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私の心理的にも、デレクを誘ったのは大正解だった。
隣に話し相手ができたことで、カルラムの木を変に意識せずに並木道を歩ける。それに、よくよく考えてみれば、私はデレクに用事があった!
「デレク様。視察が終わったら、ナイトフェロー公爵家を訪問したいのだけれど、構わないかしら?」
「我が家に……? 本邸ですか?」
本邸かあ……。あそこ、邸っていうよりもはや城だけど。ナイトフェロー公爵家の所領にある本邸のほうが、詳しいことがわかるかな? いやでも、いきなり本邸って変? おじ様に懐きまくってた時でさえ、本邸には数えるぐらいしか行ってないし……。
「おじ……ナイトフェロー公爵にお礼を言いたいの」
「それなら、別邸ですね。当分の間、王都で過ごす予定です」
「では、公爵にかわってご招待いただける?」
「構いませんが……お礼などいりませんよ。父は気にしないでしょう」
ここは気にして欲しい! 訪問の理由がなくなる……!
「公爵はお忙しい?」
「いえ。忙しくとも、オクタヴィア様がいらっしゃるのなら父は時間を作ると思いますが」
「お礼だけではないの。尋ねたいこともあるのよ」
あ、でも。言葉にしながら気づいた。訊くだけなら、ここに最適の人物がいるんだ! いま話しているデレク!
隣を歩くデレクの顔を見上げる。
「デレク様。デレク様はキルグレン公のことをご存じ?」
「…………!」
すぐに、デレクがこっちを見た。私がちょっとびっくりするぐらい。
「前々代の、ナイトフェロー公爵について、ですか?」
「ええ。わたくしから見て、大叔父にあたる方」
前代国王の弟でもある。若い頃の姿は――ルストにそっくりなはずの。
ひいては、『あの青年』と。
デレクが前に向き直り、口を開いた。
「でしたら――もしかしたら父から聞き出すのは難しいかもしれません。……すみません。まずはわたしへの質問でしたね。――いいえ。キルグレン公に関しては晩年の姿が描かれた肖像画でしか知りません。絵が飾ってあるぐらいです。本邸にも別邸にも」
晩年か……。確認したいのはその頃の姿じゃないから――。
「若い頃の絵は?」
また、デレクがこっちを振り向いた。探るような感じで、私を見つめる。でも、それは私も一緒なんだよね。知らないというわりに、反応があるんだもん。
ふう、とデレクが息を吐いた。
「……ありましたよ」
「どういうこと?」
「若い頃の絵を見た記憶はありますが、なくなっていました。ですので、探そうとしていたところです。――他の件が片付いたら」
「わたくしも、その絵をぜひ拝見したいわ」
若い頃の絵を見たことがあるってことは――ルストとそっくりだって、デレクも気づいてる? …………? 何か、変な気が……。……そうだ。おじ様は当然、ルストの顔=前々代ナイトフェロー公爵だって、気づいてる、んだよね?
互いの意図を探るように、デレクと見つめ合う。デレクは味方だと思ってるけど……私の前世が関わってくることまで話せるかどうかっていうと、また別の話。
「別邸に招待いただけるわね?」
「――わかりました。とにかく、我が家へご招待しましょう。いついらしていただいても構いません。家人には話を通しておきます」
ほっとしたそのとき、ざあっと風が吹いた。
つい、目を向けてしまう。
カルラムの木から、薄紅色の花びらが一斉に散って、目の前で舞った。
「…………」
ついに、見てしまった。カルラム並木を歩いていても、デレクと話すことに専念して、視界に入ってくる風景は見ないようにしていたのに。
薄紅色の花びらが、風が吹くごとにヒラヒラと舞う。
咲いているカルラムの木そのものを見るのは、実に数年ぶりだった。
……ああ、桜だなあ。
数年ぶりでも、感想は変わらないや。
自然と、足がカルラムの木々の立つ方向に向かってゆく。
覚えてる。はじめてカルラムの木を見つけたときは、空元気に疲れ始めていた。
だから、「これ桜だ!」って。
最初はすっごく嬉しくて……まるで、日本にいるみたいで嬉しくて。
少し顔を上げて、木だけを視界に入れてしまえば。学校帰りに通った、通学路にあった桜の木みたいで。
何度やっても、どうせ結果は変わらないのに、試したいって思ってしまう。
ちょっと、勘違いしていた。クソ忌々しい記憶と向き合って――だから、もう大丈夫だって。大丈夫なのは、正しい。自分はオクタヴィアだってわかってる。戻れないんだってことも。でもたぶん、私が長生きできて、おばあちゃんになっても、この気持ちはかわらないんだろうなあ。
たぶん、カルラムの木をこうやって見るたびに、まるで日本にいるみたいに錯覚できるときに、試してしまう。
「……オクタヴィア様」
「綺麗だわ。近くで見てみたいの」
「…………」
デレクに呼ばれたけど、私は立ち止まらず、一本のカルラムの木に近寄った。
幹に、触れる。
そこから、木を見上げた。
視界に入るのは、散る花びらと、空と、カルラムの木の枝だけ。
……綺麗。
とても、とても懐かしくて――。
どうしてだろう。少しも楽しくないのに笑ってしまった。
……同じくらい、空しくなるのも変わらない。
『桜じゃ、ないもんね』
呟いた。わかってる。
でもほら、試しちゃうんだ。
目を閉じて――。
視界が暗闇に包まれる。
開けたら――。
広がるのは、桜の花が散る光景。そう思えて、一瞬だけ期待する。諦めてはいる。それでも、もしかしたら。私、元の世界に戻れたんじゃない?
『あの青年』のことも、ぜんぶ、ぜんぶ、悪い夢だったんだ。家に帰らなきゃ!
そして期待は――桜の花以外のものを目にした瞬間に、音を耳にした瞬間に、崩れる。
それは町並み。日本ではあり得ないもの。
それは人の服装。麻紀が過ごした生活の中では誰も着ないもの。
それは音。日本語とはまったく異なる話し声。
目を閉じて、開いたら?
そこにあるのは、目を閉じる前にあったのと寸分違わない世界。『高潔の王』とよく似た世界。
――ああ、だけど。
失望は失望でも、子どもの時ほど、深くはないかも。
試すことは、きっと止められないけど――試した結果が、失敗でも、そこまで辛くない。
……変なの。
大泣きして、スッキリした後みたいな感覚がある。
おぼろげな情景が頭の中に浮かびかける。
小さい私……オクタヴィアと――。
片膝をついて、私と目線を合わせてくれた、誰か。
……何だろう、これ。
カルラムの木の前で、誰かに会ったことなんて、絶対ないのに。
「オクタヴィア様!」
強く名前を呼ばれて、振り向く。デレクの茶色の瞳には、心配の色が見える。
――平気なのにな。私は、ただカルラムの木を見ていただけだし。
デレクが、私へ伸ばしていた手をゆっくりと下ろした。
静かに、問いかけられる。
「……大丈夫ですか」
何でだろ。
私の内心を見透かされている気がした。デレクは知らないはずなのに。
「……大丈夫よ」
これは、本当。
昔は、こう答えたら真っ赤な嘘だった。
「…………」
ぐっとデレクが拳を作った。小さく笑う。
「……それなら、良いんです」
無理に作ったような笑みに見えたのが、気になった。
「デ、」
デレク様、と口にしかけた――次の瞬間。
私に聞こえたのは、音だった。反射的に目を瞑る。ドンッという音。金属音。いや、でもこれじゃ駄目だと目を開ける。
クリフォードの背中がすぐ目の前にあった。飛んできた矢を、剣で弾く。
弓矢……? 最初の音って……? カルラムの木の幹を見ると、上のほうに別の矢が突き刺さっていた。
デレクも剣を抜いて、応戦している。
襲撃だ……!
武器を持った曲者たちが近距離からは剣で、どこからか弓でも攻撃されている。
でも、ちょっと待って! 護衛の騎士の制服に、剣には金色の飾り房をつけた人物……兄の護衛の騎士が何人か、私たちを守るべき側の人間が、剣を向けて来ている。
デレクや、ヒューが応戦している敵に、味方のはずの護衛の騎士が含まれてる。
兄の護衛の騎士の中に、内通者……! そして生きた証拠!
「クリフォード、敵を生け捕りにして!」
「は」
「それから、怪我はしないで!」
無茶振りはクリフォード相手になら無問題だと私は思っています!
「……は」
角度的に、数秒ぐらい見えたクリフォードが、口元で微かに笑った。
私にできることは、慌てず怯えず、守られる!
他……。そうだ。兄は……っ?
兄より先に、ガイとエレイルを見つけた。戦いながら、私のほうに来ようとしている。あと、逃げる市民の避難誘導も。こっちはOK。
ガイはアレクのお墨付きなだけある。エレイルも出会いが出会いだったから、能力的なものはほとんど期待していなかったのに、ルストの弟なだけはある。
――兄を見つけた。私たちからちょっと離れた場所に一人だけ移動している。
戦ううちに引き離された?
「兄上……!」
兄が戦う姿を見るのは初めて。危なげない戦いぶりだけど、いかんせん、味方の裏切りで兄の周囲のほうが敵の数が多い。
「クリフォード、兄上を……!」
私を守るクリフォードの背中に声をかけた。
「第一王子なら命の心配はありません」
超冷静な声が返ってくる。現に、クリフォードは剣を右手で振るっている。余裕があるってこと。
いや、命の心配はないって、クリフォードから見ればそうであってもですね!
「命令よ!」
こういうときは、迷わないに限る。伝家の宝刀、『主』命令!
「――ご命令であれば」
敵を蹴り飛ばしたクリフォードが同時に武器を奪った。その剣を、兄を背後から襲おうとしていた曲者の腕に投げる。たぶん、やろうと思えば致命傷も与えられるんだろうけど。
兄が一瞬私たちに視線を投げる。クリフォードの手助けをきっかけに、兄は瞬く間に敵を倒した。
戦闘が続いたのは、数分間ほど。
あっという間に、襲撃犯たちは制圧された。
その中に加わっていた兄の護衛の騎士も含めて。




