第68話 意外な着地点
そよそよと、涼しい風が額をなでるように通り過ぎていく。ゆれる前髪をつめたい手がすくって、横に流す。
こんなに心地よいのはなぜだろうと、薄く目を開けて飛び込んできたのは、椅子に座って団扇であおいでくれているアルマさんの姿だった。
「あ、気がつきましたか。お風呂でのぼせていたんですよ」
ぱちりと目が合うと、そよいでいた風を止めてコップに水を注いでくれた。
僕とセラくんに割り当てられた男子部屋。そのベッドの上だ。
服は着ている。が、覚えがないので誰かに着せられたらしい。
部屋には他に誰もいない。
「他の方々は煩くなったので追い出しました」
のぼせたのをみんなで囲んでも大げさだろうと外してもらったんだろうけど、言い方がなんか強いな。
「いやあ、のぼせちゃったよ……ハハ」
水を飲んでおどけてみたけど、すぐにお風呂で見たイーリスの……女性としての部分を思い出して頬が熱を持つのを感じた。もう一口とコップを傾ける。
「……」
アルマさんは何も言わず、そっと僕の手にあるコップを取り、また水を注いだ。
また手渡された満杯の水を、飲む。
「……次から、私が背中を流しましょうか」
「っ、げほっ!? ぐ、けほっけほっ!」
いきなりの提案に思いっきりむせた。
咳き込んで丸くなる背中を、そっとなでられる。
「なっ、なんでそんな……」
「だいぶお楽しみでしたようなので、代わりが務まるなら私ででもと」
じっと僕を見つめる、ふくろうのような目。
お楽しみについては否定したいところだけど、結局風呂から上がらずにご一緒しちゃったわけだしなぁ……なんて言えばいいんだろう。
「あの、言っておくけど呪いも解けたんだから、もうヘリオアンでのいろいろは全部チャラだよ」
「そうですね」
しかし、その眼差しは変わることなく。
「ですが、私がそうしたいんです」
かたん、とアルマさんは椅子から立ち上がり、するするとスカートをめくり上げて、すべすべのふとももをあらわに。それでも止まらず、もっと上を……。
「アルマ君、テオは起きたかね? すまないがやはり話がまとまらない、いったんこっちで仲裁に……む、起きてたか」
「や、やあ……」
突然ドアを開けて、寝巻きか何かだろうか、白いワンピースのイーリスが入ってくる。アルマさんはドアの音と同時にさっとスカートを戻していたので、見られてはいないと思う。けど、内心ばくばくしながら何でもないようにひらひらと手を振ってみせた。
「やはり駄目でしたか、テオさんも起きたのでちょうどいいです。みんなをここに」
たった今、自分からスカートをめくり上げて見せていたなんて微塵も感じられないほどに知らん顔だ。あまりにも完璧なので、僕も今の出来事が見間違いなんじゃないかと思ってしまう。
イーリスが一旦引き返して、ぞろぞろと全員を連れてくる。
全員妙に気が立っているというか、一触即発な雰囲気だ。ヘルさんは妙に笑いをこらえているように見えるけど。
話を聞いてみると、なるほど確かに今後を左右する重要な話題だった。
すなわち、イーリスは女子部屋か男子部屋か、である。
「テオに説明しておくと、俺が男風呂に入った理由なんだが……ああ、事情があって女の身体と男の精神という奴だ、それを言ったところ、性別をどちらとして扱うかの話になってな」
なるほど、のぼせた僕とイーリスを見て何事かと、そういう話になったわけだな。
「俺としては身体が女だからといって女性と相部屋になるわけにはいかん、ということで男子部屋に混ぜてほしいのだが」
イーリスは妙に生真面目なところがあるな、もし自分が女になったら女子風呂女子部屋なんて男子の共通の夢だと思ってたよ。
「僕は反対だな、テオも意識しちゃうからお風呂でのぼせちゃったんでしょ? だったら寝るときも気になっちゃうよ」
反対意見のセラくん、なんか僕とイーリスが一緒のお風呂に入ったことが気に入らないのか、声に妙に棘がある。
「私は……くっ、そうね……ふふっ、身体が女性といっても、殿方と同室なんて緊張してしまうわ……っくふ」
あからさまに嘘だとわかるヘルさんは、どうやらこの状況が面白くておちょくっているらしい。頬をぷくっと膨らませて笑いを漏らしている。この人は僕とイーリスを同室にしてどうしたいんだろう。
「イーリス殿は女子部屋にくるべきだと思うでござるよ……間違いがないとも言い切れぬわけでござるし」
「ツバキ」
「なんでござるか?」
「そんなこと言って、女子部屋で寝込みを襲うのはさすがに駄目だよ」
「拙者信用なさすぎでござるな!?」
「俺もそれが不安だ」
「イーリス殿まで!」
っていうかこいつこそ女子部屋に置いておくのは危険な気がする。盗撮とかパンツ泥棒とかするような奴だし……。
それはさておき、意見は二対二で分かれてしまっているらしい。ヘルさんが面白がって票を割っているような気がしなくもないけど……。
ふと思うに、それで議論が白熱して煩いからと一度アルマさんにこの部屋を追い出されていたんだな。僕がのぼせている間にも話し合っていて、いまだに決着がついていないのか。
「アルマさんはどう思う?」
「私は……」
どっちの意見も分かるから、なんとも決めがたい。アルマさんの意見で多数決にしちゃおう。
「私がテオさんと一緒に寝るべきだと思います」
「はい論外~、議論の余地なーし」
「そんなっ」
まったく関係ない第三の意見が出てきてんじゃないかよ。今日のアルマさんなんだかおかしいぞ。
しかし、運悪くそんなおかしな意見を拾ってしまう人間がこの場にいた。
「なるほど、確かにアルマちゃんの言うとおり、私たちが一緒に寝れば解決だわ」
ヘルさんが大げさに感動したように手を打つ。完全に場を荒らす姿勢だ。
「待て、何の解決にもならないどころか一番事態が悪化するじゃないか。俺はそういう風紀の悪化というものを懸念して……」
「いいえ、全員の意見をひとつずつ整理していくわね。まずセラくんとイーリスちゃんの意見だけれど、これはふたりが一緒の部屋で、かつ他の人が居ない状態で解決。ツバキちゃんの意見はイーリスちゃんとテオさんが別れてるから解決。私は……そうね、テオさんなら同室でも構わないわ。ほら、これで全員の意見が解決したわ?」
「そんな馬鹿な、待ってくださいよ……」
「いや……案外いい手かもしれんでござる!」
流れに騙された馬鹿が一人、本気で信じ込んでしまった。
「確かに、これ以上の手はありませんね」
「まって、まだ俺の意見何も」
「でも賛成多数よ~?」
キランと目を光らせた狩人が乗っかりこれで3票、セラくんとイーリスの意見は分かれているので、3対1対1ということになる。ううむ、多数決だとしたらこれで決まりか。
「テオ」
セラくんが困ったように笑いかける。その声は今にも消え入りそうだ。
「今まで同室で楽しかったよ……爛れすぎて刺されないようにね……」
不穏な言葉を残して音も無く部屋を去っていった。部屋を出てから吹き出すような声が聞こえてきたけど。見送る僕の視界に入り込むように、イーリスが僕を睨みつけた。
「君には後で風紀というものを説明せねばならないな、時間を空けておいてくれよ」
そう言い残して部屋を出ていく後姿に、長い説教がいずれやってくるだろうことが見えた。
さて、こうして女性陣3名と僕で同室ということになったわけだけど、ベッド二つをどう分けるかでまた議論になってしまったのだった。僕が床で寝ることは却下された。
結局、二つのベッドをくっつけて全員で寝ることで合意し、やっとのことで睡眠をとることができたのだった。




