第9話 出発と出会い
朝が来た。目を覚ました僕は、まず水浴びをしようと裏手の井戸にやってきた。
屋根と3方に壁で囲まれた井筒の横に、縄付きの木桶が置いてある。これを使って水を汲むらしい。
桶を放り込んで引っ張り上げると、冷たくて綺麗な水が汲めた。
幸いにも井戸の周りは壁で囲われているので見られる心配はないんじゃないかな。壁の下は服を脱いで深呼吸すると、桶の中身を頭の上から思い切りぶっかけた。
冷たいと覚悟していてもなお鋭い水温が僕を襲った。こ、こいつは石化鋼鉄のゴーレムより手ごわいかもしれない……!
「うびゃっ! おぉぉ」
一回水を浴びただけで、僕の体はガチガチに冷え切った。外で宴会したあとその場で寝る人がいるくらいの気温はあるのに、井戸水となると途端に冬に入ったみたいな冷たさだ。これは何か工夫をしないと続けられない。
火の魔法で暖めるにしても木桶を焼いてしまうし、電子レンジの原理……は知らないなぁ。うーん、どうしよう。あ、そうだ。
僕は石ころを拾って丁寧に土をはらった。今から使う『トーチハンド』の魔法は、手を炎熱無効の状態にしてから手のひらの上に火を起こす魔法だ。これがあると明かりの無い洞窟でも問題なく探索できるし、松明やランプのように場所をとったり取り落としたりする心配もない。
他に光源スキルとして優秀なものがあったり、装備で補えたりするのでこれを取得している人は少なかったけど、僕は採掘の都合上ソロかつ荷物を減らしたかったので取らないという選択肢はなかった。
それが今こんなに役立ってくれるなんてうれしいなぁ。
石を握った手にトーチハンドの魔法を使うと、石は火で熱されるけど魔法で保護されてるので手は無事という寸法だ。そしてしばらく暖めたこれを桶に入れると、水の激しく蒸発する音とともにゆらりと湯気が立ち上った。
触ってみるとちょうどいい温度だ。石を取り出してから桶を持ち上げて頭からお湯を浴びると、先ほど水を浴びたときとは比べ物にならない快感が僕の体を包んだ。
あったかい、気持ち良い。お湯サイコー!
いい気分で髪をかき上げて水分を払うと、目の前にアルマさんがいた。手にはいくつか野菜の入ったかごを持っている。
「野菜を水洗いしたいので、一度桶を貸してくれませんか」
「あ、ああ、いいよ」
井戸水を汲んでさっと野菜を流すと、視線は僕の下半身に向いた。そのジト目にどんな感情が秘められているのか、まったくわからない。
「あ、あの……?」
僕がさっと股間を手で隠すと、アルマさんは顔を上げた。
「見て欲しいのではなかったのですか?」
「ないよ!」
思いっきり否定する。あーダメダメ、多分この誤解一生解けないな!!
「偶然を装って露出したかったのかと」
「本当に偶然なの、信じて!」
「いえ……ですが恩もありますし」
「たいしたことしてないので勘弁してください……」
石化鋼鉄のゴーレムを倒したくらいでセクハラが許されたらたまらないよ。
「立派だと思います」
アルマさんはいかにも正直な感想だといわんばかりに頷きながら言う。
「唐突に何を言うの!?」
「見るだけではたいしたことにならないと今言ったばかりじゃないですか。ですから感想を」
「あぁー、うん、たいしたことしてないってのは君じゃなくて僕のほうで、あ~~」
「私はどうしたらいいんですか」
少し戸惑いと苛立ちの音色が声に混ざる。
「どうもしないで……ただ水浴びしたかっただけだから」
そうですか、とだけ言ってアルマさんは家に戻っていった。あの人ホントに初めて会ったときに僕の全裸を見て泣いちゃった人と同一人物なのかな。
とにかく、改めて水浴びをした後に家に戻った。アルマさんは何事もなかったかのように食事を並べていて、僕も見られたことについて何を言うでもなく美味しい料理を平らげた。
*
「おう、来たか」
アルマさんと連れ立って村の南側、ウユラの町へと向かう道の前に来ると、村長が朝日を浴びながら仁王立ちしていた。
「盛大に送ってやるのも落ち着かねぇだろうから、俺一人で見送りだ」
村長は何かがたくさん入った袋を僕に押し付けた。ひとかかえほどもある袋の中には、パンパンになるほど石化鋼鉄が詰まっていた。
「ほとんどが魔力を失っちまってただの鉄クズだったがよ、売れば金になる。売るとしたらワノキラあたりの商人が高値を出すはずだ」
「ありがとうございました、村長。さようなら」
村長に頭を下げる。そしてアルマさんにも。
「アルマさん、君にもお世話になりました。ありがとう」
「いいえ、こちらこそお世話になりました。それでは村長、行ってきます」
「おう、行ってこい」
え?
「いやいや、アルマさん?」
「なんですか。もたもたしてないで出発しないとウユラに着いても宿が取れなくなってしまいますよ」
「あの……アルマさんも一緒に来るの?」
聞くと、なんでもないことのように頷いた。
「ええ、私も同行します。料理や野宿の準備ならおまかせください」
「お、女の子と二人旅っていうのは、その、間違いが起きたら」
「あなたが私に何かしようとするなら手足を射抜きます」
「しないよ!」
「では問題ありませんね」
「いやいや、アルマさん昨日の宴会で『しばらくお別れですね』って」
「はい、村のみんなとしばらくお別れで寂しいですね」
うーん、そっちだったか~。アルマさんが何を考えているかはわからないけど、ついてくる意思は曲げないつもりみたいだ。
「わかったよ、俺も一人じゃ心細いから助かる」
この先、どんな旅になるか分からない。でもこうして一人目の仲間と共に旅立ち、さまざまな冒険や人助けや、強大な魔物なんかが待ち受けているのだろう。
僕はこの旅路の行く末に思いを馳せた。
じんわり感じ入っている間にアルマさんはすたすたと歩き始めている。僕が呆然としていると、くるりと振り返った。風をはらんだ黒髪がふわりと浮き上がる。
「行きましょう、テオさん」
いつもの三白眼ながら少し上がった口角を見て、かわいい笑顔だと思った。
「うん、行こうか」
僕は苦笑いしながらアルマさんの後を追った。
*
「そういえば」
村を出てからしばらく森の中を歩いていると、アルマさんが唐突に口を開いた。
「村長の手前でああ言いましたが、別に間違いがあっても怒りませんよ」
「ぶーーーーッ!」
*
「つ、着いた……」
「思ったより時間がかかりましたね。今日はもう宿を取って寝ましょうか」
ウユラの町に着いたものの、日が沈んでだいぶ経っていた。
体力的な問題はなかったけど、道中で用を足そうとしたらアルマさんがついてきたり、「見ることより見せることが快感なのはどういった理屈なのですか?」なんて質問をされたり、間違いがあっても怒らないと言っていたくせに躓いて転んだ拍子に抱きついてしまったら弓でぶん殴られたり……。
とにかく、精神的に疲れたのではやく寝てしまいたい。僕らは宿屋を探した。
それなりに大きな町だったからいくつか見繕ってよさそうなところを選ぶことにして、結局最初に選んだところにしようと引き返していたら、路地裏に人だかりを見つけた。
「なぁ~いいだろ~? ちょっとだけだからよォ~~!」
ガラの悪い男たちが5人ほど、誰かを囲んでいる。うち3人は通行人をにらみつけてちょっかいを出させない役らしい。彼らがやたらと大柄なせいでよく見えないけど、フードの男が小柄な人物の両肩を捕まえている。
「アルマさん、荷物よろしく」
荷物をその場に下ろして駆け出すと、見張りの3人がすぐに気がついた。
「おいおま」
何か工夫するでもなく腕を一振りする。3人全員が勢いをつけて壁に叩きつけられ、崩れ落ちた。完全に気絶したみたいだ。死んでなくてよかったぁ。
「な、んだてめぇ!」
残った二人のうち一人が気付き、ナイフを取り出し応戦しようとする。刃渡り30センチはあろうかという幅広のゴツいやつ。
甲高い金属音と共に振り上げた特大ナイフが何かにはじかれ、ト、ト、ト、ト、とならず者の両腕両足に矢が突き刺さった。何事かと振り返ると、アルマさんが弓を構えているのが見えた。両足を射抜かれて男が地面に倒れ、うめき声を上げる。
「さ、あんたもその手を離せ」
僕は残った一人に声をかけた。そいつは4人が倒されても無反応のまま捕まえた人物の肩に手を置いて。
「あ、が……かはっ」
違う! こいつ、両肩を抑えてるんじゃなくて、『首を絞める』ついでに押さえつけていただけだ!
「お前っ、何考えてんだ!」
僕は咄嗟に突き飛ばすけど、人を殺さないように加減した力じゃ少しよろめくだけで手を離さない。
僕の与えた衝撃に反応したのか、そいつはゆっくりと僕を見た。
その顔は、金属に青いガラス球が埋め込まれているだけの無機質なもの。
「ゴーレム!」
気付いた僕は腰のツルハシをひっつかんで思い切り振り、ゴーレムの両腕を粉々に破壊した。首絞めから解放された人物は地面に落とされ、四つんばいになって咳き込んだ。
「うぇ、げほげほっ。は、ぁーっ、はーっ……けほっ」
しゃがみこんで背中をさすってみるけど、いったいこの人はどれだけの時間首を絞められていたのかな。解放された今も苦しそうだ。
「っぁ、ありがとう、ございます……」
か細い声で礼を言われた。声と体格から少年みたいだ。
「テオさん! 彼らは明らかにただのチンピラではありません。一度ここを離れましょう」
アルマさんが「逃げるぞ」といった意味なのか、その場で走るジェスチャーをする。僕は少年を抱えると急いでその場を離れた。
安宿の二人部屋をとり、片方のベッドに少年を寝かせる。呼吸はだいぶ安定してきた。アルマさんは部屋のドア横に立ち、外に神経を尖らせている。一方僕はベッド脇の椅子に座って改めて少年を観察する。
15、6歳ってところかな。美しい銀の髪はふんわりとしていて、ランプの明かりにきらきらときらめいている。額にかいた冷や汗のせいで張り付いた髪も、また美しい魚の尾のようだ。その額を拭う手は細く白く、雪細工を思わせる。華奢な体つきに見合った人形のように整った顔には、グリーンの宝石を最高級の職人が加工したかのような瞳がついている。あごから喉、鎖骨にかけてが完璧な曲線で構成されていて、まるで美術品のような人間だと思った。
「っはぁ、……助けていただいて、ありがとうございました」
苦しげにうめきながらも、少年は上体を起こして頭を下げた。それだけの所作がしとやかで気品にあふれている。この美しさと上品さはもしかして貴族のおぼっちゃんとかなのかな。
「僕はセラフィノ・ヴァロールです。よかったら助けてくださったお二人の名前を教えてくださいませんか」
少年……つまりは男なのに、なんだか見つめられるとドキっとする。そんな妙な色気がある。
「私はアルマ、こちらはテオさんです。私たち二人はヘリオアンかワノキラへ行く旅をしています」
「すぅー、はー。 テオさんとアルマさんですね、重ね重ねありがとうございました。僕のことはセラフィノ……いえ、気軽にセラくんって呼んでください」
セラくんはお茶目にウィンクした。アルマさんは無表情だ。
「ではセラくん、彼らは何者ですか」
言われた通り気軽にセラくんって呼ぶんだ、アルマさん。
「刺客、うーん。暗殺者って言ったほうがいいのかな。正体のわからない何者かが、僕を殺すために彼らを雇ったみたいです」
「あ、そんなにかしこまらなくていいよ。呼び方もテオでいいし。それで彼らはまだ残りがいるの?」
「そう? じゃあ遠慮なく……こほん、追跡されている様子がなかったから、おそらくはこの町にはもういないはずだね。ただ、明日以降確実に何人かが送られてくるよ」
「とりあえず今日は大丈夫なんだ。じゃあもう寝よっか」
「うん、じゃあ……はいっ!」
セラくんが掛け布団をめくり、僕をベッドへ誘う。古びた布団からはなぜか花のように良い香りがした。
「テ、テオさん、あの、ベッドは二つありますからこっちを」
アルマさんが何か言いかけたのをセラくんがさえぎる。
「テオ、女の子と同じベッドはだめ。我慢して僕と寝てよ」
「あー、じゃあ俺は床で、ほら、布をしけばなんとか」
「助けてもらったのに、そんなことされたらいたたまれないよ。ほらぁ、早く」
繰り返されるセラくんの誘いをどうしていいか分からない。アルマさんに助けを求める視線を送ろうとする。
「……」
寝てるゥーーーー!
すでに片方のベッドを自分のものにして布団を被ってしまっている。
僕の袖を弱く引っ張る手になすすべなく、花畑のような香りの布団の中へ引きずりこまれてしまった。