第28話 好機
迫り来る巨大な氷塊の前に出て、ヘルさんを抱きかかえる。狙う座標は15メートル頭上、『フラッシュムーブ』の魔法を使用した。
直後、僕らのいた場所を氷が押しつぶし、その上に着地することができた。浸食王が海中からひっくり返した氷山の頂上、王の視線と同じ高さにいる。
「ヘルさ……っ!」
無事を確認しようとヘルさんを見ると、魔力枯れで返事も出来ないほどの有様だった。浅い呼吸と、完全に脱力しきった体。海水を凍りつかせるために文字通り全力を使ってしまっている。
「は……ぁ、っく」
何かを言おうとしているが、言葉にできないほどの疲弊。これは守りながら安全な場所につれていかないといけない。浸食王からの攻撃を避けつつ離脱するなんてこと、果たして今の僕に出来るだろうか。
『ご同輩、こんなところで出会うのは奇遇だの』
老人のような声が響く。複眼はぎょろぎょろと辺りを見回しているが、僕に対して言っているのだと分かった。
「同輩? “採掘王”イテ・オルミなら死んだよ。俺が殺した」
ぎょろりと複眼が二つとも僕に向く。目蓋があるわけでもなかったけど、優しげに目を細めたような気がした。
『違わんさ、君がその力の結晶を持っている限りな。いわば君は今の採掘王だ』
同郷を懐かしむような声音が混ざる。僕は、もしかしたら話が通じるかもしれないと思った。交渉の余地があるなら、一度退いてもらえるかもしれない。ツルハシが無い今、ヘルさんを守りながら戦うのは難しい。
「なら同輩のよしみってやつで、今日は帰ってくれないかな? 探し物があってこの街を壊されるのは困るんだ」
『ほほう、それはすまないが苦労をかけてしまうな。この哀れな老人の食事を先にさせてもらうよ』
王たちは、それぞれが災害の化身と呼ばれるに足る危険性を持っていた。彼らが何かの目的を持つとき、それは大いに人間を脅かす。この甲殻類が言っている食事とは、すなわち人間を食うこと。
「どうしてもダメかな。何か条件があるなら出来る限り飲む、とにかく僕らは時間が欲しい」
準備が足りなさすぎる。ここでなんとかしないと、この町は終わりだ。時間を稼がないと……。
『それならその女をくれんか』
「……何だって?」
『ほれ、おぬしが抱えている女よ。わしに食わせてくれたら一日待とう。腹が減っておるのだよ』
……。
『どうした? 聞こえておらぬわけではあるまい』
「決裂だ」
頭がどんどん冷えていくような感じだ。情けないな、こんな奴相手にあんなに必死に交渉しようとしていたなんて。
僕は抱きかかえていたヘルさんを背中に背負い、こちらを見つめる複眼に指を突きつけた。
「ヘルさんは渡さない、お前は俺が倒して止める。そしてお前の力は俺のものだ」
『くくくっ……若造め、げんこつが必要なようだな』
浸食王は僕の宣戦布告を受けておかしそうに笑うと、前足を弾く。その瞬間、すさまじい衝撃が全身に叩きつけられた。宙に投げ出され、方向もわからない。
しばらくの滞空の後、地面に転がり落ちる。もがきにもがいて手と足から腹ばいで着地できたので、背中のヘルさんは無事だ。
「う……げほっ!」
びちゃり、赤い粘着質の液体が口から吐き出される。ただの脚の一振りがなんて威力だ。全身がまるでばらばらに千切れてしまったかのようにひどく痛む。
「誰か、ヘルさんを」
ふらふらと立ち上がりながら言いかけて、先ほどまでいた人だかりは誰一人いなくなっていることに気付いた。当然だ、鳴り響く警鐘が聞こえ、『氷の花』と名高いヘルさんが敵わなかった姿を見たのだから。
……幸いにも、氷の足場は砕かれはしたものの、上に立つには十分なサイズのものがまだいくつも海面に浮かんでいる。これなら、海上でも浸食王と戦えるかもしれない。
「ヘルさん、少しでも動けるようになったなら、這ってでも逃げてください。それと、もしアルマさんとセラくんに会えたら逃げるように伝えて。ここは俺が引き受けます」
ここに放置しておくのは気が引けたけど、それ以上に浸食王を食い止めなければならなかった。奴が陸地にたどり着けば、その前足で苦もなく町を破壊し、人々を殺して回るだろう。
僕は海に浮かぶ氷を足場に、浸食王の元へ向かった。
*
警鐘と轟音が響き渡り大騒ぎの町の中を、アルマは胸騒ぎを押さえつけながら港へ急ぐ。避難する人々の噂話の中で、あの『氷の花』が手も足も出なかった化け物が出現したというものが耳に入ってくる。しかし、彼女が負けたのが事実として、今だに戦闘音が続いていることを考えると、今戦ってるのはそれに類する実力の持ち主。
アルマはテオとツバキ以外にそれほどの実力者がこの町にいるとは聞いていない。ならば、二人のうちどちらかが戦っている。それがもし、テオだったなら。
「テオさん……!」
逸る足が自然と駆け出し、階段を飛ばし降り、不自然に冷えた風が吹き込む方へと走った。
波止場へ出ると、意外にもあたりは損壊していなかった。
海には氷がいくつも浮かび、岸からいくらか離れたところに、誰かが巨大な甲殻類と戦っている。いや、言うまでもなくテオだ。甲殻類の弾く高速の前脚をなんとか避けながら打撃を加えているが、効いている様子はない。
「う……アルマ、さん」
すぐそばからうめき声が聞こえた。見ると、建物の壁に背を預けるようにしてヘルヴェリカが地面に座り込んでいた。
駆け寄り、座り込んで持ち歩いている薬を飲ませる。生命力に訴えかける薬だ。怪我らしいものはないが、明らかに異様なほど衰弱している。なんとかこくりと薬を飲み込む彼女を見てアルマはほっとする。
「ヘルヴェリカさん! 何が、いえ、状況を教えてください」
とはいえ、自分のせいで力を失っているテオに加勢しなければならない。話すことも辛そうなヘルヴェリカには、それをおしてでも現状を教えてもらう。
「あれは、“浸食王”と名乗る災害の化身。こほっ、私の全魔力を注いでも奴を封じることはできなかった。テオさんは魔力切れの私の代わりに、一人で……」
海へと視線をずらそうとしたアルマは、ヘルヴェリカのそばに血溜まりがあるのを見つけてしまう。ヘルヴェリカに怪我がないことを考えると、テオの血だということは明白だった。
あのテオが、怪我を負いながらも戦っている。
アルマは歯を食いしばって立ち上がり、弓に弦を張って番えた。
「待って、テオさんから伝言があるの。『逃げろ』と言っていたわ」
か細い声で足元から静止されるが、アルマはかまわず魔力を『火竜石の指輪』に込めた。
「アルマさん、お願い。戦わないで逃げて、私はテオにお願いされたの」
ヘルヴェリカが懇願するようにアルマの顔を見上げると、思わず絶句した。その目はまるで金になる獲物を狙うハンターのようで、口元は不自然な笑みを作り上げている。
アルマはテオの怪我に動揺した反面、歓喜していた。こんなにもすぐ責任を取る機会が来るなんて。これで浸食王を殺し、王武器がテオを選べばそれで良し、自分が選ばれればその力をテオのために使えばいいだけ。ヘルヴェリカに渡った場合が厄介だが、そうなればまた別な方法でテオに許しを乞うつもりだ。
「あれを、“浸食王”と言いましたか。王武器を手に入れる絶好の機会がこんなにもすぐにきてくれるなんて」
どこか熱っぽくもあるような声に、喜色が混ざっている。アルマの弓を持つ手にはめられた指輪に魔力がこもり、一度番えた矢は銀の糸にばらける。
指輪から炎があふれ、ばらけた銀の糸と絡みあい、飲み込まれ、再び矢を形成する。
「焼き殺してやる」
物騒な一言をつぶやいて、構えた弓から一筋の光線を撃ち出した。
*
海面に浮く氷塊から飛び上がっては、蹴りだの殴りだのをかましてまた着地する。
僕の出来うる限り魔法で強化した打撃だけど、浸食王にはさほど効いていないようだ。甲殻が強固すぎて殴っている手のほうが痛い。
『ほっほっほ、やわい拳だの』
予備の武器を持っておけばよかった。思いのほかツルハシに頼りっきりだったらしい。ぞっとする、僕はあまりにも弱体化してしまったらしい。
ヘルさんを庇ったとき以外にまだ攻撃は受けていないが、いまだ前足の打撃しか見ていないのが気になる。浸食王ともあろうものが、一つの攻撃手段しか持っていないとは考えにくい。
それがもし回避しにくいものなら、確実に僕は負けてしまう。くそう、ここにツバキがいてくれればまだなんとかなるのに。
そんなことを考えながら着地すると、岸のほうからいきなり光線が浸食王の甲殻に撃ち込まれた。小規模な爆発が起き、浸食王がよろめく。
「なっ!? 一体何が!」
考えるまでもなく、なんらかの魔法での砲撃が岸から行われたみたいだ。起きた爆発と熱風を考えると、火竜石の指輪による魔法? アルマさんが魔力のコントロールを身につけたのか。
……もしかしたら、彼女を守りつつ射撃してもらえば倒せるかな?




