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エスフィアの暦は、現代日本と同じ。
一日は二十四時間。月火水木金土日で一週間。一ヶ月は約三十日。一年は十二ヶ月。
文明は、ざっくりとした近世ヨーロッパ風。
電気は通っていないけど、衣食住のレベルは高く、城の窓から見える城下は清潔。食べ物も豊富だ。ここは現代日本か! て思うような代物がある。いや、それらしい名前に変更にはなっているものの、これ、ただの抹茶白玉アイス! みたいなのとか。
日本みたいな国はこの世界に存在しないまでも、日本で出版された『高潔の王』が元なだけあって、ところどころ、融通がきいている。
……それなら、いっそ、男も妊娠出産できる薬だってあることにしてくれれば良かったのに!
とは、何度でも! 何度でも、思ってしまうけど。
ファンタジーなんだから、いいじゃない。
――私は、鍛錬場から城の慣れ親しんだ自室に戻り、くつろいでいた。
というのも、私は好きなときにいつでも城内をうろつけるわけではない。まず、十八時までには必ず自室に戻らなければならない。
夕食は、できる限り、家族全員で十九時から。
二十一時には入浴。就寝は二十二時。起床は六時――。
王女のタイムスケジュールはきっちり決まっている。兄やアレク、父上なんかもそう。それぞれタイムスケジュールは違うけど。
「……とりあえず、一人。目処がついたと思っていいのかな」
お気に入りの椅子に腰掛けて、呟いた。
鍛錬場では、アクシデントのおかげで、ちょっとした収穫があった。
こうして自室で心穏やかにしていられるのもそのおかげだ。
アクシデント――まず、どっかから私目がけて飛んできた剣を、アルダートンが早業で叩き落とした。私は怪我をしなかったけど、その場の空気が凍った。
――王女暗殺か? てね。
実際のところは……ドジっこ兵士が、剣を抜こうとして、あらぬ方向へすっ飛ばしたという顛末でした!
アレクに名乗り出ろと言われて、数メートル走っただけなのに、二回も転ぶなんて、あれはドジっ子としか思えない。
仮にそうでなかったとしても――事故にしろ、故意にしろ、とりあえず、暗殺未遂扱いは行き過ぎな感じ。自分が怪我をしなかったらいえるんだけどね!
でも、そんな彼が、バーン子爵家の人間だというのは、ラッキーだった。
もう名前を聞いたとき、ピカーンと閃いたもの。
そのとき、思い出した。
『高潔の王』に登場する、バーン子爵家の、ルスト・バーン。二十六歳のことを。
彼は、偽装の恋人を頼む相手として、とてもいい人材だと!
恋人役を誰に頼むか――もとい、誰に頼めば快く、禍根なく! 引き受けてもらえそうか。
いろいろ、私も考えてみたのよね。
兄たちには信者……仲間がたくさんいる。
シル様と兄を応援する会。奴らのために一肌脱いでやるぜ? そんな感じ。
主人公側が善なわけで、その勢力に与する人たちだ。男同士のカップルは当然。シル様に密かに思いを寄せる当て馬。シル様と兄の間に争いの種を蒔く、嫉妬要員。いずれもイケメン多彩です!
そして私は軽く絶望した次第です。
シル様たち側の殿方は……無理だわ。
――となると、原作で敵として描かれていたほう。狙い目はそこ!
彼らに取引として恋人偽装を持ちかける。これしかない。
兄の敵として立ちはだかってくる貴族――年齢がおじさまの域を超えている人が大半だから、その息子とか! その息子の派閥周辺とか!
では、どんな人たちが、兄に批判的か?
これは、上流階級に男同士の恋愛が蔓延しているのに、どうやって貴族は血筋を繋いでいるのか? という問題とも関連している。
貴族もエスフィア王家を倣っているのか?
……ちょっと違う。
まあ、倣っているところもあるんだけど、みんながみんな、養子縁組という名の同性婚をするわけじゃないのだ。
たとえば、やっぱり貴族の長男が男と結ばれると、冷静になれ、と諭す人もいる。
でも、別れろ! じゃないあたり、やはりここはBLの世界なのです……!
じゃあ、どう諭すか。具体的な内容は?
恋愛は愛する男性と、結婚は女性としなさい! となる。
一応、妻をないがしろにしてはいけない、という暗黙の了解もある。
でも、夫の意識としては、正妻は男のほうだから、家庭環境めったくそなところが多いんだよね、実際。
だ・か・ら!
ふっつーの、男女カップルが恋愛して結婚した夫婦なんて見掛けた日には、もう……私の好感度が急上昇。もしまだ想い合っている段階なら、それこそ王女権力でどんどん応援しちゃう!
一回、やりすぎちゃったこともあったなあ……。
――それはともかく、子どもを作るために、結婚は女性としている貴族も多い。
なので、ここに貴族の二大派閥が発生する。
愛する男性との愛を貫いて、子どもは養子を(親戚や姉妹からが一番多いケース。他人からの場合もある。これは、才能ある血統から、とかね)もらい、血筋を繋いだ純愛貴族派。
愛しているのは男性だけれど、結婚は女性とし、対外的に恋人の男性は愛人として囲っています、不倫貴族派。
冗談みたいだけど、本当。これが理由で、本当に派閥ができている。
繰り返したいから繰り返そうかな。
他の理由でも派閥はあるけど、この問題で、マジで貴族たちは二分されています!
ちなみに、数では負けるけど、勢いがあるのは純愛貴族派。制度上、一夫多妻は公的に許されていないし、現国王の父上も、愛する男性と結婚した人だしね。
前世だったら、私も断然純愛貴族派だった。
今世では、オクタヴィアの観点からすると――愛する男性とは苦渋の決断をして別れ、女性と結婚し、結婚からその女性との愛をゆっくりと育んだよ派です!
なんと、そんなナイスミドル貴族がいたのだ! その名も、ナイトフェロー公爵。惜しいかな、その息子は、純愛貴族派っぽいんだけどね……。兄の友達なんだよね……。公爵の思想は、子に受け継がれなかった。
えーっと、まとめると、エスフィアでは純愛貴族派と、不倫貴族派と、その他(ナイトフェロー公爵や、最初から女性が好きで結婚した殿方ね)がいる。
原作でも、純愛貴族派がメインで、彼らがシル様たちの味方。不倫貴族派は、全員が敵とまではいかないものの、あまり良く思われていない描き方だったし、実際のエスフィアの風潮としてもそう。女としても、不倫貴族派には、実質こっちが愛人かよ! ともやもやはする。
――しかし、王女として私は言いたい。
彼らには良いところもあるのだ!
王族の同性婚に批判的であること! そりゃあね、自分たちは義務のために女性と結婚した人たちだからね。兄とシル様がラブラブなのは目を瞑るとしても、女とやることはやれよ! てチクチク言うんだよね。
それが今後の跡継ぎ問題に発展してゆくんだけどね!
なので――兄の陣営に属さず、かつ不倫貴族派。正解はここでしょ。彼らの中の、年齢が釣り合う誰かに、恋人役を頼もう! そうしよう!
……なんて、考えたまでは、良かった。
すぐ、私は壁に突き当たった。
……適齢期の、不倫貴族派の殿方は、あらかた売れてしまっているという事実に!
そりゃそうだよね……。女性と結婚するという選択をする人たちなのだから。
あるいは、いても、気軽に会えるような親しさの人はいない。こっそり会って、恋人偽装よろしくね! なんて頼めそうな人なんて……。むしろ一人も……。
でも、ドジっ子兵士が、縁を運んできてくれた!
ルスト・バーン。
彼は、不倫貴族派でありながら、二十六歳にしていまだ独身であり、かつ私の兄とも後に敵対関係になり、かつ、故あっていまは身を隠しているというサブキャラクター。物語を通して要所で出てくる。
バーン子爵家では、ルストの存在は腫れ物扱い。でも、小説によれば、彼の弟のエレイルはルストと連絡を取り合っている。
そんなわけで、私は渡りに船と、鍛錬場で、エレイルにルストへの繋ぎを頼んだ。
が、直後に、アレクから、どんなお願いをしたのかって追求されときは、焦った。
言えるわけがない。
名案が思い浮かばなくて、結局、「秘密」でうやむやに誤魔化してしまった。
後から思ったんだけど、「秘密」、とかいうと、変に意味深だよね……。
返答のチョイスを間違えた気がする。大丈夫かな……。
……ともかく、エレイルは了承してくれたので、近いうちに、ルスト・バーンに関しての手紙が私の元へ届くはず。直に対面して、交渉へと進めるつもり。
でも――。
私は気を引き締めた。
まったく、なんっにも、あてがない状況で、ルストという希望の星が見えたわけだけど、安心しちゃ駄目だと思う。……ルストとの交渉がうまくいくのかは別問題。
なので、次の手は打つ!
他でも、偽装の恋人を引き受けてくれそうな候補を捜して、精力的に動き回らないと……。不倫貴族派が多く出ている内輪の集会や、招待状が来ても断っていた、貴族主催の準舞踏会にも出席……。
「動く……?」
あれ?
ここで、私は重要なことに気づいてしまった。
護衛の騎士がまた代わりでもしたら、私、身動きがとれなくなるのでは……?
最短で一週間。平均二週間。最長三ヶ月。
護衛候補の選出もそうだし、決定しても、人によっては就任まで日があくこともある。
交替人事は時間がかかる。
その間、私が王城の外に行くことは絶対無理。王城内の移動も制限される。
というのも、正式な護衛の騎士が不在の間は、他から代理騎士がやってきて、兼任で私の護衛を務めることになるから。いわばパートタイマー護衛。彼らが複数交替で私の護衛任務につく。
が、安全面から、新たな護衛の騎士が決まるまで、私は行動の自粛が求められる。
――そして、私の護衛の騎士は、頻繁に代わる。
いままではそんなものだと慣れっこだった。――いまばかりは、交替されたら困る。
何度も何度も何度も、身動きが取れない期間を体験してきたから、わかる。
いま、アルダートンに(今日初めて名前を知ったけど)辞められたら――交替人事期間に突入し、出会いを求めて動くなんて到底無理になってしまう。
「…………」
アルダートンの顔を脳裏に思い浮かべてみる。うう。どう考えてもまだ誰ともくっついていないのが奇跡!
ぷるぷると私は首を振った。
今度は、護衛の騎士に就任してからの彼の様子を思い返してみた。
私から見た、これまでの仕事ぶりからは、辞めそうな気配、もとい、アルダートンが誰かと運命の恋に落ちているような感じはしないけど……護衛の騎士の交替はある日突然やってくるもの。
それとなく――探りをいれてみる?
ううん。こうなったら恥も外聞もかな繰り捨てなくては……!
辞める予定は? て訊こう。
もしそんな予定があったら、最低でも一ヶ月はどんなことがあっても辞めないでって直談判しよう。そうしよう。
そうと決まれば善は急げ。
私は呼び鈴を鳴らした。