第23話 空に響く音
突如として現れた矢が、ボリコの手首を貫いていった。
「っ!? がぁぁぁぁっ!!」
思わず拘束する手が緩み、セラフィノは地面へと倒れこむ。
「あ、るまさ……逃げて」
アルマは仲間を一瞥すらしない。仲間を助けるにはどうすべきか知っているからだ。
「ケダモノ狩りには手首を狙う。覚えておきます」
「ちっ!」
ボリコは避けることができたが、次の連射でウンガが両手首と片足を射られる。これで1:1だ。
「降参しなさい。じきに私の仲間が来ます」
ボリコはその台詞に、彼女の精一杯のハッタリを感じ取った。
仲間を呼びに行ったとして、戻ってくるのが早すぎる。何より、仲間を呼んだはずならなぜ一緒に来ない? テオや『赤髪』ならばこの女よりすぐにかけつけることも出来るはずだ。それなのにこの弓手の女しか来ていないということは、仲間を呼んだフリをして自分を追い払おうとしているに違いない。
「へぇ。じきに、ねえ……?」
「何が言いたいんです」
かすかにアルマの目が揺らいだことを見抜くと、ボリコは一瞬にして余裕を取り戻した。恐れることはない、この女一人を相手にすればいいだけだ。むしろ戻ってきてくれて好都合だった。この生意気な女の弓をへし折って、呼んだ仲間とやらが来るまで散々に犯して捨てておけばいい。
「本当に来るのか? お前ら二日前にここに来たって聞いたぜ。不慣れな町でそんなにすぐに仲間を見つけられたのかよ?」
「……」
アルマが沈黙する。ハッタリが通用していないことへの絶望か。
「見つけられたとして、じゃあなぜ一緒に来ない? お前一人でどうにかできるなら逃げる必要もなかったはずだ」
足元で呻くセラフィノを蹴飛ばしながら数歩進む。勢いで壁に叩きつけられるが、やはり思ったほどの怪我はしない。それでもしばらくは動けないほどの苦痛があるはずだ。
「ハッタリなんだろ? 今なら裸になって土下座すれば、奴隷にしてやるだけで許してやるよ。俺たちの処理用の道具として長く飼ってやる」
「外道ね」
短く呟き、アルマは番えた矢を放った。
「おおっと! へっ、こんなのが当たるのは下っ端だけだぜ!」
ボリコは意外に素早く、注視していればアルマの矢を避けられるようだった。当てるには何か注意をそらす必要があるが、セラフィノは痛めつけられて動けない。
そして、アルマには一つの誤算があった。
ボリコの魔法『オーバービルド』は、彼にとって腕部に限ったものではない。
足にも同じ魔法をかけることによって、跳躍力、そしてスピードが大幅に上がるのだ。
「速っ……かはっ」
一瞬の跳躍によって距離を詰められ、強化された腕に首を掴まれた。持ち上げられ、地面から足が離れる。拘束する指をはがそうと弓を手放してもがくが、非力な女の手ではびくともしない。ぎり、と首を絞める手に力が入った。
「ぐひ、俺はよぉ『赤髪』をモノにしたかったのに先を越されちまって、ギルドの連中の前で恥までかかされちまったんだ。かわいそうだとおもわねぇか?」
抵抗する力無しと見て、ボリコが下卑た笑みを浮かべる。これからこの女を辱めるのが楽しみで仕方ないという顔だ。
その顔を見たアルマの動きがぴたりと止まる。全て諦めてしまったのか、否、そうではない。
魔法の光る糸を纏った手が、その眉間に人差し指を向ける。首を絞められながらも、アルマは途切れ途切れに言った。
「ケモノも、ケダモノも、ここは効くはず……!」
瞬間、指先から矢が放出され、額の薄い肉を抉り取った。咄嗟に避けることができなければ、脳天を撃ち抜かれていた軌道だ。
「てめぇ……殺してやる!!」
なおの抵抗に激高したボリコが腕にこめる力を増した。犯すことなどもう考えない、殺意に満ちた絞めだった。
「あぐ、か……ひ」
もはや力は入らず、アルマの意識が遠ざかっていく。両腕がくたりとぶら下がった。
「ははは! 結局助けなんてなハッタリだったんじゃねぇか! 調子に乗るからこうなんだよ!」
聞こえてるかどうかも関係なく、ボリコは高笑いをしながら嘲りの言葉を並べた。先の嘘に騙されていたら、こうして最高に気持ちのいい首絞めはできなかっただろうとボリコは自分の鋭さを褒め称えた。
「――切り捨て御免!」
何者かが空から降ってきながら縦に一閃、刃を通すと、アルマを拘束する手の肘から先がずるりと落ちた。
「な、な、何だぁこりゃああああっ!?」
切り落とされた腕からは血が噴出し、逆の手で止血しようとするも矢で手首を射抜かれていてうまく力が入らない。いや、何よりこの見事な切断は。
「お主らには拙者らが正当防衛だと証言してもらう。大人しく降参せよ」
ツバキは怒りに震える声で告げるが、努めて冷静であろうとしていた。あくまで裁くのはふさわしい人間がするべきだという信念がなければ、感情のままに首を切り落としてしまいそうだ。
『赤髪』が来てしまっては、もはや降参するほかなかった。しかし、どうしてここに来れたのか。仲間を呼んだというのはハッタリではなかったのか。
「なんでテメェが……あんな一瞬じゃ探し出して助けを呼ぶことなんか」
喉元に刀の切っ先を突きつけられると、ボリコはもはやがくりとうなだれ、ギルドの捕縛員を待つしかなかった。
*
3人の暴漢をギルドに突き出して、その帰り道。いくらかの事情聴取と治療の後に解放されると、町はすっかり夕暮れの赤に染まっていた。
ギルドの建物を出て、セラフィノがさも疲れたというようにぐーっと背伸びをする。アルマも両肩の疲労にぐりぐりと首を回した。
「ふふふ、アルマ殿が“かぶら矢”を知っているとは拙者も嬉しさ極まる」
そう言ってツバキが取り出してみせたのが、奇妙な紡錘形の器具が矢尻に取り付けられた矢であった。
かぶら矢とは、矢の先端に穴の開いた器具を取り付けて射ることで、笛のように音を鳴らすものだ。狩猟においては使う機会がなかったが、出る音が気持ちよく、アルマはカルメヤ村が石化金属のゴーレムに占領される以前まで時折その音を楽しむことがあった。
その矢の意味と作り方を教えてくれたのは、父だったから。
今回はそれを、緊急を知らせる信号として使ったのだ。音の聞こえる範囲にいるかどうかは賭けだったが、出来る限り遠くに、広範に射たお陰でツバキに届いてくれたようだ。ツバキもかぶら矢が戦の号令に使われていたことを知っていたために、何かがあったと推測することが出来た。
結果、時間はかかったものの路地裏で襲われている二人を発見できたということだ。
「へぇー、さすがアルマさんだね! どんな音が出るのか僕も聞いてみたいな」
セラフィノが興味深々といった様子でかぶら矢の実演をねだる。アルマは苦笑してツバキから矢を受け取ると、中天に向けて引き絞り、放った。
コォォォォォン。
夕暮れの空に、独特な音が響く。矢は誰に当たることもなく広場の噴水へと落ちる。
その美しい音にセラフィノは、否、広場にいる誰もが聞き入った。何事かと不思議がったが、やがて一瞬の美だったのだろうと、みな心の中に留めおくことにしてそれ以上は気にすることがなかった。
噴水の池に浮かぶ矢を拾いながら、無闇に撃つと誰かに当たって危険だからと父によくしつけられたことをアルマは思い出した。優しい声と頭を撫でてくれる手を思い出して、少し視界が滲む。
父が教えてくれたことが、命を救ってくれた。彼がアルマに授けてくれた技術は、本物の愛情と力に満ちていた。
どこか近くにいたらしい音を聞きつけたテオが何事かと走ってきて、そのひどく心配した様子に3人は顔を見合わせ、吹き出してしまった。




