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第35話 セクハラ命令

 宿屋の一室、僕はベッドの上で動けないまま、アルマさんとにらみ合っていた。彼女の手には、取っ手付きの横に倒したようなガラス瓶が握られている。それが何に用いられるものなのか、かつて病院暮らしが長かった僕は知っていた。


「お、落ち着いて、その手に持ったものを仕舞うんだ」


 まるで刃物を持った人間を説得するように慎重に言葉を選びながら投げかける。しかし、ベッドの上にいる僕に容赦することなく、じりじりと距離は詰まっていく。


「絶対安静ですから、おとなしくしてください」


「な、なめんな! トイレに行くくらいできるわ!」


 実際、昨日に目覚めてから何度か行っているが、アルマさんもそれは知っているはずだ。しかしそれでも止まる様子はない。


「昨日言ったことを撤回するつもりなんてありません。あなたが私にしたいことが無いなら、せめて私から奉仕するまでです」


 実は朝からこんな調子で、くしゃみをすれば添い寝して暖めようとしたり、背伸びをすればマッサージしようとしたりととにかく世話を焼きたがっていた。マッサージくらいならありがたいものだけど、こうまで手厚いと少し困ってしまう。


「あ、あー、じゃあせめて一階のトイレまで連れていってくれないかな。さすがにソレにするのはちょっと嫌だ……」


 ぱぁっとアルマさんの顔がなんとなく明るくなり、ガラス瓶を放り投げて(不思議と割れなかった)僕の手を取った。


「さぁどうぞ、思い切り寄りかかってください。私は平気ですから」


 僕が立ち上がり、彼女の肩に左手を回すと、それを両手でぎゅううっと掴まれた。そして逃がさないようにしているつもりなのか、自分の体に押さえつけてくる。


 手首よりちょっと上あたりが、むにぃ、とアルマさんの柔らかい胸に押し付けられた。これはまずい。


「アルマさん、胸が、あの、当たってる」


「手を離して転んだらどうするんですか。我慢してしっかり捕まってください」


 もはやアルマさんにとっては胸を触られることよりも僕が転ばないようにすることの方が大事らしい。胸から逃げようとした僕の手を、より強く押しとどめた。あるまさんのおっぱいがもっともっとむにむに押し付けられてぼくはもう。


 トイレから戻り、どうにも精神的に疲れてしまった僕はアルマさんに何か適当な果物を買ってきて欲しいと頼むことで、なんとか部屋を追い出すことに成功した。


 なぜか嬉しそうに軽やかな足取りで部屋を出て行く彼女の後姿を見送って、女の子にパシリをさせてしまっている自分に嫌悪感を覚えつつも、こうするしかなかったと言い聞かせる。アルマさんがいない隙をついてセラくんに知恵を借りようと思ったんだ。


「うーん、そうだなぁ……ありがちなのは、無茶なお願いをして自分が悪役になるとか。悪人相手に罪悪感なんて覚えないでしょ?」


 セラくんはこうして親身になって考えてくれるからありがたいなぁ。やっぱり頼りになるお人だ。


「なるほどなぁ! どんなお願いしたらいいかな」


 この質問にはセラくんも答えにくいようだった。下唇に人差し指を当て、考えながらぽつぽつとこぼした。


「僕は……そうだね、いくつか思いついたのはあるけど、それを言ってテオに軽蔑されたくないなぁ」


 自分で考えろということらしかった。うーん、アルマさんが戻ってくるまでに考えつ――


「ただいま戻りました」


 早い! 考える暇なんてわずかも無かった。アルマさんが色とりどりの様々な果物を抱えて戻ってきた。その様子はまるで息を切らせながらも尻尾を振る犬のようだ。


「どれがいいですか、それとも後で食べますか?」


 アルマさんは僕のベッド横のテーブルにどさどさと果物を積み上げ、状態の良いものを品定めし始める。


 以前は無愛想ではあったけど、口数が少ないというわけではなかった。一方で、今日のアルマさんはそれ以上によく喋ることに気がついた。もしかしたら今のこの状態はアルマさんにとって負担かもしれない。そうだとするなら早くこの現状をどうにかしないと。


 無茶なお願い、無茶なお願いだな……よし、ひらめいた。


「あ、アルマさん。命令だ、スキャッ、……スカートをめくって見せろ」


 緊張と動揺でひどい噛みかたをしながら言ってしまった。ぴく、と果物を吟味する手が止まる。にわかにアルマさんの耳と頬に朱が差した。ふふふ、効いているようだ、さすがにこんな無茶で下衆で最低な上に、命令だなんて上から目線で言われたら怒り出してもおかしくない。我ながらとっさにうまいこと思いついたようだね!


「はい……っ、これで、いいですか……?」


 僕が内心得意になっていると、アルマさんは顔を紅く染めながらも、スカートの裾をつまみ、するするとめくり上げた。


 白いふともも、清潔な白い下着、そしておへそまでが露わになる。外が暑い中、僕のために果物を買って戻ってくる際に走ってきたのだろう。肌は湿り気を帯びていて、ふとももを汗のしずくが伝うのを見てしまった。


 ここまでさせてしまったのに、怒っていたり軽蔑していたりする様子は見えない。


 おかしい、セラくんの立ててくれた作戦が失敗したっていうのか!?


 ちらりとセラくんを見ると、布団に突っ伏し、大笑いするのを必死で我慢しているようだった。


「ふふふふふ……テオ、おかしいよ。そんなお願いじゃダメに決まってるじゃないか」


 笑いをこらえながらセラくんがくぐもった声で言う。顔を伏せてるのは笑いを我慢しているのもあるだろうけど、アルマさんへの辱めを見ないようにしてくれているのかもしれない。


「あの……テオさん、満足できますか?」


 アルマさんがスカートをめくり上げた状態のまま聞いてくる。僕は慌ててやめさせようとした。


「えっああ、うん、満足したから戻していいよ。ごめん!」


 慌てすぎて妙なことまで口走ってしまう。満足したって何だ。


 でもアルマさんはその言葉に何を感じ取ったのか、みょうに嬉しげに口角を上げた。


「そうですか」


 気のせいどころではなく声も弾んでいて、明らかに下衆な命令を聞かされた後とは思えない態度だ。


「アルマさんちょっと一旦部屋の外に出てくれるかな、ちょっとセラくんと話があるから。終わったら呼ぶね」


「わかりました」


 すすすと部屋を出ていくアルマさんを見送ってから、いまだに布団に突っ伏すセラくんを睨みつける。


「せ~ら~く~ん~? これはどういうことかな」


「あはっ、あはは! もうだめ、無理……! ふふふっ」


 とうとう吹き出す。失礼な。僕はセラくんの顔を両手で捕まえ、手のひらで頬をむにむにした。


「こらっ、セラくんこらっ!」


 もちもちのほっぺたをむにむにされながらも、セラくんは笑うことを止めずに言った。


「ごめんごめん。でも、尊厳も命も投げ出すつもりで謝罪した人が、あの程度で怒ったりするわけないじゃないか」


 言われて反論に詰まる。確かに昨日はスカートをめくるどころか下着姿で部屋に来たくらいだ。でも、じゃあどうすれば。


「今の作戦を続ければいいと思うよ。今のでかなり嬉しそうにしてるみたいだし、続ければアルマさんの罪悪感も減っていくんじゃないかな」


「そんなあ。あんなひどいお願いするのなんて、罪悪感で胸が苦しくなるよ」


 女の子にあんな辱めをするなんて、地獄に落ちてもおかしくない行いだ。それを僕がやるなんて苦しくてたまらない。


「アルマさんもそんな感じで苦しんでたんだと思うよ。なら今度はテオが助けてあげなよ」


 彼女が苦しんでいたと言われると、返す言葉がない。


「テオ、君への助言の全てが君のためとは限らないよ。僕からのお願いだ、アルマさんを助けると思って頑張ってほしいな」


 セラくんは相変わらず布団に伏せたままだったけど、その声だけは笑いも何もない、真剣そのものだった。


 こうして、何か思いついたらアルマさんに命令したりするということが取り決められた。僕はこの関係性が出来る限り早く修復されますようにと祈るしかなかった。

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