第73話 区切り
地下の会議室を出ると、僕はこっそりヘルさんに耳打ちした。
「ここから北の都市にいる権力者って、誰がいる?」
「……? ええと、ここから北ならコルトゥハ領のエケイ市かしら……領主ベイロ様が」
パキパキと手の平に氷で簡単な地図を作って見せてくれる。王都のすぐ右下にある円がノベラポート、上に離れたところにある円がエケイ市か、つながっている氷の線は恐らく街道だろう、時折折れ曲がって迂回する道を示している。
「でも、どうしてそんなことを?」
「ひみつ」
地下の薄暗い廊下を歩きだしながらにやりと笑って見せた。とはいえ、ヘルさんも確証はないにしろ感づいているはずだ。なんらかの方法でさっきの会議の無礼者の位置を掴んだことを。
ヘルさんが今氷を生成して地図を作ったように、こちらの世界ではどうやら魔法の幅が広くなっているようだというのは分かっていた。
あの会議において、彼らはヘルさんが強力な能力を保有していることを十分に把握していただろうにもかかわらず横柄な態度をとってみせた。そこから考えられるのは、仮に彼女があの場で暴れたとしても安全だということ。あの見えていた姿はモニターに映し出された幻影のようなものだ。
それは一種の通信設備であると考えられる。そして通信設備がこの世界観においてどんなもので出来ているかはおおよそ予想がつく。
光や電気での通信の代わりに、こちらでは魔法が通信技術に応用されている。
そう考えた僕は、自身にある魔法を使うことにした。
魔法『カウンタースペル』は、遠隔からの魔法に反応して術者に“スペルマーク”という特殊な呪いを付与する魔法だ。
この“スペルマーク”が付与されると、使用者はマークされた対象の位置を把握し、さらに使用する魔法の一部が追尾性を持つ。
本来、魔法での超遠距離狙撃に反撃するための魔法なんだけど、どうやら「自身の声を相手に届ける魔法」にも有効だったようだ。
「思いつきがうまくいったから聞いただけだよ。そこまで悪いことはしないつもりだから安心して」
もちろん、ただ無策に『カウンタースペル』を使用すれば、発動時に巻き起こる魔力の風でバレてしまう。どうにか誤魔化す必要があった。
そこで僕はツルハシを説明する時に大げさにかかげ、いくつかの強化魔法を発動してみせた。本命の『カウンタースペル』をごまかすために。
企みはうまくいき、「声を届ける魔法」は僕に命中、その反撃として“スペルマーク”が付与されたのである。
そして、呪いは効果があれば気づけるだろうけど、状態異常のアイコンが現れてくれるわけでもないこの世界において、普段は何の変化ももたらさない“スペルマーク”は相手に気づかれることはないだろう。
……アルマさんのような例外中の例外が他にもいなければの話だけど。
(それにしても、エケイ市のベイロか……会うのが楽しみだ)
非道な行いはするつもりはないけど、少し脅かしてやるくらいなら罰は当たらないはずだ。僕は些細な復讐心を腹の底に収めて忍び笑いした。
*
武器持ち込み許可証はあまり前例がなかったらしく、発行までにだいぶ待たされることになった。王武器を奪えるという誤解を植えつけるためだけに言った方便だったので、欲しくもないものをもらうための暇というのはなんとも退屈だ。
まるで兵士の詰め所のような簡素な石造りの待合室で待っている間、セラくんも用事を終えたのか兵士に連れられてやってきた。
「二人ともお疲れさま。ええと、話し合いだっけ? 大丈夫だったの」
開口一番に心配してくれる。うう……セラくんこういうとこ本当に優しいから好きだ。
疲労しきった精神を癒すべく、セラくんの腕をとっつかまえて頭をわしゃわしゃなでる。やわらかくてしっとりした銀色の猫毛がふわふわと心地良い。
「てっ、テオ? どうしたの、珍しいっていうか初めて見る行動だけど」
目の前の美少年は戸惑いつつも嫌がったり拒否したりしないので、そのままなでなでを続行する。エメラルドのようなくりくりした瞳をさらに丸くして僕を見つめてくる。
「心が疲れたんだ……宿屋に戻ったら愚痴聞いて……」
「一体何があったの……」
「偉い人に私たち二人そろっていじめられちゃってね、ちょっと憔悴してるみたい」
「ふーん……ねね、ちょっと」
くいくいと服の裾をつまんで下に引っ張ってくる。そのかすかな力に引かれてかがむと、低くなった僕の頭に細い指先が触れた。
「よしよし、お疲れ様。もう大丈夫だよ、ここに怖い人も嫌な人もいないよ」
すぅ、と力が抜けていくような感じがした。いや、肩の緊張か、心の凝りか。とにかく強張っていた体はすっかりリラックスしていた。僕の頭をなでる優しい手つきと、やわらかい声に安心しきっていた。
ああ、僕はここに最高の仲間を得ていた……。もうこのまま眠ってしまってもよいだろうか。
「ところであなたはどうだったの? 少し時間がかかってたみたいだけれど」
ヘルさんの問いかけに、頭をなでてくれていた手がぴたりと止まる。セラくんはすぐには答えず。ただじっと寂しげな目で僕を見た。
「……匿ってもらえることが決まったよ」
「それは」
良かった、と言うべきだろうに言葉が出てこない。だって、セラくんの顔が暗く影を落としていることに気づいてしまったからだ。
普通に考えれば、優秀な衛兵が多く集う王城のほかにに平穏な場所はないだろう。いかに手練れな暗殺者といえどもおいそれと手出しはできず、小出しの戦力ならセラくんの実力で切り抜けられる。
掴んでいた腕がするりと僕の手からすり抜けて、ぎゅう、と僕の頭を抱きしめた。
押し当てられた薄い胸板からは、花のような香りがした。シェアヒ大草原に吹く風のような、涼しげで安らかな香りだ。
「ここまで連れてきてくれて本当にありがとう。これで護衛の依頼はお終いだよ、テオ」
寂しげな音色を隠せずにいながら、それでもあくまでも穏やかな声に、僕は何も言えずに目を閉じるしかなかった。
僕らの旅は、ここで一区切りなんだ。




