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第32話 勝利

 とうとう倒れた浸食王の体が、海面を叩いて水しぶきを上げた。


『おのれ、見事じゃのう。このわしがここまで傷を負うとは』


 テオは浸食王の賞賛を聞いていない。テオもまた、海に浮かぶ氷に伏して、そして気を失ってしまっている。


『だが、まだ諦めんぞ!』


 巨大な甲殻類は諦め悪く、大波を立てながら海面を跳ね、移動魔法『残影』を使用した。


 移動魔法『残影』は、ノーモションかつ硬直無しで人ならば30メートルほどの距離を一瞬にして詰める。この距離を決める要素は、すなわち体長。


 つまり、人よりはるかに巨大な体を持つ浸食王が使う残影は、1キロメートルほどなら十分に射程内であった。メインターゲットのテオが気絶した今、この場にいる執着などない。自分を倒した射手に、逆に一矢報いてやろうとしていた。


『見つけたぞ、小娘!』


 無論、一瞬での移動に対して人間では逃げようもない。アルマの視界を、甲殻に覆われた巨体が埋めた。


 ツバキも、セラフィノも、ヘルヴェリカも、そしてテオすらもう彼女を守ることは出来ない。


『死ぬ前に一口くらい人間を食っておこうかの!』


 浸食王はアルマを捕食せんと迫るが、冷徹な三白眼は非捕食者の怯えた目ではなく、大物をしとめる狩人の目であった。


「待っていました、あなたが至近距離で当たりに来てくれるのを」


 アルマが先ほどまで行っていた砲撃は、実は全力ではない。火竜石の指輪による魔法は魔力切れを起こさないように極力気をつけていたし、矢の素材などそこいらの石ころだ。


 だが、今こそ指先に纏う銀の糸は、テオから譲り受けた石化銅の最後の一欠片。弓を持つ手の人差し指にある指輪に残りの魔力を全て注ぐ。強烈な頭痛と倦怠感が襲うが、歯を食いしばり、弓を引く。


 爆発など起こらない。一瞬の光線が浸食王の体を貫いて空へと消えた。


『見事よの』


 動きを止めた甲殻類が、安堵したような、憑き物が落ちたような、そんな気の抜けた声を響かせた。


『我を征伐した戦士よ、勝利のお祝い申し上げる。我らが力の結晶、『浸食王の万里見通す極彩の目』はあなたを選びました。どうかお受け取りください』


 それから巨体がぽつぽつと光の球へと変わり、その中の一つがアルマの胸へと吸い込まれていく。ぱらぱらと蛍が飛び去るように残った光は消えて、後には何も残らなかった。


*


 僕はゲームの中で、倉庫と所持品の整理をしている。


 倉庫は三つあって、装備品・消耗品・素材などという風に分類して使っていた。


 ただ、横着があって装備品用の倉庫に素材が放り込んであったり、素材か消耗品か判断しかねるものもあったりした。いや、そもそも装備品を作るための素材だから装備品用の倉庫に入れていたんだっけか、だとしたら何を作ろうとしていたんだろう?


 とにかく、倉庫間の移動は出来ないため、一度所持品のインベントリに入れて、別な倉庫に移すという作業をしている。


 引き出しては、預けて、引き出しては、預けて。


 間違えた、使うアイテムを倉庫に預けちゃった。引き出さないと。……ん?


「……」


 夢だったらしい。目が覚めるとヘリオアンで借りている宿屋の天井が目に入った。窓からは夕日の赤い光が差し込んで、不思議と静かな雰囲気だ。


 妙に作業じみた夢だったなあ。あのまま続けていたら一生そのままかもしれないと思うような、ちょっとだけ怖い夢だ。


 体を起こそうとすると、腰の辺りに何かがのしかかっているのに気が付いた。


 アルマさんが、床に座しながら僕のベッドに寄りかかって眠っていた。僕は数秒固まったけど、再び浮いた頭を枕に戻す。あまりにもアルマさんがぐっすり眠っていたので、起こせないなと思ったからだ。

 

「おはよう、テオ」


 隣のベッドから、こっそりささやくような声をかけられる。見ると、頭に包帯を巻いたセラくんが上体を起こして、にこにこと手を振っていた。頭だけじゃなく、手や頬にもガーゼが貼られたりしている。飛び散った破片だけでも相当な怪我をしたみたいだ。


「ああ、おはよう。怪我の具合はどう?」


 アルマさんを起こさないように、僕も声をひそめて手を振り返す。たったそれだけで、なぜかセラくんは急に眉を寄せてむくれた。


「怪我の具合はどう? じゃないよ、自分もあんな大怪我負ったくせにさ」


 とんとんとセラくんが指先で自身の肩を叩く。そういえば、僕はアルマさんの盾になったときに背中を切られて、回復魔法すらかけ忘れてそのまま気絶したんだった。


「あ、そういえば誰か手当てしてくれたんだね。ちょっと大げさだけど」


 改めて自分の体を確かめると、首から下をミイラ男みたいに包帯でグルグル巻きにされていた。そこまでの


「背中の傷はもちろん、骨折と打撲と細かい切り傷、おまけに軽度の魔力枯渇と魔力傷とやけど! 大げさなもんか! それにずっとうなされて、二日も目を覚まさなかったくせに!」


 僕の知る限りはじめて、セラくんが声を荒げた。知り合って日も浅いとはいえ、ずっと同じ道を旅してきた仲間の、見たことのない態度にびっくりして一瞬固まる。


 セラくんがしまったという顔して、僕もあわてて人差し指を立ててしーっとジェスチャーする。アルマさんはまだ寝ているんだ。状況を見るに、おそらくは僕の看病疲れで。


 というか二日も寝ていたんだ。まるでちょっとしたタイムスリップの気分だな。


 うなされていたのは多分、見ていた夢のせいだ。延々と倉庫と所持品からアイテムを行ったり来たりさせてたんだもの。怪我自体は大したものではないはずだ。


「そんなこと言ったって、俺は大して痛くも……」


 ……。


 ふと体の感覚に注意すると、腕は指先まで心臓の鼓動とともにずきずき痛んだし、肋骨は針金で締め上げられているみたいだし、背中はまるで焼けつくようだった。


「なっ……にこれめちゃくちゃ痛い……」


 あまりの痛みに悲鳴を上げそうになって、アルマさんが寝ているために震えながら耐える。


「気付いてなかったんだね……回復術士さんが回復魔法をかけていったけど、しばらくは安静にしておいてってさ」


「うぐぐ……俺がこんな大怪我を負うなんて、屈辱だぁ……」


 ソロで王武器を手にした僕が、当時よりも高レベルかつ仲間もいるという状況でここまでの怪我を負わされてしまうなんて。


 そんな風に悔しがっていると、セラくんは表情をゆるめてくすりと吹き出した。


「アルマさんもツバキさんもすごい心配してたよ。せめてふたりの前では痛がらないでね、約束だよ」


 そして無茶な注文をつけてくれる。でも、僕もそれに応えないわけにはいかなかった。


「まかせろぃ、約束だ。そういえばツバキはどこかに出かけてるの?」


「僕らは安静にしとけって言われてるし、アルマさんがテオから離れたがらないし、しょうがないからツバキさんがごはんとか買いにいってくれてるんだよ。でも、そろそろ帰ってくるんじゃないかな」


 そう言ったところで、宿屋の木製階段がぎしり、ぎしりと軋む音が聞こえてくる。噂をすればという奴か。


 僕はアルマさんに気をつけながら、そっと体を起こして部屋のドアが開くのを待った。外の足音がちょうどドアの前で止まり、ドア越しにくぐもった声が聞こえてくる。


「セラ殿~、両手がふさがっているゆえ、開けてほしいでござるよ~」


「はーい、ちょっと待ってね」


 セラくんがベッドから降りてぱたぱたとドアに駆けていく。ドアを開けると、パンパンに膨らんだ買い物袋をふたつ、それぞれの手に抱えたツバキがバランスを取りながら入ってきた。


「よっとと……おお、かたじけない」


 ツバキは持っていた買い物袋の片方をセラくんに受け取ってもらい、視界を邪魔しているものが無くなったことでばっちり僕と目が合う。


「や、おかえり」


 僕が目覚めたときにセラくんがしてくれたように、右手を上げてぱたぱたと振る。ツバキはぴたりと動きを止めて、ゆっくりとうつむいてから。


「テオぉーーーーっ!」


 買い物袋を放り投げて僕に飛びついた。ベッドにダイブし、僕をぎゅうぅっと抱きしめる。


「ぎっ!?」


 その衝撃で慣れつつあった痛みが鋭く僕の全身を駆け巡り、悲鳴が喉まで出かかる。ツバキの放り投げた買い物袋をキャッチしたらしいセラくんのウインクがなければ、そのまま叫んでいたかもしれない。


 セラくんからの「約束は守ってね」と言わんばかりの視線に頷きながら、痛みから気をそらすために頭の中で数字を数え始める。


「テオ、よかった……もう、ぐすっう、うぇ」


 ツバキが泣き出しながらおっぱい万力で僕の折れているらしい肋骨を締めつける。怪我をしていなかったら役得なんだろうけど、今はまさにこれがこの世の地獄だ。


「ツバキさん、けが人が寝ているところではおとなしくして……あ、テオ、さん」


 さすがにアルマさんも目を覚ましたらしい、目をこすりながら伏せていた顔を上げると、僕が起きていることに気づいた。


「テオさん、あの、よかった。う、よかった……っ」


 大泣きするツバキにつられたのか、アルマさんの目にも透明のつぶが浮かんでくる。


 それからツバキとアルマさんは、ふたりして僕を締め上げながら泣いた。


 僕は内心痛みに耐えながら、セラくんと余計な約束をするんじゃなかったと後悔した。

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