2-8. スミレの想い
『……やめてよ!』
眼前に広がる荒涼とした大地。
肌を吹き抜ける冷たい風。
あぁ、またこの夢なんだ。
もう何回見るんだろう。
見ても見ても何回見ても目の前の光景と内容は一ミリ足りとも変化したことなどない。
冷たい風も、胸を締め付ける痛みも、右頬を伝う涙も。
悲しくて辛くて逃げ出したくなるけど、僕は向き合っている。
視界の晴れた先に待つのは二つの人影。
そう、今からこの二人は戦いを始めるのだ。
そしていつも眼が覚める。どちらが勝者なのか僕からは判断がつかないけれど。
ただ。あれ、今日の夢は少しおかしいな。
いつもはぼやけた視界の先、二人の姿は曖昧で容姿すらよくわからないけれど。
どうしてか、今日の夢では二人の片割れ、茶色の髪の毛と悲しげな顔立ちが薄らと確認できてしまったのだ。
――ロイ?
と、一瞬彼の姿が思い浮かんだのは何故なのだろうか。
***
「おはよう、アカネ」
「おはよ」
冬用の制服に分厚いコート。毛糸の手袋に紺色のマフラー。
いつもより寒さが厳しいからだろうか、そう感じるだけなのだろうか、僕もアカネも二人とも厚着をして毎日の集合場所にて落ち合った。
アカネも寒さを感じているのかどうかわからないが、僕は、まぁ、そうだな。
あんまり顔を見せたくなかったからというのもあるのかもしれない。
毎日着ているというのに今日は普段と違う着心地がする。
「雪降ってるね」
「うん」
たぶん新年最初の雪だと思う。ここ最近は降っているところを見ていない。
なにもこんな日に降らなくても、と天気を恨むぜまったく。
「行こっか」
「うん」
アカネにしては珍しく言葉少なに僕に相づちを打ってくる。
アカネなりに今日というこの日が辛いんだろうな。
僕も気丈に振舞っているだけかもしれないけれど。
「あっ」
学校も近づいて校門が見えてきた。校門の横に黒くていかにも高級そうな車が止まっている。
そこから出てきたのがスミレだったから僕たちは少し立ち止まってしまった。
スミレは軽く僕たちに一瞥をくれると何事もなかったかのように校門をくぐってしまった。
「スミレ!」
「ちょ、ショウ!」
僕はどうしてもスミレに声をかけずにはいられなかったんだ。
彼女は今にも壊れてしまいそうだったから。
追いかけてスミレの肩を掴む。
勢いよく振りほどかれるかと思ったけれどスミレは足を止めるだけだった。
「何?」
たったそれだけを口にした。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「貴方に話すことは何もないわ」
思えばロイがいなくなってからというもの会話をしたのは半年ぶりではなかろうか。
久しぶりにスミレの声を聞いた気がする。
彼女のライバルがいなくなってからというものスミレは本当に誰とも喋らなくなったからな。
昨日の校長室でも一言も喋らなかったし。
近づきがたい存在ではあったのだが、今ロイたちの帰還とともに彼女も少し変わりつつあるような気がしてならないのだ。
「どうして昨日保健室に行ったの?」
「……」
離して、と、一度は停止させた足を再び前に進めるスミレ。
「帰ってきたね、ロイ」
彼女のライバルの名前を出した途端、再び歩を止める。
「そうね」
「よかったじゃないか。どうして、そんなに悲しそうなの?」
「……」
スミレは答えない。
でも、いつもなら興味すらなく足すら止めないスミレが今こうして僕と話そうとしている。
プライドなのかどうなのか僕にはわからないけれど、スミレはきっと伝えたい何かがあるんだ。
どうしたら引き出せる。
「ロイの顔は見た?酷く怪我してそうだったけれど」
「そうね」
「僕たちはロイ達に感謝しなきゃね。あんな手傷を負ってでも僕らを守ってくれたんだから」
スミレは背を向けているけれど、右手をぎゅっと握り締めたのがわかった。
――私には、守れなかった。
えっ?
急に聞こえてきたスミレの心の声に僕は一瞬動揺する。
「何?貴方達、私を責めに来たの?」
「は?アンタ何言ってんの?」
アカネが僕の前に出る。
やめてくれ。女と女の戦いは僕は見たくないぞ。
「ロイがいなかったら私たちどうなっていたと思うのよ」
ロイがいなかったらって急にスミレはなにを言い出すんだ。
と思いきや、勢いよく僕らの方を振り向いた。
「こう言いたいんでしょ!Sランクのくせに端っこで小さくなって何もできなかった愚か者だって!この学校で一番強いはずなのに何もできなかった使えない奴だって!そう罵りたいんでしょ!」
いつも冷酷に、冷淡に、他人のことにはほとんど無関心で感情すら顕にしなかったスミレだったけれど。
彼女の初めて聞く大声が冬の寒空に木霊した。
周りの生徒も何事かとこちらへ視線を集める。
「えぇそうよ!Sランクなんてただのお飾り!勉強と魔法ができるだけのただのお嬢様!肝心な時には何もできない、命が掛かっていても動くことすらままならない臆病者めってそう言いたいんでしょ!」
あぁ、そうか。
戦場にずっといたスミレは確かに小さくなって何もできてはいなかった。
恐怖に支配されていたのか命が惜しかったのか僕にははっきりとわからないが、彼女なりに責任を感じていたんだ。
僕だって思ってしまっていた。あの時、思ってしまった。
Sランクのくせに、と。なにをボケっと突っ立ってるんだと。そう、思ってしまったのだ。
スミレの言葉はきっと僕らに向けられた言葉ではない。自分に向けられた言葉なのだ。
何もできなかった自分に、ロイに助けられた自分に、ブルーム先輩を助けられなかった自分に、非常に責任を感じていたのだ。
一番強いくせに。
最強のくせに。と。
「うっさいわね。朝からぎゃあぎゃあ騒がないでくれない?臆病なお嬢様」
ただアカネはスミレに追い打ちをかけていた。
「ちょっと、アカネ」
「誰も言わないだろうから私が言ってあげるわ。アンタは何の役にも立たないでくのぼう。お勉強が出来るだけのお嬢様。魔法が使えるだけのお嬢様。脅威に立ち向かいもしないくせにそんな自分を嫌いになってる性根の腐った臆病なお嬢様よ!」
バシンッ。
アカネの顔が左に揺れ動く。
スミレはアカネの頬をビンタしていた。
俯いて何も言わずただただ地面を濡らす目の前のお嬢様。
彼女の気持ちは僕にも痛いほど伝わって来る。
認めるしか、ないのだ。
強くて弱い。ただのお嬢様であると。
アカネの言ったことは多少の感情は入っているけれど本当のことなのだと。
「なによ。アンタも人を殴れるんじゃない」
アカネが殴り返すのではないかと内心ヒヤヒヤしていたが、そんなことは杞憂に終わった。
「わかったでしょう。私は魔法が強いだけの臆病な弱者なの。わかったら、もう関わらないで」
踵を返し学校を目指す彼女。
残念だがスミレ。僕は君をまだ生かせるわけにはいかないんだ。
「これから、強くなったらいいじゃんか」
壊れてしまいそうだったスミレをアカネが壊してあげたから、僕はそれを繋げてあげなければならない。
バラバラになってしまった彼女の心を、別のピースを添えてもっと大きく、もっと暖かく治してあげなければならない。
「きっとスミレは弱いんだろう。自分で一番よくわかってるはずさ。だけどここは学校だよ。弱いところを強くして、できないところをできるようにする場所じゃないか。これから、強くなればいいだけの話だろう」
諭すように、砕けた心がこれ以上粉々にならないように言葉を選びながらスミレに告げる。
「今から強くなったってもう遅いわ」
それからスミレはもう一度両手を握り締めて背中越しに言い放つ。
「もうブルーム先輩は帰ってこないんだから!」
ごめん、スミレ。
先に謝っておこう。
その言葉は声に出しちゃあいけない。
出してしまっては絶対にいけない。
僕はスミレの前に出て、思いっきり右手で頬を引っ叩いた。
「ショウ、ちょっと」
今度はアカネが僕を止めようとしているがそんなことは関係ない。
僕はこの自分を責めるだけの臆病な財閥娘に言わなくちゃいけないことがある。
「あぁそうだよ。ブルーム先輩は死んだ。アンタが弱いせいで、そして僕が弱いせいで死んだんだ!けれど、それを後悔するなんて僕は許せない。何のために先輩は命を賭けてまで僕らを守ったんだ!残された命を、先輩の選択を後悔しろっていうのか!」
涙をボロボロ流しながら左頬を両手で押さえるスミレ。
きっとこのお嬢様、こんなに思いっきり叩かれたのは初めてなんだろうな。
「後悔なんてさせない。先輩の想いを無駄になんてさせない。先輩の死は僕らが弱かったという紛れもない事実が招いた結果だ。それを受け止めて、僕らは強くならなくちゃいけない。心を、強くしなくちゃいけないんだ」
スミレの魔法は十分強い。強すぎるくらいだ。
きっとロイとも仮面とも渡り合えるだけの実力はあるはずなんだ。
あとはそのか弱くて貧弱な心を、強くしなければいけない。
「自分を責めるってのは逃げるってことなんだ。責めてる間は何も考えなくていいから。向き合わなくていいから。スミレがいいなら僕はそれでいい。だけど、君が前を向けない間、僕は君より遥かに先を歩んでいくさ。前を向かないスミレなんて、もう僕の敵じゃない」
行こう、アカネ。
財閥娘相手にここまで格好つけた物言いをしてしまった僕に対して呆然としているアカネの腕を掴んで僕らはスミレとの距離を取る。
取ろうとした。
「なによ、田舎者の分際で」
微かに彼女の気品もなく気高さもない惨めな言葉が聞こえた。
「私は貴方なんかに負けない。貧弱な魔法しか使えない貴方達になんて到底及ばない領域に私はいるわ。先を行く?敵じゃない?勝手に言ってなさい。その言葉がなんと恐れ多い言葉か頭に刻み込んであげるわ」
力もない。威勢もない。
本当にただの女の子の独白。つぶやき。
だけど僕らにとっては、彼女の本当の声なのだ。
自分を責める殻から抜け出した彼女の新しい気持ちなのだ。
「叩いて悪かったわね。ごめんなさい」
謝罪が聞けるとまでは思っていなかったが。
「ローズマリー家の一撃っていったら、案外ご褒美かも知れないわよ」
アカネめ。ローズマリー家の令嬢の前でなんて冗談をはきやがる。
クスッと笑い合う二人。その光景がなんと嬉しかったことか。
「仲直りしたところでさ、スミレ、教えてくれないか?」
「貴方はもう少し私を敬う言葉遣いを身につけて欲しいものね。それで、何を?」
どうやら僕はスミレに嫌われてしまったらしい。
まぁそれもいいか。
「どうして保健室に行ったのかなって。単純にロイのお見舞いってだけじゃなさそうだったから」
聞けばジル長官とカナタ先生を質問攻めにしたらしいじゃないか。
「笑わずに聞きなさい。貴方達、都市伝説って信じる?」




