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2-7. テトラス・エド


「ショウ、大丈夫?」


ジル長官が保健室を出て扉を閉めた後、残された静寂な空間で言葉を発するものはしばらく誰もいなかった。

それを見かねてアカネが心配したのだろう。僕に声をかけてくれた。


「うん。一応、大丈夫だよ」


ロイとクロウの半年間、仮面の目的、僕の魔法の正体。

一度に僕の脳が素直に、はいそうですか、と処理できるわけもなく、口を動かすという動作に頭を回すのですらおぼつかない状態だったわけだ。


「私知らなかったなぁ。ショウちゃんがそんな魔法隠し持っていたなんて」


保健室のもうひとつの椅子に腰掛けていたカナタ先生には笑顔が少し戻っていた。

到底満面の笑みと言えるほどではないけれど、笑顔の下に先生としての責任感や傷の痛みを背負っているのは十分伝わって来るけれど、僕はその笑顔を笑顔として受け取った。


「わざと隠していた訳ではないんですよ。隠さないと、いけなかったんです」


「知ってる知ってる。よく話してくれたわね」


と言ってカナタ先生は僕の頭を撫でる。

先生、横でアカネが怒りの眼差しを向けていますよ。


「でもいつか、先生としてではなくて、私と、ゆっくり話しましょうね。きっといつか」


耳に吹きかけるような甘い声に僕は背中がぶるっとなるのを感じた。

耳元で何を囁いているんですか。


「先生、ロイとクロウは無事なの?」


カナタ先生に最近敬語を使わなくなってきたアカネ。


「えぇ。奥のベッドで二人ともすやすや眠っているわ。やっと落ち着けたのか、それはもうぐっすり」


「起きたら、また逃亡生活ですか?」


それだけが心配だった。今はカナタ先生もジル長官もきっと近くにいるだろうから安心できるだろうけれど、時が経てばまた以前の時々刻々と死期の迫る日々へと逆戻りなのではないかと。


「いや、ジル曰く休学はたぶん今日で終わり。いつになるかわからないけれど学校が落ち着き次第また戻ってくるっと思うよ」


「本当ですか!」


ロイとクロウにまた会える。それだけで嬉しかった。

しかし、いくつか疑念が残るのも確か。


「でも、また仮面は襲って来ないんでしょうか」


「そうね。まだ不安は残るけれどジルが言うにはきっと大丈夫だろうって」


ジル長官のお墨付きを貰えるのならきっとそうなのだろうけれど、一体何を根拠に。


「どうしてそう言い切れるんですか」


「ショウ君のおかげだって言ってたけど」


「僕のおかげ?」


僕がいたところで何が変わるというのだ。むしろ僕は仮面のターゲットであって僕がいたほうが学校の危険度が上昇する気もするのだが。


「ショウ君が心眼を覚醒させたおかげで、仮面に心を読み取り束縛するという心眼の脅威を知らしめることができた。もう一度魔法を使用されれば仮面の正体も明らかになる可能性がある。だからしばらくはショウ君の前には現れないだろうって。だからむしろショウくんと同じ学校にいたほうが安全だろうってさ」


僕の眼は仮面の標的ではあるけれど、この能力の性質上確かにジル長官の言っていることは筋が通っている。

もし次に仮面に対峙したとき、僕はこう問えばいいのだ。


アンタは何者だ。と。


今日、あの時は仮面が束縛を破るのが速かった為、聞くに聞けなかったが次に顔を合わせたときは真っ先に尋問する内容であるのは間違いない。

僕を狙うけれど、僕を狙えない。そんな板挟みの状態に仮面は陥っているはずである。


「え、でも、僕がその話をしたのってついさっきじゃなかったですか?」


「あ、うん。だからほら、今さっきメールで来たわよ」


とカナタ先生は携帯の画面をこちらへ向ける。

やはりジル長官も心が読めるのではないだろうかと疑う気持ちすらもはやない。

先を見通しすぎだろ。流石東部のナンバーワン。

出て行ってから時間はそう経っていないというのに。どうやら長官はメールを打つ才能もあるらしい。


「そういえば先生、スミレは何しに来てたの?」


そういえば。


「あぁスミレちゃん?そりゃロイちゃんのライバルなんだから様子を見に来て当然よね」


自称ライバル宣言まだ継続していたのか。


「スミレ、元気でした?」


「うん。さっき来た時は私とジルを質問攻めにするくらいには元気だったよ。どした?」


「いえ、別に」


仮面との戦闘中、カナタ先生からは見えなかったのだろうか、スミレも実はずっと同じ場所に座っていたのだ。

瓦礫の影に隠れてずっと膝を抱えてビクビクと震えていたんだ。今でもその姿が目に浮かぶ。

それでも長官を前に質問が絶えないくらいに口が動いていたということは、僕が見ていた光景は幻だったのか。


「あ、そうそう。スミレちゃんこんなこと言ってたっけ」


数ある質問の中でもカナタ先生が僕たちに聞きたかったこと。


「ショウちゃん、アカネちゃん。テトラス・エドって知ってる?」



 ***



寮への帰り道。

すっかり日も暮れてしまって、街灯の仄かな灯りだけを頼りに整備された道の上をボクとアカネは歩いている。

いつもよりゆっくりと、一歩一歩しっかりと地面を踏みしめて、生を実感しながら前に進んでいる。


「風が気持ちいいね」


なんて当たり前のことを僕が口にしても。


「そうね」


は?アンタ何言ってんの。

なんて冗談交じりの言葉は帰ってこず、アカネは素直に僕の言葉を鵜呑みにする。


今日は、まだ終わっていない。

気持ちを新たに迎えた新学期だったが、人の命の重みを実感し、自分の死すら実感した日とは到底思えないくらいに、今日一日は長かった。

教室でアカネと過ごしたことも。保健室でジル長官に聞かされた話も。今、こうしてアカネと寮へ帰っている現実があるのも。全て、同じ今日なんだ。


僕らは寮に帰ることができている。

けれどブルーム先輩はそれすらも叶わない。


先輩の背中を感じながら僕らはまた明日からも生きていく。


「明日ちゃんと起きなよ」


「当たり前でしょ。向き合わなきゃ私たちは前に進めない」


散々目の前の現実から逃げて。そして向き合わされたのも今日だった。

今の僕らにはしっかりと向き合う準備が出来ている。


明日はブルーム先輩の葬儀が執り行われる。

その場所に赴いて、現実と向き合って、先輩を送り出さないといけない。


「ローレンシア先輩、大丈夫かな」


ブルーム先輩のマイハニー。彼女。主席。


「ショウが気にすることじゃないわよ。あの人は、十分、強い」


魔法技術だけでなく。心すらも。

先輩の心はとてつもなく強い。強くて、優しかった。


ブルーム先輩のことを信じて。信じきって。

ローレンシア先輩が僕に言ってくれたことは今でも忘れられない。

気丈に振舞って。涙が堪えきれなくなるくらい目に溜めに溜めて。

それだけ信頼しあえる関係であった先輩たちが羨ましい。


そんな先輩たちだったから。

どうしても考えてしまうことがある。


もしブルーム先輩ではなく、アカネが死んでしまっていたとしたら、果たして僕はローレンシア先輩のように強くあることができるのだろうか。

考えたくもない架空の話だが、どうしても、考えてしまう。

答えはもちろん否。今の僕には到底無理な話なのだろう。


現実から逃げてしまうだろう。

目をそらしてしまうだろう。

この眼すら恨んでしまうだろう。


隣にいるのが日常、そう思い込んでいた僕だった。

魔法が使える世界。その二面性を暗黙のうちに受け入れている世界。

裏の世界が顔を覗かせた瞬間、隣にいるのが当たり前などという固定概念はとうに崩れ去っていた。


だから後悔したくない。

理想の自分に、相応しい自分になっていなくたって、理屈じゃないんだ、後悔したくない。

想いを伝えられないままだなんて、そんな悲しい話があるか。


「そういえば、テトラス・エドってなんなんだろうね」


他愛もない話で紛らすけれど。僕の心は上の空。

言葉なんて条件反射で出てきただけの上辺だけの言葉に過ぎなかったのだ。


「私もよく知らないわよ。都市伝説でチラッと聞いたことがあるくらいかしら」


「そうだよね。有名なテトラスはいくつか知っているけれど、'エド'なんて名前のテトラスは聞いたことがないよ」


テトラスはそもそも四人の班名を表していたが、それがそのまま競技名にも転じている。

東部には学校だけでなく一般的なスポーツ、あるいは競技として成立しておりいくつも強いチームは存在している。

学生は社会人の競技に参加できない規則だから参加することはないけれど、将来の夢がプロのテトラス選手である生徒も実際かなり多いのが現状だ。


ただ、有名なプロのテトラスチームにおいてもエドという名前は聞いたことはない。


「だから都市伝説って言ってるでしょ。エドっていうテトラスはプログループじゃない。公式戦には一回も出場せず裏の世界で暗躍しているとか、秘密裏に動いているとか。正義なのか悪者なのかそれ自体謎に包まれているらしいけれど。ただ……」


正義の味方なのか、あるいは悪の的なのか、それすらもわからない正体不明のテトラス。

それがエドらしい。


「ただ?」


「一回も負けたことがないって噂だけはよく耳にするわね。正義にしろ悪にしろ、最強のテトラスなんだって。最近はあんまり聞かないけどね」


最強のテトラス。エド。

しかしあくまで都市伝説の範疇だ。最強だとか伝説だとか、そういった突飛した集団というのは架空の存在として創られやすい。

全てを信じることは到底できるはずがないが、でも、一体何故スミレはそのエドについてカナタ先生に問うたのだろう。

なにをきっかけに、エドなんて単語が出るのだろう。


「スミレに聞いたらなにかわかるんじゃない?私はそんなに興味はないけどね」


それじゃあね、とアカネは言う。

気が付けばもう目の前にはいつもの集合場所。一本の木。

寮へはとっくに着いてしまっていた。


「え、あ、うん」


さぁ勇気を出して。

僕はアカネに言わなきゃいけないことがあるだろう。



「また、明日ね」



アカネに伝えようと決心した途端、それはそれは酷く意識してしまって。

いつもなら軽く伝えられるはずの言葉さえ僕の口からなかなかでなくて。

また、明日ね。なんて相づちを打ってしまって。


僕は自分の部屋へと帰り着いてしまった。


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