72
早起きして、視察前の衣装替え! 幸い、昨夜は、変な……自分を疑いたくなるような悪趣味な夢は見なかった。いや、本当にあれはクソ忌々しい記憶を夢に見るのとは別ベクトルで悪夢だった……。起きたときに泣いていたのも悪夢のせい――そう考えて、何故か違和感が生まれた。うーん……?
「どうぞ、殿下」
言い、サーシャが装飾盆においた髪飾りを私の前に差し出した。
ティアラと一緒に髪を飾る生花を初めて目にする。
最初はリーシュランをって単純に考えていたんだけど、城下への視察っていうことを鑑みて、季節に合っていて城下で親しまれている花をってサーシャにリクエストしてみたんだよね。――だから、いまこのときまで何の生花の髪飾りになるのか知らなかった。
『桜……?』
久しぶりに、日本語が口から漏れ出た。
サーシャが用意してくれたのは、薄紅色の花で作った髪飾りだった。桜にそっくりな、この世界では、カルラムと呼ばれる木に咲く花。違いは、咲く季節。カルラムは秋に咲く。そして咲いている期間と、花びらの形。カルラムはだいたい三十日ぐらい咲いていて、花びらの割れている箇所が二つある。
「殿下……?」
サーシャが不安げな声を出す。おっと、失敗、反応をミスってしまった。
「カルラムね。素敵だわ」
そう。実際、素敵。でも、ほんの数日前の私だったら、もっと動揺していたかもしれない。カルラムには、個人的な思い入れというか……八つ当たり的な感情を持っていたというか……。黒歴史。
カルラムが満開のときって、カルラムだけを見ていれば、日本にいるみたいな気分になれたんだ。目を閉じて、開けば、そこは――って。
子どもの頃に、恥ずかしながら、実は何回かやった!
でも、当然、目を開けて、そこにあるのはカルラムで桜ではなくて、自分の姿はオクタヴィアで、余計虚しさが募った。ものすごーくがっかりした。
だからまあ、カルラムが咲く季節は極力視界に入らないように心がけるようになった。幸い、王城にはカルラムの木は植えられていない。あるのは……私が知っているのは城下のカルラム並木と、ナイトフェロー公爵家――おじさまの家!
「このカルラムには視察が始まってから活躍してもらうわね」
王女の視察公式行事って、毎回、城下に到着後、開始前に王都民の一人から花束をもらうことになっているんだよね。この花束、実は城側で用意していて、それを民から王女へ渡してもらうっていうやらせパフォーマンス。
今回は、せっかく生花の髪飾りを着けるんだから、これを花束の代わりにすることにした次第!
カルラムの花飾りを、民の一人に髪に挿してもらおう!
「では、馬車まで私がお運びします」
装飾盆を持ったサーシャが優雅に一礼する。
「お願い」
じゃあ、後は兄が待っている城門前に集合!
そこから馬車に乗っていざ城下だ!
最後に姿見で身だしなみをチェックして衣装部屋を出よう。
――と、部屋の扉が叩かれた。マチルダが向かい、隙間から見えたのはヒューだ。現在、衣装部屋は男子禁制なのです!
短いヒューとのやり取りを終えたマチルダが私を振り向いた。
「殿下。本日、殿下のご要望で警護にあたる者たちをロバーツ様が連れて参りました」
「まあ、そうなの? 待っていたわ」
ガイとエレイル。私がリクエストした二人。せっかくだから、出発する前に顔合わせぐらいしたいってヒューに強く、強ーく、要望した甲斐があった! やっぱり兄の許可が必要だったけど、下りたみたい?
「どうぞ、入って」
「――失礼いたします」
まず入ってきたのはヒュー。護衛の騎士としての完璧なる制服姿。ただ……兄に下賜された飾り房を剣に着けていない。あの短くなっていたやつ。
「ヒュー。あなたの金糸の飾り房は?」
いま、ヒューが装備している剣についているのは、汎用の飾り房。
「本日、私はオクタヴィア殿下の護衛の騎士として城外に出ます。金糸の飾り房は、セリウス殿下を示すものですので」
そ、そこまでしなくとも。だって原作での飾り房エピソード、私知ってるからね? あ、もしかして。
「兄上に命令されたの?」
「いえ」
空振りだった。……この前言っちゃったことが効きすぎてるとか?
「金糸の飾り房に付け替えても構わないのよ?」
「お心遣い感謝いたします。ですが、お気になさらず。……私なりの、けじめです」
当人がここまで言う以上、無理矢理金糸の飾り房に戻させるわけにもいかない。
「…………」
私が黙ったのを見計らって、ヒューが扉のほうへ合図した。
ガイ・ペウツ。さらに、エレイル・バーンが入室する。
二人とも兵士なんだけど、護衛の騎士に準じた制服を着用してもらっている。実際、今日はヒューと一緒に私の身辺警護にあたってもらう予定。
ガイは――ガッチガッチに緊張しているのがわかる! 最初についこっちをじっと見て、はっと視線を逸らすとことか。……普通っぽい。わかる、わかるって握手したい気持ちになった。親近感! 私だって中身は元女子高生。本来は、ガイ……ううん、ガイくん寄りなんだよ! 何だろう、つい、ガイくんって呼びたい気持ちが! いや、ガイは年上だよね? くん呼びなんて失礼……! でも、心の中では良いかな……。
「ガイ・ペウツ。わたくしの警護を引き受けてくれてありがとう。今日はお願いね。アレクの信頼するあなたがいれば心強いわ」
主に私の精神的な味方としてよろしくお願いします!
「め、滅相もありません! 全身全霊をかけて任務にあたらせていただきます!」
私は親近感を抱きまくっているのに、ガイの緊張は増している模様。
王女の警護って、やっぱり重荷なのかな……。だよね……。おまけに急だったし。でもごめん、あなたを外すことは考えられない……!
罪悪感を振り切って、次に私はエレイルに声をかけた。
「エレイル・バーン。あなたもありがとう。先日の、鍛錬場でのことを覚えているかしら?」
「は……!」
エレイルは、目の下にクマができていた。せっかく金髪碧眼の美形なのに。でもルストとは似ていないんだよね。
「兄君はお元気?」
ルスト情報、プリーズ!
ピシリと一瞬固まったエレイルが、目を泳がせまくった上で答えた。
「あ、兄は……近いうちに、またお会いしましょう、とのことでした」
ふーむ。ルストはエレイルに伝言を頼んでいたのか……。近いうち、また……。それっていつ? いつなの? 今日とか? 違う?
でも、エレイルにこの場でこれ以上突っ込むと怪しくなるよね。
「そう。わかったわ」
私はにっこりと笑った。渾身の王女スマイル!
なのに、ガイくんもエレイルもビクっとした。……納得いかない!
「エレイル。あなたにも期待しているわ」
主にルスト情報って観点から!
「殿下、そろそろ……」
マチルダが控えめに口を開いた。
「視察に遅れてしまうわね」
集合時間は守らないと!
廊下に出ると、ちょうど、向こうから見知った顔ぶれが歩いてきた。
「シル様!」
シル様とその監視役に就任したネイサンだった。誰に監視させるか、兄もかなり悩んだみたい。本来だったらヒュー一択だったんだろうけど、私の護衛中だし、今回はネイサンたっての希望もあってシル様の監視役になったそう。
「オクタヴィア様」
足早に駆け寄ってきたシル様が微笑む。
「良かった。間に合って。視察に行かれる前に、オクタヴィア様に会いたくて……」
「大げさですわ」
ガイやエレイルから驚愕の視線を感じるけどスルー! 私とシル様がにこやかに話しているとそんなにおかしいのか……。
「わたくしより兄上の心配をするべきでは?」
「……セリウスとは先に話をしましたから」
どことなく、顔が曇っている。
「喧嘩でもなさいました?」
「喧嘩というより……意見の、絶対的な相違ですね」
はー、とシル様が息を吐く。
あいつ本当に何なんだよ、っていう風なワイルドな雰囲気をシル様が醸し出した。凜々しい。でも、原作でも振り切れるとセリウスに対して時たまこんな感じ。
「オクタヴィア様」
真剣な面持ちで、突如シル様が私を真っ正面から見つめた。
「おれはセリウスを愛しています」
うん? 私に告白されても……。兄に言えば死にそうなぐらいきっと喜ぶ。
「存じておりますが」
「でも、愛しているからって、全肯定なんてできません。セリウスだって間違えるし、もちろんおれもそうかもしれません。だから……」
シル様を見上げる。忘れがちだけど、やっぱり私よりは背が高い。
「自分が正しいと思われることを、オクタヴィア様は貫いてください」
私の味方をする、とも取れる発言。兄の耳に入れば……っていうか、確実になるよね!
というか、こんな場所で言うってことは、わざとなんだ。
今回のクリフォードへの濡れ衣の件について言っているんだろうけど……お世継ぎ問題に関しても示唆されているような気がした。
「視察の成功を祈っています」
シル様は、ただの視察ではないことを知っているし、さっきの言葉もあるから――クリフォードの無実が証明されて真犯人が捕まりますようにってことだね! 了解です、シル様!
「ええ。必ず成功させますわ」
私はシル様と微笑み合った。
――王城、城門。
六頭立ての馬車の前で、兄が私を待っていた。日の光をバックに、イケメンぶりが眩しくて悔しい。白を基調としているのは変わらないけど、衣服も視察仕様の豪華版。ただ、しいていえば、軍服っぽいデザイン。剣も装備している。
一応、公務を再開したい妹を危険から守るために同行するっていう体だからかな。
そして、そんな兄から少し離れ、馬車の周囲には、兄の護衛の騎士たちが控えている。
その中に、クリフォードの姿があった。私と目が合ったクリフォードがすっと微かに頭を垂れた。
護衛の騎士の制服姿で――金糸の飾り房を剣につけている。兄の護衛の騎士として、視察に参加しているから。
ヒュー同様、役割を演じるための小道具、だよね。
でも、それは今日だけ。
ゆっくりと、兄の待つ馬車の前まで歩みを進める。
私は黒扇をバサリと開いた。
「ごきげんよう、兄上。本日の装い、とても素敵ですわね」
間近で見ると、そんな場合じゃないのに兄のイケメンぶりに圧倒されそうになる。
「今日は私を、お前を守る騎士の一人だと思って欲しい。主役はお前だ」
「まあ……。主役にふさわしい装いができていれば良いのですが。どうでしょう?」
お伺いをたててみる。
もちろん謙遜! みんなが頑張って化粧から着付けから仕上げてくれたんだから、完璧ですよ! 自信ある!
兄が思いがけないことを訊かれた、みたいに瞬きした。長い睫毛がバシバシ動く。んで、まじまじと私を見つめた。
「…………」
数秒ほど経過する。そ、そんなに考え込まなくても。
「よく――」
よく?
「よく、似合っている。……色も、お前にはそういった色のほうが似合うと思う」
や、真面目に褒められた! ちょっと照れる。しかもこっちを見たまま言うし!
「……兄上も気に入られたようで嬉しいですわ」
私は照れ隠しに黒扇を持ち上げた。
兄との間に、ちょっとの沈黙が落ちる。
お互いに出方を窺ってる感じ?
「オクタヴィア」
でも、先に動いたのは兄のほうだった。
「――手を」
私へと、手を差し出した。
馬車へのエスコートだ。兄の大きな手へと、視線を落とす。
その途端、身体全体に武者震いのようなものが走った。
だって、この手を取ったら、その瞬間からが、始まりなんだ。
準舞踏会のときとは違う。今回、私はちゃんと、私の意志で、曲者を捕まえるための囮になる。でも、本当の目的は別にある。
私にとっては、クリフォードの濡れ衣を晴らすための、戦い。
――兄は、曲者を捕まえるって意味では同じ目的を持った味方だけど、クリフォードのことに関してはそうじゃない。敵も同然。
心して、かからなきゃ。
視線を上げ、覚悟を込めて、兄の整った顔を見る。兄は無言で私を見返した。でも、水色の瞳に宿る気迫から、依然として向こうはクリフォードが犯人だと思っているんだって伝わってきた。
黒扇を閉じて、手袋をつけた左手に軸を持ち変える。一応日ごとに改善されてはいるものの、左手は動かすとどうしても痛みが多少は生じる。
それを笑顔で押し隠して、私は差し出された兄の手に自分の右手を重ねた。
「兄妹で視察なんて、初めてのことですもの。楽しみですわ」
預けた右手を、兄が軽く握る。
「同じだ。今日という日を心待ちにしていた」
「わたくし、絶対に、良い日にするつもりです」
クリフォードの無実は証明してみせる!
私の言いたいことは、伝わったはず。
「――ああ」
兄が、挑戦的な色を面に覗かせた。
「私も、そうするつもりだ」
互いに、良い日、の意味はきっと違うけどね?
でも、そんな会話を交わしている間も、兄のエスコートは非の打ち所がない。
二人で、馬車に乗り込む。
準備が整い――やがて、号令の声がかかった。
「出発!」
王家のものであると一目瞭然の六頭立ての馬車は、そうして城下へと走り出した。
私と兄という囮を乗せて。




