第41話 船出
王都行きの船は、昼からの出発だった。
船の乗り場へ行くと、立派なマストを3本持った大きい船を背後にヘルさんとハインツさんが立っていたので、二人がどうやら知り合いだったらしいことに驚きつつも挨拶をする。
「わしの商会の船だ。商船は海賊に狙われやすいが、熟練した船員に加えて君たちがいるなら問題ないだろうよ」
船の立派なことと船員の技術を自慢するように胸を張り、大らかに笑って見せた。
「ありがとうございます、こんな立派な船を用意していただけるなんて」
大きさだけではなく、他と比べてもどこか堅牢な印象を受ける船だったので、これにタダで乗れるなんてありがたいと心の底から思える。
本心からのお礼の言葉を、ハインツさんは照れくさそうに受け取った。
セラくんとツバキは船などめずらしくもないといった顔だったが、アルマさんだけはゆっくりと岸が遠ざかっていく様子を船の縁にへばりついてじっと見つめていたし、しばらくたって四方どこを見ても海面という景色に驚いていた。
運よく風を捕まえることが出来た船は、白い尾を長く残して進む。その蹴立てる飛沫すらも物珍しいらしかった。
「やあ、船旅を楽しんでる?」
もう日も暮れそうという時間まで甲板に出っ放しだったアルマさんに声をかけると、星空を閉じ込めたようにキラキラと目を輝かせた顔で振り向かれた。
しかし、はしゃぎすぎたと自省したのか、恥ずかしそうに一度目を伏せた後にはすっかりといつもの三白眼へと戻る。
「ええ、何もかもがカルメヤ村では見られないものでしたから」
懐かしむように、水平線に触れかかった夕日を見つめる。海風が彼女の髪をさらっても、その目はただひたすらに赤い光に向いていた。
カルメヤ村の村長はアルマさんが記憶を失っていたと言っていた。もしかしたら、記憶を失う前すら船に乗ったことはなかったかもしれないな、なんて思う。それくらい感傷に浸っている様子だった。
「太陽が見えないなんてことがあるの?」
「山あいでは、こんな真横に太陽があるなんて信じられないことです」
東に山があれば日の出は遅く、西に山があれば日の入りが遅い。逆に何もかもがまっさらな海面上ならば、日没は最大限遅くなると言えた。
もしかしたら見落としてしまうかもしれなかった違い、それに気づける人の人生はささやかな喜びに満ちているのかもしれないな。
「不思議で面白いのかな」
「はい、とても。……ありがとうございます、テオさん」
突然のお礼に首をかしげる。今アルマさんが味わっている感動に、僕は何も貢献していないはずなのに。
「……あなたが、私をここまで連れてきてくれたんです」
「どうしてついてきてくれたのか、いまだにわからないままだけどね。こっちこそ、旅の中でたくさんお世話になってるよ、ありがとう」
「私はこの旅の最初からずっと、あなたに恩返しがしたいと思っていたんです」
水平線が太陽に触れ、東の空に冷えた影が上り始める。
「うん、すごく助かってる」
「そうですか、私のせいで何かを我慢していなければいいのですが」
言い回しに違和感のようなものを覚える。遠まわしに僕を探ろうとしているような。しかし最近何かが出来ないなんてこともない。
「いやっ、露出は俺の趣味じゃないからね!?」
ふと思いついた可能性もまったくもっと的外れなものだ。僕は今、おおよそ自由に生きている。
「ふふっ」
「いや『ふふっ』じゃなくて! 何を言ってるんだこの人はみたいな感じで笑わないでよ!」
「好きに命令していいといわれても、自分が知っているものの良さを伝えようとするんですから不思議な人ですよね。私には露出の良さは分かりませんでしたが」
あーあー! 根にもたれてる。スカートめくって見せろって言ったの完全に根にもたれてる!
「テオ、アルマさん、こんなところにいたんだね。もうすぐご飯の時間だよ」
日暮れは食事の合図だ。セラくんが僕らを探しに来てくれた。
「あぁ、ありがとう。すぐに食堂に……」
渋々と船内の食堂に移動しようとしたところで、セラくんの背後に大なべを持つヘルさんが見える。いや、普通に考えればあの中身は夕食だろうということが推察できるけども。
「今日の晩御飯は私が作ったの。ふふ、こう見えても私、お料理が好きなのよ?」
ヘルさんがニコニコ笑顔で胸を張る。大なべは蓋が不自然にカタカタと震え、その隙間から黒い粘液状の……手、手が、小さくはみ出している。それは探るようになべの外壁をさわり、そして蓋をどかそうとしているように見えた。
本当に中に料理が入っているのだろうか、生ごみを海に投棄しに来ただけだったりしないだろうか。
「あー、ヘルさん、そのなべは」
「料理室で作っていたら、船員さんたちが外で食べるといいって教えてくれたの。具沢山のスープよ、おなかいっぱい食べてね」
真っ黒い粘液状の手はスープの一部らしい。勝手に持ち上がりかけている蓋の隙間から、ブツブツと何かの声が聞こえてくる。今晩のメニューはなべの蓋をあけ、しゃべることが出来るスープだ。
「せっ、セラくん! 今こそ『死の印』の力を使って俺たちを助け……っていねぇーッ!!」
命に関わるものなら、毒物でも無効化する『死の印』を持つセラくんは、この大事な局面で甲板から姿を消してしまっていた。普段そんなところを見せないから忘れかけてたけど、さすがは暗殺貴族の家系か。
「あらあら、おなかが空いていたからってはしゃぎすぎだわ。たくさんあるから好きなだけ食べてね」
『人間よ……我を生み出したこと、必ずや偉大な功績として知られることだろう……』
「ち、違いますって、しゃべってますよ! そのスープ意思を持ってしゃべってますよォーッ!」
「そうなのよ、少し喋れるようになってしまったみたい。でも口のところをちょっと除ければ多分平気……」
『人間よ、それは困る……』
「ちょっとした焦げみたいに言わないでください! っていうかそのスープ偉そうなこと言ってた割には今の表現で怖がってるし!」
「まあまあ、遠慮しないで」
ずずいと大なべを持ったヘルさんが迫ってくる。セラくんがダメならアルマさんに助けてもらうしか!
「す、すみません……私、玉肝の匂いが苦手で……」
なんでも言うことを聞いてくれるはずのアルマさんは、どういうわけか今だけなべから顔を背けて首を振っている。
「あら、そうなの? ごめんなさいね、下に降りれば別な食事があるから、そっちを食べるといいわ」
「そうします」
この世界特有の何らかの食材は人によって好みが分かれるらしい。しかしどんなものか想像もつかないために話に乗っかることができない……!
万事休す! 絶体絶命! 僕はこの恐ろしいスープにどう立ち向かっていけばいいんだ……!?
星が瞬きはじめた空の下、絶望的な戦いが始まろうとしていた。




