2-3. 覚醒
スミレの後ろが光に照らされる。いや人工の光などではない。暖かな自然光。
瞬時に明るくなった体育館に皆の時間が止まったかのよう。
「はやく!みんな逃げなさい!」
この声は!カナタ先生!
それに他の先生陣も大勢、体育館の開放的というか木っ端みじんになってしまった入口に勢ぞろいしている。
今や体育館はコの字型というか、後ろを犇めいていた黒い物体や屋根を全てまとめて消し飛んだ状態に。
みんな来てくれたんだ。
奇跡が起きたんだ。
――無駄なことを。
先生!危ないです!
仮面の人物は人質ともいえる生徒が逃げることのできる状況になったと見るや否や、彼らのほうに黒い魔法を何十発も飛ばしてきた。
その軌道を追っていくがなんともまぁものの見事に水魔法で上書きされ全部消されていたのだが。
「そこまでにしてくれるかな。これ以上私の可愛い生徒ちゃんたちを傷つけないで」
カナタ先生の本気。目がキッと見開かれいつも後ろで結んでいる髪を前におろして。
瞬時に攻撃に対応し大量の滝のような水を顕現させていた。
全校生徒は無事避難できたようだ。命がかかっている。
みんな走る速度が尋常じゃなかった。
「面倒が増えるな」
仮面が右手を前に突き出すと、僕らのちょうど後ろ、カナタ先生を含める形で体育館が黒い壁によって真っ二つに分断された。
体育館の中がまた先ほどまでの不気味な明るさに巻き戻り。
なんなんだコイツは。
なんで何度も瞬時に巨大な魔法を連発できるんだ。
体育館を分断するほどの大きな黒い壁。カナタ先生やアカネが魔法をぶつけているけどびくともしない。
人質は解放できた。しかしまだ僕らは仮面の籠の中。再び捉えられてしまった。
カナタ先生、ブルーム先輩、ローレンシア先輩、それにアカネと僕を含めた五人。
いや待て、あそこに座っているのはもしや。
スミレ。
なんでアンタは逃げないんだ!
その次元の話じゃあない。アイツはもう動けないんだ。
何故だかわからないけれど彼女は今、立てないほどひどく怯えている。
まぁいい。
人質がいなくなったということは、つまりは、僕が避けられるということ。
自分の身は自分で守ってやるさ。
「ブルーム!相手は一人。他の生徒もいなくなった。もう一段階ギアを上げなさい!」
そうか。先輩たちも被害を出すまいと加減して戦っていたのか。
よし。これなら。
カナタ先生も加わって、僕も動くことができて、状況が変わりつつある。
絶対、生き延びるんだ。
ただ。希望の光が見えたのも束の間。
ここから僕は本当の絶望を味わうことになる。
「もういい。飽きた」
仮面の両側から可憐なジービスならではの戦い方を見せる先輩たち。
二人の水と風の魔法が合わさり強大な柱を築き上げたまさにその時。
柱は中から破裂し、同時に十人は飲み込む大きさの黒い塊が二人目がけて出現。
想像だにしない攻撃と規模の大きさに先輩たちは二人とも飲み込まれてしまった。
「先輩!」
叫んだ時にはもう遅い。
体育館の壁すら破壊したその塊はもう見えない。二人はあろうことか外まで吹き飛ばされてしまった。
憎い。あの仮面が非常に憎い。
二人の生死すら僕にはわからない。
わからない。何言ってるんだ。
自分の中で否定する。僕は信じたくないだけだろ。
あの攻撃を受けて無事なはずがないじゃないか。
憎い。この上なく憎い。
僕らの指導係の先輩を、スミレの指導係の先輩を。
こうもあっさりと無慈悲に吹き飛ばしたアイツが憎い。
憎い!憎い!
――もういいだろ。
避ける。
何度でも、僕はアイツの攻撃を避ける。
そんな鈍間な攻撃など当たるもんか。
詰める。
そして仮面との距離を僕は詰める。
憎い相手を前にして、いつまでも避けたまま引けるわけがないだろう。
「この化け物がぁ!」
詰めに詰めて。
僕は魔術師としてあろうことが右拳を仮面に突き立てる。
今までのすべての怒りを込めて。すべての憎しみを込めて。
この仮面を叩き割らないと死ぬに死ねない。
「ぐはっ」
首を掴まれた。呼吸すらできない。意識がどんどん遠ざかる。
くそっ。掴まれただけで何もできないのか。身体に力が入らない。
「離せぇぇぇぇ!」
アカネの必死の攻撃も仮面には届かない。
無言で防がれる。いとも簡単に。人がアリの巣を壊すほど簡単に。もろく、炎は朽ち果てていく。
「ショウちゃん!」
だがカナタ先生の攻撃は無視できないらしい。
鋭い針のような水魔法がこちらに飛んでくると同時に僕は仮面に投げ捨てられた。
「ごほっ……」
喉を抑える。まだ生きている。
絶対痣が黒く残っているだろう。まだアイツの手の形すら痛みでわかる。
しかしまずい。薄れゆく意識の中、身体は思うように動かせない。
仮面の形すらぼやけてしまう。どうすれば、どうすればいい。
避けられもしない僕は、どうすれば!
無慈悲に、冷酷に、残酷に。
僕への攻撃はエスカレートする。
まず最初に防いでくれたのはアカネだった。
猛烈に渦を巻く最大限の火魔法。それでも数発の攻撃をしのぐのがやっとといったところか。
魔力切れ。アカネはもう魔法が出せない状態にまで限界を迎えていた。
カナタ先生が必死で抵抗するもアカネすら黒魔法で壁まで飛ばされてしまう。
頭から血を流して必死で立とうとするも思うように立てない様子。
「ア、アカネ……」
徐々に失われていく感覚。心からも身体からも生気が抜けていく。
アカネはまだ死んじゃいない。けれど、もう数刻の命。僕にすらわかる。
僕は、自分だけじゃなく、先輩も、最愛の友人も一度に失ってしまうのか。
考えるだけで魂が抜けていくような、宙に浮いていくような感覚に陥る。
僕がまだ死なないのはカナタ先生が異常なまでの抵抗を見せているからだ。
さすがは先生。チャイが惚れるだけのことはある。
僕とアカネ、二人を守りながら戦うより動きが格段に違う。
そして仮面と渡り合える強大な水魔法。一体どっから膨大な量の水を顕現させているのか。
仮面も攻略にてこずっているようで、さっきから僕に攻撃すらやってこない。
一撃飛ばせば避けられない僕は死ぬ。それすら防いでいるカナタ先生の猛攻撃。
体育館はおよそ原形をとどめていない。壁も床も天井も穴だらけ。
後光がさすかのような光の柱は僕を天に召す下準備といったところか。
「くっ……」
ドスンッと鈍い音が半壊した体育館にこだまする。
それ以外に音などないのだ。この場の誰もが瀕死なのだから、音すら立てる暇はない。
ただ一人、僕の目先にすっと立つ仮面を残して。
カナタ先生が吹き飛ばされた。大量の手傷を追って、全身から出血している。
先生ですら、コイツに勝てないのか。
なんなんだ。僕は一体何のために殺されるのか。
この能力がなんだっていうんだ。好きで人の心を読んでいる訳じゃないんだぞ。
くれるもんならくれてやる。それでみんなを救えるなら喜んで差し出そう。
ただ、あぁ、やっぱり。
死ぬのは怖い。
最後にアカネを、その顔を、きちんとおさめておくんだった。
仮面はカナタ先生が吹き飛んだ一瞬の隙を見逃さない。
――死ね。
右手には黒い槍。おそらく魔法で顕現させたのだろう。今まで以上の鋭い速さで僕目がけて飛んでくる。
時間にして一瞬。ただその流れを歪めるほどに僕の走馬灯はやってくる。
徐々に近づいてくる槍先。死の時刻。
――やめて……。
アカネの声が聞こえたことをどれほど嬉しく思ったか。
最後にもう一度君の声を聴くことができた。
あぁ最後にどうせなら。
こんな不甲斐なくて男らしくない僕でも。
好きだと気持ちを伝えていればよかった。
ザクッ。
それは死の音。僕が天へ上る最後の瞬間の音。
の、はずだった音。
「ショウ。君は、まだ、死んじゃいけない」
どうして。
どうしてみんな命を張って僕を守ってくれるんですか。
ブルーム先輩。
どうして先輩に黒い槍が刺さっているんですか。
口から血を吐いて。お腹からも血を流して。
どうしてそんなに笑顔でいられるんですか。
「ど、どうして……」
「俺は、君の、かっこいい先輩だから……」
ゆっくりと僕の視界から外れていくブルーム先輩を素直に目で追っていくことすらできなくて。
倒れ行く先輩の後ろに現れる仮面をじっと凝視していた。
なんですか。最後の言葉ですら冗談きついですよ。
ローレンシア先輩はどうするんですか。先輩のマイハニーなんじゃないんですか。
僕が死んでも先輩は死ななかった。
先輩だからって何最後までかっこつけてんですか。
憎い。憎らしい。
仮面が酷く憎らしい。
諦めていた。僕は自分の生を、勝手に自分の判断で手放した。
けれどみんなは違った。僕を助けるために、救うために身体も命も投げ出して。
自分の命すら易々と諦めてしまう僕になんて助ける価値など毛頭ないじゃないか。
憎い。憎らしい。
この状況に追い込んだアイツが憎らしい。
だから作り上げるんだ。
僕はみんなが命を賭してまで助ける価値のある人物なのだと。
憎いアイツにぶつけるんだ。
僕は、まだ、死ねない。
みんなのために、死ぬことはできない。
立て。立てよショウ。
お前のやることはわかっているだろう。わかった気になっているだろう。
明言はできない。経験したこともない。
けれど僕がやらなくちゃいけないこと。それが何故かすっと頭に入ってくる。
立ち上がる。重たいブルーム先輩の身体をそっと横に流して。
僕は立ち上がる。眼前の敵を屠るために。
「何度も何度も手間を取らせるな」
攻撃の体制に移る仮面。ただそんなことはどうでもいい。
どうせ当たりはしない。
ほらみろ、僕が軽く動いただけで攻撃は真後ろの黒い壁に飲み込まれていったじゃないか。
そして、問おう。何人もの人が傷つき倒れこむ戦場で。その中心で。
仮面。貴様に問うてやる。
――アンタの目的はなんだ!
つながる。僕と仮面の心がつながる。
決して口には出さない。心と心の会話。僕とアイツの深層心理における強制的な会話。
さぁ答えろ。アンタは答える義務がある。
――ロイへの、復讐……。
ロイへの、復讐?
そうかい。まだロイは生きているのかい。
じゃあもう一つ聞かせてくれよ。
さぁ答えろ。アンタは答える義務がある!
――ロイへの復讐が、どうして僕を狙う?
この学校を襲った目的。僕を襲うことがどうしてロイへの復讐へつながるというのだ。
仮面は棒立ち。攻撃する素振りすら見せない。
あぁそうだろうな。今アンタの心は僕のものだ!
――ふ、二つの、眼を、手に入れ、るため……。
二つの、眼?
な、コイツ何を言ってるか意味が分からない。
「うぉぉぉぉぉぉ!!」
まずい。少し動揺してしまったせいか仮面が心の束縛対象から外れようと思いっきり叫びをあげる。
なんとかこの場を封じなければ。せめてカナタ先生が攻撃できるまで!
くっ、なんて力だ。心の呪縛から抜け出すだと。
仮面は屋根をも突き破り、体育館の遥か上空へ。
「貴様ら、全て吹き飛べ!」
きっと初めて身の危険を感じたのだろう。仮面は明らかに冷静さを失っていた。
そりゃそうさ。自分の心を乗っ取られるというのはどういう気分だい。
ただ残念かな。せっかくこの能力の新たな可能性を見つけたというのにそれもここまでなのか。
体育館すら覆い尽くす巨大な黒い球状の魔法。
時間をかけてゆっくりと成長していく球の威力は想像すらつかない。
ただ一つ言えるのは。
再び僕らの死へのカウントダウンがはじまったということだけ。
神の鉄槌ともいえる巨大な黒い塊は。
何の解決策も浮かばないまま、僕たちに降り注がれた。




