86 デレク・ナイトフェローの暗躍
厄介だな、とデレクはため息をついた。
たくらみがなされていることはわかっているのに、相手が尻尾を出さない。人心も完全に掌握している。広場で薔薇の花を掴もうとしたごろつきは一人確保したが、曲者とまでは言えない。もともと犯人には信用されていない人間だったようだ。
「あーあ。殿下に髪飾りをお挿ししてあげたかったなー」
それにしても、このぼやきを聞かされるのはもう何度目だ?
「お前がさっさと引かないせいでおれが止める羽目になったんだろう」
「いや、でも、俺が薔薇を取らなかったら、最悪、雑魚だけどややヤバい奴が。ちょっとマシでも、そのややヤバい奴と美少女が殿下の御前に行くことになっていたんですよ?」
二人がけの席で、対面に座るステインが身を乗り出す。面倒臭そうにデレクは返した。
「シシィ・レウレー。彼女だけで良かっただろう」
「でもですよ、俺にも権利ってものが」
ぶつくさ文句を言っていたステインだったが、やがて飽きたようだ。
「ルスト様、うまくやってますかねー」
自分たちが滞在している飲食店から見て、隣接する建物――現在、セリウスとオクタヴィアが視察している食堂方向にデレクは目を向けた。
「……何故ルスト『様』なんだ?」
さすがに王族や仕えるナイトフェロー公爵家の者には敬称を用いるが、ステインは必要のない場面で貴族だからといって相手に『様』を使うような人間ではない。
「だってあの顔! 神々しい顔は『様』をつけなきゃでしょう!」
「顔、な」
呟き、デレクは腕を組んだ。確かに、異様に顔が整った男だ。準舞踏会ではじめて顔と名前を認識した。裏付けをし、素性もわかっている。
本人の言に偽りはなかった。ルスト・バーン。バーン子爵家の長男だ。若きウィンフェル子爵とは友人関係にある。そして、準舞踏会ではレディントン伯爵の元で動いていた。……伯爵の部下、と表するにはまた違うようだが。
『空の間』で、バーンが仮面を外したときのことをデレクは脳裏で反芻した。
――実父、レイフ・ナイトフェローの反応を。
「何も、ない」
「えー? 何もって何がですかー?」
「…………」
「デレク様って自然体で無視するから非道だと俺思いまーす。高位貴族らしい傲慢さ」
「黙れ」
「はーい」
胡乱な目つきでデレクはステインを見た。
父に疑念を持つなら、この赤毛の部下にもそれを向ける必要があるが――。ため息をつき、被った頭巾の上からデレクは頭を掻いた。
デレクは、知らなかった。いや正確には、忘れていた。過去に眠っていた記憶だったからだ。セリウスと共に、家捜しをして見つけた肖像画のことなど。
ナイトフェロー公爵家の王都にある邸宅に、飾られていてしかるべきもの。
前々代のナイトフェロー公爵、キルグレン公ルファスの、若かりし頃の肖像画。その存在を、父が知らないはずがない。忘れるはずがない。
つまり――いくら父といえど、反応を示すのが普通なのだ。
ルスト・バーンという男は、キルグレン公の孫と言われても納得するしかないほど、似ているのだから。いや、似ている度合いでいえば、孫どころではない。
だが、父は何の反応も示さなかった。
……考えられることは一つ。
反応しないように、故意に隠したのだ。反応することに不利益があったのか?
そもそも――何故、あの肖像画はほこりを被り、仕舞われていたのか。どうして、再度確認しようと肖像画を発見したはずの部屋へ赴いても、見つけられなかったのか。
「…………」
店内の出入り口から見て、死角の位置に座る自分たちのもとにまっすぐ近づいてくる人の気配を感じ、デレクは立ち上がった。特に声をかけずとも、ステインもほぼ同時に席を立っていた。
これで戦闘能力が皆無なのがいっそ信じられない、といつもデレクは思う。
異様に人の気配にさとく、逃げ足もはやい。周囲に溶け込むことも、逆に目立つことも得意なのがステインという男だ。
どうにも信じがたく、ステインが父に仕事を任されるようになった頃、一度罠に嵌めたことがある。……窮地に陥っても信じがたいほど弱かった。仮に、もしあれが演技であったのなら、ステインを尊敬してもいい。
裏口から外へ出る。
数十秒ほど遅れて、さきほどまで思い浮かべていた、絵に描かれていた人物とまったく同じ顔をしている――眼帯に隠された痣以外は――バーンが姿を現した。
――ここまでだな。
この顔……バーンについての疑問は、目下のところは優先事項ではない。
今日の目的は別だ。
問いかける。
「首尾のほうは?」
「滞りなく」
「全員、飲んだのか?」
この場合の全員とは、視察中、王族を近くで守っている護衛の騎士と兵士たちのことだった。
「はい。オクタヴィア殿下が最高の後押しをしてくださいました」
光景を思い出したのか、おかしそうにバーンが笑う。
「……あれでは、飲みたくなくとも飲むしかなかったでしょうね」
ただし、と続けた。
「効果のほどは疑問です」
デレクはかぶりを振った。
「おれが飲んだものほど強くはない。あれだと味に問題が生じる。精神力の強い者なら、多少素直になる程度だろうな。飲まされたと意識しているなら、抵抗できるだろう」
「お優しいことで」
皮肉げな物言いが癪に障る。――自覚があったからだ。捕まえたい、阻止したいと願いながら、自分は理由をつけてぬるい措置をとっている。向こうがボロをまったく出そうとしないせいもあるが――一番は、穏便に済んで欲しいとデレクが願っているからだ。
すべては、自分の勘違いであって欲しいと。
あるいは、勘違いでなくとも、犯人が途中で思い直しはしないかと。
「……ウィンフェル子爵は気づいたか?」
「さあ。私は何も言っていません。指示通り、仕込みを済ませた上で、飲物を振る舞うよう誘導しただけですので。ですが、もし気づいていたとしても、両殿下へ害がない限りは目を瞑るでしょう。次期公爵へは個人的に恩義を感じているようですよ? 人助けはするものですね」
「そうか……」
彼が何も気づかないでいてくれれば、それにこしたことはないのだが。
「――しかし、今回は、次期公爵のその優しさが裏目に出なければ良いのですが」
「ルスト様。デレク様にきっついこと言わないでくれますー? 俺、美形なら割と何でも許しちゃう性質なんですけどね?」
「何でも……殺人でも?」
「え? まあ美形なら?」
「倫理観が壊れている人間を雇用している次期公爵に同情を禁じえません」
「ルスト様に言われたくないですー。俺の読みではあんたも相当ですー。あと、美形でもデレク様をいびる奴は敵と見なします!」
「……良かったですね、次期公爵。彼は味方のようですよ」
はあ、とデレクは深いため息をついた。
「もともと、薬はついでだ。そこまで期待はしていない」
だが、心の中では期待している己を自覚する。矛盾しているなと苦い思いが胸を占めた。
「本題……もう一つの首尾のほうは?」
「末端は簡単に口を割りました。ただし、証拠は出ませんでした。証言させようにも末端はそもそも『誰か』を知らないので。かといって、上のほうに接触すると、私が間者だとバレるでしょう」
『その人間』に対して抱いていた疑念が明確となった時、最適な人材としてデレクが思い出したのが、ルスト・バーンだった。ちょうど、別邸に滞在――取り調べを受けていたのだ。そこをデレクが預かった。自分に協力することを条件に、だ。
バーンは、準舞踏会の犯人――曲者たちと繋がりがあった。間諜として潜入していた経験と知識が使える。
視察における、襲撃計画のこともバーンは知っていた。
……頓挫したはずの計画のことを。
「『誰か』によって襲撃計画が復活したのは確かなようです。視察内容の詳細も襲撃者たちは把握していましたよ。それで、どうなさいますか?」
「――何をだ」
「襲撃自体を邪魔するのかどうか、です。場所と時機は入手しました」
「いつ、どこで?」
「オクタヴィア殿下が、カルラム並木を巡る時」
「カルラム……」
呟き、思考が逸れかけた自分に気づき、デレクは首を振った。
言葉を紡ぐ。
「一部の襲撃者たちを検挙しても、意味はない。首謀者を叩けなければ」
「――つまり?」
わかっていることを、バーンが促してきたのは故意なのだろう。
「カルラム並木の襲撃は止めない」
その後に、犯人だと詳らかになるだろう。
動きも、本来の目的も判明するはずだ。
――最終的な狙いと、動機も。
だが、どうしても、デレクには想像がつかない。
その、理由が。
「デレク様。本当にそれで良いんですか?」
珍しく、ステインが食い下がってきた。普段はふざけているが、命令には基本的に従うのがステインの姿勢なのにもかかわらず。
「いやー。デレク様、心情的にはオクタヴィア殿下に危険な目に遭って欲しくないでしょ? そーいう感情に忠実にいくのも必要なのかなーって、不肖ステイン、思います!」
「私はどちらでも構いませんよ?」
「ルスト様は黙っててくださいー」
「襲撃は止めないが、見ているだけのつもりはないぞ」
「……とどのつまり?」
「おれも視察にデレク・ナイトフェローとして加わる」
疑わしそうに、すぐに痛いところをついてきたのはバーンだ。
「……可能ですか? 次期公爵とセリウス殿下の仲は良好なのでしょうか?」
『お前すら、疑わしくなってくる』
最後にセリウスと話した際、友人が漏らした言葉を思い出し、デレクは一度、目を閉じた。
「良好だと思いたいな」
広場で、外套を着、顔を隠して現れたデレクを追求せず、黙認したのだから。
――たとえ、自分の進言は退けたのだとしても。
「セリウスに拒否されたら、オクタヴィア様にお願いすることにする。それに、俺が表で動いたほうが、牽制になりそうだしな」
主犯への。
「相手が思いとどまると? 希望的観測ですね」
……本当に、癪に障る男だった。
外套を脱ぎ、上着を変えて身なりを整える。
ナイトフェロー公爵家の子息であるデレク・ナイトフェローの出来上がりだ。
どういった経緯か、視察予定の順番が変更になった。
カルラム並木をオクタヴィアたちが訪れる時間が遅くなった。しかし、その変更になった予定も、襲撃者――曲者たちに伝わっているようだ。
それに――。
「多少は、薬の効き目があったのかもしれないな」
セリウスを守る、護衛の騎士の顔ぶれが、変わっている。何が入っていたか、正確にはわからないはずだ。ただし、念のために不安要素のある『仲間』は外したのか?
「…………」
デレクは自嘲気味に笑った。
この期に及んで、間違っているのが自分であったら良いと思っていることに気づかされたからだ。
……薄紅色の花びらが、頬をくすぐる。手で、捕まえた。
カルラム並木から飛んできた、花びらだ。
「――これも、中途半端な優しさ、か」
握っていた手を開くと、風によって花びらは手の中から失せた。
花びらの行方を追うと、馬車から降りたオクタヴィアたちが歩き出そうとしているのが視界に映った。
数歩、歩を進める。
と、デレクは立ち止まった。
眉を顰める。
――化け物だな。
この距離だ。常人なら気づくはずもないが――クリフォード・アルダートン。あの男は、デレクを確かに見た。しかし、準舞踏会の時のように、剣を向ける気はないようだ。だからといって好かれているとは微塵も思わないが。
不審な素振りを一瞬でも見せれば攻撃してきそうだ。
デレクは以前、シルに質問されたとき、護衛の騎士でおさまるのには惜しい能力だとアルダートンを評したことがある。
が、それ以上だ。『空の間』であった出来事。『従』相手に圧倒したことを鑑みれば、強すぎることがいっそ問題に感じられるほどの。
そんな油断ならない男だが……少なくとも、この場における敵ではない。それだけはマシか。
「最悪の場合は、手筈通り動け」
気配を消し、潜んでいるステインへ声をかける。
そして、デレクは再び一歩を踏み出した。
視察編終了まで金・土曜日に更新予定です。
よろしくお願いします。




