1-21. 魔法を学ぶということ
「遅いわね。そんなに長いトイレだったの」
この女にはデリカシーという言葉をみっちり教えてあげたい。
教室に帰ってくるなり自分のトイレ事情を説明しなくちゃいけないのか。
トイレになんて行ってないけれどさ。
「いや、別に」
ただこの時の僕にはいつものアカネの雑な絡みを雑に返すことすらできなくて。
静かにアカネの隣に腰掛けた。
「なによ。なんかあったの?」
感づくあたり流石幼馴染といったところである。
これほど顔も作れず返事も無造作になっていれば簡単なことだろうけど。
「アカネ。後で二人っきりで話、できない?」
どうしてもどうしても。
僕は今の気持ちを一人で抱えきる度胸も器量も持ち合わせておらず、誰かに頼る他なかった。
男として不甲斐ない気持ちもあるが、世間の考えた当たり前なんかに左右される暇もない。
様々な形の声を聞いてきたからだろうか。
たまに僕は僕自身のことがわからなくなるときがある。
それは模擬戦の前日のような、そしてロイに過去と向き合えと言った時のような。
中途半端な自意識。他者依存の僕の気持ち。
時折不安になる僕をなだめてくれるのは、いつだって隣にいたアカネだった。
こういうセンシティブな時はアカネに頼らないと、と僕の心が警鐘を鳴らしている。
なんともまぁだらしないやつだと思う。自分ですら思う。
ただ、この心が、耐え切れない。
「バ、バカ!急になによ!ぶっ飛ばされたいわけ!?」
どうして二人で話すだけでそうなるんだ。
あぁ、二人'きり'って発言が発端か。きっかけなのか。
今だって十分二人で話しているというのに。
言葉というのは難しい。微妙なニュアンス。価値観の違い。
戦いと戦闘。
言葉に込める意味合いの違い。
「後で、部屋に行ってもいいかな」
こんな気分になった時、僕は毎回とんでもないことを言い出す、とアカネは語る。
きっと考えがそこまで回っていないんだ。
アカネに割く気持ちの分を自分の心の奥底に回している。
決してアカネを軽視しているわけじゃないんだけれど、軽視する余裕を与えてくれているのだ。
「バカなの!?私女子寮よ!」
「じゃあ、僕の部屋においでよ」
「ちょ、アンタ本気?」
「本気」
こういう会話は以前から何度もしている記憶はある。
その度に怒鳴られ罵られ、そして。
「わ、わかったわよ……」
いつだって了承してくれるんだ。
***
ピンポーン。
部屋のチャイムが鳴る。
ここは僕の部屋。つまりは男子寮。
女子寮も男子寮も互いに異性の訪問は禁じられてはいるが、女子寮に男子が潜入することには大きな抵抗があるというのに、男子寮に女子が入ってくることにそれほどの抵抗がないのは何故なのだろうか。
僕としては罪悪感もそれほどない。ついひと月前までは同じ屋根の下、一緒に暮らしていたのだ。
流石に部屋は個別に持っていたけれどお互いの部屋を訪れる機会も少なくはなかった。
「なに突っ立ってんの。入りなよ」
扉を開けると制服から部屋着に着替えたアカネが少しもじもじしながら待っていた。
どっちかといえば部屋着の方が見慣れている。この学校の制服は見慣れたとは言えまだ新鮮味がある。
「お、おじゃまします」
昔は僕の部屋に入ることに抵抗のかけらもなかったのに、どうしてこうも緊張しているのだろうか。
住む環境が違えば気分も変わるのだろうか。
「で、なによ、話って。そんなに改まっちゃって」
アカネは扉が閉められたことを確認すると平常心を取り戻したのかベッドに勢いよく腰掛けた。
あぁなるほど。人の目を気にしていたわけね。それもそうか。
「いや、別に」
「はぁ!?何もないなら帰るわよ!」
うまい切り出し方が見つからない。もともと口は回らない方だし、重い話に至ってはなおさら。
不器用だけど、まとまりもないけれど、思ったことをありのままに話すしかない。
「なんで僕ら、魔法を学んでいるのかなぁって」
「はぁ!?なによいきなり」
驚くのも無理はない。
僕だって今まで考えたことすらなかったのだから。
当たり前を、当たり前に。
こなしてきただけなのだから。
「魔法を学んだ先になにがあるのかなって。アカネと一緒にレベルの高い学校を選んだわけだけど、その目的とはまた違って」
「じゃあアンタなんで勉強してるのって聞かれて答えられるの?」
僕の質問にアカネは質問で返してきた。
「えっ、それは」
「よく小さい子供が聞くようなことよね。アンタそれを私に聞いてるんだけど。勉強も魔法も大差ないじゃない」
大差、あるだろ。
勉強は人を傷つけないけど、魔法は傷つける要素が大きすぎるだろ。
だから、迷っている。考えている。思い悩んでいるんだ。
ロイの言った言葉が反響する。
「勉強はしなくちゃいけないさ。いろんな分野の背景を学ばなくちゃ考え方にも幅が生まれないし、将来やりたいことだって見つかりにくい。けれど、魔法はさ。突き詰めれば突き詰めるほど、人を傷つける」
魔法の腕が上がれば上がるほど。
対人において威力が増す。自分が凶器と化す。
「は?それはアンタの心の持ちようでしょうが」
ただ目の前のアカネは。ベッドにちょこんと腰掛けているアカネは。
僕が今日一日思い悩んでいたことに一瞬で解答をくれたわけで。
「僕の、心の?」
「人を傷つける道具は人を助ける道具でもあるってこと。いや、違うわね。人を助ける道具は、使い方を誤れば人を傷つけるということよ。この世界のあらゆるものが該当するわ。包丁だって車だってそれ自体は便利だけれど使い方を間違えれば凶器にもなりうる。問題は、誰が使うかでしょうが。絶対に使っちゃいけない人がいる。それは、心が間違ってしまった人間と、使い方を知らない人間」
使い方を、知らない、人間。
「魔法は私たちの必需品。もう魔法なしでは生きていけないようになっている。けれど私たちはまだ子供で魔法の利便性も危険性もその二面性のどちらも知らない。だから、学んでいるんじゃない。魔法を人の役に立てるために。魔法の危険性を理解して、飲み込んで、リスクを背負ってでも、魔法で貢献するために。その才がある人は限られている。でも私たちは魔法で貢献できる土俵に立っている。じゃあ魔法を学んで、強くなって、そうありたいと思うのが一種の義務じゃないかしら」
魔法のリスクを背負い込む。人を傷つけることを理解する。
その上で、人々に貢献する。
冷静に考えてみれば当たり前のようなことであった。
便利なものは裏を返せば人を傷つける。
人を傷つけないためにも、魔法を学んで理解する。
正しい使い方を身につけるために。
強くなって人を守るために。
「正直言っていい?アンタのこと見損なったわ。世の中には魔法を学びたくても学べない人もいれば才能がない人もいる。残酷な天秤の上で私たちはこの学校に入学できたのよ。その一生徒が魔法を学ぶ意味がわからないなんて、よく言えたものね」
「ロイのことを考えていたんだ」
ようやく本題へ。
僕の心がすっきりしたから。アカネがほぐしてくれたから。
「ロイ?どうしてここでロイが出てくるのよ」
「ロイがブルーム先輩と話していたのを聞いちゃってさ。ロイが授業でも戦いたくないって、人を傷つけたくないって言うんだ。僕たちのやっていることは戦闘だって。人と人との、傷つけ合い」
アカネはベッドに背中から倒れこむ。
襲いは、しないが。
「だからか。アンタトイレっていうのは嘘だったのね」
「うん」
「太陽の日、か」
僕の言葉を一瞬で噛み砕いて僕の言いたいことまでたどり着くアカネの心を覗きたい。
めぐりめぐって。
いつも太陽の日に帰結する気がする。
「操られていたとしても人を殺したであろう人間の言うことは、確かに重いわね」
僕らとは、まるで違う世界。
魔法を綺麗なところで学んでいる僕らが到底経験しない世界。
けれどきっと僕たちは、対局の世界から目をそらしているだけなのだ。
魔法を凶器として使う世界から。
人殺しの世界から。
「僕らの知らないことをロイは知ってる。魔法の怖さも殺傷性もきっと僕らより知っている。僕らは、知らない。なんにも、知らない」
「学べばいいじゃない」
怖さを、学ぶ。
普通では経験しない、皆が目を伏せている現実。
「学んで、耐え切れなくなったら逃げ出してもいい。けれど、それを受け入れて乗り越えた先に、ロイの心を救える未来があるような気がするわ。ロイはまだ、戦っている。私たちの先で戦っているのよ。ゲームと戦闘の区別がつかないくらいに」
ロイに追いつく。
魔法の怖さも、なにもかもを知る。
その先にやっとロイを救い出せる未来がある。
救う?
勝手に僕らが言っているだけでは。
なんて、知ったことか。
僕らは僕らの矜持に従って行動するんだ。
アカネが言ったように。お守りの言葉のように。
「今はまだ考えても仕方ないわ。彼らに寄り添っていればそのうちわかるようになるでしょ」
ロイとクロウ。
きっと彼らの抱える過去は僕らの想像を超えるほど大きくて重たいんだろう。
今も彼らを悩ませるその呪縛から解き放つために。
僕らは明日も学校で魔法を学んでいく。
楽しさも、便利さも、そして怖さも。
すべてを身につけるために。




