2-10. 生きるために
「ほんとに綺麗な顔して寝てますね」
ロイとクロウは保健室のベッドでまだ寝ている。
僕はその間に腰掛けてロイの方を眺めていた。
どうしてだろう。あの夢を思い出すのは。
遠目からじゃわからないのに、ぼんやりとした憧憬にロイを重ねるのはどうしてなのだろう。
でもあの人は確かにロイの面影を残していたんだ。
あの夢はロイの記憶だったのだろうか。
もしかするとロイが所属していたかもしれないというテトラス・エドの記憶なのかもしれない。
僕の頭の片隅で太陽の日が重なるのはなぜなのだろう。
「んっ……」
ロイの瞼が微かに震える。
ついにお目覚めの時かな。
しかし、僕は想像していなかった。
ロイの心は既に崩壊していたということに。
「うわぁぁぁぁぁ!」
ロイがゆっくりと瞼を持ち上げ、おそらく隣にいた僕が視界に入った瞬間だっただろう。
ロイは先程まで気持ちよさそうに寝ていたというのにベッドから飛び上がり、両手に恐らく光魔法で象った短剣を構え僕から距離を取っていた。
気づいたときにはその状態だった。
息が荒い。目を見開いている。
僕を見るその目は明らかに殺意を帯びている。
「ロイちゃん!」
「ロイ!僕だよ!」
荒れていた息遣いも徐々に落ち着きを取り戻している。
場の雰囲気が飲み込めたのか、ロイはスッと短剣を消した。
そして一気に力が抜けたのか床にしゃがみこむ。
「あ、あいつは……仮面は……」
「大丈夫だよ!もういないよ!」
ロイの両肩を持ち必死で宥める。
顔からは大量の汗、肩もビクビク震えている。
「ロイ、今、何持ってた?」
僕の後ろからアカネが呟く。
その声はロイには届いていなかったみたいだけれど僕にはしっかりと聞こえてしまった。
きっと僕が敵に思えたんだろう。
一日近く眠っていたんだ、記憶が混同しているに違いない。
でもいつものロイ、半年前のロイならきっと壁を出すはずなんだ。
自分の身を守る、光壁を。
ロイが発現させたのは、剣だった。
自身を守る壁ではなく、自身を守る剣だった。
あれほど攻撃したくないと言っていたロイが剣を持つなど、僕らからすればおかしいと思える程に変化している。
「落ち着いてロイちゃん。仮面はロイちゃんが追い払ってくれていなくなったわ。きっと戻ってこないから」
ロイはまだその後の顛末を知らない。
教えないといけないんだけれどそのタイミングもわからない。
「クロウ、起きたの?」
「あぁ、ロイの大きい声が聞こえたから目が覚めた」
アカネの横には既にクロウが立っていた。
起きる時も全く音を立てないなクロウは。体重はちゃんとあるんだろうか。
「ロイ、立てるか?」
と、クロウは僕らの間に割って入ってロイに手を差し伸べる。
ロイは何も言わないままクロウの手を掴んで立ち上がり、そのままベッドに腰掛けた。
「俺たちはどれだけ眠っていた?」
「丸一日ってとこね」
「そうか。もう仮面はいないんだな?」
話にも聞いたとおりクロウはなんとか大丈夫そうだ。会話も普通にできている。
僕らは二人が寝ている間に起こったことをありのままにクロウに話した。
ロイも横で聞いていたはずだけれど、これといった反応は見られなかった。
「ブルーム先輩が。そうか。俺たちは間に合わなかったんだな」
「でも僕らを含めてみんなクロウ達のおかげで助かったんだ。本当にありがとう」
「原因を作ったのは俺たちだ。感謝されるのは本末転倒な気がするが」
そもそもの原因は確かにロイやクロウなのかもしれないけれど、結局学校が狙われた理由は僕のせいでもある。
僕がいなければここまでの事態にはきっとならなかったんじゃないかと思う。
「クロウは結構大丈夫そうだね」
どうしてそんなに淡々と喋れるのか。
「慣れてるからな」
どういう意味だ。
あぁ、半年間でってことか。
「でもずっと命を狙われ続けていたんだろ?」
「そうだな。でも生きてる」
「二、三日前も襲われたって聞いたけど」
「そこが一番正念場だった。おかげで学校に向かうのが遅れてしまった」
クロウはずっと一点を見つめて抑揚もなく応えを返す。
若干の恐怖を感じてしまったが、表にださないように気をつけなければ。
***
テトラス・ラピスラズリの四人でブルーム先輩に花を手向けた後、僕たちはこれから共同生活を送ることになる寮を目指して歩き始めた。
寮といっても部屋が変わっただけで場所は変わらないんだけど。何故か少し新鮮な感じがする。
といっても半年ぶりか。LLのメンバーが勢ぞろいするのは。
LLという略称もブルーム先輩がつけてくれたんだっけか。
「クロウ、ちょっと聞きたいんだけど」
「なんだ?」
僕はクロウを連れてロイとアカネから距離をとった。
小声で話して聞こえないくらいの距離だけれど、アカネもロイと何か話しているようだしこれくらいでまぁいいだろう。
「この半年間、どういう襲撃があったの?」
ロイのいないところで話がしたかったが、これから共同生活をしなくちゃいけないしそういう機会もなかなかないだろう。
「長官が説明したらしいじゃないか。それが全てだ」
クロウは長官のことをお父さんとは呼ばないのか。
確かロイは父と言っているところを昔聞いた気がする。
「それもそうなんだけど、長官もあくまで伝聞情報でしょ。本人に聞いたほうがいいかなって」
「昼夜問わず襲われた。それだけだ」
「眠れた?」
「交代でな」
交代とはいえ気が休まる状況では到底なかっただろうに。
「ロイっていつからああなったの?」
「ああって?」
「その、攻撃性を増したというか、攻撃を厭わなくなったというか」
守りから攻めへと。
保守的な性格から攻撃的な性格へと。
仕方ない、とクロウは重たい口を開ける。
「人を殺してからだ」
「え?」
クロウの言葉は素直に耳に入ってこなかった。
それは違うな。脳が理解することを拒否したんだ。
クロウの言葉を否定したかった。
「逃げ始めてから十日程度でロイはもうあんなだったよ」
淡々と冷酷な情報を口にする。
黒い髪も黒い瞳もより一層黒黒しく見えたのだった。
「人を、殺した?」
「敵を、と言った方が誤解はないだろうが」
それにしても同じ人というのには変わりない。
「そんな……」
「俺らだって命を狙われていたんだ。逆に命を奪ってもそれは仕方ないだろ」
人を殺しておいて仕方ないなどとよく言えるな。
状況が状況だけに素直にそう思えないけれど。
というか僕の想像を超える環境だけに、なにを良しとするかの判断基準すらわからなくなっていた。
「敵って仮面だけじゃないの?」
「仮面の部下だと思う。何人も毎日来ていたよ」
「……何人、殺したの?」
「それは聞かない方がいいんじゃないのか?」
――桁が違う。
聞かないほうがいいだなんて僕には無理なことなんだよ。
不可抗力。勝手に君の声は僕の中に入ってくるんだ。
桁が違うだと。
何人ではない。何十人もロイ達は敵を殺めてきたんだ。
そんなことをはいはいそうですかと受け入れられるはずがないだろう。
「で、でも、仕方がない、ことだったんだよね」
僕は僕に嘘をつく。
仕方がないなんて思ってもいないけれど。
「あぁ。そうだ」
――敵を殺す選択肢を取ってからは随分楽になったがな。
きっと彼らなりに殺人は犯さないと決めていたんだと思う。
けれど、十日経って精神的にもしんどくなって殺してしまったんだと思う。
殺したほうが楽。逃げ惑うより楽。
なんとなくわかるような気もするけれど、僕には取ることのできない選択肢であることは間違いない。
「君たちは犯罪者だね」
僕から二人に与えられる精一杯の皮肉だった。
返ってきた答えは予想の斜め上をいっていたけれど。
「犯罪は犯していないさ」
「敵とはいえ人を殺したんだろ?正当防衛だとでも言うのかい」
「死体すら見つからない。つまり犯罪すら起こっていない」
「どういうことだよ」
見つからないようにご丁寧に隠蔽工作でもしたっていうのか。
「相手は堂々と俺たちを殺しに来ている奴だぞ。仲間が死んだところで警察に届ける訳もないだろう」
死体は見つからない。警察にも届けられない。
すなわち最初から事件は起こっていない。
「警察が動かなくても、罪の意識ってものがあるだろ」
「そんなもの、とっくに捨てたよ」
「それはもう人じゃないよ、クロウ」
そんな奴とは思っていなかったよ。
「人として生きるためだ。取捨選択の結果俺たちは今お前の目の前にいる。お前はどうしたいんだ?俺たちに生きてほしいんじゃないのか」
「……」
そうだよ。
僕はロイにもクロウにも生きてほしい。生きて帰ってきたことを本当に嬉しく思っている。
ただその裏で殺人を犯していた。
生きるために、敵を殺さなければならなかった。
そんな人を僕は許してあげられるのだろうか。
矛盾。僕の中で矛盾地味た解答がぐるぐる渦を巻いている。
何が正しくて何が間違っているのか。
僕の価値観でも、表の世界の常識でも判断し兼ねる別の次元に二人は立っているんだ。
まだ僕にはわからない。
なにが正しいのか。なにが間違っているのか。
なにが、正義なのか。
「とりあえず、全部置いといて、帰ってきてくれてありがとうとだけ伝えておくよ」
僕の出した結論は保留。後回し。
つまりは目の前の状況から逃げ出したのだ。
言い方を変えよう。
判断できる材料が経験が価値観が僕にはまだ足りないから、それが十分に備わった時に改めて判断しようじゃないか。
「あぁ。お前も俺らを守ってくれてありがとう。お前のおかげで逃亡生活に終止符が打たれたんだからな」
「クロウ、もう一つ聞いてもいい?」
心を落ち着けて、一回リセットして、問題を後回しにして。
聞かなきゃいけないことをクロウに尋ねる。
「なんだ?」
「クロウって都市伝説って信じる?」




