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2-4. 帰還


「諦めちゃダメ!」


眼前は真っ黒。黒々とした塊、というかそれはもう暗い闇。

あまりにも、異常にも大きすぎる魔法は僕たちの視界から光すら奪う。夜が訪れたかのような景色。


夜へ、頭上へと放たれる幾重にも重なる水の柱。

黒と青が重なりほとばしる飛沫。しかし夜は僕たちは降ってくる。


カナタ先生の必死の抵抗も虚しく徐々に近づく死への時間。

押しつぶされるのか、消滅させられるのか、ただ一つ言えることはあの夜を思わせる魔法に飲み込まれたが最後、僕らにも暗闇が訪れるということだけだ。


「くっ……」


ジリジリと、ゆっくりと、距離を詰められる。


くそっ。

僕らの人生もここまでなのか。

諦めないことを諦めるしか僕らには残されていないのか。


眼を、瞑る。



――諦めるな。



誰?

その声は、もしや。


諦めて閉じてしまった眼を再び開ける。

眼前には茶髪の彼。

半年前に忽然と姿を消した彼。

再会を幾度となく待ち望んだ彼。


「光壁」


黒々とした球状、いやもはや球とは呼べないほど巨大な魔法を前にしてロイは右手を突き出し、光の壁を顕現させていた。

僕には彼が間違いなく救世主に思えた。

生きていたんだ。そして、帰ってきたんだ。


遅いよ。ロイ。


しかし、ロイの絶対的な防御力を誇る光壁ですら黒い魔法に押されつつある。

ピキピキと耳を劈く音。明らかに目視でも確認できるほど壁には亀裂が入ってきていた。

まずい。

ロイでも抑えきれないのか。


「収束」


僕の前に背を向け立っていたのは以前のようなただ守っているだけのロイではなかった。

右手をそのまま後ろへ引き、光の壁もそれについていくようにぐるぐると回転しながら、まさしく、彼の右手に収束していく。

するとどうだろうか。黒い塊もそれに伴いずるずると引き込まれていくではないか。


光壁は攻撃をただ跳ね返す、防ぐためのものでもなかったのか。


黒い魔法の両端が見えてきた。明らかに魔法の規模が小さくなっている。

魔法の外側から光が溢れてくる。

かすかな光に照らされて、僕はロイの異常に気付く。


どうしてそんなに傷だらけなんだ。

どうしてそんなに息遣いが荒いんだ。


服も身体もボロボロじゃないか。

今の今まで一体どこでなにをして……。


久しぶりに待ち望んだ相手と再会したというのに素直に喜べない自分がいた。

後でゆっくり聞いてやる。ロイの話を。もう一度ゆっくり聞いてやる。

だから、今は、今だけは。


この場を、乗り切らなければならない。


「クロウ!!」


限界まで壁を、黒い魔法を引き絞ったとき。

ロイはもう一人の懐かしき人物の名を叫んだ。


目の前にすっと現れた人物。本当に僕の眼前、床からぬるりと湧き上がってきた人物は。

こちらも同じくボロボロのクロウだった。

クロウは壁を収束させた末端、渦の中心、針の先端に位置するロイの右手に手を翳し、吠える。


「はっ!」


クロウの左手から、重なったロイの右手から放たれる黒き波動。

捻じりに捻じり切った魔法を逆方向に回転させ解放させた、らしい。

壁を越え、黒い球を越え拡散した漆黒の波動は僕たちに大きな光をもたらすとともに、球を跳ね返し、飲み込み、仮面へと切っ先を向ける。



――また、来るよ。



波動が飛び散った先。天井すら何もない。開けた光の輝く青空の先にもう仮面はいなかった。

ロイとクロウ、二人の帰還が想定外だったのだろう。きっと一時退散したに違いない。

また、来るだと。二度と来るな。臭い捨て台詞吐き捨てて。

アンタのやったことは、絶対に恒久的に許しはしない。


バタバタと。

静寂に包まれた先に待っていた二人の倒れる音。

ロイもクロウも見ただけでわかる。体力の限界。そして魔力の限界。

決して今の一撃だけではない。彼らはその前から重度の手傷を負っていた。


理由は後だ。それを問い詰めるのはこの場の状況を把握してからなのだ。

死と隣り合わせだった環境。

解放感は全くなかった。むしろ僕の隣には死がまだ顔を出してこちらを覗いている。

前にも横にも離れたところにも、倒れた人がたくさんいる。


アカネは、先輩は、みんなは。

果たして無事なのか。


自分から確認しに行くことすらままならない。

今僕の感情を支配しているのは何者だ。無心。無防備。放心状態。

すぐさま現実に立ち返れるほど僕の心は丈夫じゃない。


「みんな、大丈夫?守ってあげられなくて、ごめんね」


先生。どうして泣いているんですか。

どうして、ブルーム先輩を抱きしめているんですか。


「ブルームちゃん、本当に、本当に、ごめんなさい」


何言ってるんですか、先生。

ブルーム先輩がそんなに簡単に死ぬわけないじゃないですか。


どうして。どうして僕の目からも涙がこぼれているんだろう。

どうして。どうして先輩の顔すらまともに見れないんだろう。

どうして。どうして。どうして。


どうして、先輩は、動かないんだ。


現実に帰ってきた。今までいた世界も現実だけれど、死線を越えて戻ってきた。

立ち返らされた。必死に目を背けていた。

向き合いたくなかった。


「先輩、嘘って言ってくださいよ」


力が入らない。顔を向けることができない。

震えるカナタ先生の振動を感じることしかできない。


「先輩、お願いですから。何か、何か言ってください」


カナタ先生の震えが僕にまで伝染する。

もう声がでない。言葉にならない。何も考えられない。

ただ無性にこみあげてくる思いを。

言葉にならない音として叫ぶしかほかなかった。


「うわぁぁぁぁぁぁ!!」


床を叩く気力すらなかった。握りこぶしを突き立てるくらいしかできなかった。

何度も何度も叫んだ。叫び続けた。

なんだよ。

なんなんだよこの光景は。


原形をとどめていない体育館。赤い斑点が飛び散った瓦礫の山。無造作に横たわる人々。


「ブ、ブルーム?」


くしゃくしゃになった目を見開く。

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

生きていたんですか。でも、僕は貴方に合わせる顔がありません。


ローレンシア先輩。

ブルーム先輩は、僕を庇って、そして、動かなくなってしまいました。

全部非力だった僕のせいです。僕のせいで貴方の愛しい男性を、死なせてしまった。


「ショウ、ブルームは最後になんか言ってた?」


最後。酷なことを聞きますね先輩。

しっかり覚えていますよ。脳裏に焼き付いて離れません。


「僕の、かっこいい先輩だからって、助けて、くれました」


「さすがブルーム!私の見込んだ男!そうでなくちゃ、いけないわよ!」


どうして。どうしてそんなに笑顔なんですか。笑えるんですか。


「ショウ。貴方の命はすでにブルームの命でもあるわ。誇りに思いなさい!」


どうして。どうして笑って泣いてるんですか。ローレンシア先輩。

気丈に振舞える勇気が強さが僕にもほしいです。


すみません、ローレンシア先輩。

僕の命にはとても重い。受け止めるにはまだまだ時間がかかりそうです。


それからローレンシア先輩もカナタ先生に覆いかぶさるようにブルーム先輩を抱きしめた。

二人の悲しみの涙の音だけが、真っ青な空の下、開放的な空間に響き渡る。


僕はゆっくりと立ち上がって。感覚もない足でとぼとぼ歩き始める。

瓦礫の中、うずもれたアカネの姿を見つけたからだ。

耐えられなかった。なにもかもに耐えられなかった。逃げ出したかった。

ついさっきまで死の恐怖を味わったというのに、生きているというのに。

僕の心はなんて弱いんだ。

人の死が、初めて向き合った人の死が、こんなに重いなんて。

そしてその死が、僕を起因としているから。なおさら責任が重くて。重くて重くて押しつぶされていたから。


僕はそっとアカネを抱きしめる。

鼓動を感じる。大丈夫。まだ生きている。


「ショウ……。無事で良かった」


何も言わない。何も言えない。言葉も声も出ない。

ただただずっとアカネを抱きしめる。

もう離したくない。彼女だけは、手放したくない。


絶対に離さない。


アカネも微かに入る力で僕を抱きしめた。



 ***



他の先生や魔法警察の関係者がやってくるのにそう時間はかからなかった。

あまりの凄惨さに声を失う先生たち。

僕を含めその場にいたみんなが誰かの支えなしに立ち上がることすらままならなかった。


逃げ出した生徒は安全のため皆、寮へ避難したらしい。

学校の中はもぬけの殻。とても始業式の日とは思えないほどの静けさだった。


僕たちは一時校長室へと集められ、校長先生の話や警察の事情聴取などを淡々とこなしていった。

淡々と。それはもう淡々と。

生徒は誰も言葉を発せるものなどいなかった。


カナタ先生が唯一、通常の人に近いレベルで会話できていたくらいだ。

先生であるが故の宿命なのだろう。一番年上だからかもしれない。

呆然とする僕らを庇うように、事細かく状況を説明していた。


先生もつらいことはわかっている。

生徒を危険な目に合わせてしまい、最愛の生徒を一人失ってしまったその衝撃は何とも言葉にしがたい。

けれど、それすら受け止めきれない僕ら。

前に、進むことができない僕ら。


気絶していたロイとクロウはそのまま保健室へと運ばれた。

校長室にいるのは、僕とアカネとローレンシア先輩と、そしてスミレ。

スミレはずっと何もせず端っこのほうで固まっていたらしい。

それにしても無傷なのが恐ろしいほどだ。仮面も抵抗する気がないと手を出さなかったのだろう。


話が終わるころには少し言葉を交わせるようにまで心が落ち着いてきた。

大丈夫の一点張りだったが全然大丈夫ではない。

アカネと寄り添っていれるからこそまだ大丈夫だが、それでも全然大丈夫ではない。


僕とアカネは二人教室へ向かった。

誰もいない教室。僕とアカネしかいない二人だけの教室。

抑えきれない感情。一人では耐えきれない悲しみ。

微かに風の吹き抜ける教室で、僕とアカネは教壇の上、肩を寄せ合い座っていた。


「生きてる」


それは生の実感。隣にいるアカネから感じる暖かい生の温もり。


「うん。僕たち、生きてる」


死線を振り返ってこそ味わう生きていることへの実感。そのありがたさ。喜び。

僕らの頬には自然と伝うものがあった。


「先輩……」


背負っていく。先輩の命も背負って生きていく。

果たして僕にできるんだろうか。


「それでも、生きてる。ショウは、生きてる」


アカネのおかげで、ロイとクロウのおかげで、カナタ先生のおかげで、ローレンシア先輩のおかげで。

そして、ブルーム先輩のおかげで。

みんなの心を身体を命を絡めあって、僕は今この場に座っている。


「うん」


生きなくちゃいけない。

もう僕の命は僕だけのものじゃない。


簡単に捨てられるものではない。

簡単に諦めるものでもない。


強く生きていく。

強くなりたい。


強く、ありたい。

もう誰も失いたくないから。

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