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「何を考えている」
私の横に立った兄は、表情は柔らかなまま、小声で詰問してくる。
「セリウス殿下ー!」
でも、第一王子たるもの、民衆からの呼びかけに応じるのも忘れていない。手をあげて笑顔を浮かべている。
「だって兄上。予定通りに視察をこなしているだけでは、揺さぶりにならないではありませんか」
そして第一王女の私も群衆へのアピールを疎かにはできない。私のほうは『黒扇』を振ってみることにした。さっきの女の子に勇気づけられたし!
「……揺さぶり?」
「ええ」
メモを確認してて思ったんだよね。曲者が狙いやすい隙を作るのも、優秀な囮としての役割なのではって。
味方にとっては、ひっじょーにやりにくい、こ、この王女、何考えてやがる! 死にたいのか! という行動も、今日の視察に限っては有効になるのでは?
「二つの考え方がありますわ。一つは、曲者たちに視察の予定が筒抜けだとする考え方。予定に合わせて、曲者たちは行動してくるでしょう。たとえば、わたくしに髪飾りを挿す予定の人間がその一味の可能性も。……であれば、曲者たちの動揺を誘えます。予定にない行動をせざるを得ないやも」
「――たとえば、お前の護衛の騎士が?」
ふっふっふ。挑発に乗ってはならない。ならない……! ふー。
身体ごとちょっと視線を巡らせて……クリフォードの姿を探す。今日、兄の護衛の騎士として私たちの近くに控えているクリフォードの濃い青い瞳を見たら、気持ちが定まった。
冷静、平静、これ大事! クリフォードというお手本がいるじゃない!
「二つ目もお聞きください。これは、曲者たちに多くの機会を与えるという考え方。わたくしが予定にない――たとえば容易く接近できる機会を作れば、曲者がやり方を変えてくるかもしれません」
つまりですね……!
「わたくしは囮として最大限の努力をしたいのですわ、兄上」
馬車の中で言ったことを、もう一度繰り返す。
曲者がどっちのパターンにしろ、揺さぶりは効果的なんだし!
でもどっちかっていうと、私は後者の考え方。曲者が襲う気をなくしそうな厳重な警備体制に、私が穴を開ける!
「何があっても守り切ってくださるとおっしゃったではありませんか?」
正確には、こうは言ってない。ただ、馬車の中で訊いたとき、兄の答えは、「無論だ」だったから!
重要なフレーズは、『何があっても』。ここにかかっている。
いまの私の行動に、許可を与えたも同然ってこと。
ただ、普通に言ったら却下される可能性大。なんで、言い方は多少はね?
「それとも、わたくしが予定を少々変えただけで、警備が崩れるのでしょうか?」
「そんなことはない」
「では、視察中の揺さぶりを続けても?」
「お前は……」
呆れたような呟き。
横目で兄の顔を見る。表情は群衆向けのもののまま。
「それが自分の身をさらに危険に晒す行為だとわかっているのか? たとえ身体的に傷つくことはなくとも、必要のなかった恐怖には晒されるかもしれない。少なくともその可能性は飛躍的に高まる」
「…………」
……あ。指摘されて、気づいた。
同時に、私に対してもこう言うぐらいなんだから、普段兄はシル様の精神面にすごく気を配っているんだろうなってことも。
恐怖……精神的なダメージとか、プレッシャー。
結果的に無事で済んでも、その過程で起こる恐怖からは逃げられないって指摘だ。曲者が現れて剣で私に攻撃してきたとして――届きすらしなかったとしても、身体スレスレの距離にまで迫るかもしれない。
そうなったら……うん。確かに怖い。
でも。
「わたくしはわたくしの護衛の騎士を信じていますもの」
最悪の事態にはならないって確信があれば、堪えられる。
で、私のそんな確信の元がクリフォード!
ここからだとさっきみたいに振り返らないと姿が見えないけど、私たち……兄の後方に控えている。
兄が顔だけをこちらに向けた。
「……理解しがたいな」
独白めいた呟きのあと、答えが返ってくる。
「好きにしろ」
やっ。
「――ただし」
ん?
「私も私なりの『揺さぶり』を行うが、構わないな?」
兄なりの『揺さぶり』? でもまあ、いま重要なのはお墨付きが出そうだってことだよね。ここは了承するところ!
ただの「はい」、じゃなくて快諾で!
「もちろんですわ。ありがとうございます」
こうして、私の視察のコンセプトに新たな要素が加わった。
名付けて、鴨が葱を背負って来る――カモネギ王女!
囮として完璧に振る舞ってみせようじゃありませんか!
普段なら絶対しないような行動も視察中に限ってはチャレンジ!
――さて、こっちの話はまとまったし、そろそろ花を蒔いた結果も出た頃かな。
眼下に広がる光景を改めて見渡す。
「…………?」
人だかりの中で、ちょっとした輪ができているところ、あの辺で何か? ヒューは既に私の側で待機しているんだけど、ガイとエレイルが輪の中にいる。
「決まったようだな」
群衆を見ながら、兄が呟いた。
――当たりの花を持った人は?
どの花にするかはヒューというか、馬車から見えた移動花屋さんのセレクトに任せた。中止になった花祭りのかわりにもなるし、揺さぶりにもなるし、一石二鳥。
そして、私が指定したのは、『赤』という花の色だけ。単純に当たりの意味で、それなら赤色かなって考え。その結果の花屋さんのセレクトは、どうやら薔薇だった模様。エスフィアっていうか、この世界にも薔薇はある。咲く季節も名前も同じ。前世であった花もそのままあるし、リーシュランやカルラムみたいに存在しない花もある。
……で、薔薇を持っている人物は一人なんだけど、私たちへと近づいて来たのは、何故か五人。うち二人はガイとエレイル。
彼らが先導しているのが――。
「ガイくん、ひど! 味方してくれたっていいじゃん!」
「俺はお前など知らん。人違いだ」
「冷た!」
ガイと、準舞踏会で会った、赤毛の……ええっと、書類に名前が書いてあったよね……そうそう! ステインだ!
ガイが超真面目な顔をして他人のフリをしているけど、この気安い様子からして知り合いっぽい?
残りの二人は――青年と少女で。
王都民がよく着る衣装に身を包んでいるけど……私の知り合いです! いや、友達!
ていうか、たぶん内心は困り切っているんだろうなって、わかる人間には丸わかりなのに、一見ではそう見えない冷たい美人系の顔立ちなシシィだ!
私のBL本文通仲間! ……まあ、シシィは腐ってはいないんだけどね! で、隣にいる青年は、シシィの婚約者のウィンフェル子爵、ヒューイ!
これまた準舞踏会で会ったばかりの二人だけど……二人とも、デート中と見た! 婚約しているし両思いなんだから二人とも思う存分ラブラブすればいいのに、子爵領だと目立ってしまうので……ってシシィが以前手紙に書いてたもんね! あとヒューイからも似た内容のが届いている。こっちは事の顛末のお礼の手紙が来たとき、おまけの近況の中に。
知り合いの少ない王都だと逆にデートしやすいのか……!
反射的に、私はヒューイに嫉妬の視線を送った。私もシシィと友達同士でお出かけしたかった……!
視線に気づいたヒューイがビシッと姿勢を正した。
「オクタヴィア殿下」
すっとエレイルが挙手し、事の次第を述べる。
「ご報告申し上げます。こちらの女性と、男性が同時に空中で花を掴まれました。しかし、女性は手を離されてしまい……おい」
声をかけられたステインが口を開いた。
「これをご覧下さい!」
笑顔で真っ赤な薔薇を掲げる。動作はとても恭しい。王族の前でも失礼に当たらない。薔薇にはちゃんと赤色のリボンも結ばれている。でも、でもね……!
聞いただけでわかった。シシィ、遠慮しちゃったんだよ、絶対……!
それで二人とも連れて来られた、と。ヒューイはシシィを心配して付き添い。あと、ヒューイはこういうときに割と譲らないから、シシィの権利を主張したいってのもありそう。
「――エレイル。ガイ。こちらの女性と男性が同時に花を手にしたのは間違いないのね?」
「は!」
「……は!」
エレイル、ガイの順番で肯定が返ってくる。ガイの間がちょっと気になるけど……。
「では」
私が口を開こうとしたとき、
「お待ちください」
第三者の声が突然、かかった。
んんんん? この声って……。
シシィたち同様、王都民が好んで身につける種類の衣服に身を包み、さらに外套……フードを被った人物が近づいてきた。
視察中にフードを被って王族に接近してくるなんて、怪しい! 怪しいんだけど!
ヒューが動きそうだったので、咄嗟に止めた。ガイやエレイルも警戒していたんで、手で制す。同様に、兄も周囲の護衛の騎士に「問題ない」と動作で示していた。
やっぱり兄もわかってるよね?
原作では、フードを被って主人公たちに接近してくる人間といえばルスト、なんだけど……この人物は明らかに違う。
つかつかと歩いてきた彼は、ステインの首根っこを掴んだ。
「――私の部下が大変失礼をいたしました。花の権利はどうぞ、そちらのお嬢さんに」
言うが早いか、ステインの手からさっと薔薇の花を取った。
どうしよう、とシシィが視線を彷徨わせる。
目が合ったので、にっこり笑って頷いてみせると、シシィも躊躇いがちに笑ってくれた。ついで、小さく頷く。
「……頂戴いたします」
「お受け取り下さい」
フードの人物が、流麗な仕草で薔薇を手渡す。
地がちょっと顔を覗かせた感じがする。フードで顔がはっきり見えなくても、だだ漏れるイケメン臭……! シシィにはヒューイがいるから効かなかったみたいだけど、シシィの近くにいた少女たちの数人が頬を染めたから! でも、少年や男性の率は少ない。庶民の間では、貴族ほどは同性愛が浸透していない、というのをちょっと実感する。
「両殿下には、お邪魔したことを深くお詫び申し上げます」
フードの人物が頭を下げる。隣のステインもそれに倣った。
こ、これ……。私が何か言ったほうか良いのかな?
ちらっと兄を見上げる。兄は無言。表情も王子スマイル続行。つまり、何を考えてるのかさっぱり。――仕方ない。
「構いません。お行きなさい」
フードの人物……もとい、明らかにデレクがステインを連れて踵を返す。
そう、あれ絶対デレクね!
ただ、正体を知らなければ、高位貴族とは思わないような出で立ちだった。
兄がお忍びでの警護参加を頼んだとか……? いや、あるいはデレクの自主警護……? あり得る!
答えが見つからないかと、二人の後ろ姿を目で追ってみる。
あ! デレクがステインに鉄拳制裁を加えた! 仰々しくステインが頭を押さえてる!
『俺も花を拾ったのに……』
『何も言われなくても譲れ! 遊びに来ているんじゃないんだぞ!』
『えー……』
私の勝手な脳内想像だとこんな会話をしてそう。
『空の間』でも感じたけど、たぶん仲良いよね?
――と、すぐに立ち直ったステインが、どこかへ大きく手を振った。
手を振った先にいるのは――二人の知り合い? デレクたちが、フードを被り外套を着た人物と合流した。その三人目は、後ろ姿しか見えない。
私の目で追えたのは、そこまでだった。




