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第81話 独りの戦い


「ふぅ……」


 ため息をついて、セラフィノはティーカップをテーブルに置く。まだ多く残る紅茶が波立ち、差し込む日差しがちらついた。テオたちが出て行ってから、わずかな時間しか経っていない。


「サイレンさんに連絡してくれる? 『二匹釣れた』って」


「はい、かしこまりました」


 執事が出ていく。ドアが閉まる音を聞きながら、背伸びをするようにソファにもたれかかる。今から執事が王城にいるサイレンの元へたどり着くのはどれくらいかかるだろうか。


 やわらかくセラフィノの体が沈み、ほうと息がこぼれる。


「ここは任せて、か……ふふっ」


 西日が隠れる。太陽はそんなに早く沈まない。


「会えてよかったよ、テオ、アルマさん」


 窓を叩き割り、何者かが入り込んできた。それはセラフィノの頭を鷲掴みにすると、異常な膂力で壁に叩きつけた。背をしたたかに打ちつけ、一瞬呼吸が止まる。


 ガラス張りのキャビネットに体を引っ掛け、破片があたりに散乱してしまう。


 壁に背を預けて上体こそ起こせているが、突然の襲撃に立ち上がる余裕もないセラフィノの華奢な体を、肋骨を砕く勢いで踏みつける。


「かっは……ッ!」


 パキパキと小枝を踏み折るように肋骨の破片が肺へ食い込む。二度目の踏み込みで喉の奥から血の塊が這い上がってきた。


 びちゃりと赤い塊を吐き出すセラフィノの口元を、侵入者の足が蹴り飛ばそうとする。


 ギリギリ手の平でのガードが間に合うが、それごと蹴り抜かれ、ぐらりと意識が揺らいだ。このとき体が床に叩きつけられるように倒れこんだのを、セラフィノは認識していない。


「あ、ぐ……」


 壁か床かも分からないまま、必死で転がり更なる追撃をなんとか避ける。


(左手……は、もう使えないか)


 痛みをおして立ち上がる。喉から出入りするのは血と空気が半々で呼吸が苦しい。


「まさか君が本命だったとはな」


 重々しい男の声。どろりと頭からの出血が右目を覆い、左目だけで声の主を見る。


 短い黒髪に浅黒い肌、金色の瞳。筋骨隆々というわけではないが、戦闘に必要なだけ鍛えたような体つきの男だ。


 襲撃者にしては顔を隠しておらず、猫のヒゲのような三本線の傷が左頬に入っている。だが、これだけ特徴的でありながら、「左頬に三本線の傷がある暗殺者」の話を聞いたことがないことを鑑みれば、彼がこれまで一人も逃すことなく殺してきた人物だと想像できる。


「ほん……めい……? なんのことか、わからないな」


 少しでも余裕のあるところを見せたがってはいるが、声はかすれて途切れるし、フラフラで今にも倒れそうだ。壁によりかかりながら無理やり立つのを維持する。


「他の誰も知らなかったのだよ。君たち一族が秘匿する、石化金属をも超える強度をもつ伝説合金『ウーツ』の製法を」


「なるほど……ようやく、繋がった……君たちが、な、こほっ……何を、作ろうとしているのか……」


「面白い試みだろう?」


 セラフィノを見下しながら、男はニヤリと笑う。ゆがんだ金色の目は、深く深く狂気をはらんでいた。


 立ち上がりはしたものの一歩も動けずにいるセラフィノに歩み寄り、その首をつかむ。ゆっくりと、しかし確実に締まっていく首に、呼吸が限りなく細くなる。


「不自然に死なんのだったな。殺さないように気をつけなくていいというのは気楽でいい」


「うぐ……はっ……ぅ」


 ずりずりと壁に押さえつけられたまま、持ち上げられて足が浮く。


「さあ、教えてもらおうか。『ウーツ』とは何だ? どうやって作る?」


 首を絞める手が少し緩み、また強くなる。セラフィノの呼吸のコントロールはすでにこの男に移っていた。


「答えないのなら、この苦しみが長く続くぞ」


「ど、うかな……ッ!」


 蹴り砕いたことで無警戒になっていた左手から、男の顔めがけてナイフを振るう。男は咄嗟に手を離し、距離を取る。


 支えが無くなったことで、持ち上げられていたセラフィノは床へと叩きつけられた。散らばったガラス片が受身を取った腕に食い込んだ。


「ふふふ……右頬にも、書き足しておいてあげたよ……猫のヒゲ」


 ピッとナイフの切っ先で示す先、男の浅黒い右頬に、赤い線が一本入っていた。


「貴様……!」


 激昂した男がゴキゴキと手指を鳴らし、セラフィノへ接近する。


 眼球、喉、顎、それらを瞬時に狙う暗殺者の手を、セラフィノは全てナイフで弾く。


 が、それを囮にした心臓を狙う貫き手を通してしまう。みぞおちに手が深く入り込み、背中へ突き抜ける。


「……こふっ」


 最後の悪あがき、自身を貫く男の腕を潰れた左手で弱々しくつかみ、再び男の顔めがけてナイフを振るう。


 男は首を横にかしげるだけでかわし、伸びきった手からナイフを取り上げると、床へ放り投げた。


「ふ、2本線で終わりだな?」


 頬に垂れる一筋の血を払い、男が笑った。


「はっ……はっ……君は、何者、だ……?」


「シトーアンに属する戦士だ、名はガラクという。何故俺がこれを喋るのかわかるな?」


「生かす……気が、ない……って」


「そうだとも。お前は早く死ぬために、お前の秘密を話すのだ」


 うな垂れるセラフィノの表情はわからない。


「……そうやって、他の兄弟たちを殺したの?」


「ほう、気付いていたか。そうとも、お前の兄や姉たちは4人とも製法を知らなかったがために長く苦しみ、死んでいった……だから、知っているぞ」


 片手で小瓶を取り出し、蓋を親指で弾く。そしてガラクは中身を全て飲み干した。


「あらゆる毒を解毒する神霊薬だ。貴様らが毒を使うのはしっかりと教えてもらったからな」


 事実、セラフィノのナイフには毒が仕込まれており、本来なら頬につけた傷から次第に蝕まれてガラクは死ぬはずだった。


 しかし、それも解毒薬により水泡に帰す。『死の印』によって死なない体で時間を稼ぎ、毒で殺すという手段はもはや通用しない。


「……」


「さあ、製法を話せ。さすがにここまでやればそろそろ死ぬんじゃないか?」


 セラフィノは息を飲み、少しだけ吐いて。


「教えるから……手を、離してくれないかな……」


「……いいだろう」


 ずるりとセラフィノのみぞおちから手が引き抜かれる。どくどくと流れ出る血で足元には血だまりが広がり、びちゃりとその中に倒れこむ。


 反対側が見えるほどぽっかりと穴が開いていてなお、セラフィノは呼吸ができ、話すことができ、そして生きていた。


 異様ともいえる光景に、ガラクは顔を一筋の汗がとおりすぎるのを感じた。


「製法は……」


「待て」


 ガラクは血まみれの手をぬぐい、蝶の羽をモチーフにしたようなイヤーカフスを自身の耳に取り付けた。


「これでいい。この魔道具は聞こえてくる嘘を看破する道具だ。黙られると効果がないから拷問してから使うんだがな」


「……そう。……まずは、火竜石を」


 セラフィノが説明しかけたところで、ガラクは彼の左足を踏み折った。


「……ッ!」


 あのイヤーカフスには、ハッタリではなく実際にそういう効力があると思い知らされる。


「嘘は通じんと言ったはずだ」


「鉄、鉄を使う……魔力のこもっていない普通の鉄を……それにダイヤモンド、こっちは魔力がこもっていればいるほどいい……その二つを材料に……」


 それからセラフィノは洗いざらい話す。どんどん血の気が引いていき、もはや死の目前まで迫ってなお、口を動かした。


「最後に、これらの製法で意図的に伏せたところはあるか?」


「な、い」


 搾り出すような一言を聞き、ガラクは目を閉じて黙った。


「嘘はないようだな、これで貴様は用済みだ」


 そういって踵を返し、立ち去ろうとする。その耳が、確かにかすかな声を捕らえた。


「4人、死んだかいがあったね」


 顔面めがけて飛んでくるナイフ。ぎょっとしたところに、ビンッと足を引っ張られる感覚。


 見れば、右足のくるぶしから先がなくなっていた。


「なっ……!?」


 突如足を失ったせいでバランスを崩し、尻餅をつく。止血しようと手で押さえた瞬間、バラっと指が落ちて床に散らばった。


「な、な、何だこれはぁああああああ!!」


「悪いけど、逃がさないよ……」


 ずるり、ずるりと血まみれの少年が這いよってくる。


 逃げなければともがくが、左足にも細い何かが食い込んでいるのに気付いてしまう。


「これはッ、鉄線か!」


「ウーツだよ、極限まで細くしたウーツの糸……さっきの製法を聞いたなら、絶対切れないって分かるよね?」


 血まみれになりながらも微笑みをたたえ、ゆっくり這い寄る死神が、ガラクの足を捕まえた。

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