第42話 激闘! ヘルさんのスープ
『油断したな、人間!』
いきなり破裂するようにして、ヘルさんの抱えた大なべから黒い触手が伸びた。それは手に持っていたヘルさんと船内に入ろうとしていたアルマさんを捕まえ、その体を拘束するように絡みつく。あ、あれ? 僕はスルー?
手を離れた鍋はそれでも甲板に綺麗な着地をする。伸びた触手は放射状に広がるように二人を持ち上げて、何事かと集まった船員たちを威圧した。
「あら? この程度で拘束できると思ってるのかしら。液体なら凍結させれば……!」
魔力の風が巻き起こるが、あたりの気温が下がってもなお黒い触手は元気に動き回っている。こいつ、もしかして凝固点……凍るための温度が低いのか。
「ダメね、これより温度を下げると凍傷になっちゃう」
『ククク……その程度の魔法、我に通用すると思うてか』
鍋から余裕たっぷりの声が聞こえる。口を削ぐといわれて怯えていたのが嘘のようなつけ上がりっぷりだ。不意を打って拘束できたのがよほど嬉しいらしいな。だが、凍らせるのがダメでもまだ手はある。
アルマさんの火竜石の指輪なら、どんな液体でも一瞬で蒸発する威力の魔法が放てる。いや、液体どころか石や金属だって余裕だ。つまりはこの船の上でぶっ放したら僕らはみんな海の底だ。ダメだ、このアイデアはボツ!
「うぅ、臭いです……玉肝の血抜きしそこねたイノシシみたいな匂いが……私の鼻を」
そんな心配する前に、頬を這い回られてアルマさんが青い顔をしている。抵抗も出来ないほど嫌いな匂いらしかった。
二人では抜け出せないらしいことに気づいた僕は、慌てて触手に殴りかかった。
粘液の体を持つスライム系は、飛び散るイメージで殴ることで再生を防ぐことができるはず。僕の平手打ちが黒い粘液で出来た触手をばらばらにした。
『なんたる威力! 関心したぞ』
ヘルさんのスープから賞賛される。しかし、それは余裕あってのものだ。
飛び散ったはずの粘液はそれぞれが意思を持つようにくっつきあい、一本の触手として再生した。また、粘液で出来ているために、ちぎれてた先も別な触手の先とくっつくことができるらしい。
何度か繰り返すと、もははどこを切り離せば解放できるか分からないほどに複雑化した触手が出来上がった。さらにそれは一度見逃したはずの僕にも絡みつき、動きを封じようと締め上げてくる。
厄介だ、こいつには本当に打撃が通用しないらしい。
『安心せい、人間たちよ。この乙女たちは後に世を支配する我の最初の供物として捧げられるのだ。名誉なことぞ』
「ひっ……!?」
「あ、あら、これは~」
二人を拘束した触手が、ぬらりと服の隙間から中へと入りこむ。服の下をもぞもぞ這い回る触手が見てとれた。
アルマさんが嫌悪感たっぷりにじたばたと暴れる。しかしその抵抗もますます触手が絡みつく結果に終わった。ふとももから一際太い触手が這い上がり、お尻を通って腰に巻きつき、お腹のあたりでうごめいている。
「仕方ないわね、ここは氷で隔離して……っ!?」
魔法を使おうとしたらしいヘルさんが動揺した様子を見せる。いつもの激しい魔力の風が、今はそよ風ほども起きなくなっているらしかった。
『甘露よな、乙女の胎から吸い取る魔力というものは』
どうやら触手で魔力を吸い取ることができるらしい。粘液は陶酔したように言う。こいつ本当にスープか?
「テオさ~ん、私たち魔力切れです~。んっ……お腹から吸われちゃって、もう暴れる気力すらないの。助けてくださるかしら~?」
魔力切れとそれによる疲労から暴れることを諦めたのか、完全に成すがままのヘルさんが僕に助けを求めてくる。とはいえ、船が魔法の巻き添えになったら困るし、物理的手段は通用しない……どうしたものか。
『魔力切れということはあるまい? ほれ、まだまだ吸えるぞ』
抵抗をやめたヘルさんと違い、アルマさんはまだもぞもぞと動こうとしていた。しかし、二人のその違いのせいで、多くの触手がアルマさんに割り当てられてしまう。もはや全身が触手に撫で回され、吸い付かれ、包み込まれている。
「い、いや……何ですかこれは……ひぃあっ」
『我は優しかろう? 苦しい吸い方はしておらんはずだからな』
「やめてくださいっ、わた、くぅ……!」
『いい声で鳴きよるわ。もっと聞きたいのう?』
鍋がくすくすと笑う。何か打開策はないのか!?
「切捨て御免!」
掛け声と共に一閃、ツバキが通り過ぎる。一瞬待ってから無数の斬撃が触手を切り刻んだ。
『ほぉ、こやつもまた見事なものよな』
「えっ、あ、あれあれあれあれ!?」
しかし、打撃が通じないのならば斬撃も通じるはずもなく、むしろ綺麗に切断される分そのままくっつけばいいだけなので何の影響もなさそうだった。しかもツバキ自身はあれで終わったと思っていたのか、完全に倒した気分に浸っていたところを触手に拘束される。
「なにこれ聞いてない! テオ! ねぇこれ! なにこれ! ひっ!」
突然現れて突然負けたツバキがござる口調の余裕もなく混乱した悲鳴を上げる。さすがに彼女ほどになると絡みつく粘液を引き剥がせるようだけど、それでも再生力とどっこいの勝負だ。
「ヘルさんのスープ」
僕もだいぶ前から触手に絡みつかれているけど、なぜかヘルさんやアルマさんのような目に会うことはない。このスープはだいぶ好き嫌いが激しいみたいだ。
「ヘルぅーーっ! 二度と料理しないでって言ったのにぃーーっ!!」
「何事も練習しなければ始まらないわ。人生は挑戦よ」
以前も何かやらかしているらしい、そのときはどうやって対処したのか後で詳しく聞いておく必要があるね。
ふむ、再生する液体か……ひとつ思いついた。
「ふんぬっ」
体に気合を入れると、パァン!と僕の体にまとわりついていた粘液があたりに飛び散った。洞窟生活が長いと、生き埋め対策のひとつやふたつは覚えてくるけど、拘束された時に応用もできるんだな。
『ふ、先ほどは驚いたが、何度やっても無駄なことだ』
「いいや? 何事もやってみなければわからないよ。人生は挑戦だ」
ヘルさんの言葉を借りながら、僕は甲板脇に置いてある木桶を拾ってニヤリと笑った。
『は、貴様何を――』
「偉大なる黒い粘液のスープ様、本日はあなた様に捧げものがございます。お受け取りください……この海を!」
ちょっと気取って一礼してから僕は駆け出し、木桶で触手を形成する粘液を掬い取ると、海へと放り投げた。
「船員さん! 船の速度できるだけ上げていただけますか!」
「お、おう!」
じりじりと遠巻きにしていた船員たちははじかれるように動き出し、それぞれが何かの作業を始めた。それからすぐに船が揺れ、あきらかに速度が上がったと分かる。
「海に落ちてもその粘液は戻ってこれるかな!? この船の速度に追いつけるかい?」
掬っては投げ、掬っては投げを繰り返す。
『あ、あーっ! こらこら、こらこらこら! ダメ、そういうのは、あーっこら!』
徐々に触手の本数が減り、まずツバキが解放される。
「拙者も手伝うでござる!」
『ダメだってば、あーもう、人間! 我を、食べ物を粗末にするなって教わっ、あー!』
「お前自分が食べ物に分類されてるつもりか!」
二人になってからはすぐだった。もはや触手を維持することが出来ず、アルマさんとヘルさんが解放される。甲板に投げ出された二人はぐったりと倒れ伏す。
スープは大なべの中へ戻り、がっちりと自ら蓋を押さえつけている。僕らから身を守ろうとしているらしい。
開けようとしたけど、それでどうにかできるかと考えたときにどうしようも無かったので、自分から閉じこもっているうちに海へと投げ捨てた。さらばだ、お前は強敵だったよ。
その日の夕食は船員たちに混ざってアルマさんも腕を振るい、見た目も味も良くて危険性の無い料理が並んだ。
僕らはそのおいしさにほっとしながら舌鼓を打ち、ヘルさんの船上スープ事件は幕が降りた。




