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2-23. 研修旅行⑦

その面影に僕は思い当たる節があった。

薄暗い中一瞬だったから確証はもてなかったものの、なにやら怪しい雰囲気を気配を肌に感じたのだ。

結果論からそうとしか言いようがないのだけれど。

誰にもわからない、僕にすらわからない、何かが僕の心臓をきゅっと少し縮めたんだ。


「うっ、リズ、ちょっと離して!」


「だーめだよ!このままホテルまで直行!ほら!もう目の前だよ!」


このモードに入ったリズを止めるのはなかなか難しいと感覚的にわかっていた。

何を言おうと許してくれるわけがない。

ということでアカネには申し訳ないが僕は悪い手を使うのだった。


「離してくれなきゃリフォークの大時計、行ってあげないぞ」


ドサッと。

その言葉を耳にした途端、リズは一気に力が抜けたのか僕をその場に振り落とした。

走っていたもんだから慣性のまま軽く引きずり転げ回ったけれど。


「ほんと?ほんとにほんと?」


「あぁ」


まぁリズは後で掻い潜るとしよう。

離したところで行くとも言ってはいない。


「こら待てー!」


「ちょっとタイム!待ってストップ!」


心からの叫びにアカネも少し狼狽えたのか、突っ込んでくる前に殴られる前にこの猛獣を制することができた。


「なによ。どうしたのよ」


「忘れ物しちゃった」


とはいえ急ごしらえの理由付けにほとほと自分でもあきあきしてしまったのである。


「忘れ物?アンタがずっとリズとイチャコラしてるからそんなしょうもないことしちゃうんじゃない!」


今だけは素直に聞いてあげるよ。アカネ。


「ごめん。ちょっと探してくる。検討は付いてるんだ!さっき寄ったお店に忘れてきちゃったみたい」


無論、最初から最後まででまかせである。


「あっそ。ほら。じゃあ探しに行くわよ」


こういう時のアカネの優しさといったら、本当に。

ただ今回はついてこさせる訳にはいかない。


「大丈夫だよ。ホテルももうそこだし。先に帰ってて!すぐ戻れるから!」


「ついてくって言ってんでしょ!」


「いいから!」


自分でも情けない。

でも気づいたときには大きな声が口から出てしまっていたんだ。

僕がアカネにこう強くモノを言うのはなかなかないことだし、アカネも何かを察してそれ以上は何も言わなかった。

どんな表情をしていたのかは僕にもわからない。

強く言い放った反動ですでに後ろを向いて走っていたのだから。


「お?どうしたんだ?ショウ」


「ごめん!忘れ物してた!すぐ戻るから!」


と、後ろの五人にはそれ以上何も言うことなく全速力で走った。

ささっと、その場所から早くいなくなりたかったんだ。

だってこれは。おそらくきっと。

ロイかクロウが勘づいたら少々厄介なことになるかもしれないと咄嗟に判断したから。


「なんだよショウのやつ。二人にからかわれてついにやけになったか!?」


「もう!チャイ君までそんなこと言わないの!」


「忘れ物しただけであんなに焦るかな。ちょっと俺、見てくる」


「大丈夫だよ、ロイ!ほっとけほっとけ!」


「いや、でも……」


「ロイよ、これは男の問題なんだよ……。かっこいい男はすっと身を引くもんだぜ」


後ろに微かに聞こえる声は気にしていられない。

チャイよ。何か盛大な勘違いをしているようだが今回だけはアンタに感謝しておこうじゃないか。

後でジュースの一本でも買ってあげよう。


それから僕は例の細い路地へものの数分でたどり着いた。

感づかせる訳には行かなかったから多少遠回りをしてしまったが、まだあの子はいるのだろうか。

ゆっくりと、足音を殺して路地へ踏み込む。

心臓の音が大きくなる。足も少しだけ震えてる。

けれど、きっと、この足は前に進まなくちゃいけない。

そう本能的に感じるものがあったんだ。



「あっ……」


声に出そうとも思っていなかった。思わず、と言って間違いはない。

胸の奥から湧き上がってきた気持ちがそのまま声まで押し上げてしまったんだ。

薄暗い路地を数十歩進んだ先、僕がリズの腕越しに微かに捉えたその人影は紛れもなく昨日ロイと少しだけ会話をしていた女の子。

ハル、とロイが呼んでいた女の子。


目の前で栗毛色の髪をした女の子が座り込み、いや、座り込みというか、これは……。

倒れている?


「だ、大丈夫ですか!?」


思わず駆け寄る。駆け寄れば一層彼女の荒い息遣いが聞こえ小刻みに震えているのがわかった。

そして足元に感じるぺちゃりとした鈍くて重い液体。

暗くて明確にはわからないが、軽く手にとり顔に近づけてみるとそれが赤黒い血であることがわかったんだ。


「どうしよう……」


今目の前に女の子が怪我をして倒れている。怪我の程度はわからないが流れ出ている血の量を見るからに重傷であるのは間違いないんだ。


「き、きみは……?」


微かに目を開いたハル、とロイが呼んでいた女の子はゆっくりと口を開いた。

言葉の合間に漏れる荒い息遣いが危険な状態にあることを物語っている。


「ま、まずは!そうだ、応急手当!」


ハルの質問に応える暇さえない。死ぬかもわからない状態で何を聞いてるんだ。

血の出処を探るとそれは腹部あたりから漏れ出しているようだった。

僕は風の魔法で自分の服を軽く切り取ると思いっきり傷口と思われる箇所を抑えた。


「ぐっ……」


「痛いですよね。でも我慢してください!すぐ、助けを呼びますから!」


生憎僕は治癒魔法に明るくない。というか全く使えない。

アカネは少しだけ使えたはずだけれど、あれだけ啖呵を切って嘘をついたのに呼び戻すか、いや、そんなこと考えてる場合じゃないか。


……!そうか!カナタ先生だ。

ここは素直に先生に頼ろう。

僕は携帯をポケットから取り出しカナタ先生の連絡先を探す。

ロイと仮面の一件依頼、先生の連絡先を聞いておいて本当に良かったと思わされた瞬間だった。


「そ、それ……。きみ、東部の人?」


携帯を見てハルは僕に問う。


「そうです。観光でやってきました。大丈夫です!今、僕たちの頼れる先生をすぐに呼びますから!」


そしてカナタ先生へ電話をかける。

こういう時に限ってコール音が異常に長く感じる。

早く、早く出てくれ。


「もしかして、セントレア上級学校の人……?」


やっぱりこのハルっていう子はロイのことを結構知っているようだ。

じゃないと東部の上級学校の名前なんて出てきやしないだろう。


「そうですよ!ロイって奴のクラスメイトです」


傷口を押さえながら通話口に耳を当てているが一向にカナタ先生は電話に出る気配がない。

何回コールしたのかわかならいがこれ以上は無駄だと思い渋々電話を切った。


「ロイの……、クラスメイトさん」


ハルの顔は痛みに苦しみながらもロイの名前を聞いた瞬間に少しほころんだ。

やっぱり彼女はロイと繋がりが深い。

ロイは一目惚れしていたようだけれど、実はこの女の子も、なんて今考えても仕方がない。

それでも彼女が元気づくなら、僕はロイをこの場に呼んであげるべきなのかもしれない。


「ロイを、呼びましょうか?」


答えは間髪入れずに返ってきた。


「やめて!」


痛みと一緒に吐き出された彼女の悲痛な叫びは僕の身体を一瞬拘束する。


「えっ」


漏れ出したのは疑問に満ち溢れた音でしかなかった。


「でも、このままじゃ……」


何故だろう。理由を聞けなかった。

それはロイへの同情なのか、ハルへの恐怖なのか。


「わ、私は大丈夫、だから。ごめんなさい、ありがとう」


そう言ってハルは無理やりその場を離れようとする。

あまりの行為に僕は彼女を制止する。


「動かないほうがいい!今動いたらだめだよ!」


それでも彼女は言う事を聞く素振りを見せない。

僕には彼女がロイから逃げているように思えてならなかった。


「ここは危ないんだ。まだ追手が、そのあたりにいるから、きみも早く……」


追手、ということは彼女は誰かに襲われたってことか?

そういえばハルも逃亡者だとロイは言っていたけど、そんなまさか。


「その状態で逃げても無理だよ!」


「ここも直に見つかる……。殺されるよりは、ましだよ」


殺される。

その文字を聞いた途端、僕の脳裏にはブルーム先輩のことが過ぎったんだ。

死ぬ恐怖。殺される恐怖。

それを再確認して僕の身体はまた一段と重くなる。


しかし、それを克服すると誓ったじゃないか。

そうだ。僕はこの恐怖から逃げてはいけない。立ち向かわなければいけない。

目の前の、ロイが一目惚れした女の子一人守ってみせろよ!ショウ!


「……!」


ただ現実というものは理想と似て非なるもので。

彼女の見開かれた目。視線は僕の背後へと。

それは僕の後ろに立ち尽くす黒いマントを羽織った人物へと向けられていた。


「がふっ……」


気づいた瞬間。時すでに遅し。

後ろを振り返るまもなく僕は口を抑えられた。

必死で振りほどこうとするもあまりの力にビクともしない。


そんな、嘘だろ。

命って、こんなに、あっけなく……


仮面の時とは違って、今回は死を受け入れる覚悟すらできなかった。

させてはもらえなかったんだ。

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