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第66話 過去の悪行

 夕刻、宿屋の一室。アルマさんとセラ君にはヘルさんの待つ女子部屋で待機してもらうとして、僕とツバキ、それにイーリスが部屋に入る。テーブルに積みあがったさまざまな解呪用の魔道具を見たイーリスがくすくすと笑う。それは少女が人懐っこい動物と戯れるような華やかさがあった。


「累積効果か、金銭効率から見て現実的ではない。まったく無茶をするな」


 ひと目でその用途を察したらしい。これくらいの洞察があれば、こちらに転移してきたことについてある程度の情報はつかんでいそうだ。


 ぎしり、と3人目の転移者は僕のベッドに腰掛け、窓から差し込む赤い陽の光に眼を細めた。


「俺がこちらに来たのは数ヶ月前、正確な暦は覚えていない。取り巻きを撒いて一人で森をうろついていた。


 途中までは確かにゲームの世界だったが、それはまったく気付けない間にこちらの世界へと切り替わっていた。


 NGワード、行為の解禁。UIの喪失。それからわずかなアバターの変化。


 俺は最初、世界に異変が起きたのだと考え、王都へ戻ろうとした。しかし、ポータルスキル、予備のスクロールも含めて不発。どうやら記憶してあるはずの座標がリセットされたらしい。俺は徒歩で王都へ向かうことになった。


 旅の途中で地形と通貨制度の変化に気付いたが、地名が変わらず、売れるものがあったから問題なしだったな。


 そうだ、それである時、山中を通り抜けようとしているときに彼に出会った。俺が死の印を施した彼だ。


 彼がただごとではない危機の中にあるのは見ただけでわかったが、それでも俺は旅を急がねばならなかった。なぜならギルドマスターが不在での世界変容が起こったのだ。すぐにでもたどり着けなければハートフィールドは瓦解するという焦りがあった」


「……」


 イーリスはそこでいったん区切り、水差しからコップに水を注いで飲み干して、一息ついた。


「……間違っていた。道中でVVVRから来た人間と出会っていなかったことを鑑みれば、世界が変わったのではなく、俺がこちらに移動してきたのだとすぐ気付けたはずだった。


 しかし俺は焦りからそれを見落とし、無補給で最短経路を突破するために魔力と……ゲームにはなくて、現実にはあった概念だな……体力を使い切ってこの王都にたどり着いた。


 俺が見つけたのは、何もかもが持ち去られ、すでに荒廃しつくしたハートフィールド大聖堂だった」


 手で顔を覆うようにして、イーリスがうつむいた。今、彼女の中ではそのときの絶望が反芻している。


「それからは何も。ただ聖堂にこもってぼんやりしていた、今日君たちが来るまでな」


 僕は少しこの人を誤解していた。イーリスがこの世界に来ていることはセラくんの証言でわかっていたけど、王都にくる理由は予想と大きく外れている。


 彼女の取り巻きと、大手ギルドゆえの上納金プールを考えれば、こちらの世界で彼女が王都を拠点としない理由がないと思っていた。しかしそうではなく、強い責任感が彼女をここまで連れてきた。


「そうだな、気になっているだろうことを話そう。俺は現実において男だった」


 顔を上げ、イーリスはその宝石みたいな目をこちらに向けた。虹彩は桜の花びらを乗せたように鮮やかだ。


「……男!?」


 口調と外見のちぐはぐさの、その答え。


 ツバキが女性ながら男キャラを使っていたように、彼女……いや、『彼』も自分とは逆の性別のキャラを使っていた。別段珍しいことではない、しかし……。


「なぜ以前のように振舞わないのか? そう考えているな」


「えっ、あ、ああ……外見は可愛いままだし、声も女の子だし……隠したがる理由が分からないというか」


「そうだよ、もったいない! せっかく可愛いんだから服も可愛くして、自分のこと俺って言うのやめてもっとこうキャッキャしよう!?」


 ツバキの妙な勢いに上体を引いて仰け反る。目はぱちくりと瞬き、小さく悲鳴を漏らして後ろに手をついた。


「君は……その赤い髪と、腰に差した刀。まさか、サムルァイ……か!?」


 宿屋へ戻る道すがら、簡単に名前を教えあうことはしたが、ツバキはこっちにきてからの名前だし、外見も性別も変わってるからわからなかったんだな。言っておけばよかったか。


 それにしてもイーリスがツバキを知っているのは驚いた。二人にいったいどんなつながりが。


「俺のスカートの中を覗き、スクリーンショットを撮ったところを取り巻き連中に見咎められて袋叩きにあっていたな」


「何やってんだお前ぇ!」


「だってだって、美少女のパンチラ写真ほしかったんでござるもん!!」


「ござるもんってなんだバカ野郎!」


 僕の怒鳴り声に耳をふさいでやんやんと首を振る。これで僕まで同類扱いされたらたまったもんじゃないぞ。


「俺はネカマだぞ」


「キャラが可愛ければ問題なし! それに今は正真正銘の女の子だよね!」


 びしっ、いい笑顔で立てた親指を、つかんで、ぐいーっと……。


「あだあだっだああだだ!?」


 痛みから逃れるためにぐにぐにと体をよじらせながら女の子とは思えない悲鳴を上げるが、無視してお仕置き続行だ。


「あの後苦労したものだ……君がうちのギルド員にその写真を横流ししたせいで、内部紛争が起きたからな」


 遠い目のイーリス。そうか……王都に大聖堂を建てられるほどちやほやされていたなら、彼女のえっちな写真は取り合いにもなるよな……。


「ヒヒッ、いい金になったでござるよぉごあっ!?」


 つかんだツバキの親指を手首に持ち替えて背中に回し、足を払って床に組み伏せる。その上にのしかかってぎりぎりと体重をかけた。


「まったく、ただのデータ上のグラフィックに過ぎないのに、コピーして皆の前で貼り出したり、終いには全員に配布することでなんとか事を収めたからな」


 苦い表情で肩をすくめる。いや、ほんとうちのツバキがすみません……。


「とんでもないご迷惑をおかけしまして……」


 ツバキを締め上げながらぺこぺこと頭を下げる。くそ、ゲームの中だからってはしゃぎすぎなんだよこいつは。


「今となっては思い出程度の話だ、俺は気にしていない」


 苦い表情ながら、イーリスの口角はわずかに上がっていた。


「君たちは心配しているかもしれないが、仲間に色仕掛けなどするつもりは毛頭ない。そういうつもりで俺は素の喋り方をしている」


 寄せていた眉の力を抜き、にこりと微笑みかける。冬が終わって花のつぼみがほころび始めたような可憐さだ。


「……よろしく、イーリス」


 ツバキの上に座り込んだまま、苦笑しながら手を差し出すと、白く小さな手が握り返した。

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