2-5. 秘匿すべき魔法
窓から差し込む日の光が徐々に赤みを帯びてくる。
どれだけ二人座っていたのだろう。いつの間にか寄り添う影が黒板まで細長く伸びていた。
教室を横に風は吹き抜ける。カーテンを揺らす。
僕らもいつまでも立ち止まってちゃいけない。動かなくちゃ、前を向かなくちゃいけない。
目を、逸らしてはいけない。みんなのために。
「行こう、アカネ」
「うん」
僕らの向かう先は保健室。会いに行かなきゃいけない相手が居る。友達が居る。
仮面の復讐の相手。僕らの大切な仲間。
教室の扉は閉めて行かない。開けたまま、風を通したまま。
僕らは過去への扉を閉ざしてはいけない。
ガラッ。
保健室の手前までやってくると、まるで僕たちを導くかの如く扉がゆっくりと開かれた。
「……」
スミレだった。スミレだったけれど、気高い財閥の娘という肩書きはどこへいったか。
保健室から出てきたのは、ただの、一少女としての、スミレだった。
僕たちの顔を見るなり反対方向へと踵を返す。
「おい、スミレ」
呼びかけには答えなかった。立ち止まることすら反応を見せることすらせず、彼女は廊下の角を曲がりどこかへ消えてしまった。
なんだアイツ。
戦闘の時といい、校長室の時といい、今といい、心配になる行動しか取らない。
「あら、いらっしゃいショウちゃんたち。今日はお客さんが沢山ね」
スミレの去ってしまった空っぽの廊下から保健室の中へ視線を移すとカナタ先生が椅子に座っていた。
それともう一人、長身の黒い短髪の男性。
鋭い三白眼は一度眼を合わせてしまうとなかなか逸らすことができない。引き込まれてしまう。
知ってる。僕は、この人を知っている。
「ジ、ジル長官……」
アカネも知っていた。アカネだけじゃない。東部の住民であれば誰でも知っている人物。
東部の魔術師のトップ。No.1。光魔法を可憐に操る、最強の魔術師。
ジル長官。
言葉にならない。途方もなく偉い方が僕の前にいるなんて想像もできない。
どう会話していいのかすらわからない。
「そんな緊張しなくていいわよ。所詮長官よ」
「所詮先生のカナタ先生が言うセリフではないですよ」
カナタ先生には普通に話せるんだけどなぁ。
長官のことを所詮だなんて口が裂けても言えるか。場をわきまえてください。
「ははは。初めまして。ご存知の通り私は東部長官のジル。カナタとは旧友でね。彼女にとって私は所詮、長官なんだよ」
笑うに笑えません。愛想笑いを浮かべるのがやっとです、長官。
しかしカナタ先生の人脈の広さは一体なんなんだ。一介の先生とは思えないぞ。
「どうして、長官がここへいらしたんしょうか」
圧倒される雰囲気にもアカネは的確な質問をしていく。
「今回の事件は過去最大級の犯罪だろう。東部全体を挙げて解決しなければならない問題だからね。魔術学校の生徒が多数犠牲になってしまったこの深刻な事件は非常に痛ましい。そして、私にも責がある。この場で長官として謝罪させて欲しい。すまなかった」
「ちょ、長官!頭を、あげてください」
なんで長官に僕たちは謝られているのだ。
「ショウ君、といったね。カナタから君が標的者だと聞いたが、本当かな」
「はい。そうです」
アイツの狙いは僕。この能力を持っている僕。
ロイの復讐のため。そして、二つの眼とかいうもののため。
「その理由を君は知っているのかな」
ジル長官は椅子に座って下からこちらを見上げる。
優しく温かい声に心が包まれる感覚。
しかし、僕は話さなければならないのだろう。
僕が狙われた理由を。長官の前で隠し通すことはできないだろう。
「は、はい」
「差し支えなければ、その理由を教えてくれるかな」
だけど、少し躊躇う。長官に話したところでどんな反応をされるのか全くわからない。
もしかしたら、僕の能力は人類の敵なのかもしれない。
この世には存在してはいけない魔法なのかも……。
「ショウちゃん?」
でも相手はこの学校を窮地に追いやり、ロイとクロウを憔悴させ、ブルーム先輩を殺した人物。
到底、僕一人の力でなんとかなる問題でもない。
ここは素直に、長官のお力をお借りしよう。
「アイツは僕の持ってる能力が欲しいようです。力、というか、なんというか」
「君の持っている、力」
それでもまだ、若干の言いづらさはあったけれど。
「人の心が、読める力です」
ガシャンッ……。
突然の破裂音に驚いたのは言うまでもない。
長官の顔を直視することはできなかったから下を向いていたから理由がすぐにわかったけれど。
飛び散るコップの破片。そしてコーヒーの雫。長官が飲んでいたコーヒーをカップごと落としてしまったんだ。
黒々としたコーヒーが飛び散った姿は、アイツの魔法を想起させる。
「はっはっはっ!!」
コーヒーを零すだけならまだしも、長官がいきなり大声で笑い出すんだから僕の心臓は強く脈を打つ。
なんなんだこの人。
「いやぁ失敬。実に失敬。仕事柄たじろぐことは滅多にないんだがね。ほぅ、なるほどなるほど」
驚いたのはこっちだよ。
長官クラスでも驚くんだ、当然僕の横に立っている所詮先生のカナタ先生も口を手で抑えていた。
「そ、そんな。嘘、まさかショウちゃん……」
「カナタ」
カナタ先生は何か言いかけたように見えたけれど、ジル長官が鋭い眼差しと少々威圧的な声で制した。
「先生が生徒の悩みに感情的になってたらいけないよ」
どうやらカナタ先生も長官の言葉に落ち着いたようで。
「え、あ、あら、ごめんなさい。私も先生としてはまだまだね」
と、多少動揺した様子だったがそれでも数秒後にはいつもの笑顔なカナタ先生に戻っていた。
長官ですら目を丸くして驚いていたんだ。先生も驚かないはずがない。
仕方のないことだった。
「ショウ君、よく話してくれたね。感謝する」
「いえ、僕もこの事件は絶対に解決しなければと思っていますから」
「ところで、君のその能力は一体どういう能力なのか深く聞いてもいいかな」
僕はジル長官にありのままを話した。
あらゆる人の心が読めるわけではないということ。
僕を対象とした人の感情のみが伝わって来るということ。
そして、仮面の人物の心を束縛することができた、こと。
「ふむ。では、君は先ほどその力を少し覚醒させた、という訳だね」
少し?
「少しかどうかはわかりませんが、そうですね。先輩が、殺されてしまったと。僕が弱い所為で、先輩の命が消えてしまったと思った時には既に、相手の心を掴める、対話できると思っていたんです。何故かという明確な根拠は全くないんですが、自分でもこんな力が使えるとは思ってもいませんでした」
まるで天からの授かりもののように。生まれた時からさも当たり前のように使える能力のように。
僕は、相手の心と対話する、という能力を身につけていた。
身につけた、のではなく、身につけていたという方がやはり正しいだろう。
きっかけはやはり先輩の死だろうか。
もう少し早く僕が強くなっていれば先輩は死なずにすんだかもしれないのに、と後悔するのは結果論だろうか。
「この能力は一体なんなのか、そもそも魔法に分類されるのかどうかもわかりません。どうして狙われるのかもわかりません。どうして、僕がこの能力の使用者なのだと、仮面が知っていたのかも」
「これは大変だ。君は今聞きたいことが沢山あるようだね。さて、どこから答えたものか」
「長官は、どこまで知っているんですか」
僕が知らなすぎるだけなのかもしれないが、少なくとも長官はこの能力について何か知っている、気がする。
でなければ、少し、などという比較の単語が出てくるはずもないだろう。
比較する相手でもいるのか。
「さて、どこまで答えたものか」
「答えられないことがあるんですか」
「実は全て答えられない」
全部かよ。
「この世界は未知で満ち溢れている」
「駄洒落を挟む雰囲気ではないと思うのですが」
案外おちゃめなのか?ジル長官は。
「魔法にはまだ解明されていない謎も多くてね。知識よりも魔法そのものが先行しているのが現状なんだよ。魔法の側面や裏側も含めて全てを知らなければ強力な魔法は脅威になりかねない。だから、あえて隠されている魔法も存在する、ということさ」
隠されている、魔法。
世間的には認知されていない、魔法。
気持ち悪がられる、魔法。
「それがこの能力なんでしょうか」
「正直に言えば、この世に存在してはいけない能力だ」
この世に存在してはいけない能力、とおっしゃいますか。
ますます他言できなくなってきたな。
「君が襲われた理由もそういったところにあるのだろう。わかった。東部は総力を挙げて君を保護しよう」
僕を、保護。
いや、アイツ言ったことからすれば保護しなければならない対象はもうひとりいるはずだ。
「それならロイも!彼も仮面の攻撃対象なはずです」
「そういえば、君は彼が最初に襲われた現場を目撃したと聞いたが」
仮面の本当の目的はロイにある。
僕がアイツの心に直接干渉した時もそうだった。
目的を聞いたとき返ってきた答えは、ロイへの復讐だった。
そう。僕の能力を奪うことではなかったのだ。
違うな。僕の能力を奪うことが最終目標ではなかったのだ。
どうやら心への直接的な質問は理性や建前といった人間らしい障壁を越え、本心を捉えることができるようだ。
「はい。直に見てはいませんが。仮面からは同じ雰囲気がしたので。それに……」
「それに?」
「ロイへの復讐が、仮面の目的だったようなので」
ジル長官はどこまで知っているのだろう。
でも、たぶん。知っているんだろう。
だから、ロイたちのいる保健室に足を運んでいるのではなかろうか。
「やれやれ。君には全てを話さなければならないようだ」
やはり知っていたんだ。仮面の本当の目的も。
じゃあ僕がロイへの復讐のために狙われた理由も知っているのだろうか。
「しかし、ロイへの復讐にショウ君がどういう意味を持つのか、そこまでははっきりとはわからないが」
長官も心が読めるのだろうか。




