第72話 仕返しの糸口
ヘルさんの一礼に、会議はぴたりと静まった。
影に紛れて見えないが、もしかしたら彼らはぽかんと口を開けているかもしれない。それくらい間抜けな沈黙が満ちている。
それがまったく不思議ではないほどに、彼女は口にした言葉と真逆の高潔さを持っていた。
「……いいよ、ヘルちゃんがそこまで言うなら、君からすべての権力を剥奪する。ただし、テオくんが我々と敵対することになったときは、君が真っ先に犠牲になって止めること。いいね?」
「……」
沈黙からため息交じりにでも口火を切れるのは、この場ではサイレンしかいない。彼が議論どころか抗議すら起こさずにヘルさんの処遇を決めると、話題は即座に切り替わる。
「さて、我々が君を仲間に引き入れたい理由は多々あるけど、最大のものとして、君が石化金属のゴーレムを倒すことに長けているらしいという情報がある……ま、座りたまえ」
間違いなく、激昂しかけた僕をヘルさんがかばったんだろう。そしてそれをサイレンさんがさらに話題を次に移すことでカバーしてくれた。
ふたりしてすごすごと椅子に座りなおす。申し訳ないやら不甲斐ないやらで、心の中の火がしぼんでいく思いだ。僕が挑発に乗って悪手を打ってしまったことは間違いない。
その代償がヘルさんの積み上げてきた立場や権力で、しかもそれは止める間もなくあっさりと支払われた。ちょっとした、今日の晩御飯のメニューが少し変わったくらいの調子で。
「実は今、石化金属のゴーレムを保有、運用している組織があってね。実験か何かのつもりなのか、時折人を襲わせたりしているのだよ。君も何度か遭遇したろう?」
頷く。カルメヤ村とヘリオアンで見かけたし、セラくんを襲っていたゴーレムも内部に石化金属を用いたものだと後からヘルさんに聞いている。
「連中を放っておきたくないわけだけど、我々が切れるカードが今までなかった。ヘルヴェリカはヘリオアンの海底に眠る存在……報告では浸食王と言っていたね、それを監視するために動かしようがなかったしね」
浸食王が討伐された今、ヘルさんをやっと自由に動かせるようになったわけだけど、そこで石化金属にとって強力なカウンターである僕が現れた。それならヘルさんを監視役にして僕に戦わせたほうが確実という判断なんだろう。
「浸食王がいないならヘルちゃんはもう用済みなんだよね。惜しい戦力ではあるけど、ゴーレムが複数体ともなれば圧殺されかねない」
ここまで説明されれば、さすがにどんなに鈍くても何を言わんとしているか見えてくる。
要は、その石化金属ゴーレムの組織を退治せよというのが彼らの要求らしい。
「そんなわけで、連中を組織ごとぶっ潰すか、せめて片っ端からゴーレムを殲滅してほしいんだ。やってくれるかい?」
サイレンさんの問いかけに頷くしかない。断ればヘルさんの立場がさらに危うくなるのだ。
「よかった。それじゃあちょうど北方の高山地帯で連中の目撃例があるから、旅の疲れを癒したら出発してくれないか。詳しい場所はあとで知らせる」
暗い部屋に似つかわしくないほどの朗らかな声。しかし、間違いなくこの声の主、サイレンさんこそがこの部屋を支配していた。
いつの間にか、一刻も早くこの暗い部屋を出て、外で深呼吸をしたくてたまらないと思っていたことに気付いた。そのくらい、彼の局地的な支配は強力だ。こんな顎で使われるような真似、普段だったら多少はむっとするはずなのに、頷くことしかできない。
「うん、快く引き受けてくれて嬉しいよ。あとはいくつか質問に答えてくれればもっと助かるね」
「質問?」
「君が石化金属のゴーレムを倒している方法のことだけど、我々はそれを把握していないんだよね。魔法や武器によるものか、あるいは他のなんらかの技術か、はたまた天性のものか……教えてくれたまえ、君が『採掘王』を名乗る理由は何だ?」
もうこの質問だけで王都にのこのこやってきたことを心底後悔していた。
彼らは僕の力の源を聞き出し、あわよくば奪うか封じるかを狙っていると考えられる。
(いや……これは)
もしかしたらこの質問より前はすべて茶番で、これが本題だろうか。
質問が出た瞬間、この暗い部屋の中での見えもしない視線がより強まったように感じる。
もしかしたら僕が嘘を言うかもしれない、それを看破しようと神経を尖らせているような、そういう緊張感。
(ヘルさんは事前になんて報告していたんだろうか)
彼女が内心どう思っているかは別として、表面上は彼らの仲間なのだから、僕について何も報告していないというのは不自然だ。僕に対する言動からしてこっそり味方してくれているような気はするけど、仮に報告をごまかしているのにそれと矛盾した答えを返せば、彼女の立場はますます悪くなる。
氷柱が張ったような空気の中、ちらりとヘルさんを見た。椅子に座ってから、じっとうつむいたままでその表情はわからない。
誰も信用に値しないなら、僕はなんと答えればいいのだろう。一瞬の悩みは、だけどなぜかふとした記憶が打ち消していった。
(そういえば、言われたっけな)
浸食王を前にしてただ叫ぶことしか出来なかった僕を、セラくんは信じた。『ツルハシがなくてもできることがある』と言ってくれた。
するりと部屋の中に風が吹き込む。右手に持ったツルハシを、自分の最大の宝物を自慢するようなつもりで掲げて見せた。
「これは『採掘王のダイヤモンドツルハシ』と言います。ざっくり言ってしまえば、あらゆる岩石と金属に対して特別な威力を発揮する能力です。加えて、所有者の身体能力……特に、頑丈さと筋力を大きく上昇させるので、金属や岩石以外のものに対しても見た目以上の威力はあります」
部屋がざわつくのを無視して、魔力をツルハシに込める。ふわりと風が起き、ツルハシが薄ぼんやりと光りだした。
「最大の特徴として、『岩石や金属に対する特別な威力』は武器に付与された魔法にも有効……というか、最終的な破壊力に作用するので、わずかな強化魔法でも絶大な効果を発揮します」
あえて本当のことを言う。
偽りなく、明かせる限りの情報をくれてやる。なるべく意識が僕に向くように。
「ほ、ほほう……では、そのツルハシを奪われたらどうなるのかね」
影のうちの一人が、僕の狙い通りの質問をした。そうだ、それは僕の力がモノに依存しているなら絶対に聞いておきたい質問のはずだよね。
「すべての能力は新たな所有者に移ります。俺も以前の所有者から奪い取ることでこの力を得ました」
彼らの目の色が変わったと思う。それぐらいに空気が変わったし、剥き出しの野心が暗闇の中でずるりと這い回る感触がした。
自分をエサに釣りをしてみようと思う。この国の暗部を泳ぐ怪魚を捕まえるために。
「では奪われぬようにきをつけることだな、いかな強者とて油断すれば足元を掬われるだろう」
口ではそう言いつつも声色に明らかな興奮が混ざっている。どんなよからぬことを考えているのだろう。
だけど奪えるものなら奪ってみろ、僕以外の人間が手に持った瞬間消失する帰属武器だ。もちろんそんなことは教えてやらないけど、奪うために何かしらのアクションを起こしてくるなら全部返り討ちにして尻尾をつかんでやる。
「はい、それで一つお願いがあるのですが」
いかなる勝手な発言も許されていないはずのこの部屋で、僕はその重圧を振り切り、真っ直ぐにサイレンさんを見つめた。
「……なんだい」
動揺した様子は見られない、だけどもう僕を圧倒できないと悟ったのかサイレンさんは先を促した。
「奪われる可能性を減らすため、国内のいかなる非武装地帯でもこのツルハシだけは携帯を許可していただきたい」
「他の武器については?」
「攻撃用の魔道具がいくつかありますが、これ一本で十分な戦力ですので」
この発言が賭けだ。ツルハシを奪われたくないという印象を与え、かつ他に攻撃能力は無いと思い込ませる。
これでより狙われやすくなったはずだ。今から仕返しするのが楽しみになってくる。
「……わかった、あとで許可証を作成する。でもいくつかの場所については妥協してほしいな、どうしてもって時の対応としては代理の者を立てるとか」
「分かりました、ではそれでお願いします」
「では、他に聞くべきこともないだろうし会議を終わろう。お疲れ様」
サイレンさんがそう言って会議をしめると、部屋に置かれた発光水晶が一度暗転し、明るい光が戻るとテーブルの人影はすっかりと消え去っていた。再び明るくなって見えたサイレンさんの顔は、会議が始まる前と変わらずに穏やかな表情だ。
「……ふー、君が連中の挑発に乗っちゃった時はひやっとしたよ。」
サイレンさんはぐっと伸びをし、深く息を吐く。
僕も椅子に座りなおし、天井を仰いだ。とにかく精神的に疲れる会議だった。
「私のアレで上手く誤魔化せたでしょうか……無茶するひとね」
ヘルさんも同じだったのか、さすがに脱力した表情でドレスの胸元を引っ張り、中を手で扇いでいる。しっとり汗ばんだ北半球のほとんどというか、赤道付近まで見えていたというか、ぷくっと浮かんだ島があったというか……見えたことがバレませんようにと祈りながらさっと目をそらした。
「え、ええと、仲間を侮辱されて、黙っていられるわけがないでしょう」
その仲間の胸元をたった今覗き込んでしまったのが僕である。その上でこんなことを言うのだから後ろめたさがすごい。
「へぇ、仲間」
「……? なんです?」
「いや、気にしないでくれ」
少し驚いたようなサイレンさんだったが、特にどうということもなく解散になった。




