第43話 釣り
船旅も何日かすると、次第に飽きがくるようだった。
船室に閉じこもっていても気が滅入るので、甲板に出て日陰を探し、海面をひたすら眺める。たまにクラゲでもいれば、その漂う様子で暇をつぶした。
「いくら見渡しても変わらない風景、限定的な食事メニュー、そして娯楽の少なさ。船旅は厳しいものなのですね」
最初の数日こそはしゃいでいたアルマさんも、今は僕の隣でだらりとしながら海面を見つめている。
突発的な無風のせいで、旅程が遅れていると船員が言っていた。
「風が船を運んでくれる。しかし風がないからといって怒ってはいかんのです」
などと言っていた船員すらも、あまりの無風ぶりに辟易している様子がありありと見えた。
いざとなれば魔法で船を推進させるとも言っていたが、そのいざとはこの死にそうなほどの退屈でもないらしい。
「うあー、暇だよー」
船の手すりに寄りかかってうだうだと何をするでもない動きをする。無意味に体を動かすほどの暇さだ。
「そ、それなら私で退屈を紛らわせませんか」
「もうしない」
「そんなっ」
アルマさんに何か命令すると、セラくんに笑われたりツバキが怒ったりとロクなことにならない。セラくんはアルマさんの気が晴れるまで付き合ってあげたらと言っていたけど、倫理的にもジンクス的にも良くないことは封印するに限る。
「だったら~釣りなんてどうかしら?」
ヘルさんが釣竿を何本か持って現れた。なるほど、船が止まっているなら釣りもできるかもしれない。
「アテナ糸と樹精の加護を受けたカエデを使った釣竿よ、大型の魔物が食いついても千切れないわ」
糸や布、木材の素材については詳しくないのでおぼろげな知識だが、アテナ糸はたしかかなりの高値で取引されていたはずだ。高値で取引されるということは、それだけ実用的だということだ。
「はい、アルマちゃんもどうぞ」
「ありがとうございます、エサは何を使いますか?」
「魚の切り身です、どうぞ」
僕らはいそいそと釣り針にエサを仕掛け、海へと投げいれた。
「およ、釣りでござるか」
すぐにツバキが釣れる。いや、偶然に通りがかっただけだけど。
「なるほど、拙者の釣りの腕はちょっとしたものでござるよ」
暇すぎて釣りを始めたと言うと、ツバキも並んで釣りを始めた。
「あれ、釣り? いいね、僕もやりたいな」
なんだかんだみんな暇を持て余しているらしい、セラくんまでもが釣りに参戦し、ずらりと船の縁に並ぶ。
「お、あんたら釣りやってんのかい! ちょうど暇してたんだ、俺も混ぜてくれよ」
「へへっ、俺はこう見えて釣りの名人なんだ、今日の晩飯にデカイ魚を並べてやらぁ!」
「ぬかせ、俺はこんなにデカイ奴を釣りあげたことがあるぜ」
陽気な海の男たちもぞろぞろと集まってくる。もはやちょっとした釣り大会だ。がやがやと楽しげに仕掛けが次々海へと投げ入れられた。
……が。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
つ、釣れない……! 最初のうちはどれだけでかいのを釣ってやるかとか、釣りのコツはどうとかいう話をしていたのに、その話題が尽きるほどの時間が経っても、誰の釣竿もピクリとも動かなかった。
「お料理の時の失敗を取り返したかったのだけど、これも上手くいかないわね」
困ったように頬に手を当てるヘルさん。船上スープ事件は彼女にとって、すこし気に病む種だったようだ。
「うがーっ! 釣りとかいう娯楽暇すぎでござるぞー!」
ツバキが竿から手を離し、叫びながら頭をかきむしる。海に落ちそうになった釣竿はセラくんがキャッチして戻した。
「釣りはこういう時間を楽しむものとは言うけど、退屈に飽きてる時にはそんな余裕もなくなってくるんだね……」
しみじみとしたセラくんに心の底から同意するけど、かといって他にやることも尽きていたので釣竿を握り続けるしかなかった。
ざざぁ、潮騒の音を聞きながら糸が引かれるのを待つ。
もう、本当に何でもいい。たとえ釣れたのがブーツだって僕らは達成感を得られるはずだ。頼む、何かしら釣れてくれ……!
「あら、引いてるわ」
「あ、こちらもです」
ヘルさんとアルマさんに当たりがくる、一瞬にして場がざわついた。
「って、拙者も!」
「あっテオ、それ引いてるよ」
「おお、俺たちもだ」
どんな偶然か、待てども待てども釣れなかったのに、今この瞬間、全員の竿に当たりが来るという奇跡に立ち会ってしまった。
「全員、引けぇーいっ!」
「船長!? あんた仕事はどうしたんですか!」
背後で見物していたらしい船長の掛け声に、はじかれるようにぐっと竿に力をこめて引っ張る。
……その瞬間、僕はこれが奇跡でもなんでもないことを悟った。
そう、たくさんの魚が同時にエサに食いついたんじゃない。一匹の魚が、大口を開けて全員の仕掛けを飲み込んだんだ。僕らが乗っている船ほどもある魚影が海面に浮かび上がってくる。
「っていうかヘルさんの貸してくれた竿、すごいな!?」
「うふふ、船長さんも趣味人よね~」
竿は折れず、糸も千切れず、船ほどの大きさの影を引っ張り上げてきている。このすごい釣竿は船長のものらしい。後で一本譲ってもらえないか交渉してみようかな。
「どっせぇぇぇぇい!」
海面から飛沫を上げて獲物の姿があらわになる。それはイルカのような表皮を持つ、のっぺらぼうみたいなヒトの上半身だった。顔にあたる部分には人間と同じような口があったけど、その歯はすべてが臼歯のようだ。下半身は海面より下で分かりにくいけど、人魚のように胴とヒレらしい影が見える。
「なあああああああああ!?」
「なんかとんでもないのが釣れたでござるな!?」
「ひぃっ、なんておっかねぇ魔物だ! 魚を食うってことは肉食だぞ!」
船上のざわめきは驚きと畏怖で塗り替えられる。慌てた船員たちがばたばたと右往左往しはじめた。
だけど僕らは待っていたはずだ。こんな特大の退屈しのぎを!
「ツバキ!」
「合点でござる!」
釣竿をさらにひっぱると、その勢いでヒトガタの魔物はよろめいてこちらに頭を差し出す姿勢になる。
十分にひきつけた後、ツバキが腰だめに構えた刀を横一閃する。
「なっ、こいつ……斬れない!?」
ツバキの横薙ぎは、そのイルカのような皮膚に浅い傷をつけるだけにとどまった。実際に切れているし、硬いようにも見えないのに、どうしてこんなに傷が浅いんだろう。
「こいつは……楽しめそうでござるな!」
ツバキが不敵に笑う。僕も釣られて口角を上げた。




