2-1. 黒くて暗い新学期
「おはよう、アカネ」
男子寮と女子寮に挟まれた一本の大きな木が僕とアカネの毎日の待ち合わせ場所だ。
肌を刺す寒さが訪れた。コートを着て厚手の手袋をすり合わせながらアカネを待っていた。
「おはよう。今日も寒いわね」
いつもの時間。いつもの場所。
僕とアカネの日常は特に変わらない。
季節だけが移り行く。服装もあの時とはだいぶ変わっていた。
アカネは茶色のロングコートにふかふかの赤いマフラー。口元を覆うほど大きいマフラーを巻いているためか一層小さく見える。
「今日から新学期かー。二学期の魔術競技祭はちょっといまいちだったからな。今学期こそは!いい成績を残さないと」
新たな決意を胸にアカネより先に歩き出す。
この前の競技祭はモノリスがベスト16、ジービスがベスト4だった。
モノリスはアカネに負けちゃったんだよな。くそったれ。どんだけ強くなるんだアカネは。
ジービスも結局は僕が足を引っ張って他クラスのペアに負けてしまった。
そのペアが優勝したから少しは満足だけれど、そこに勝っていれば優勝していたかもしれない。惜しいことをした。
「まぁ次こそジービスは優勝ね。もう迷惑かけるんじゃないわよ」
はいはい。
今回こそは優勝しますとも。アカネさん。
モノリスだって、アカネと当たったら次こそは。
「田舎からやってきてここまで成長できるとは思っていなかったな。結構自信ついたかも」
Eランクの人間がモノリスでベスト16まで進出したのは過去に例がないそうだ。
クラスもお祭り騒ぎ。すごくもてはやされた。
それもこれも、自信をもってこの能力を使えるようになったからだ。
自信をもって。試行錯誤して。
けれど自信を持たせてくれた彼は、まだ帰ってこないが。
「テトラス、やりたいね」
一学期の魔術競技祭も二学期のそれも僕らはテトラスに出場する権利が与えられていない。
無論班員が足りないからだ。LLは二人しか現状存在しない。
「いつ帰ってくるのかしらね」
一学期の魔術競技祭の前日にありがとうと残したっきりロイとクロウは半年経って年が明けた今もなお帰ってこない。
そもそもどこにいるのか、何から逃げているのか、誰に聞いてもわからないのが今なのだ。
「そろそろ、帰ってこないかなぁ。普通に心配だ」
二人がいなくなったあの日。
僕は無我夢中で学校へと走っていた。絡まる足を何度もほどいて、地面を強く蹴って。
何も考えずにただ足を動かして、向かう先は職員室。カナタ先生の元だった。
「どうしたのショウちゃんこんな時間にそんな慌てて。早く寮に帰りなさい」
カナタ先生に事情を説明する。深刻な表情に先生の顔からも笑顔が消える。
どうやら僕の話をきちんと受け取ってくれたらしくカナタ先生は僕の肩を両手で掴みながらこう告げた。
「わかった。報告してくれてありがとう。調べるあてはあるから聞いてみるわ。だから落ち着いて、今日は帰りなさい」
これ以上ここにいても無駄だと判断した僕はそのまま寮へと戻った。
アカネにも電話でこの件は伝えた。親身になって聞いてくれたが僕らが出せる答えなど最初から存在しなかった。
翌日のテトラス戦にロイとクロウは現れなかったため、僕らはテトラス競技を棄権するほかなかった。
その時のスミレの顔と言ったら。
罵声を浴びせられるどころか、ずっと無言で。
ただただ悲し気な表情をされた。今でも網膜に焼き付いているあの顔。
ライバルを失った悲しさだけではないような、幾つもの悲しみをごちゃまぜにしたような。
それ以来スミレは本当に誰とも話さなくなった。
何を話しかけようが相槌の一つも打たず、魔法の習練に励むのみ。
カナタ先生にすら口を利かず与えられた課題をこなしていくだけの機械の如き存在になっていた。
Sランクというものの概念をここで初めて知った。
上級学校までは基本的にAランクが最高とされているが、実際Aランクに値する学生はそうそういない。
東部の全上級学校を合わせても二人らしい。その一人がスミレだった。
ただスミレはこのAランクの基準値を大幅に超えてしまったらしい。
常に力だけを求め続ける学習姿勢は褒めていいのかわからないが、突き詰めた先に待っていたのは王政が破れて以来初めてのSランクの導入といった特例制度だった。
こうして孤高のお姫様となってしまったスミレに近づくものは誰もいなくなってしまった。
モノリス・テトラスともに一学期も二学期も優勝。
唯一ジービスだけはロイの不在で出場権が与えられていないが、すなわち彼女は敗北の二文字を知らない。
カナタ先生は僕にだけ近況を教えてくれていた。
クラス全体に教えたくはなかったらしい。テトラスのメンバーだから特別にということらしいが、その本当は僕が彼らがいなくなってしまったきっかけを目撃したからだろう。
二人は依然として何者かに狙われ続けているらしい。
学校を休学したのも僕らに危害が及ばないようにするためなんだとか。
確かに彼らを襲撃した奴もそのようなことを仄めかしていたから、姿を消したのは二人なりの優しさなんだろう。
これは彼らの命に関わることだ。手を出して助けになりたいのは山々だが、死の危険を感じて動けずにいた僕にできることなど何もなかった。
ただ邪魔者になるのがおちだ。
「彼らの帰りを信じて待っていてほしい。きっと生きて帰ってこさせる。先生の使命として」
カナタ先生も問題解決に注力しているようで、学校を空けることが一学期以降多くなっていた。
彼らが一体何と戦っているのかはっきりとはわからないが、ともかく無事であることを祈る。
毎日不安に駆られる僕らだが、できることはただ一つで。
学校生活を謳歌し、魔法の上達に努めることしかできなかった。
いざという時に力になりたい。
その一心で二学期は勉学や修練に励んでいた。
そのおかげだろうか、僕の魔法も徐々に向上していき、Dランクまであとちょっとというところまでたどり着くことができた。
アカネはそんな僕を放っておいて勝手にAランクになりやがったけれど。
彼女なりに悔しさを感じていたのだろう。何もできない僕らは無力な生徒だから。
口には直接出さないものの、彼女の涙を僕はあれ以来何度も見てきた。
ロイとクロウとせっかく仲良くなって。
過去と向き合って。向き合わされて。助け合って。
せっかく築いた信頼関係を失い、その救助にも向かえないちっぽけな僕ら。
この悔しさが魔法に対する意識をまた変えたんだろう。
三学期はもっと努力したい。そう冬休みの間に何度も互いに決心した。
「おはよう、チャイ」
気づけばもう教室の扉の前。今日から新たな学期。一年生の最後の期間だ。
ガラッと開けるとチャイが目の前で楽し気に会話していた。
「おお!おはよう!新年早々お熱いねぇお二人さん!」
相変わらずのいじられよう。もはや返すことすら僕らはしない。
「今日始業式だろ!?だけどカナタ先生来ないらしいぜ。残念だな。新たな一年を先生なしに始めるのかー!」
チャイはカナタ先生のことがお気に入り。
どうもたまに吐く笑顔の毒舌が心に来たらしい。どれだけM体質なんだコイツは。
「あ、そうなんだ」
カナタ先生がいない時はいつもロイやクロウに何かあったんじゃないかと心配してしまう。
クラスのみんなには感づかれないように気丈に振舞ってはいるが。
「始業式もうちょっとで始まるぜ。ほら!早くいこう!な!」
いつも時間ぎりぎりにつく僕ら。鞄を机の上に放り投げてチャイの後をついていく。
一年生最後の学期。期待に胸を躍らせながら僕らは会場である体育館へと向かう。
この学校に最初に来たときを思い出す。無限回廊に巻き込まれて散々迷った挙句ロイに助けられたんだっけ。
あれがなければロイと話していなかったのかもなとちょっと懐かしい気持ちに。
体育館にはすでに一年生から四年生までだいたい六百人くらいが集まっていた。
全校生徒が入ってもまだまだ余裕のある大きな会場。
よくこれだけの施設を都市のど真ん中に建てられたなといっつも思う。
先生はまだ集まっていない。この学校だけの文化なのか風習なのかは知らないが、きちんと整列してからでないと先生は入ってこない。
すごく真面目。すごく律儀。
一流の魔術師は一流の心、礼節を持たなければならないという学校長の方針らしい。
今日もそれに関する話を延々とされるんだろうな。
バタンッと一か所しかない入口が閉められる。
おかしいな。誰が閉めたんだろう。先生が入ってこなくちゃいけないから常に開放されているのに。
この時は特に気にせず、というか誰も気にせず一年生の定位置まで僕らはやってきた。
明るい体育館が瞬時に真っ暗になる。暗闇に落とされる。
さすがの生徒もこれには異常を感じざるをえない。あちこちで悲鳴が上がっている。
「どうしたんだ?」
何かの故障なのだろうか。
妙に胸を刺すこの雰囲気はなんだ。この空気は何なんだ。
これは、以前、どこかで。
はっと。
この黒くて暗くて死を感じさせる雰囲気の正体に気が付いたとき。
暗闇の中、体育館のステージの上一点が照らされた。
何者かが立っている。黒いフードの中にチラリとのぞかせる白い不敵な仮面。
全身を黒いマントで覆った不気味な人物。
いけない。
逃げ出さないといけない。
けれど、足が動かない。
アイツだ。ロイとクロウの前に現れたアイツと同じ感じがする。
死の恐怖が訪れる。身体を雁字搦めにする。
「誰だ!」
あちこちで騒ぎが大きくなる。悲鳴も叫び声も慌てふためく声も全部かき混ぜてごちゃごちゃにして。
騒然とした会場を刹那の間に無音にしたのは仮面の人物の声だった。
「黙れ!それ以上口を動かすと殺すね」
僕らの新学期が始まった。




