第48話 氷の天蓋の下で
「これを放っておくと、恐らくみんな死んでしまう」
セラくんの言葉に、うなずいて立ち上がる。死の印が効果を発揮している以上、それは確実で直接的に命の危機だ。
「あらぁ? どこかに行くの?」
とろけきった表情でヘルさんが首をかしげる。とうてい酔っ払いそうにない人だから、こうも酔いが回ったような顔を見るのはどこか後ろめたい。
「はい、セラくんと少し出てきます。二人をお願いできますか?」
「はーい、お姉さんに任せてね。うふふ」
店を出ると、むせるほどの甘い香りが充満していた。恐らくはこの香りが異常を引き起こしているのだろうか。いや、それにしては店の中にそういう匂いはしなかった。もしかすると、この濃度ではさらに激しく酔いがまわってしまうのだろうか。
「これは……この香りの発生源を探さなきゃいけないのかな。テオはわかる?」
「わからない。ただ、ちょっとヘルさんに頼みごとが出来たかも」
回れ右して再び店に入る。二回のドアの開け閉めで、店内はもはや例の甘い香りに支配されていた。異常はさらに強度を増し、誰も彼もが無礼講とばかりに自由に振舞っている。
もしこれがアルコールと同様のものならば、今は酩酊度で言ところの第一段階、微酔期にあたるはずだ。微酔期は気分の高揚、運動能力の低下などが起きる。症状はさらに酩酊期、泥酔期と進行していき、昏睡期に至ると、意識を喪失した後に死亡する。
「ヘルさん! この町をドーム状の氷で覆えませんか?」
酔いが回っているのに頼むのも気が引けるけど、僕もセラくんもできないことだ。自分に出来ないことは他の人に頼るしかない。
「えー……抱っこ」
「はい?」
「抱っこして外に連れていってくれなきゃ、できませーん」
頬を染めたヘルさんが、僕に向けて両手を差し出す。いつもの只者ではない雰囲気は見る影もない。
とはいえそんなことを気にしている余裕もない、僕はその手をとってぐいと抱き寄せ、背中とふとももに手を回して担ぎ上げると、すぐさま外に出た。ツバキとアルマさんが何かブーイングを始めたけど無視する。
両手がふさがっていたのでセラくんが代わりに店のドアを開けてくれ、そして閉じた。
「んー……海辺の町っていいわね、水がたくさんあって」
こほん、と咳払い一つ。
「えーいっ」
咳払いで口元にあった手を、ぱっとひらいて空に掲げたヘルさんから、魔力の風と冷ややかな風が二重になって町中に広がるのを感じた。
激しい地鳴りとともに、町の向こう……海の方から巨大な波がせり上がってくるのが見える。しかし、それは町に入り込むことはなく、まるで半球状の見えない壁にさえぎられるかのように凍りつき、その氷の上をまた波が覆って凍るのを次々と繰り返して、夜空を覆う氷の天蓋が出来上がった。
暗い空に現れた白銀の天井は、町の明かりを受けてオレンジに照らされ、またその光が今度は町中を少し明るくした。日没後ほどの明るさだ。
「ありがとうヘルさん、じゃあちょっと行ってきます。中に入って待っててくださいね」
「行ってらっしゃい、あんまり遅くなっちゃダメよ?」
「わかってますって」
ヘルさんに手を振られながら駆け出すと、セラくんもその後ろをついてきた。
「テオ、町を氷で覆ったのには何か意味が?」
「店を出てすぐ、甘い匂いがしたよね。もちろん今も。恐らくはこの匂いが酔いを引き起こすんだと思う」
走りながらあたりを見渡す。王都に近いだけあって人通りは多いけど、誰もが酔ったように振舞っている。
「匂いということは気体だ。これを街の外から流し込んでいるのであれば氷のドームはシェルターとして機能するはず。街中で発生しているのなら、外部への……ここからほど近い王都に影響が出ないように隔離する役割を果たしてくれるはず」
「納得できないよ。もし内部に敵がいるとしたら、隔離したことでこの匂いの濃度が上がって、街の人たちはより多くの危険に晒されてしまう」
懸念はもっともだ。建物内にいて、わずかな量であれほどの影響が出ていることと、今の段階でこんなにも充満しているほどの生成量を考えれば、さほど時間もかからずに昏睡の後に死亡してしまうかもしれない。
「もっともだ、だけど街中にいるなら好都合。すぐに排除できるよ」
「それは何故?」
「見つけやすいからさ。気体を散布するという特性上、風があるなら風上、無風なら町の中心が居所だ」
「なるほどね……でも」
「でも?」
「僕らが今走ってる方、風下だよ」
「えっ」
動揺した僕は、思わず躓いて地面にダイブし、その勢いでしばらくうつ伏せのまま滑ってから停止した。
「て、テオ!? 大丈夫!?」
「……かっこ悪すぎる」
そりゃそうだ、よほど強い風の中でなければ、走ってたら向かい風だと思ってしまうよな……。
「ほら、しっかりして! 誰だってうっかりはあるよ!」
うつ伏せになった僕を起こそうとぐいぐい引っ張ってくれるが、どんな顔をして立ち上がればいいか分からない。もう少しだけ地面とキスをしていたい。
「風向きすら分からない間抜けが足を引っ張ってしまってすみません……」
「テオ~~っ! どうして時折そんな弱気になるのさ~っ!」
無理やり体を地面から引き剥がされ、服についた砂埃を払ってもらう。
「あれ見て!」
そういってセラくんが建物の屋根を指差す。そこには鳥らしき動物をモチーフに切り抜いた板が、風を受けてカタカタと揺れていた。
「風見鶏……か」
「そ、この町は風見鶏がたくさんあるから、アレで風の方向を見ながら進めば大丈夫だよ」
港町だけあって、住民たちは風を知ることに熱心らしかった。たしかに客船も漁船も風は命だ。魔法で動かすにも限界があるなら、できる限り自然の力を借りたほうがいい。
「僕はこの町に来たことがあるんだ。道も少しだけ詳しい……テオ、お願いだ、しっかりして。ここは僕の思い入れがあって、町の住民の誰一人死んで欲しくない。でも僕は死なないだけの無力な人間で、君にはどうにかするだけの力がある。だから……だから、お願いします、この町を救ってください」
僕の両肩をつかんだセラくんが、いつものさわやかな笑顔も、柔和な雰囲気もなく、ただただ真剣な表情をして僕を見つめた。




