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「と、おっしゃいますと?」
顔色一つ変えなかったアルダートンに、質問で返された。
……うん、丁寧。あくまでも丁寧なんだけど、私の被害妄想かもしれないんだけど、「何言ってんだ? こいつ」的な空気をアルダートンからビシバシ感じる。辞めたくないからこういう空気なんだったら嬉しいけど、そんな感じでもないような……。
しかし! ここで私も怯んではならない! 私の王女魂を見よ!
扇で顔をあおぐ。羽根のふわふわ最高。
「言葉の通りよ。ふと不安に思ったの。あなたが辞めてしまうのではないかって。……あなた、わたくしの護衛の任、乗り気ではなかったのでしょう?」
「まさか。そのようなことは」
アルダートンが首を振った。まあ、こんなこと普通は認めないかー。
「では、候補最終選出の際の実技試験については?」
「――殿下こそ」
青い瞳が、鋭く私を射貫いた。
「殿下こそ、何故私をお選びになったのですか?」
そりゃあ前世の秘技です! なんて口走りそうになって、言葉を呑み込んだ。
代わりに口にしたのは、
「空からのお告げよ」
だった。
うん。間違いじゃない。
「…………」
一瞬、アルダートンから一切の表情が抜けた。
……何? 禁句だった? 空からのお告げって、エスフィアではよく言うんだよ? 常套句!
エスフィアにはいろんな宗教があるけど、あがめている大元の神様は、名前は違っていても実は同一。天空神っていうの?
それを「空」にかけて、雑談でもよく使うんだって! ターヘンでも通じるよ?
「よりにもよって、空からのお告げ、ですか」
私が内心焦りまくっていると、アルダートンはくっと喉を震わせた。男くさい笑みがその整った容貌に浮かんだ。あ、ようやくアルダートンが平民出身ってのが納得できた。生まれながらの貴族が騎士になりましたっていう振る舞いしか見たことがなかったから。獰猛っていうの? 野生の獣みたいな感じ。生粋の貴族には簡単には出せない雰囲気。
「なるほど。殿下は答えて下さらないのですね」
次に口を開いたときには、もう騎士然としたものに戻っていたけど。
「あなたに辞める予定を尋ねた理由は答えるわ。――わたくしの護衛が頻繁に変わっていたことは知っている? アルダートン」
「は。承知しています」
アルダートンが律儀に頷いたのを見て、私も顎を引いた。
「この三ヶ月のあなたの働きぶりを見て、思ったの。護衛の騎士が変わるのはね……わたくし、あなたで最後にしたいわ」
決定事項よ? とばかりに言ってみせた。
アルダートンが微かに目を見開いた。
前世、漫画で読んだんだよね。交渉事は、最初は自分の希望を大きく! 値段五百円の商品を売りたいなら、客には千円と提示せよ! そこからもったいぶって値段を下げる! 最終的には六百円で着地! これぞテクニック!
私の場合、最低一ヶ月、アルダートンに護衛の騎士を続けてもらえればいいんだけど、アルダートンが内心はこの仕事を嫌がっていることを想定し、最初に生涯ずーっと、と提示! するとアルダートンは、「一生? 冗談じゃない!」という気持ちになり、そこへ、「なら一ヶ月でいいよ? でもその間、恋人ができても絶対辞めちゃダメだからね」と私が囁くという寸法よ。こうすれば、アルダートンも「一ヶ月なんて安いもんだ!」と思うようになるはず!
さて、向こうの反応やいかに!
向こう……アルダートンは、一転、何故か面白そうにしていた。唇の角度からしてきっとそう。
面白そう……。ん? 変じゃない?
でも、とりあえず好感触ってことかな? 予想と反応が違うけど、好感触ならOKOK。
「最後、ですか。無期限で殿下にお仕えしろと? ……私が」
「そうよ」
アルダートン本人が、無期限でいいんなら大歓迎。乗っかろうっと。
「恐れながら……殿下は、おそらく、そのお言葉の重さをご理解していないように思えますが」
「……そうかしら?」
それって心外。してるしてる。
「あなたを一生重用する、ということでしょう? 辞めないのならそれでいいわ」
私の返答を受けて、「それならば」とアルダートンが頭を垂れた。
「――殿下のご命令、しかと受け取りました」
私はパシンっと扇を閉じた。
「私に仕え続けるということね?」
「殿下の望む限り」
よーし、言質は取った!
前世だったら、紙に一筆書いてもらうんだけどなあ。前世の私は、両親と姉と私の四人家族で、賃貸マンション住まい。更新時期になると契約書が送られてきていた。そう、あれ、契約書! ああいうの。王女と護衛の騎士の間に契約書って別にないしなあ……。
契約書のかわり……。
私は、アルダートンがエスフィアの風習に則って、アレクに名前を教えなかったことを思い出した。伝統を重んじるってことだよね。
「嬉しいわ。――では、誓いの儀式を行いましょう?」
言ったそばから、私は扇を置いて、立ち上がっていた。
格好良く『誓いの儀式』なんて言ったけど、要はプレゼント!
主君と臣下の間で約束事を交わすとき、主君は臣下に持ち物を与え、臣下はそれを受け取る。
プレゼントしたんだから、約束守れよ? ていう脅し?
というのは冗談で、昔の臣下っていうのは、貧乏な人も多かったから、そういう儀式にかこつけて、主君が「これ、足しにしなさい」って宝石とか装備品とかあげてたんだって。臣下も、そういう心遣いは嬉しいじゃない? 一生懸命仕えます! ていう気分になるじゃない? 私はなる。物は偉大。
んー。でも、アルダートンの欲しいものがわからないなあ。
「アルダートン。あなたの欲しいものは?」
私は機嫌良く問いかけた。
「……殿下の御手に触れることをお許し下さいますか?」
「ええ、もちろん」
私はアルダートンに向き合うと、右手を差し出した。握手かなー、なんて構えていた私は、凍り付いた。
アルダートンが、私の目の前までやってきた。片膝をついた。……跪いた。恭しく私の手を取る。
「殿下に『徴』を」
その唇が、右手の甲に触れる。チリッと痛みが走った。それと体温にしては熱すぎる熱が。
「っ!」
アルダートンは、何て言った?
『殿下に徴を』
――『徴』? 『徴』ってまさか。
右手の甲に、複雑な文様が浮かんで一瞬光り、消えた。その文様は、以前王女教育の際に、書物で目にしたもの。
唇は離れたものの、跪いたまま、まだ、アルダートンは私の手を支えていた。
私の言葉を待っている。
「アルダートン……あなた、『従』だったの?」
あっさりとアルダートンは答えた。
「は。殿下はご存じかと」
「――いいえ」
一回じゃ足りない。
「いいえ。知らなかったわ」
「左様ですか。――護衛の騎士として生涯仕えよ。私は、殿下が私を『従』と知り、忠誠を捧げよ、とおっしゃっているのかと。殿下には不要でしたでしょうか」
不要とかそういうことじゃなくて!
「私ではなく、あなたの問題よ。これは……この『徴』は、あなたたち『従』にとって、大切なものでしょう?」
「ご安心を。私は『従』の中でも特殊です」
「……特殊ですって?」
「はい。殿下で『主』は二人目となります」
「――そんなことが、可能なのね」
『従』というのは、己だけの『主』を頂くことを使命とする戦闘民族のこと。『主』は、別に国王とか、王族である必要はない。ただ、彼らが『主』にと望んだ人間が、そうなる資格を得る。農民でも、商人でも、彼らの心に適うか。それが重要。
互いの合意のもとに、『従』は『主』に『徴』をつける。そうすることで、両者の間に確固たる、特別な繋がりができる。もう、私には見えなくなったし、普通、常人には『徴』は見えない。だけど、『従』は『徴』が見える。『徴』を通して、『主』の危機は『従』にも必ず伝わる。そうして、『従』は陰に日向に『主』を助ける。
『高潔の王』の世界――少なくともエスフィアには、魔法とか、そういう要素はない。ただし、その中で、唯一の不可思議な力を持つ存在が、この『従』だ。謎の多い存在でもある。
そして、『主』を定めた『従』は、『主』がどういう人間かによって、強くなるとも、弱くなるとも言われている。そんな『従』が多く住んでいたのが、ターヘン。戦争でも、活躍していた。ただ、現在では、数は、ものすごく少ない。
人間に対してたとえるのもどうかと思うけど、絶滅危惧種並。
時の権力者の間で、『従』を配下にするのがステータスだった時代もあったりした。でも、『従』は『主』を自分の意思で決める。そうなると、不興をかった『従』がどうなるかっていうと……。
ついでにいえば、私が王女教育で学んだ知識では、『従』は、生涯に一人しか『主』を定めない、というものだったんだけど。
――本物の『従』が身近にいて、既に出会っていたなんて。
しかも、私が『主』ときた。もう何も浮かんでいない手の甲を凝視してしまう。
ていうか、私、『徴』に合意したっけ?
「あなたが変わり者の『従』だということは理解したわ。でも、わたくし、『徴』に合意したかしら?」
アルダートンを思わず睨んだ。不意打ちってのがちょっと引っ掛かる。私がアルダートンが『従』だと知っていると思ってっていうの、嘘じゃないの?
「殿下は、欲しいものを私に下さろうとなさっていたのでしょう。私は殿下を『主』に定め、『徴』をつけることを欲しました」
いけませんか?
いけしゃあしゃあとアルダートンは言ってのけた。
いけないよ!
事前に訊かれていたら、私もストップかけたって! いや、結局了承したかもしれないけど、心構えってものがね?
「そう……」
ため息が出た。怒る気も失せてしまった。
まあ、実際、別に私にデメリットなんてないからなあ……。むしろ、『徴』で繋がっているから、私の危機は即座にアルダートンに伝わって駆けつけてくれるってことだし。『主』を見捨てるってことは、『従』にはない。私が望む限り護衛の騎士でいるって約束も、きちんと効力を持ったってことで。
むしろアルダートンにメリットあるの? 私が自分に対して胸を張って誇れる長所は、私が王女様だってことだけだよ! 地位だけだよ! あ、あと見た目も一応自信ある! ……『主』がへなちょこだと、『従』にも影響するんだよね?
はやまってない? アルダートン。あとで文句言われても私知らないよ!
「あなたが『従』だということは、他に誰が?」
アルダートンが私を見上げる。
「その質問には、死者も含まれますか?」
物騒! 物騒だよアルダートン!
「生きている人間だけにしてちょうだい」
「殿下お一人だけです」
「父上……陛下も知らないのね?」
うーん。ちょっと面倒な雰囲気?
「はい。そもそも、『従』とは、何か特徴を持っているわけではありませんので。自らが明かさねば、相手に悟られることはありません」
突然『徴』をつけられるとかね!
「『主』になったわたくしが、言いふらすとは思わなかったの?」
ここで、アルダートンが笑った。あの口元がちょっと歪む笑い。
「殿下の思いのままに」
「――言いふらすつもりはないわ」
当然でしょう! 黙ってればバレないなら、私は断固として黙っていよう派。
「アルダートン。あなたもわたくし以外には悟られないようになさい」
「は」
アレクなら、バレてもいいんだけど……。アレク、アルダートンを警戒してたし、さらに『従』だなんて知ったら、余計な心配かけそうだからなあ……。
「――殿下」
アルダートンに呼ばれた。
再度、今度は普通に、彼が私の右手の甲に、口づけた。
「!」
ちょっと、これってお姫様と騎士みたいじゃない? いや、実際そうなんだけど!
少し赤くなっているに違いない私に、唇を離したアルダートンが話しかけた。
「『従』は『主』を守ります。ただ、一つご注意を」
――注意?
「私は特殊な『従』です。私を扱うなら、ご覚悟を。どうぞうまくお使いください」
「……ええ。わかったわ」
アルダートン、と続けようとして。
もう、名字呼びにこだわる必要、ないんじゃない? てことに気づいた。
護衛の騎士の名前を覚えなかったのって、どうせすぐ辞めると思っていたからだし。
アルダートンの名前は、クリフォード。
今日聞いたばかりで、書類にも目を通したから、私もまだ忘れていない。
「クリフォード。……そうね。あなたを信じて、これからはクリフォードと呼ぶわ」
姓だけじゃなく、ちゃんと名前を記憶に刻む。
これからも付き合いが長くなることを信じて!
「光栄です。我が『主』」
アルダートン――もとい、クリフォードは、私が目撃した中で、一番の友好的な笑みを見せた。