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「セリウス殿下から、明日の警備体制案が届いております」
ヒューが応接机に置いた紙の束を、手に取る。
いよいよ明日が視察日。兄と私が囮となり、反王家の曲者による襲撃に対し、罠をかける。
地下牢でクリフォードに作戦のことは伝えることができた。他の牢にいた容疑者……あそこにいた兄の護衛の騎士たちの耳にも入ったはずだけど、どういう結果になるのか。
ただし、それとは別に脳裏を占めているのが――昨夜見た夢。
寝室には、エドガー様から髪に挿してもらったリーシュランの花を花瓶に入れて飾ってあった。おかげで、良い香りに包まれながら就寝した――なのに。
クソ忌々しい記憶とは全く別ベクトルで悪夢を見てしまった……。
それに、続きもあった、気がするのに……。
目覚めたら、ボロボロ泣いていたし。いつもサーシャが来る前には起きるようにしていて、ある程度身だしなみは整えていたのに――。それも今朝はできなかった。というか、クソ忌々しい記憶とか、前世の夢を見て、たまにね? ほんっとにたまーに、もう数えるぐらいなんだけど、泣いちゃってることとかあったから、朝、バレないようにしていたのに……!
今朝は、隠蔽に失敗した……。「悪い夢を見たの」って、これは正直に言うしかなかった。
サーシャたち侍女の化粧技術はもちろん完璧だし、昼食もいただいて既に午後、目の腫れは誰にも悟られていない。まあ、今日会ったの、サーシャとマチルダと他の侍女とヒューだけなんだけどね……。
本日は、明日の予定が決定された状況で兄を刺激することもないし、庭園にも行かず、自室に引きこもっている。
明日のドレスと装身具一式を選んでおいたぐらい。公式行事だから、流行よりも明るい……クリーム色が主で、スカート部分がふわっとしているドレスにしてみました。
一応、一ヶ月前からあらかじめ候補のドレスは決めてあって、改めて最終決定。
マチルダやサーシャ、侍女たちの意見を取り入れたもので、靴も同系色。『オクタヴィア』の容姿と親和性が高いチョイスかな。黒扇を持っていてもミスマッチじゃないかが少し心配だったけど、姿見で確認済。OK!
装飾品、これはつけるものが指定されていて、王女用のティアラ。だけど、当日は一緒に生花も飾ることにした。生花の髪飾りブームを目論んでいることをサーシャたちに話したらノリノリだったしね!
あと、包帯が目立つ可能性があるってことで、急遽、左手用にレースの手袋。
だから、後は明日を迎えるのみ!
――視察のことを考えるべきなのに、夢のことが気にかかる。
夢は夢。自分が考えたこととか、記憶がベースのはず。だから、あの少年が出てくる夢も、私の想像の産物。私の脳が考え出した夢なんだよ……! ショック。
何度も思い返しているから、まだ内容も鮮明だしね。あの少年って、最初に連想したのはシル様の子ども時代だけど、クリフォード、だよね……?
クリフォードに対して、あんなひどい仕打ちをする夢を編み出すとは、このポンコツ脳みそめ……! しかも子どもに対して!
はあ、と片手には紙の束を持ったまま、肘置きに肘をついて頭を抱える。
夢……だよね?
ただの、夢であって欲しい。私の脳みそが、すんごく悪趣味だってことで、ただそれだけであって欲しい。
あんなこと……現実であって欲しくないもん。
「殿下、お疲れなのでは? 休憩をとられても……」
「あ、……いいえ」
心配そうにサーシャが見ている。泣きながら起きた事件の影響で、サーシャが普段も優秀なのに三倍増しでさらに有能侍女になっている。
「サーシャの淹れてくれるいつもの紅茶が飲みたいわ。お願いできる?」
私が言ういつものとは、牛乳のたっぷり入った、とどのつまりミルクティー。
「お任せください!」
さっと礼をしたサーシャがお茶の用意を開始する。
――しっかりしないと。
よし、と改めて紙の束に向き合う。明日の警備体制について、だっけ。
ふむふむ。うーん……?
「ヒュー」
「は」
立って控えているヒューが即座に応答する。
「この案だけれど、すべて兄上が管轄する騎士や兵だけなのね」
私の護衛の騎士は一人、クリフォードだけだけど、それ以外に、外出時や、馬車に乗るときなんかに守ってくれる兵士の顔ぶれはだいたい決まっている。私直属の軍隊があるわけではないものの、第一王女用にいつも駆り出される人たちっていうのかな?
準舞踏会へ行ったときもそうだった。
「わたくしを守り慣れている人たちに同行して欲しいのだけれど」
準舞踏会への道中、あの腕の良い御者の名前だって、サーシャに聞いてもらってゲットしたんだから。スヤスヤな乗り心地を演出してくれた御者の名前はカールだって! 次回も御者として指名するって決めていたのに!
でも、カールの名前だってない。当日、馬車を操る御者の名前は違う人だ。
「準舞踏会で、殿下の警護に携わった者は、全員除外されております」
「何故?」
「殿下をお守りするという任務を遂行できなかったことにより、視察の警備体制に加えることに疑問符が生じます。また、彼らに対する万が一の精査が終了していないためです」
「だから、兄上の選んだ者だけで固めるということ?」
能力的にはどの人も問題ないんだろうけど、要するに、兄上とシル様のファンが多いってことだよね……? 兄上派は私を嫌っている人も多いし……。クリフォードだって当日は近くにいないし……味方……精神的な味方が欲しい……!
味方を求めて考える。
こういうときは……アレク! 本人は不在でも、アレクに仕える兵士で誰か……。
いる! いた!
「見知らぬ者だけに守られていては、わたくしも不安だわ。人選にアレクの兵士を加えることはできないのかしら」
「アレクシス殿下の、ですか?」
「ええ。名前は、ガイ・ペウツよ。アレクが目をかけている兵士なの」
「――承りました。セリウス殿下にお伝えいたします」
アレクが私のところへ使いとして出したくらいだもん。ガイなら信用できる! アレクへの信頼はガイへの信頼!
「しばし、失礼いたします」
兄は、私の普段の警備も強化しているようで、護衛の騎士が二人、実はヒューの助っ人として廊下に控えている。
ヒューが彼らに話を伝えに行っている間、もう一度警備体制の案に目を通してみる。
幸い……というか、原作に出てきた名前ありのキャラクターで入っているのは、ヒューだけみたい。ネイサンは今回お留守番?
ヒューが戻ってきた。
「お待たせいたしました。セリウス殿下の回答をお待ちください」
「あ、待って。もう一人、追加で加えて欲しい兵士がいるの」
「どの者でしょうか」
「エレイル・バーンという兵よ」
私がエレイルの名前を口にした途端、ヒューの顔が曇った。
「エレイル・バーン、ですか……?」
「ええ。彼もアレクに仕えているわ」
「しかし彼は、殿下へ剣を投げた者では……?」
「……よく知っているわね」
びっくりした。穏便に済ませたはずなんだけどな。
「城内に広まっているの?」
ヒューが首を振った。
「アレクシス殿下も、大事にはなさいませんでしたから。ごく狭い範囲では知っている者もいる、という程度です。セリウス殿下も把握しておられますが」
「けれど、わたくしは彼がいいの」
精神的なオアシスとして加わって欲しいのはガイ。エレイルはルストの弟だから、その辺、ちくちく訊く機会としてぜひ加えたい……!
――ミルクティーの甘い香りが漂ってくる。
「殿下。ご用意できました。どうぞ」
「ありがとう」
サーシャが置いたティーカップを口元へ運ぶ。
うん、これこそいつもの。慣れ親しんだ味。
最初は、マチルダが淹れてくれていた。私付きの侍女になると、みんなマチルダから教わる。コツを教えてほしいって頼むんだけど、みんな教えてくれないんだよね。「殿下に教えてしまったら、ご自分で淹れてしまわれるでしょう?」って。解せぬ。絶対そのほうが皆も楽なのに。
「侍女の仕事をとるべきではありません。それに、飲みたくなったときは、いつでも侍女をお呼びくださればいいんですよ」とマチルダに言われて押し負けた過去……!
まあ、実際、サーシャに淹れてもらうミルクティーは美味しい。兄のレベルアップした技術によるお茶とはまた違う味わい。
……ほっと落ち着く味。
「――オクタヴィア殿下は」
エレイルを加えるのは反対! と言われるのかと思ったら。
「セリウス殿下が変わったと思われますか?」
何、このヒューの質問。
「どういう意味、かしら」
「殿下の様子を拝見して、――昔、殿下のために、茶の淹れ方を練習していたセリウス殿下を思い出しました」
下級貴族の出身だけど、ヒューは兄とは子どもの頃からの付き合いだ。それこそ、デレクと同じくらい。ただ、やっぱり身分が違うから、デレクみたいな友人関係ではないみたいだけど。兄とデレクが親友同士でありつつ主君と臣下であるとしたら、兄とヒューは、主君と臣下の関係性のほうが強いんだと思う。
だけど、ヒューも、デレクと同じように違和感……疑問を抱いているってこと?
確かに、兄は記憶に変なところがある。それは私も垣間見た。――だけど。
「兄上は兄上よ。本質が変わったとは思わないわ。ヒューは違うの?」
「…………」
沈黙、ということは?
ヒューが剣に下げた、短い金色の飾り房が目に入った。
「わたくしに必ずしも賛同することはないわ。正直に述べてくれて構わない。それとも、個人的な感情は言えないかしら?」
「――昔といま。私には、セリウス殿下が二人いるように感じられるときがあります」
「でも、あなたはどちらの兄上にも忠誠を誓っているのでしょう?」
「はい。その通りです」
答えたヒューの漆黒の瞳に、濁りはない。澄み切った強い意思がある。……安心した。
まったく、原作にあったセリウスとヒューの信頼と忠誠に亀裂でも入っているんじゃないかって不安になっちゃったよ。ただ、ヒューの言葉はそれで終わりじゃなかった。
「ですから、昔のセリウス殿下がいまのセリウス殿下を見れば、強くお怒りになられることでしょう」
口調はよどみなく、瞳にも忠誠への揺らぎはない。
だから、その姿勢は、告げた内容と乖離していた。
「ヒュー……?」
ヒューが目を伏せた。
「エレイル・バーンを警備に追加する旨、承りました」
その日のうちに、兄からの返答がもたらされた。
私の要望通り、ガイとエレイルを視察の警備任務に就ける、と。




