80
ふう、と一息。
シシィたちと一旦別れて、『衣』の視察行事中。試着をしたりと、無防備になる時間があるため、店内は貸し切りにしてもらっている。
試着室も兼ねる個室で、一人私は長椅子に腰掛けていた。小型の暖炉には火が入り、室内を丁度良い暖かさにしている。
長椅子にはふわふわの大きなクマのぬいぐるみが置いてあった。たぶん備え付けの調度品の一つ?
触ってみるとふっかふか。前世では見たことあるけど、エスフィアでこういうぬいぐるみを見たのは初めてかも。陶器製の人形はあっても、ぬいぐるみは珍しい。
本当は欲望の赴くままぎゅっと抱きしめたいところ。……我慢。だってヒューたちの視線があるから! こういうとき、クリフォードだったら気にしないでいられるのに……!
――エスフィアの城下は東西南北に四つに分かれている。これに合わせてそれぞれに街門もある。ただ、区分けは大雑把に分けるなら二つだけ。貴族とかお金持ちが多く利用し、住んでいる、王城に一番近い北側。それ以外が主に住んでいる南側。主流に合わせてお店の傾向なんかも変わる。ちなみにセレモニーが行われた広場は王都のど真ん中。
現在、『衣』で訪問中のお店は、東街のかなり南にある。たぶん、お店が目指しているのは、貴族も庶民も利用できる服飾店。昨年の春に開店したばかりで、侍女ネットワークから私は情報をキャッチしたんだけど、ちょっとお店の位置が悪い。北か南かでいうと南側だから、貴族の客があんまり寄りつかない。でも、ある侍女が実際買ったっていう服を見せてもらったところ、品はすごく良いので注目していた店舗。
店主も割と珍しく女性で、名前はメリーナさん。年齢は三十代ぐらいかな。視察直前になって行われた再調査では、準舞踏会で主催のレディントン伯爵――ローザ様が着ていた緑色のドレスもメリーナさん作だとか。ただ、あくまでも協力、という体でメリーナさんの名前は表に出て来ていない。
店を持っていても、北街の高級服飾店の下請けも行っているみたい。才能があっても、自分で店舗経営をするのが大変なんだってことは想像がつく。エスフィアで女性がってなると、余計に。
……悩む。
ここでもカモネギ王女として振る舞おうと画策しているんだけど、メリーナさんに迷惑をかけるのは不味いよなあ……。
パッと思いついたのは、庶民用の衣服に着替えて、そのまま脱走を試みる……。試着室は、一人になりやすい。現にいま、一人になれているし。何より、窓がある。装飾という名の格子がついていて、ちょっとやそっとじゃ外れなさそうだけどね!
加えて、試着室と廊下を繋ぐ、唯一の出入り口である扉が全開なのが難点か……。
ヒュー、ガイ、エレイルの三人の姿が開け放たれた扉から丸見え。私から見えるってことは、向こうからも当然。
カモネギは諦める、か……。
ひとまずこのお店では、止めておこう。物理的に無理そうだし、やれたとしてもメリーナさんの責任問題になっちゃうもんね。いくら揺さぶりのためだって、視察に来ておいて視察先に損害を与えるのはナシ! 禁じ手!
服を見せてもらう前に、ちょっと休憩をって、熟考時間を作ったのは良いとして、肝心のカモネギ案が思い浮かばないんだもんなあ……。
あんまり迷惑をかけないように曲者が喜ぶような隙を作るのって難しい……!
肝心の曲者のほうも、それっぽい輩を全然見掛けないし……。
いまのところ、私の感覚でいうと、何事もなく視察が終わりそう。
それはそれで万々歳なんだけど、でも、せっかくだからカモネギ以外で、この時間を有意義に使いたい!
――というのも、兄が少し席を外しているから。
城から伝令鳥が兄宛に届いたんだよね。
何でも、視察中、一時間ごとに城内の様子が伝えられるようになっているらしい。伝令鳥は城下の専用の場所へ飛んでくるのでそこから回収されて兄へ、という寸法。
私は店内だし、内部の安全は確保されているってことで、兄は伝令鳥が運んで来た内容を確認中。そして――兄の目が離れているいまだからこそ、できる何か……?
ぱっと『黒扇』を開いて、お馴染みのふわふわに癒やされながら室内を見渡して――丸見えの三人に、視線を注ぐ。
あ、ガイとエレイルがビクッてなった。ヒューは別に動揺してないけど。
うーん……?
三人を眺めること数秒。何も思い浮かばな……あ、ガイ越しに店内に飾ってあるの、純白のウエディングドレスだ。いいなあ、ウエディングドレスかあ……。結婚式に関しては、エスフィアは前世の日本のチャペルでのやり方。あれをポイントだけそのまま取り入れた感じなんだよね。左手の薬指に結婚指輪で、新婦は純白のドレス。
「…………」
発作的に、ふっかふかなクマのぬいぐるみに顔を埋めて突っ伏したくなった。
それはできないので、『黒扇』をさらに顔に近づける。
私なんて、結婚どころか恋人すら……。
偽の恋人役を見つけるのにも苦労する始末……!
こうなったらやっぱり王女権力で一つ……。
黒い考えが湧き起こる。
でも相手が……。
私は三人を再び眺めた。
――ちょうど良いターゲットがいるんじゃない?
さっと私は『黒扇』を閉じた。
「ガイ、エレイル」
全開の扉方向に向かって声をかける。
「視察中の様子を見ていたのだけれど……わたくし、早い段階であなたたちそれぞれと話す機会を持つべきだと感じたの。あなたたちを指名したのはわたくしだもの」
それっぽい理由をつけて、と。
「まずガイ。あなたから。――問題ないわね? ヒュー。扉は開けておくから」
ヒューは頭を垂れたので、異論はない様子。
なのに、ガイが「えええっ? い、いいんですか?」って顔でヒューを見ている。口に出さなかったのは、かろうじて正解かな。
でも、ヒューは無慈悲だった。
「オクタヴィア殿下のご意向だ」
「は!」
敬礼をして、「失礼します……」とガイが試着室に入ってくる。
「座りなさい」
「は!」
ガイがギクシャクした動きでふんわりしている長椅子に腰掛けた。居心地悪そう。だけど、私はガイにぜひとも提案したいことがある。
ただ、誰にも聞かれたくない内容なんだよね……。
方法としては、小声で話す、ぐらい?
できれば筆談を希望したいけど……。兵士の訓練過程には座学もある。最低限のエスフィア語の読み書きの習得も入っていたはず。ガイは新兵だから……どうかな。
「ガイ。あなた読み書きはできる?」
ガチガチに緊張していたガイの顔に疑問の色が浮かび、少しだけ身体の力が抜けた。
「自分は……学習の最中です。子ども用程度の簡単な本でしたら読めます。書くほうは、自分の名前と、軍隊用語などでしたら……」
「わかったわ」
OK!
ガイは簡単な文章なら読める! 筆談もできる!
『黒扇』を一旦置く。私はドレスのポケットから、未使用のメモ用紙と鉛筆を取り出した。
鉛筆のキャップを外し、手袋でちょっと不安定だけど左手にメモ用紙を持って、サラサラと、質問ならぬ勧誘の文章を記す。
『あなた わたくしの にせのこいびとに ならない?』
これでよし!
文字を習いたてでも……エスフィア語に四苦八苦していた私でも楽勝で読めるような文になった。いける!
「これを読んでちょうだい。わたくしからの質問が書いてあるわ。他言は無用よ」
「は……」
「視察に直接関わるものではないのだけれど……とても大切なことなの」
紙を反転させた。文字の書いてある面を、ガイのほうに向ける。
「!」
ガイがくわっと目を見開いた。
「答えは、『はい』か『いいえ』でお願いね」
小机にメモ用紙と鉛筆を置く。
やりきった……。私はやりきった気持ちでいっぱいだった。
難航していた偽の恋人役探し。廊下に待機する三人を見ていた私は、ガイに目をつけたのだった。
名前は、ガイ・ペウツ。密旨を受けてアレクが出立することになったとき、新人兵士なのに伝令役を頼むぐらい我が天使な弟が目をかけている人物。それだけで私も高評価! 原作に出てくる名前ありの登場人物ではないところも加点した。
あと、見た目も良い! 顔立ちがちょっと日本人を思い出す。その上での黒目黒髪がすごーく親近感! 普通っぽいところも元女子高生としては高ポイント! 私だって美形は好きだけど、いまでは目が肥えすぎてそこらの美形よりガイのほうが好感度高い!
最後に、兵士だっていうこと。
身も蓋もないけど、貴族出身であれ平民出身であれ、王女権力が思う存分ふるえる相手!
そう。私は権力を用いて偽の恋人役をゲットすることにしたのです……!
黒さ万歳!
まあ、さすがにガイの意志を無視するわけにはいかないから、選択権は委ねました!
脈絡もなく、唐突だったのは否めないけど、時と場所を選んだところで私からの質問内容は変わらないもんね。
さあ、返答はいかにっ?
「…………」
ガイは、沈黙している。俯いた。
「………………」
膝の上で拳を作って、まだまだ沈黙している。
私はかなり期待して待った。ガイが偽の恋人役になってくれたら、お披露目問題に関しては一気に解決! 期間契約にして、ほとぼりが冷めた頃に私の責任で破局したってことにすれば……。
いくら権力乱用といえど、新たに仕事をしてもらうんだから、報酬も用意しなきゃ。ガイって欲しいものは何だろう? ある程度の便宜ならはかれるようにしようっと。
「――オクタヴィア殿下」
俯いていたガイがグッと顔をあげた。
「答えようにも、その問いだけでは、自分には判断が難しいかと……!」
一理ある。でも。
「詳しい説明は、あなたの答えが『はい』でないとしてあげられないわ」
全部包み隠さず説明するんだもんね! 共犯者になってくれてからでないと!
「いいえ」
「…………」
うん?




