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「わたくし側についてください。この後のわたくしの行動に関して、全面的に支援していただきたいのです」
「……聞きたくなどなかった。それに、セリウス殿下とオクタヴィア殿下――どちらが正しいかなど、わたしたちには判断がつかない」
さっき、デレクが私にした問い。私はデレクを信じたけど、エドガー様のお父様……男性には、どっちか、なんて決められなくて当たり前だ。
「わたくしを信用する必要などありません」
『黒扇』を広げ、王女らしく、微笑んでみせる。
繋がっているのは、薄い線。祖父と、一応の孫という関係性。ただでさえ拒否の姿勢を貫かれているのに、それだけで味方につけっていうのが難題だってことはわかる。第一、孫っていうなら、兄だって同じ立場だし。
「おそらく、王族というだけで、兄上もわたくしもお二人にとっては同じなのでしょう?」
「…………」
たぶん、王族と――父上との間で、過去に何かあったから。それは……二人の娘の、アイリーンという少女に関すること。
「逆を言えば、わたくしと兄上、どちらに助力するかなど些細な問題のはず」
極論は、助力以前に、どちらにも関わりたくない、だと思うから。
「では、わたくしが助力する理由をさしあげた場合は?」
「…………?」
男性が、訝しむような顔をした。
「取引をいたしましょう。お祖父様、お祖母様。王女として、お二人の望みを一つだけ叶えましょう。わたくしの可能な範囲で、ですが。望みはありますか?」
これで手応えがなかったら、最悪、エドガー様の名前を出して、ちくちくいびりますよーとか、脅す方向で行くしか。私に叶えられる望みがあって欲しい!
「もし――」
女性の、か細い声が、だけど室内に響いた。
「もし、いま、殿下をお助けしたら、本当に、望みを叶えていただけるのですか?」
男性の傍らに進み、立ったのは、夫の陰にいた、エドガー様のお母さまだ。線が細くて、エドガー様が女性だったら――ううん、絵のアイリーンさんに、似ているんだ。
「望みがあるのですね?」
「エドガーを……」
「馬鹿なことを。王族を信用するのか? アイリーンがどうなったか……!」
夫の訴えに、彼女は質問で答えを返した。
「あの子が……エドガーが、殿下たちを悪く言ったことはないでしょう?」
「それは……!」
そう、だったんだ……。エドガー様……。エドガー様にも、助けられているんだな。
エドガー様のお母さまが、私を真っすぐに見据えた。線の細さとは裏腹に、力強さを感じるぐらい。胸の前で両手を組んでいる。
「今後もし――あの子が……エドガーが窮地に陥るようなことがあれば、エドガーをお助けください」
「…………?」
言い方が、引っ掛かった。
まるで、未来で絶対にエドガー様に何かが起こる、みたいな。
「それは……エドガー様が、間違っていたとしても、なのですか?」
基本的に、助けるのは全然良いんだけど、どういうケースでも助けられるかっていうと、私も約束はできない。
ゆっくりと、彼女はかぶりを振った。
「いいえ。殿下の目から見て、エドガーが正しいと、助けたいと思った場合だけです」
――それなら。
「良いでしょう。その望み、叶えます」
断わる理由はない。
私はしっかりと頷いた。
男性は複雑そうな面持ちをしていたけど、妻と目が合うと、反対の言葉のかわりに深く息を吐き出した。
ついで、ただ観念したようにも、割り切ったようにも見える様子で、口を開いた。
「……そのご衣装では、目立ちます。亡くなった娘の……アイリーンの服をお貸ししましょう」
それを聞いて、ぐっと、込み上げたものを飲み込んだ。
もしかしたら、とは感じていた。
――エドガー様の妹さんは、やっぱり、亡くなっていたんだ。
そして、この部屋はおそらく……。
「ええ、そうね」
やんわりと微笑んだエドガー様のお母さまが、部屋の中にある、衣装入れの前まで歩き、扉を開けた。
二階にあった、部屋。私たちが入室した場所は、アイリーンさんの部屋、なんだ。土足で踏み込むような真似をしていたんだと痛感する。
部屋は、王城に慣れたオクタヴィアとしては狭く感じた。麻紀としては、親近感がわくような女の子のそれだ。まるで、いまも部屋の主が生きているかのように、保たれている。
何着かのドレスが、衣装入れから取り出された。
「あの娘だったら、喜んで協力したと思うのよ。エドガーも……昔のままなら……いえ、きっといまもね」
「昔は昔だ。もう戻らない」
夫婦の会話の中、深く、大きなため息を、エドガー様のお父様が吐いた。そう口にした心中と、そして、その言葉自体が自分にも重なって、胸が痛んだ。
否定しながら、完全に割り切れない、切り捨てられないでいることも、伝わってきたから。対象は違っても、私も、一緒だった。
エドガー様のお父様が、私たちを顧みて、淡々と告げた。
「わたしも商人の端くれです。契約は違えません。妻の望みを叶えてもらう以上、協力はいたします。他に、ご入り用のものがあればおっしゃってください」
唇を、引き結ぶ。
気持ちが引きずられちゃ駄目だ。
「では、遠慮なく」
笑って、余裕しゃくしゃくと。
そのほうが、きっと良い。
……だよね?
手順は簡単!
私がドレスから、アイリーンさんの――町娘風の服に着替える。誰かが私のドレスに着替えて、オクタヴィアに扮する。替え玉を用意することで脱出までの時間を稼ぐ!
私は店の裏口から、「遠慮なく」と言った通りに、用意してもらった馬へクリフォードと騎乗! 王女教育に乗馬が含まれていなかったのが悔やまれる。そのほうがクリフォードの負担も減ったんだけど。
とにかく、あとはエスフィア橋を通って王城へ。着いたら王女権力フル活用でヒューの捕縛を指示! シル様を救出!
以上。
「王女殿下は……ご自分でお着替えができるのですね」
かくして、私は絶賛着替え中だったりする。
男性陣には出ていってもらった。エドガー様のお母さまだけが、「大変でしょうから」と残ってくれている。
ドレスは現代服とはどうしても違うから、人に手伝ってもらうほうが着替えやすいのは確か。でも、一人でも着替えられなくはない。
クリーム色のドレスを脱いで、ティアラと髪飾りを外す。あと……これもだ。左手につけている、手袋。
「どうぞこの服を」
渡されたのは、白と薄紅色のエプロンドレス。衣装入れから出されたうちの一着。
着てみると、ほぼピッタリだった。
――あ、そうだ。これは忘れずに、と。脱いだばかりの視察用ドレスの内ポケットから、紙に包まれた剣の飾り房と、メモ用紙と鉛筆を取り出す。エプロンドレスのポケットへ。
スカート部分の生地をピンと伸ばしてみれば、完成。緩くもなく、きつくもなく。
着替え終わった私を見た彼女の目元が、微かに潤んだ。
「…………」
私は、エドガー様にも、あの絵の少女……エドガー様の妹さんにも似ていないけど、たぶん、亡くなったときの年齢は、一緒なのかな。
――思わされる。
家族を失うと、こんな風に、悲しむんだ。じゃあ……私のお父さんとお母さんも、お姉ちゃんも、辛い?
私の、麻紀の部屋も、死んだときのまま?
もし、そうだったら……嬉しいけど辛いな。
忘れて前を向いて生きていて欲しいような、悲しんで欲しくないのに、ずっと覚えていては欲しいような……自分でもどっちが良いのか、どっちであって欲しいのか、わからないや。
オクタヴィアとして生きて十六年経つのに。私の……麻紀の死と向き合ってこなかったツケ。
自然と、視線が下へ向かう。
「……どうされました?」
つと、エドガー様のお母さまが、置かれたティアラを見ているのに気づいて問いかけた。いや、というより、その脇の……?
「生花の、髪飾りなのですね」
「王族でも、生花を装飾品にしたいときはありますわ。実は、エドガー様がきっかけなのです」
「エドガーが……?」
「リーシュランの花を、髪に挿してくださいました」
かすかに、エドガー様のお母さまが微笑んだ。
改めて、私を見つめた。
「殿下には、夫が失礼をいたしました。謝罪申し上げます」
「……協力いただけたのですから、それで充分ですわ」
二人が、王族を……父上を嫌っているってことは、伝わってきたから。
「王族だからと、一括りにすべきではないと、夫も、わかってはいるんです。……わたしも」
でも、区別して考えるのって、結構大変なんだよね。
一緒くたにしてしまったほうが断然楽だもん。好きなものの場合はむしろそのほうがいい気がするけど、嫌いなものの場合は……どうなのかな。
コンコン、と扉が叩かれる。
「!」
一瞬、身構えて、
「オクタヴィア様、宜しいですか?」
「ええ……少し待って」
デレクに返事をする。
これも、用意してもらったフード付きの外套を羽織る。視察中の今日は、第一王女オクタヴィアの顔を見て、まだ記憶に新しい人がたくさんいるはず。
「いいわ」
扉が開いた。ただし、入ってきたのは、ガイとエレイル。
二人とも、まったく同じ反応をした。「え?」と大きく目を見開いた。王女がいきなり街娘になってたらまあ……だよね。
ガイたちには詳細を説明していないまま。
しないほうが良いとのデレクの判断。ガイたちが信用できないとかじゃなくて、本人たちはそのほうが楽なはずだって。ただ命令するのが一番いいらしい。命令の理由はいらない、とも。
「二人とも、そこに並んでちょうだい」
――私の替え玉になってもらう、といっても、それができる人物はごく限られている。まず体型的にも、この後の役割的にもクリフォードとデレクは無理。
必然的に、候補は仮の護衛の騎士として任務にあたってもらっている、ガイとエレイルだけになる。
この二人でも、体格的には厳しい……。ドレスが入らなくてビリビリに破れそうだなあ……。ケープで腕辺りは誤魔化せる? でもケープじゃ限界があるか。ドレスと同色の当て布やマントなんかでさらにカバーして、全身はなるべく見られないようにしないと……。
二人を上から下まで、隈なく観察する。
「…………!」
「…………!」
うーむ。身長でいうと、ガイなんだよね。体型でいうと、エレイルか……。
迷っている暇はない。よし、君に決めた!
「エレイル」
「は!」
「わたくしのドレスに着替えなさい」
脱いだクリーム色のドレスを、問答無用で押し付ける。
「――はい?」
エレイルの声が引っくり返った。
「ガイも手伝いなさい」
エレイル女装計画、これより開始!
エドガー様のお母さまの発案で、ドレスを上下に切ってしまうことにした。スカート部分は巻き付ける感じで。上は同系色の布をピンでとめて足りない部分に生地を足し、被ってもらう。靴は、ドレスで隠れるのでそのままで。
そして、銀色のかつら――雑貨店なので、物はすぐに入手できた――をエレイルの金髪の上へ。ティアラと髪飾りをさらに装着。左手にも生地が伸びまくったけど手袋OK。
右手には『黒扇』……と。広げて顔を隠す……。
「エレイル! そんな持ち方では失格よ」
零点! 私は厳しく演技指導した。
「し、しかし……レヴ鳥の……」
エレイルのドレス姿は、一応形としては、それっぽく仕上がった。
近づかれなければ……! 後ろ姿だけならそこそこ。
ただ『黒扇』の持ち方がてんで駄目。指導すればするほど、採点が零点からマイナスに下がるばかり。エレイルはレヴ鳥の羽根を使用した『黒扇』に対して、ごく一般的な感覚を持っていた模様。もはや涙目だ。
……盲点だった。これが一般的な反応なんだもんね。
妥協案……。
「どうしても無理なときはガイに預けなさい」
「ペウツ! 頼んだ」
即、『黒扇』をエレイルがガイにバトンタッチ。ここに本来の持ち主がいるんですけど……! さすがにひどくない? 『黒扇』、すごく良いんだから!
「ええっ? ちょっ」
と言いつつ、慌ててガイがキャッチしている。
ふーむ……。
「ガイは平気なのね?」
「自分の感覚はバーンと同じでありますが!」
でも持ててるし、無理矢理エレイルに持たせるよりガイかな!
「いいわ。ガイは、『黒扇』を開いてエレイルの顔を隠すようにして。貴人が付き人に扇を持たせることはあるから」
やると、こいつ女王様? 何様? 扱いされるやつだけど。致し方なし……!
「よく聞きなさい。二人とも。わたくしのかわりに視察を続けるの。デレク様が補助してくださるわ。わたくしとクリフォードの不在がしばらくの間発覚しないように努力してちょうだい」
二人が顔を見合わせる。そして、ほぼ同時に私に向き直った。
「は!」
「は!」
「頼んだわ」
ガイが、扉を開けた。エレイルが出てゆく。
私は顔だけでこちらを見たデレクと頷き合った。
あとは、予定通りに、互いの役割を実行する!
ゆっくりと、扉が閉まってゆく。
――さて。
部屋にある窓へと近づいた。引き戸を上にあげる。下を覗き込むと、クリフォードが立っていた。ここから飛び降りれば、落下点はちょうどお店の裏手。
気合いを入れるために、私はパンッ! と頬を叩いた。
フードを被って。
最後に、後ろを振り返る。
「――行ってまいります。エドガー様のお母さま」
別れのときは、呼びたい呼び方で。
お祖母様、と言うよりは、こっちの側面が私にとっては強い。
さあ、それでは。
クリフォード目指して、ダイブ!
窓の縁に立ち、思いっきり、蹴る!
「……いってらっしゃい」
小さな声が、後ろから聞こえた。




