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許可した手前、兄は止めることはしなかった。ゆっくりと歩を進めたシル様が、クリフォードのいる牢の前に立つ。
……どう、なんだろう。暴走していたときのこと――クリフォードと剣で打ち合っていたときのこととか、思い出せそうなのか。
鉄格子を挟んで、向かい合うクリフォードとシル様を見る兄の顔がかすかに歪む。感情を出さないように努力したものの、滲み出た模様。
シル様は緊張とも異なる、無表情にも感じられる固い顔をしていて、クリフォードは無表情で……。
――あ、れ。
この、二人……。
ふと、思った。
何となく、似てる……?
そう思ったのは、主にシル様のせい。普段は表情豊かなシル様の感情がまったく表に浮かんでいないのと、そんなシル様とクリフォードが、落ち着いた状況で、比べられる距離にいるからだ。
顔立ち、というよりは、佇まい?
それとも、二人とも――『従』だから、通じるところがある?
もし、いま、二人が兄弟だって言われたら、信じちゃいそうな……。
「……駄目みたいです」
シル様の呟きが、地下牢内に響いた。
あ……。眉を下げて、残念そうに首を振る。そして、クリフォードに頭を下げた。
「『空の間』で意識を失った後の、戦ったときのことを……アルダートン様と会えば、何か思い出せるんじゃないかと考えたんですが――」
表情豊かなシル様に戻ると、二人が似ていた、と思ったのが、錯覚だった気がしてくる。
「……すみませんでした」
たぶん、もう一度頭を下げたシル様には、見えなかった。牢のすぐ側にいる私以外には、誰も。
無表情だったクリフォードに、一瞬だけ変化があった。ものすごい、不愉快さ。それが、濃い青い瞳に宿った。
「――クリフォード」
思わず、名前を呼んでいた。私を見たクリフォードがシル様への言葉を返す。
「……バークス様に謝られるようなことではありません」
「はい、すみま……いえ」
シル様がそれ以上は言葉を紡がず、牢から離れた。
「もう、いいだろう。……行くぞ」
兄がシル様を促し、歩き出す。
でも、私はそれに続かなかった。
「兄上。少しだけわたくしに時間をください」
振り返った兄が、ため息をついてヒューに指示を出す。
「ヒューは残れ」
足音が遠ざかってゆく。
「疑われるような行動はしないわ。だから、離れていて、ヒュー」
「…………」
一応、ヒューが移動した。牢一個分ぐらい遠ざかっている。
そして、私は鉄格子ギリギリまで近づいた。
「クリフォード。大丈夫なの?」
「何が、でしょう」
すっとぼけられた!
でも、シル様が謝ったときの態度が、明らかに変だったよ!
シル様の心理は、ごく普通だと思う。クリフォードがいたから、大惨事にならなかった。王族の血がキーでも、その前段階で私がどうこうなってしまう可能性がなかったのは、クリフォードがシル様と応戦――攻撃を止めて、私を守ってくれていたから。
感謝しているし、謝りたい。
それに対して――クリフォードは、不愉快さを浮かべた。
「だって、あなた……」
そして、不愉快さ、だけじゃない。……痛み。たった一瞬だったのに、悲痛さ、みたいなものも、感じられたから。
なんて言うのか……。私がクソ忌々しい記憶を思い出すときに感じていた、傷口を掘り起こされる痛み?
もちろん、私の妄想だったら良いけど。こういうときって、当たっていたりするから……。
じっと見つめていると、珍しく、クリフォードが目を反らした。
「……お見苦しいものを、ご覧に入れました」
そう言葉を漏らす。
「見苦しくなどないわ。クリフォード、もっとわたくしに近づきなさい」
鉄格子の隙間から両手を伸ばす。背伸びをして、逃げられないように、クリフォードの頬に触れた。
「本当に、大丈夫なのね?」
理由は、訊けないし、こう訊くこと自体、余計なお世話かもしれない。だけど、私が泣いているのを隠してくれたクリフォードには、同じものを返したい。
「…………」
私と目線を合わせ直したクリフォードがしっかりと頷いた。
「はい」
この「はい」は、本物だった。
「なら良いの」
にっこりと笑う。――で、直後、私はピキーンと硬直した。
……我が両手は、クリフォードを捕まえたままなのである。両頬を、両手で挟んでいる状態なのである!
例によって例のごとく、勢いでやってしまいました……!
と、私の左手に視線をやりながらクリフォードが尋ねてきた。うん。クリフォードは平常運転だ!
「この怪我は、いつ頃治るのでしょうか?」
う。クリフォードが喋ると手のひらに感覚が伝わってくる……!
「薬をきちんと塗っていればそうかからずに治るそうよ」
「……そうかからずに。具体的な日数は?」
「それは、わたくしにもわからないわ」
「そうですか」
不満そう?
早く治れば良いと思ってくれているとか。なーんて。
私はそろそろと手を下ろした。ふう。
「殿下」
「何かしら」
クリフォードも何か言いたいことがある?
「右手を私に預けてくださいますか。――念のために」
「念のために?」
「お側でお守りできませんので。そのかわりです」
これは『主』『従』としての話?
右手を鉄格子の中へ入れる。
屈んだクリフォードが、私をヒューから隠すようにして、手の甲に口づけた。微かに『徴』の模様が浮かびあがり――発光は、上からクリフォードの手のひらで覆われた。
手が離されたときには、『徴』は消えていた。
これで、視察の日、何か起こってもすぐクリフォードが駆けつけてくれるってことかな。うーん。ファンタジー。
それと、どんどん『徴』が濃くなっているような……?
「殿下。よろしいでしょうか」
と、ヒューから声がかかった。
「少しの時間を超えているかと」
早く切り上げろってことですね。
「次に会うのは視察の日になるわ。最後に、何かあるかしら? わたくしに用意してもらいたいものや、確認したいことは?」
クリフォードには万全な状態で視察日を迎えて、無実を証明してもらいたい!
何でも言ってくださいな。
「いえ。ありません」
即答! だけど、そう言われると何かを引き出したくなるのが人間心理!
「質問も? 何でも訊いてくれて良いのよ?」
お。ちょっと反応があったような気がする。
「…………では」
何々?
「リーシュランの花を、御髪に飾られているようですが……」
これ? 私は髪飾りに手をやった。
「エドガー様に飾っていただいたの。男性の手から生花を髪に飾ってもらうと幸運が訪れるそうよ。……わたくしを励ましてくださったのね」
幸運云々の話は、クリフォードも知ってたのかな?
いや、それより、わざわざ訊いてくるってことは――。
「変、かしら?」
王女が生花なんてって意識をクリフォードが持つとは何となく考えにくいし――ドレスと合ってない? いつの間にか、髪飾りの位置が壊滅的にずれていたとか? 最悪は、私がいい気分になっていただけで、サーシャたちも兄も真実を言えなかったっていうパターン!
「そうではありません。よくお似合いです」
ほっとしたのもつかの間。
クリフォードの口から、続けて言葉が漏れ出た。
「……ただ」
……ただ?
問う意味で見つめると、クリフォードは自分でも困惑したような表情をしていた。
ちょっと眉をひそめているけど……私にっていうより、自分自身に?
「――オクタヴィア殿下」
呼ばれて、振り向くと、ヒューがおそらく「これ以上は」という意味で首を振った。
面会時間をさらに引き延ばすのは、難しい、か。
「いま行くわ」




