに気づいてかゆっくりと腕の力を弱めていった。


「ちょ、長官……!」


「大丈夫。この周りで徘徊していた怪しい人物は全て取り押さえたから安心しなさい」


この展開は心臓がいくつあっても足りなさそうだ。

まぁ死を実感するよりも前に安心感の方が先に心を満たしてしまったからそれほど、という感じもするけれど。


「それよりまずはこの子の治療だな。ほら、座りなさい」


ハルはまだ怪訝な表情でこちらを見ている。


「大丈夫だよ。この人は東部のジル長官だから」


こんな一学生から長官を堂々と紹介されることも滅多にないだろうが、さすがにハルも長官の出す雰囲気や僕の言葉を信じてくれたのかゆっくりと腰を地面に下ろした。


「彼らは何者だい?どうやら君を必死で追いかけていたようだが」


「……」


ハルは答えない。それが傷からくるものなのか単に答えたくないのか僕にはわからなかったが。

でも軽く目を背けているような気はする。これは後者か。

ジル長官がハルの傷口付近に添えた手からは淡い光が放たれている。

見ているだけでも凄さを実感できる。みるみるうちに血が蒸発して消滅していく。


「私は彼の言った通り東部の長官だ。西部での事件に直接的に関与することはできないが、若い少女が一方的に狙われているという事実だけは見逃すことはできないな」


そうですよ長官。ごもっともです。


「……大丈夫です。気にしないでいただけませんか」


どうしてこのハルという女の子はここまでひた隠しにするのだろう。

なにか負い目でも感じているのだろうか。


「自分から話す気はなさそうかな?」


「……助けていただいていることには感謝しています」


「左腕を見せてみなさい」


左腕?僕の?


「……」


僕には長官が何を意図して言っているのかわからなかったが、ハルはどうやら当てはまる節があるようだ。

その単語を聞いた瞬間にあからさまに嫌悪感を示した。


「仕方ない」


そして長官はハルが怪我で抵抗できないことを見計らってか、すっと彼女の左袖を捲ってみせた。

そこには蛇のような龍のような気持ち悪い生物がうねうねと剣の周りをひと囲みしている刺青のようなものがあった。


「いつから手を出したんだい?」


「……」


ハルは答えない。

僕は長官に何を質問しているのか尋ねる。


「長官、あの、その刺青は……?」


「ショウ君は西部の組織について知っているかい」


組織……?

そういえばロイが言っていた。この女の子が足を突っ込んでしまったと。

それでも僕は詳しくは知らない。


「すみません。組織って?」


「東部にはテトラスという制度があるけれど、西部にはないことは知っているね。その代わりに独自の自治組織が西部にはいくつもあるんだよ」


「自治組織、ですか」


「私たち東部の人間が勝手にそう呼んでいるだけだけれどね。もちろん、組織として公共事業や慈善活動をしているグループがほとんどだよ。しかし、言わば犯罪組織と呼ばれる集団も少数存在している」


犯罪……組織。


「この刺青は西部の中でも最大の犯罪組織、私たちが'α'と呼称している組織の一員であることを示す契約の証さ」


ハルが、最大の犯罪組織の一員だって!?

そんな……。確かに僕はハルのことを全く知らないけれど、ロイがあれ程好きになった女の子で。

そしてロイの心の傷を癒してくれた女の子なんだぞ。

そんな子が、悪の味方をしているっていうのか。

足を突っ込んだと聞いたけれどまさかその一員になってしまっていたなんて。


「組織'α'は東部にもいろいろと悪事を働いていてね。今ここは西部だから私に拘束する権限はないが、西部の警察に引き取ってもらえればそれ相応の処罰を受けることになるだろう」


「長官は、彼女を警察に引き渡すおつもりですか?」


僕が長官を引き止めるなんて大それたことできやしないけれど。

それでも。ロイの味方をするのなら。彼の必死な眼差しを信じるなら。

ハルにもなにかきっと理由があるはずなんだ。


「長官としてそれは責務であると考えるよ」


「……もし僕がそれに抵抗したら、同じように処罰されるんでしょうか」


長官の顔をまともに見ることさえできない。下を向いて小さく呟く。


「ショウ君がこの子を助けたい気持ちはわかるよ。でも人命と法とはまた違った話だよ」


くっ……。

ハルはきっとこのまま警察に引き渡されるんだろう。

そしたらロイとももう会えなくなってしまうんじゃないだろうか。

僕はロイになんて説明したらいいんだろう。


いや待て。

そもそもハルは犯罪組織の一員なんだぞ。

僕は『怪我をしているから』という理由だけで助けたのか?

もしかしたら犯罪者かも知れない女の子を助けたのか。

一体何が正しくて何が正義なのか自分でもわからなくなってきた。


いや違うな。学ばないな、僕は。

自分が正しいと思ったことを矜持に。それが正義なんだ。

そう教わったはずじゃないか。


「とはいえ」


と、いろいろ逡巡する僕に長官は話しかける。


「彼女が'追われていた'という事実が有るからには一方的に彼女を悪だと決定づけるのは早計かと思うよ。組織'α'に属することそのものが法に触れることには変わりないが、彼女を拘束するのはその辺りの話を聞いてからでも遅くはない」


素直に安堵した。

そして長官への尊敬の念が更に増した。


「しかし」


ハルの治療も終わりに差し掛かっているのが見て取れる。

呼吸もだいぶ落ち着いてきたみたいだ。


「ショウ君は研修旅行の真っ最中。現時刻はホテルに集合していなければならない時刻だ。これ以上この場所にいるというのであれば研修旅行特別講師として君に罰を与えないといけない」


そういえばカナタ先生が言っていた。

この研修旅行にはジル長官が護衛についてくれると。

僕はすっかり忘れていたんだ。だから長官もこの場所にいるんだ。


「そ、そんな……!」


「ここから先は大人の仕事だ。君は学生の立場をわきまえなさい」


ハルのことに後ろ髪を引かれつつもジル長官の言うことはごもっともで、それにこの場にいたとしてもこれ以上僕ができることはなにもないのは自明だった。

仕方ない。今は素直に言う事を聞くことにしよう。


「どういう言い訳をしてこの場所に単身やってきたのかは知らないが、その格好で返すわけにはいかないな」


と、長官は僕の服を指差し、なにやらよくわからない魔法を放つ。

自分の服を見ればハルの血がべっとりとついていたのだった。それがすっと消えていく。


「治癒魔法の応用だよ。君も身につけられるよう勉強に励みなさい」


こんなところでもご指導ですか、と少し呆れそうにもなったがもしかすると長官に直に稽古をつけてもらっているような立場の学生は東部どこを探しても一人もいないんじゃないかと、軽い優越感に浸るのだった。



 ***



「遅い!なにやってんの!」


「ごめんなさい」


ホテルに戻るやいなや入口で待っていたアカネに怒鳴られた。

いつまでこんなところで待ってるんだよ。


「みんなあまりに遅いから心配してたのよ!」


「そうだぞ!」


と後ろからチャイの声。なんだ、見渡せばみんないるじゃないか。


「意外と忘れ物探すのに手間取っちゃって」


「店にあるって言ったじゃない!」


おっと、痛いところをつかれてしまった。

こういうところだけは目ざといんだから。


「それがそんな単純な話でもなくてさ……」


「それより、なんでアンタ服破けてんのよ」


焦って戻ったから気付かなかった。

そうだ。僕は自分で自分の服を破いて止血に当てたんだった。

ジル長官もさすがに破れた服には治癒魔法かけてくれなかったんだな。

果たしてその魔法で服が元通りになるのかはわからないが。


「ころんじゃって……」


「アンタがそんな馬鹿やってるから今までご飯食べれなかったのよ!」


そうか。それでみんなも少しイライラしているのか。


「本当に、ごめんなさい!」


「まぁいいわ。早くご飯、食べに行きましょう」


ハルの命を助けることができたんだから、僕が多少悪者になってもそれは全く許せるものだった。

心の中に多くの疑問を残す結果とはなったのだが。

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