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あ、エスフィア橋だ。
兄と向かい合って座る馬車の中、外を眺めていたら石造りの橋が見えた。外出するときは必ず渡ることになるから、結構見慣れたお馴染みの橋でもある。
王城周辺と城下を繋ぐ本命の通り道。一番交通量も多いし、橋幅もある。ウス王時代にいまの形に再建造された、と現在に伝わっている。いまの形に、というのがミソで、橋の桁が動くように改良されたんだよね。大がかりな可動橋で、かつ見た目も芸術的なんで、エスフィアの観光名所の一つとして有名。
そして――この橋を渡れば、城下はすぐ!
本日の視察の予定を再確認!
もちろん一番の目的は、クリフォードにかかった濡れ衣を晴らすこと。そのためにも、視察をしっかり進めないと!
『黒扇』を膝に置き、私はドレスから、折り畳んだ手作りメモ用紙を取り出した。前世みたいなメモ帳とかはないから、紙を小さいサイズに切ってメモ用紙風にしたもの。
公式行事に参加するときには欠かせない!
失敗しないように、式典の流れとかポイントとかスケジュールとかを書き込んで隠し持ちます!
……暗記すればいいって? ふ。
暗記しても、頭が真っ白になることってあるから! 補助アイテムは必要なのです……! まだ準舞踏会とかだったら、メモまでは用意したりしないんだけど、今日の視察は公務。それも、ただの視察じゃない。念には念を!
そのために、本日着用のクリーム色のドレスには、まったくそうとはわからない内ポケットが、ふんわりしたスカート部分についている! 取り出しも楽! 仕舞うのも楽! ちょっとしたものをドレスに入れられるってかなり最高。
いっそ普段着用ドレスに大きいポケットをつけて、『黒扇』を仕舞えるようにするのも良いかも。もしくは、小さい鞄を持ち歩いてみる……?
レヴ鳥の羽根で作った『黒扇』って、人によっては触るのも躊躇われるって知ってから、そういうのもありかなあって。
――それはともかく、メモ用紙を開いて、視察前のイメージトレーニング。
書き込んだ内容に視線を走らせる。
文字はもちろん日本語! うっかりで万が一メモ用紙をなくしたとしても、もしかしたら変な書き込みがあったりしても、私以外に読まれることはない!
「…………」
兄の物言いたげな視線をビシバシ感じるけど、イメージトレーニングを続行する。
まず……本日の視察、元々のコンセプトは、王都民の衣食住体験。
三本柱。
『衣』。優良一般店で実際に商品を見せてもらって、試着と購入。
直に流行り廃りの兆しを感じ取って、王女の感性が一番時代遅れって悲劇を防ぐ!
王室御用達の仕立屋から高級品を買えば全部一定レベルで楽だし、基本的にはこれで事足りる。だけど、それでも定期的に外のものを自分で直接見ないと何か駄目なんだよなあ……っていうのが、王女歴十六年で得た見解。
『食』。王都の食堂で食事をする! みんなが食べるものを王女も味わう、みたいな?
……思い出す。これを視察に組み込むの、すっごーーーーーーーーーーく苦労したんだっけ。やっぱり口に入れて食べるものっていうのがネックだったみたい。
普通、私は王城で食事をする。作る人物は決まっていて、食材も厳選、万が一のことがないように運ばれてくる。それを、一般食堂でどう実現するんですかって話だよね。
できればB級グルメ食べ歩きもって狙っていた私は、早々に出鼻をくじかれたのである……! ――でもね、原作では兄とシル様、お忍びのとき城下でスイーツ食べてたのにっていう気持ちもあった! なんなら原作の『妹ちゃん』もだよ? あと、やっぱり王族とそれ以外の食事ってどう違うのかなって知りたいのもあった。
……話では聞けるんだけどね。やっぱり自分で行って味わってみないと! 私は情熱をもって説得し、見事、視察に『食』を組み入れた……! 勝利。
『住』。これは実際に民家に一泊させてもらって、王都民の家族とふれ合いを……と思ったんだけど、何をどうやっても却下された。
なので、城下を散歩してみる、で妥協することになった。季節柄、カルラム並木の辺り。
ここは視察の候補に何回か入ってはいて……今回、ついに組み入れられた場所。いままでは私も避けがちだったから……。
ちょっと目を閉じて考える。
桜並木みたいな光景を目の当たりにしても、もう大丈夫、だよね?
試しに、カルラムが咲いている情景を思い浮かべてみる。
……何でだろ。
夜桜みたいな、夜に満開の花を咲かせているカルラムの木が思い浮かんだ。日中のカルラム並木を想像しようとしたのに。
確かに、夜にカルラムを見たことは実際あって、黒歴史の一つであって、まあ、だから思い浮かんじゃったのかもしれないけど、あんまり良い思い出ではないっていうか……。
そのはず、なのに、温かい感じ? 泣きたくなるような……でも、安心感がある。現実には、そんなこと……。
「?」
自問しても答えは出ない。謎が深まった。
そもそもちょっとやそっとじゃもう泣かないって決めたし!
――あ、私、昨日の朝、寝起きで泣いてたんだっけ……。う。……あれは睡眠中だからコントロール不可だったってことで、そう、ノーカウント判定で! ちゃんと意識があるときなら泣いたりしない!
……とにかく、カルラムの木を見ても大丈夫、ってことかな? うん!
少なくとも、子どもの頃みたいなことにはならないでしょう!
目をパッと開けた。
メモ用紙に書き込んである内容は、あとわずか。
以前視察したお店の再訪について。
『黒扇』を買ったお店なんだよね。いまとなっては、風評被害がなかったのか気になるところ。一応、前に視察で訪れたとき、つまりシル様の守りの指輪を発見したときは、閑古鳥が鳴いている風ではなかったと思う、けど……。
お詫びというか、商品に関しては『黒扇』の出来でそこは信頼しているので、サーシャを通してまた注文をしておいたから、その品物を受け取って――。
「それは何だ?」
顔をあげると、兄がじっと私を見つめていた。
それ……当然、このメモ用紙だよね。
「本日の予定を記したものですわ」
そういえば……兄が公の場でこういうのを使ってるの、見たことないな。
脳みその出来の違い……!
「ただの視察ではありませんから、最後の確認をしておりました。……ご覧になりますか?」
「……いいのか?」
兄は驚いた模様。
「はい」
何故か半信半疑な様子の兄にメモ用紙を渡す。
私以外に読めないから平気っていうのはあるけど、内容的には、エスフィア語で書いてあっても、兄なら別に見せても問題ない。視察のスケジュールなんて兄も知ってるし。視察中の警備に入り込んでいる間諜とかなら駄目だけどね。
メモ用紙を受け取り、日本語を目にした兄が眉を顰めた。
「これは……お前の部屋で見た文字、だな」
たぶん、私のお見舞いに来て、日記帳を拾ったときのことだ。
記された文字を見続けている兄の表情が変わった。
『今回の視察の、こんせぷと、は……?』
言葉が、零れ出る。
「!」
嘘。




