第10話 セラくんの事情
「おはよう、テオ」
目が覚めたら、セラくんのキラキラした笑顔が目の前にあった。こんな美少年と同じ布団の中でなんて絶対眠れないと思ったのに、むしろ快眠してしまったことも合わせてなんだか顔が赤くなるのを感じた。いや、僕にそういう趣味はないはずだ。
「いてて」
肩甲骨と腰の間あたりが不自然にちくりとした。思わず声を上げてしまう。痛くないのに痛いって言っちゃうときってあるよね。
「どうしたの?」
「い、いや、腰のあたりがちくって」
ただでさえ近いのに、心配そうな顔でさらにずいっと迫られると思わず仰け反ってしまう。
「もしかして昨日の連中に何かされたのかも。ちょっと上脱いでうつぶせになってみて」
「え、ちょっと」
断るより先に見事な手際でするりと僕の服を脱がせてうつぶせにし、かけ布団をどかしてふとももの上に乗っかってきた。
「このあたり?」
つつつ、と冷たい手が背中をなぞる感触がする。くすぐったい。
「あ、えっと、そう、今のところ」
「んー」
顔を近づけてみているらしかった。セラくんの猫より柔らかい髪の毛がさらさらと背中に触れる。
「ん、これは木のささくれだね」
「木?」
「ほら、ここの宿って古びてるから、どこかの木片が布団に偶然入り込んじゃったんじゃないかな」
そんなことあるんだ。確かにニスとか使ってなさそう、床やドアなど木製の部分はカサついた手触りのように見える。
「あ、ほらあった。これの一部が刺さったんだね」
セラくんがベッドの上から何かを拾い上げて伏せている僕の顔の横にもってくる。それは爪の先ほどの木片だった。これの上に寝転がったせいで刺さっちゃったんだな。
「大丈夫、僕がやさしく抜いてあげるね」
セラくんが意味ありげに吐息まじりでささやく。本当に棘を抜くだけなんだろうね?
「……セラくん、これは何をしているところなんですか」
「アルマさん、おはようございます。今テオに刺さった棘を抜いてあげるところなので、邪魔しないでくださいね?」
「テオさん、私もあなたのを抜いてあげられますけど」
「僕がやるから、その間アルマさんは水浴びでもしてきてくださいね」
二人の間に火花が散ってるような気がする。お互いにどうにも反りが合わないみたいだ。と思いきや、アルマさんがあっさりと折れる。
「そうですね、そうします。時にセラくん」
「なんでしょう、アルマさん」
そして、部屋のドアに手をかけ、顔だけこちらを向いて言う。
「テオさんの性癖はそういうのではなく、露出物を他人に見られることです」
「違う」
「へえ、意外な趣味なんだね」
「違うってば」
唐突な性癖の暴露だけしてアルマさんは部屋を出ていった。否定が届かずにどうしたものか困惑していると、背中にわずかな魔力の風を感じた。
「はい、取れたよ。ふふふ」
魔法で棘を抜いたらしい。そんな魔法あったかなぁと首をかしげるけど、とりあえず助かった。ずっとちくちくされても気になるしね。
「言っとくけど、別に露出趣味じゃないからね」
「じゃあどんなのが好き?」
「えっ、あーいや」
くすくすと花が揺れるように笑って、僕の上からどく。
「ま、何でもいいよ。僕ならいつでも協力してあげるからさ」
僕も起き上がって服を着ると、思いっきり背伸びをした。妙に快眠したお陰で頭はすっきり気持ちいい。
「ねぇテオ」
セラくんは壁に寄りかかり、甘えるような声を出した。しかし、その表情はどこか儚げだ。
首元は昨日の暗殺者たちのせいで痛々しい痣になっている。よく見ると、体のあちこちに細かな傷があるのがわかった。
「僕の用心棒に雇われてくれないかな」
*
「さて、ウユラの町を出るとしばらくは平地ですが、途中に森があります。ここに昼までたどり着けないと森の中で野宿です」
「あえて森の前で野宿して、朝になったら一気に抜けちゃうっていう旅人が多かったりしますよね」
「……こほん、私は森に慣れていますし、テオさんの実力なら森で危険なこともないでしょう」
「なるほど、それなら安心です。ねぇテオ、野宿するときは僕のそばにいてくれないかな? 守ってほしいんだ」
「テオさん、なぜセラくんがここにいるんですか」
「セラくんも旅についてくるってさ。報酬は出すから用心棒してほしいとかで」
アルマさんはふらついて頭を抑えた。頭痛でもあるかのような表情だ。
「人間サイズのゴーレムを持ち出す連中相手に……ですか」
アレを倒されて諦めるなら安泰だけど、もしまだセラくんの殺害を狙ってくるようならそれ以上のモノが出てくる可能性は高い。そしてセラくんの言動や警戒っぷりを見るに、どうやら後者が濃厚のようだ。
「アルマさんもお願いします。僕にはまだすべきことがあるんです」
セラくんがアルマさんに向かって頭を下げる。腰を直角に曲げた、真摯なものだった。
僕が助け舟を出そうと口を開く前に、アルマさんは答える。
「わ、私にも」
「え、なんです?」
「私にも、テオさんに接するように気軽に接してください。……これから旅を同じくする仲間なんですから」
「あ……あはっ、うん! ありがとう、アルマさん」
顔を上げたセラくんはぱぁっと笑顔になる。何とか仲間として馴染めたみたいで良かった。二人が雑談を始めながら歩き始めるのを目で追った。遠目に見ていると仲良しになってくれているのがわかって、なんだか僕がうれしくなっちゃうな。
「ところでテオの性癖が露出だって言ってたけど、やっぱり見てあげたりするの?」
「ええ、今までに3回ほど」
「ひゃぁ~経験豊富なんだね」
僕は全速力で二人を追いかけた。
*
「この肉おいしい、アルマさんは腕がいいね。ほら、テオもあーん」
焚き火のパチパチという音があたりに響く。立ち上る煙は木々の隙間にわずかにある夜空に飲み込まれていって、下から火に照らされる木々の葉や枝は妙に不安感を煽る。
木々の隙間はどこを見ても真っ黒な闇に埋まっていて、どこからでも聞こえてくる何かしらの獣の鳴き声がここが森のど真ん中だってことを教えてくれた。
「決め手は焼く前の下処理です。あーん」
セラくんが僕に食べさせようと肉の切れ端を差し出してくる。アルマさんもそれに乗っかって逆側から同じく突き出す。観念して口をあけると、ふた切れの肉が入ってきた。
「むぐ、ん、おいしいよ」
「そうですか、ありがとうございます」
アルマさんは無表情に(多分満足げに)うなずいて、自分の分を食べ始めた。骨付きからの食いちぎり方が意外とワイルド。
セラくんはこれはさすがといった感じで、くすくす談笑しているのにいつのまにか手元の食べ物が減っていってる。食べてることを意識させてないのか、見てない瞬間に食べてるのか、とにかく食べてるところが見えない。
「ところで、二人に僕の身の上話を聞いてもらっていいかな。愚痴のひとつでも聞いてもらえればすごく心が楽になるんだ」
僕もアルマさんも頷いた。そもそも事情を気にするなっていうほうが無理な状況じゃないかな。
「ありがとう。それじゃあまず僕の家の話から……」
*
ヴァロール家はこのエクスウォルド王国の歴史に長く残り続けた名門の貴族だった。
名門とは言うが、広大な領土を持っていたわけでも、強力な軍を有していたわけでもなかった。領地の生産性は低く、国へ納める税金も下から数えたほうが早い。
そんな貴族が、なぜ長きに渡り存続できたのか。
それは、彼らが他の貴族にはない唯一の役割を果たしていたからである。
暗殺。
ヴァロール家はエクスウォルド王の命で汚職、謀反、圧政などの悪事を働く貴族や大商人などの権力者暗殺を請け負っていた。
貴族でなければ入れない場所、知りえない情報、追求を逃れる権力。それらのために、王は巧妙にヴァロール家を守り続けた。
しかし、ある時その暗殺家業を暗殺対象の貴族に知られてしまう。否、それは瞬く間に国内全ての権力者たちに知れ渡ってしまった。
ヴァロール家の秘密を知った者たちはどうしたか?
彼らは表面上、何も知らないかのように振舞った。王と直接的なつながりを持つ以上、表立って攻撃することはできなかったからだ。
彼らの企みは水面下で動いていった。それはヴァロール家にとって皮肉ともいうべき形で現れる。
彼らはヴァロール家に対し暗殺者を放ったのである。
暗殺技術の年季においてはヴァロール家に分があったが、自身への粛清を恐れる権力者はおびただしいほどにいた。連綿と受け継がれた技術も、次々現れる無法者たちによって次第に色あせていった。
徐々に力を失っていく中、ヴァロール家はある決断を下す。すなわち、王都への避難。
もちろん領主が土地を離れるわけにはいかないので、実際に王都へ避難するのは彼の子どもたちだ。
5人ほどいただろうか、散り散りに逃げたために誰がどこでどうしているかはわからない。しかし末の子のセラフィノ・ヴァロールは。
暗殺者に捕まり、殺された。
雨の夜だった。身を隠すのに森の中を選んだのが仇になった。ぼろ小屋に連れ込まれ、体に親指ほどの太さもある釘を打ち込まれて身動きを封じられた。彼らはナイフで体の端から切り刻んでいった。
「他の兄弟たちはどこだ?」
聞くと同時、手のひらに釘を打ち込まれた。
「知らない……っぐ!」
暗殺者は容赦なく腕にナイフを突き刺した。
「他の兄弟たちはどこだ?」
「だから、知らな……ぎ、あ、うぁ……」
ナイフを“峰側”に引かれた。ぶちぶちと嫌な音と共に皮膚と筋肉が引きちぎられる。
「もう一度だけ聞いてやる、他の兄弟の居場所を教えろ」
「ふ、ふふ。知ってたって教えてあげるもんか。君たちみたいな、人でなしにはね……!」
「おい、逆側をやれ」
「……ぁぐ、い、あ、~~~~~ッッ!!」
拷問で兄弟たちの居場所を聞き出そうとしていたようだったが、そもそもが知らないために何も言えず、拷問は続いた。やがてナイフは心臓へと届いた。悲鳴は雨音と夜の森に隠された。
だが、雨は救いも運んできた。
心臓にナイフを突き立てられ朦朧とする意識の中、旅人らしき女が一人、何も知らずにぼろ小屋に入ってきた。雨宿りのつもりだったのだろう。フードの中で驚いた顔をしていたのは覚えている。
女は手に奇妙にねじれた金属の棒を所持しており、それは異様な熱気を放っていた。
……何が起きたかは分からない。暗殺者たちは倒れ伏し、女は打ち付けられたセラフィノへ近づいた。
ねじれた金属の棒の先は、輝くほどに白熱していた。女はこれを、セラフィノの左の鎖骨の下のあたりへと押し当てた。激痛が走ったが、それよりも恐ろしいような感覚が体を襲う。それは悪寒が怪物の手を成し、心臓を掴んで支配した感触だ。このときからセラフィノは自分の命がとてつもない化け物に奪われてしまったのだと思う。
焼き鏝の激痛に気を失い、次に目を覚ますと、女が手当てと看病をしてくれていた。胸を貫く傷はあったが、心臓は問題なく鼓動していた。
「恨んでくれてかまわない」
女は言った。
「これは『不死王の永遠なる焼き鏝』といって、死を遠ざける呪いを刻む物だ。不死になるわけではないが、すべての即死となる要因をねじって時間の檻に閉じ込める。君へと向かう全てのナイフは、君の動脈、心臓、肺、腎臓などを避け、何もないところを切るようになる」
女が指でセラフィノの左鎖骨の下に刻まれた焼印に触れる。その目は悲しげにゆらいでいた。
「だがこの焼印だけは不死だ。切り刻んでも抉り取っても消えることはない。一度押されればそこに現れ続ける。俺は君に楽には死ねないという呪いをかけてしまった」
女は立ち上がると、ゆっくりと小屋の入り口へ。
「すまない、俺も旅を急ぐ身、もう行かねばならん。だが生き延びてしまう悪運というのも、なかなか悪くはないはずだ。死ぬまでは生きてみたまえ」
女を追いかけようとしたが、傷の痛みに立ち上がれないまま彼女を見送った。
それからの旅は、暗殺者に何度かつかまり、そして最近になって直接的には殺せないということを知られてしまう。彼らの手法は拷問じみたものに変わっていった。
*
「だから、金属ゴーレムでも首の骨を折れずにただ絞め上げていたんですね」
「不死王の印に守られているから、奴らは長い時間をかけて殺す手段しか取れない。といっても昨日は危なかったんだけどね」
首絞めも、完全に喉をつぶすことは出来ずわずかずつ呼吸ができるために殺すには通常よりずっと長い時間が必要らしい。彼に焼印を押してその命を救った人が、それでいて謝罪したというのもわかる気がする。
「それにしても、『不死王の永遠なる焼き鏝』か……」
「聞いたことが?」
「ある。ただ聞いた話と少し違うところがあって」
僕が持つ『採掘王のダイヤモンドツルハシ』と話に出てきた『不死王の永遠なる焼き鏝』は、VVVRのプレイヤーたちから『王武器』と呼ばれている。レベル800前後からようやく即死せず戦えるようになる『王』と呼ばれるボスたちを倒すことでドロップし、そして一度ドロップすればそのボスは二度と現れなくなる。
つまるところ、全プレイヤーで一人しか持つことの出来ない武器だ。持っていることがプレイヤーの証明になるんじゃないか?
そして、僕の記憶が正しければ『不死王の永遠なる焼き鏝』はある大手ギルドのマスターで最上位のプリーストだった人が所有者のはずだ。その人はどこか冒険に出かけるでもなく常に誰かを従えて町を歩き、勝手気ままに振舞うような人物だったと覚えている。
話に出てきた人物と違う……この世界では別な人物、僕のようにVVVRから来た人間ではない人物が『不死王の永遠なる焼き鏝』を所有しているのだろうか。
「嘘は言ってないはずだよ」
「わかってる。信じるよ」
ただ、『王武器』の所有者がプレイヤーの可能性はまだ残ってる。もしかしたら僕の元いた世界に何が起きたのかを知る手がかりになるかもしれない。
僕はそーこちゃんに再会してから、さらに旅を続けることを考えていた。




