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男性の手から女性の髪に花をさすと幸運が訪れる――。
この由来を知っている侍女がいた。サーシャの後輩で、さっき、私が気合いを入れるために普段着用ドレスからよそ行き用ドレスに着替えたとき、手伝いに入ってくれた新人侍女のミラ。
ミラ情報により、かなりの効果があると判明した!
もともとは、市井で父親や兄弟から娘や姉妹へ、女性が結婚で家を離れるときに彼女に幸運が降り注ぎますようにって意味で、髪に花をさしたことが始まりだったらしい。
その過程でどんどん範囲が広まって、家族関係なしに、男性から女性の髪へ、に変化し、家族間で願掛けのように使われる――娘が難しい試験を受けるときとか――こともあれば、男性がお目当ての女性への告白や求婚の際に使われることもあるとか。
ミラは、試験選抜を突破して侍女になったんだけど、試験前にお兄さんからこの花飾りの激励を受けたそうな。しかも、ミラの周囲にいる平民出身の侍女では、家族からこの花飾りを髪にさしてもらった子の合格率、なんと百パーセント!
これは……私もあやかるしかない!
エドガー様にさしてもらったリーシュランの花は髪に飾ったままにして、ぜひとも幸運を味方につけたいところ!
だって!
「よく来た。オクタヴィア」
「お招きありがとうございます。兄上」
兄に向かって一礼する。
私は兄の自室を訪れているのである!
「兄上。クリフォードを怪しんでいるなら、現行犯で捕まえたらいかが?」作戦を兄に伝え、半日が過ぎていた。
その半日の間に、父上が『空の間』で発見された本物の王冠のことを国民へ緊急告知するという一大イベントがあったりしたけど、私はというと自室で過ごしていた。
そういうことがあるよっていう事前連絡はあったものの、出席ならず。
まあでも、今回のでいうと、出席しなかったのは私だけじゃなくて、兄やエドガー様も。
父上の希望で、父上――王族では国王だけで執り行うことになったみたい。
一人での夕食を終えて、空き時間のできたマチルダから一大イベントの様子を聞いていたところ、兄からの返答が来た。
その内容は、兄の自室への招待。
直接会って話そう、ということ。
つまり、私にとっては作戦が作戦倒れに終わらないための最後の一勝負タイム!
身だしなみも調えましょう!
よそ行きドレスは――まあ、普段着ドレスに近い感じではあるんだけど、ちょっと大人っぽいデザインと色合いのものをチョイスしてみました!
もちろん防御に使える黒扇も携えております!
――と、自ら私を室内へ招き入れた兄が、もの言いたげな顔をした。水色の瞳は、明らかに私の髪を飾るリーシュランの花に注目している。
自分から言ってみるのもありかな。
花に触れ、私は話題に出してみた。
「兄上はリーシュランの花をご存じですか? これは、今朝エドガー様に髪にさしていただいたのです」
「エドガー様がか?」
思案するような表情になった兄に問いかける。
「おかしいでしょうか?」
すると、兄はかぶりを振った。
「……いや、おかしくは、ない。その様子だと、気に入ったようだな」
わかる? わかる?
「はい。まだ身につけているほどですもの」
王女スマイルを浮かべるまでもなく笑顔が出た。
生花の髪飾りブームを貴族階級にも巻き起こしたい勢い! レヴ鳥の羽根グッズには構えてしまう人でも、こっちは受け入れやすいと思うんだよね!
「……座って楽にしてくれ」
「では、お言葉に甘えます」
長話……にならないといいんだけどなあ。
言われた通り、座る。王族仕様のゆったりとした座り心地の良い長椅子は、弾力性があってちょっとした昼寝にも使える広さ。歴代の王子の中には、エロいことに利用していた人がいたなんてケースも……。
そうそう、ご先祖様が残した日記にはそんなことも書いてあ――。
!
まさか……この長椅子?
いやいやいや。変な想像は止そう。身内で三次元が対象だと、私の腐女子魂も「キャー!」とは黄色い声をあげられません。二次元だったら推奨なんだけどなあ……。
頭を切り替えて兄のほうを見る。
兄は自ら陶器のティーポットを持ち、お茶を入れていた。エスフィアの定番のお茶といえば紅茶。明るい橙色の液体がティーカップに注がれる。
……見ればわかることを、念のため。
「兄上が、淹れられるのですか?」
「そうだが?」
何か問題でも? 言外にそんな質問が続いている気がする。
ないけどある。
いや、飲めばいいんだよね……飲めば……。
断るっていうのは、状況的にしづらい。
覚悟を決めて、お茶を待つ間、手持ち無沙汰なあまり、ついキョロキョロしたくなってしまう。子どもの頃は、お菓子を餌に誘われて結構入った部屋ではあるんだけど、成長してからは兄の自室に行く機会なんて滅多になくなっていた。用件があるときは、だいたい執務室だったし。
兄の部屋は、品が良いって感じ。あと機能的。機能的過ぎてやや冷たい雰囲気も漂っている。部屋にいると緊張する的な?
私も緊張はしている。ただし、私には花飾りによる幸運が……ううん、あえてこう言おう。
エドガー様のご加護がついていると!
実際、そう考えたらちょっと落ち着いた。部屋を観察する余裕が戻ってくる。
兄の自室には――視界の及ぶ範囲では、護衛の騎士の姿がない。
廊下に全員出ていたんだよね。兄がそう命令したんだと思う。
一時期的に私の護衛になっているヒューも室内にはいない。ここに来るまでは一緒だったけど、廊下で待機している。
「人払いを徹底しなくてはならないようなお話なのですね」
紅茶が注がれたティーカップを両手に持った兄が、片方を私の前に置いた。
「お前からの内密の作戦の話だからな」
私の対面に座ると、足を組み、自分の分のティーカップを口に運ぶ。
その様子をつぶさに私は見守った。
よし……。本人が涼しい顔で飲んでいるんだから、きっと昔よりは……。
空腹は最高の調味料っていうのと同じ。
この際飲める味であれば! 会話するためにも喉に潤いを!
覚悟を決め、喉が渇いていたこともあって、期待はせずに一口、飲んだ。
「!」
飲んで、驚愕した。
美・味・し・い!
私が入れるのより断然美味しい!
子供の頃はクッソ不味い紅茶を淹れてきて、なにこれ嫌がらせっ? て思ったぐらいだったのに!
原作小説では描かれていなかった、完璧超人なセリウス――兄の、意外な苦手分野。
それは、お茶を淹れるのが壊滅的に下手だということ。
中身は十八歳だったといえど、ポーカーフェイスを保つのに苦労したのなんの……。もういっそ逆方向の才能なのかと思ったほどの、兄が淹れたお茶が、美味しい……? あれが、こうなるの? 何事?
「兄上……」
なんとも言えない表情でこちらを見ていた兄に私は感想を伝えた。
「紅茶を淹れる技術が、上達されたのですね……」
感動した!
「何を言うのかと思えば……」
私の大いなる感動をよそに、兄は眉をひそめている。
「わたくしから申し上げたことはありませんし、いまだからお伝えできますが、以前の兄上の淹れるお茶の味はお世辞にも……」
デレクなんて、兄が紅茶を淹れる気配を感じるとさっと姿を消してたもんね!
当時の兄も、自分で淹れた紅茶を飲んでいればすぐに気づけたんだろうけど、おもてなしの心ってやつで、招いた人には自分で淹れたものを出すというスタンス。自分の分は用意されたものを飲んでいた。
「……ああ。お前が無表情に飲んでいたから、俺もさすがに気づいたんだ。それで、いろいろな人間を捕まえては淹れ方を習って……。…………?」
言葉が、止まる。
こめかみをおさえた兄が、頭を振った。ため息をつく。
「……すまない。どうでもいい話だったな」
「いえ……」
どちらかというと、そんなことをしてくれていたんだっていう複雑な気持ちと……。
この反応、私の部屋での時と、似てる……?
やっぱり、兄の記憶はどこか……。
「本題に入ろう」
兄の声がピリリと厳しさを帯びた。その、表情も。
「視察に関するお前の要望は届いている。……エドガー様からもな」
「でしたら、必要なのは兄上のご決断だけですわ」
もう一口、紅茶を飲んでから、私はティーカップを置いた。本当に美味しい。私のやつはミルクティーになっているのも好み。サーシャに頼んで、夜寝る前にたまに飲んでいたから、馴染みがあるんだよね。
「わたくしも曲者を捕まえたい気持ちは同じですもの」
「…………」
疲れたように髪をかきあげ、兄が長椅子の背もたれに寄りかかる。
「――要望を聞くにしても、視察当日、クリフォード・アルダートンをお前の護衛の騎士として復帰させるわけにはいかない」
「それは……」
私が言葉を続けようとしたとき、小さな開閉音が響いた。
音のした方向を見ると、室内にある扉の一つが開き――。
「セリウス……?」
兄への呼びかけと共に、濃紺色の髪をした青年――もとい、シル様が、そこから姿を現した。
もしかしたら、目が覚めたばかりなのかもしれない。ややぼんやりしているように見えた榛色の瞳が、大きく見開かれる。
シル様が叫んだ。
「オクタヴィア様!」
「シル様!」
パッと顔を輝かせてシル様が駆け寄ってくる。私も意識があって、元気に動いているシル様の姿を目にした喜びから、思わず立ち上がっていた。シル様のいる方向へと踏み出す。
時間的にはそんなに経ってはいないけど、あんなことがあってからの再会だもん!
両手を広げ、お互いに抱きつきかけ――でも、シル様が先に、途中で我に返りはっとしたように手をおろした。
あ、私もスタンバイしていたせいで手の行き場が……。
どうしよう。
黒扇を手に取って、無意味に開いてみたり。
シル様、馴れ馴れしすぎると思ったのかな。まあ、準舞踏会に行く前までの関係性を考えると……?
いや、全然私は良いんですけどねっ? シル様と再会の抱擁!
でも兄からの視線が痛いし……淑女たるもの、兄の恋人であっても男性に抱きつくのはいかがなものかと思い直す。うん。
「――シル。オクダウィア」
ちらっと兄の様子を窺ってみる。すぐに、顔の向きをシル様に戻した。
ミナケレバヨカッタ。
「抱擁し合うような仲だったか?」
視線が痛いどころじゃなかった。




