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第69話 朝が来た

 ふわふわ、ふわふわと、宇宙に漂う花畑。天動説的陸地を追従するように惑星たちが連なり、その隙間を縫うように暗黒の空から太陽光が降り注ぐ。


 芳しい香りとともに花びらが舞い踊り、名も知らぬ色とりどりの花吹雪に酔いしれた。


(あ、これって夢だ)


 気づいても体の自由は利かない、きょろきょろと広大な花畑を見渡していると、誰かがやってきた。


 ……カウボーイみたいな格好の、栗毛の馬に乗ったツバキだ。歯磨き粉のCMみたいに歯茎まで見せるほどの笑顔になっている。


「ハーッハッハ、俺様はアメリカ合衆国のブシ! いわばステイツのサムルァイ! 略してステイサおぶふ」


 僕の目の前で馬をウィリーさせ、急停止するツバキの頭部を、顔面ほどの大きさもある吸盤の付いた矢が射抜いた。


 顔を赤い吸盤に覆われて落馬するツバキを無視して矢の飛んできた方向を見ると、花畑の中からがさっと立ち上がる人物がひとり。


 アルマさんだ、ただしスカートがすごく短い。デフォルトで白いのが見えている。


「さあ、陶芸の時間です」


 そういってツバキの乗っていた馬に触れると、それは馬の形を失い粘土のように変化した。


「いや……でかいよ」


 馬1頭分の粘土を前に呆然としていると、ヘルさんがそっと僕の手を取り、一緒に粘土をこね始めた。


「ん、上手ね……はぅ、えらい、えらい」


 妙に色っぽい吐息が耳元にかけられる。僕の手に重ねられたすべすべの手が離れると、意思とは関係なく粘土をこね続けた。だんだんやわらかく、お湯の入ったゴム風船のようにぷるぷる、ふにふにとした感触になっていく。


「馬、好きなの?」


 僕の隣に座って恐ろしいほどの冷たい表情でじっと馬だった粘土をこねている様子を見ているアルマさんに問いかけると、彼女はぶんぶんとすごい勢いでうなずいた。


「うま、いいです。うま、すき……っ」


 熱っぽく、どこかたどたどしいしゃべり方。今しがたの表情はどこいったのか、ぽかんと口を開けて顔を赤らめている。いつもの狩人らしい、してるのかどうかもわからない呼吸ではなく、はーっはーっと口でする荒い呼吸。


「すばらしい出来だわ、これは品評会に出しちゃいましょう? ね、発表しちゃお? 出しちゃお? ほら、ほらほら、ほらぁ……うふふ♪」


 アルマさんとで僕を挟むようにしゃがんだヘルさんが、耳に顔を寄せてささやいてくる。まだ捏ねている段階である。捏ねすぎたのかスライムのようにムニムニになってきているけど。


「テオ……さんっ! くぅ、う、ま……っ」


 なぜかすぐ横にいたはずのアルマさんの声が、僕の正面すぐそばから聞こえてくる。


 はたと目が覚める。宇宙に浮かぶ花畑は掻き消え、同じ香りのベッドの中で横になっていた。


 そして僕の両手には、まるくてやわらかいアルマさんの……。


「ッふゥーーーーっ、落ち着け落ち着け……」


 とんでもないことをしている。寝て起きたら二つくっつけたベッドのど真ん中でアルマさんの胸を鷲掴みにしているなんて。


 しかも背後からはすぅ……すぅ……と小さな寝息、気配から察するにヘルさんだろう。ツバキは……ベッド上にいない、けど起きてたとしたらこの状況を見て大騒ぎするはずだから……もしかして床に落ちてる?


 ともかく、みんな寝ているなら落ち着いて対処するんだ……なぁにそっと手を離せばいいだけのこと、気付かれやしないさ。大丈夫だいじょ。


「……もういいんですか?」


「おっふぅーーっ!?」


 思わず悲鳴を上げそうになったところを、なんとか堪えて小声におさえる。アルマさん、ばっちり目ぇ開いてた……。


 ど、どうする!? 今の僕は何の言い訳もしようのないセクハラ変態宇宙の花畑からの使者! お天道様が見逃してもアルマさんは見逃さない。なぜなら彼女の目は犯罪力学のナイトビジョン! どうやってこの窮地を切り抜ければ……!?


 いいや下手な言い訳など無用! 真摯に謝り、相手の沙汰に任せるべきだ! 何故なら今こうして胸を鷲掴みにし、おそらく寝ている間はその指を動かしてやわやわと弄り回していたのだろうから!


「え、ええと、ごめん……寝ぼけてて」


 ぱっと手を離したが、声はあくまで小声。それは完全純粋なる保身だ、ツバキやヘルさんが起きてしまって目撃され、事態をややこしくされる可能性をつぶしたいという思い!


 自身に非があるならば、それらも甘んじて受けるべきであるというのにである。僕はこの状況下で、アルマさんに内密な処理を言外に要求しているのだ!


 信頼して同じ寝床に入ってくれた彼女にこの仕打ちともなれば、たとえば平手打ちなど無罪に等しい寛大さだ。僕は彼女がいかなる対応をとるのかじっと待った。


「そうですか……目を瞑って真剣な表情でしたので、てっきり起きていたのかと」


「いやいや、そんなことしないよっ。っていうか抵抗するとかして……いや、そうじゃないな、本当にごめん」


 なぜ彼女は、僕が目を覚ますまで成すがままだったのだろう。もしかして、まだヘリオアンでの一件を気に病んでいるのだろうか。


「なぜです? 別に抵抗するべきことではないと思いますし、謝ることでもありませんが」


「……えーと、もしかしてまだ俺に逆らえないと思っていたりとか」


「港町での出来事ですか? あれは気にするなとテオさん自身が言いましたよね」


「えぇ……それならどうして」


 まだ何か、彼女の中でわだかまりがあるんだろうか。ここまできて、まだ終わらない自責が。


「……悪いことだと思っていない、ということです。テオさんは気に病んでいるんですか?」


「そりゃあ、まあ……いきなりこんなことしたら悪いと思うさ」


 じっと見つめられる。出会ったときからずっと変わらない、ちょっと考えてることがわかりづらい三白眼。


「程度は違うでしょうけど、港町でのいろいろと立場が逆ですね。自分は気にしてないのにすまなそうにされるって……ふふ、テオさんはこういう気分でしたか」


 一度瞬き、それから口元を緩めて彼女なりの笑顔を見せてくれた。平手どころか何のお咎めもない、むしろ微笑みを与えられた。


 ずっと昔にも感じられる、カルメヤ村を旅立った時を思い出す。あの時と同じ、対等な関係……いやこの人、あの時もちょっと危ないこと言い出してたな、これが平常運転か。


 でも、今のやりとりで彼女の中から僕に対する自責が完全に消えてるのを感じて、頬がゆるんで笑みがこぼれた。いちばん最初の旅の仲間と、仲直りができたんだと嬉しかったから。



*



「ほう、今朝はだいぶいいことがあったようだな?」


「えっ、あ、いやこれは」


 部屋から出た直後、ばったり会ったイーリスに緩みっぱなしの顔を見られて誤解されてしまった。朝一番僕の顔を見るなり、ひくひくと形の良い眉根を寄せて小さな唇をわななかせている。


「特に変わりない朝でしたよ。テオさんが寝ぼけて私の胸を触ってましたが、別にいまさらのことですし」


「ちょちょちょーい! 部屋出て一秒でバラしたよこの人!」


「……不潔」


 いちばん最新の仲間にものすごい軽蔑されてしまった、青い顔で上体をこれでもかと引いている。イーリスが吐き捨てるように言い残して階段を下りていくのを見送る。一日目でこれだから、今頃仲間になったことを後悔してそうだな。


 ……やっぱりアルマさん、胸触ったのちょっと怒ってた?


「寝ぼけて、ですか……」


「ん、どしたの」


「いいえ、私たちも降りましょう」


 ため息交じりに呟いた、寝ぼけて、という言葉に何かひっかかっているようだったけど、素知らぬ顔で一階に下りて行った。


 少し考えてもわからなかったので、とりあえず顔を洗って朝ごはんを食べようと僕も二人の後を追った。

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