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 すぐさま、私付きの侍女が部屋までやって来た。


「お呼びですか、殿下」


 私付きになって半年のサーシャは、金髪をひとまとめにして、グラマラスな体を侍女用の制服兼ドレスで包んでいる。年齢は十八歳。清楚にしているからこそ、香る色気というものが漂う。美少女というよりは美女ね。

 私が男だったら、口説いてる。


「急なのだけれど――」

 言い、サーシャの顔を見た私は、言葉を切った。


 いやあああああ!


 悲鳴をあげるところだった。


 いつにもまして、サーシャが死んだ魚のような目をしているわ! そこからさらに、放置され腐った魚の目に進化してしまっている!


 サーシャ――もとい、王城の洗礼を受けた侍女たちが、こんな目になる理由といえば、ただ一つ。


「…………サーシャ。ごめんなさいね。わたくしが急に呼んだせいで、いらぬものを目にしてしまったのかしら」

「とんでもございません。殿下のせいではないのです。……ただ、本日は、遭遇率が高かったものですから」

 ぺたぺたとサーシャが自分の顔を叩いた。顔の筋肉をほぐしているようだ。

「そうだったの……」

「はい……」


 ――最初、王城に出仕しはじめた侍女の目というのは、一様にキラキラしている。試験での登用なので、身分は様々。ここはお給料もいいし、いろいろなルートとコネも作れる。女性にとって最良の就職先。


 もちろん、恋の予感にも胸を震わせている!


 城は、平の兵士まで、容姿に優れた男性が多いものね。そして恋をする。なまじ、奴らジェントルマンだから、期待するんだよね……。

 彼、わたしに優しいわ、もしかして……脈あり? 頻繁に話し、休憩時間を見計らい、職務の傍ら、たまに差し入れなんかして……洗礼を受けていない侍女同士で、キャッキャッと盛り上がる。


 洗礼をとっくに受けた侍女たちが何も言わないのは、優しさと、自分自身の経験によるもの。


 人から聞いたところで信じられない。人は、信じたくないものは、信じない。それに、夢を見ていられるなら、見ていたほうが……。


 ところが、夢が終わる日はやってくる。

 あるとき、想い人のラブシーンやら、濡れ場やら、修羅場やらに遭遇してしまう……。


 男と男のね……。


 私のように、恋愛面においての、厳しい現実を知るのだ……。


 ライバルは女ではない! 男だと! 


 ――やがて、大半(特に、良縁を探しに来ている子)が、死んだ魚のような目をするようになる。結婚相手を探すなら、王城より、実は地方のほうが正解なんだよね……。


 恋人たちの逢瀬を目撃するたびに、侍女たちの目に宿る闇は深くなる。

 そして、死んだ魚のような目をしながらも、働き続けた侍女は超有能になる。現在の女官長なんかはその口だ。


 サーシャも、発覚の日は大泣きしてたなあ……。


「――殿下。ご用命を」

 もうこれ以上、この話をしてくれるなというサーシャの固い意志を私は感じた。

「女官長のところへ行って、わたくしの護衛の騎士……アルダートンに関する選考書類を持ってきて欲しいの。できるだけ早く」

「かしこまりました」

 一礼し、サーシャが退室した。

 すぐに彼女は戻ってきて、私はお目当てのものを入手した。


 それでは、読んでみるとしましょうか。






 クリフォード・アルダートン。

 二十五歳。約一年前、武門の名家、そして本人も武勇を誇ったアルダートン伯爵のたっての希望により、アルダートン伯爵家の養子に入る。元はターヘン出身の平民。護衛の騎士候補になったのは、アルダートン伯爵による推薦と実力の保証によるもの。ところが、候補最終選出の際の実技試験は最下位。


 アルダートンに関する書類を改めて読んだ内容をまとめると、こうなる。

 なるほど。こんなことが書いてあったのか……。


 アレクがアルダートンに対して「貴様」呼びしたりしたのは、この経歴を知っていたからなのかもしれない。


 とくに、ターヘン出身の平民ってところ。


 ターヘンは隣国カンギナと国境を接する土地で、百年ほど前まではカンギナの領土だった。エスフィアの一部になったのは、戦争があったせい。結構、えげつないことをエスフィア側はしたとか何とか。


 そのせいで、ターヘンの人々の間では反エスフィア意識が根強い、と言われている。

 私も王女教育の際に習った。「あれはもはやエスフィア人ではなく、ターヘン人と呼んでもいいかもしれません」なんて、先生もこっそり口にしていた。


 ターヘンかあ……。


『高潔の王』、ちょうどこのターヘン編に入ったところまで読んで――新刊の発売日を心待ちにしていた最中に、前世の私って死んだんだよね。

 ターヘン編で起こる事件を巡り、『オンガルヌ』っていう手がかりのキーワードが出てきて、これからどう展開するのか、ほんっとに楽しみにしてたんだよなあ……。


 そうそう、ちなみにこの『オンガルヌ』、オクタヴィアになってみて、一応意味が判明したんだよね。ある宗教での地獄の一種? その名称だった。


 そして私は思った次第です。


 ――で?


 て。


 結局、原作小説での『オンガルヌ』がなんだったのか今もって不明。他にも何か意味があるんだと思う。地獄の名称の一つと言っても、そこ、死なないと行けないしね! 私一回死んだけどね! 


 ……なんだかため息が出た。


 うーん。にしても、困ったな。

 アルダートンとの個人面談に臨む前に、少しでも彼の情報が欲しいと思ったんだけど。

 むしろ、悪い情報を見つけてしまった、ような。

 ターヘン出身ってこともそうだし。


 ……実技試験最下位のところ。


 アルダートンが最下位っていうのは、ないように思うんだよね。アルダートン伯爵が保証してるっていうんだから、能力は相当なはず。義理の息子についての触れ込みが嘘だったりしたら、伯爵自身の地位や家名にも傷が付くってことだから。

 候補は、もちろん全員強くはあったんだろうけど。でも、だからってアルダートンが最下位?


 三ヶ月護衛された身としても、考えにくいなあ。

 上位に食い込んでいるほうが自然だと思う。

 ということは。


「わざと、最下位になった……」


 これが一番しっくりくる。

 つまり、アルダートン、やる気がなかった!

 護衛の騎士になんて選ばれたくなかったから手を抜いたと。


 なのに選ばれた、と。


 ……こういうこと?


 ――コンコン、とノックの音が響いた。


「クリフォード・アルダートンです。侍女殿から、オクタヴィア殿下のご命令とうかがい参上いたしました」


 来たー!


 衝撃の事実? が判明してしまったせいで、まるでラスボスと対峙するかのごとき心持ちだわ……。


 私はごくりと唾を呑み込んだ。

 机の書類を裏返し、扇を掴む。

 この扇――持っていると手に馴染んで安心するんだよね。

 相手の視線もシャットアウトできるし。自分の表情も隠せるし。


「入室を許可するわ。どうぞ入ってちょうだい」








 アルダートンが入室する。私への非礼にならない程度に、ざっと室内に視線を巡らせ、彼はちょっと眉根を寄せた。そんな仕草も極上級なもんだから、もう明日にでも誰か(男)と結ばれてもおかしくない。

 入口付近に立ったまま、アルダートンは口を開いた。


「――殿下。失礼ですが、お付きの侍女殿はいらっしゃらないのでしょうか。私と殿下だけですか」


 そうだけど。


「…………?」


 最初、アルダートンが何を言いたいのか、私は本気でわからなかった。

 お付きの侍女殿? サーシャのことかな? 私と殿下だけ……。

 はて?


 ――ああ! わかった!


 私は思わず微笑んだ。


「問題ないわ。アルダートン」


 力強く頷いて見せる。


 なりたくなかった疑惑が濃厚とはいえ、アルダートン、さすが仕事はきっちりこなす、護衛の騎士。

 王女の私室に二人きりっていうのが、護衛の騎士としては引っ掛かったんだろうなあ。


 私は、サーシャに用意してもらっておいた茶器を使って、二人分の紅茶を入れた。卓上に陶器のカップを並べる。扇はそのときだけは手放して、一通りおもてなし体勢が整ったところで、再度手に持った。

 アルダートンは、無表情で私の動きを観察している。


「問題ない、とは?」


「あなたを信用しているからよ」


 緊急時でもないのに、未婚の男女が、王女とその護衛の騎士とはいえ――王女の私室に、二人きり。

 普通のファンタジーだったら、断じてあり得ないこと。

 王女にとって不名誉なことが起きないよう、常に目を光らせるお付きの侍女が室内に控えているもの。


 でもね――我がエスフィアの歴史が物語っている。


 王女に対しては、安心と信用がおけるのが護衛の騎士! 

 仮に、夜、一緒の寝台に入って眠っても何もないんじゃないかなって思うよ!

 いままで、王女とどうこうなった護衛の騎士は、いない!

 私が調べた限り、一人もね! 過去、護衛の騎士に恋をしていたとき、王女と騎士がくっついたケースってないの? て血眼になって文献に答えを求め、城の書庫に数日こもったからね!


 私が発見したのは、先祖の女性たちが、受け継いできたであろう赤裸々日記。

 出るわ出るわ、自分からアプローチして振られたという、ご先祖様の失恋話。なんと、裸で護衛の騎士に抱きついたという人もいた。結果? すげなく拒否されたんだって。そのページ、涙の跡がありました……。ご先祖様……!


 護衛の騎士は、難攻不落。王女には鉄の理性。


 王女は、安全。


 ……でも王子――兄はシル様がいるからないだろうけど、アレクは危ない。王子と護衛の騎士が密室に二人きりになったら、どうこうなる確率はある。それも書かれていた。本当に、私よりアレクのほうが危険。十倍ぐらい。……もっとかも。


「私を信用……ですか」

 ん? 顔は無表情ながら、皮肉っぽい感じがアルダートンの声に出てる。

「ええ」

「殿下は実に面白いことをおっしゃいますね」

 かすかな口元の歪み。鍛錬場で私が目撃したと思った、あの笑い。

「そうかしら?」


 本気ですけど!


「…………」

「…………」


 ち、沈黙が辛いです!

 こんなときは――扇の出番。私は扇をパシリと開いた。実は、私は扇にはこだわっている。一発でサッ! と開かないと。


 最初は、原作小説でのオクタヴィアが扇をいつも持っていたので、自分もそうしようかなー、と思ったのがきっかけだった。小説の描写では、高級品の真っ白い羽根の扇。

 でもそれは、ものすごーく、使い辛かった。重いし、ちょっと匂いがきついし!

 なので、私の愛用の扇は特注品。換羽期で羽根が大量に入れ替わる鳥。その羽根を使用したもの。品種としてはそこいらに飛んでる大きめの鳥なんだけど、この羽根がね、真っ黒で軽くてふわっふわっなんだよね。触り心地も抜群。なんで、商人にこれを使って特注で作って欲しいって頼んだら、「色も黒ですし……この鳥の羽根でですか? 失礼ですが、本気で?」なんて、変な顔をされた苦い過去があるんだけど、気にしない!

 開閉は一発ですぐ! それでいて、広がったらふわあ。たまに顔にくっつけて扇にスリスリしていたりする。


「座ってちょうだい。アルダートン」


 扇を開いて気持ちも落ち着いたので、私はアルダートンに向かい側の椅子をすすめてみた。紅茶だってちゃんとスタンバイしてあるのだ。私がいれたけど、別に下手ではない……と思う。王女育ちでも、これぐらいできる。お茶会やなんかがあるから。


「――は」


 アルダートンが、ようやく入口付近から動いてくれた。でも勧めた椅子には座らず、その真後ろに立つ。


「これでご容赦を」

 礼儀正しく、一礼。


 私の、親しげにして雰囲気を柔らかくしてみよう作戦、失敗!


 やっぱり、直球で切り出すしか、ないか……。

 緊張するなあ……。

 とりあえず、扇を左手に持ち替えて、視線を感じながら、右手で自分の分の紅茶を一口、と。

 喉も潤ったところで、私は顔に扇を寄せた。

 アルダートンを見上げる。


「――あなた、辞める予定はあるのかしら」


 好きな人、いたりする?




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