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56 今日も深読みが止まらない平民兵士の、たぶん平和な休日


「でさあ。聞いてる? ガイくん」

「聞いてる聞いてる」


 混雑する店内で、俺は相づちを打って川魚の串焼きにかぶりついた。油で揚げてあり、熱々で香草が効いている。絶品だ。さすが安くて美味い定食屋なだけはある。

 王都は屋台も含めると飲食物を提供している店の数が故郷とは段違いだ。競争も激しく、値段や味もピンからキリまでだが、この定食屋は間違いなく穴場だ。


「ガイくんさあ、温厚な俺でもさすがに怒るよ?」


 赤い髪をしたひょろりとした知り合いが、甘塩っぱい味付けのタレがたっぷりかかった肉と野菜の串焼きを手にぼやいた。これも美味いんだよな。俺も一本追加で頼むか?


「聞いてるって。あの準舞踏会に行ったんだろ?」


 いかに腹が空いていて串焼きが絶品であろうとも、この話題を聞き流したりはしない。

 ――あの、だ。ちょうど三日前。

 オクタヴィア殿下が久しぶりに参加し、ついに表立って動き出した準舞踏会。

 俺のような新人兵士のところまで波及するぐらい、あれから王城が大騒ぎだからな。


「そうそう! 美形が一杯いて目の保養だった」


 そこか。そこなのか。


「……良かったな」


 俺は棒読みで言った。


「でも出会いはなくてさあ。結局こうしてお休みの日にガイくんとつるんでるわけよ」

「理想が高すぎるんじゃねえの」


 こいつは男も女も両方いけるが、その基準は『美』だ。

 老若男女問わず。

 幼女であっても美少女であれば恋愛対象……になりそうなのが怖えええ! 一応常識はあるっぽいから大丈夫だとは思うが……。……大丈夫だよな?


 男であればもちろん美形が好きなため、俺は対象外だ。普通に生んでくれた故郷の村の両親に感謝したい。

 まあ、そういうこいつも、美形というわけではない。

 何というか……雰囲気か? 雰囲気で美形にたまーに見えることもある。


 俺はじーっとそいつ――ステインを凝視した。

 ステインとの出会いを思い返す。


 王城事情にも慣れ、アレクシス殿下から訓練相手として指名されるようになった頃、肩身が狭い仲間である同僚とは一日違いで訪れた休日。

 男同士の恋の花咲く兵舎の空気にいたたまれず、俺は寒々しい懐と共に城下に繰り出した。私服は洗濯した後だったんで、仕方なく兵士の格好で出掛けた。


 ぶらぶらと王都散策をしていると、そこで若い男に「ちょうどいいところに! そこの兵士さん!」と声を掛けられたのだ。

 ごろつきに絡まれている少女を助けて欲しいと。

 見ると、確かに。その通りの光景があった。治安維持も兵士の役目だ。


『俺、すっげー弱いから! かわりに兵士さんよろしく!』 


 ぐっと親指を立てて明るく言い放った赤毛の男。

 それがステインだった。


 無事少女は――かなり美人だった――助けられたが、そこから恋の物語が始まることはなかった。少女は彼氏持ちだったのだ……! 

 ちなみにごろつきは俺が少女との間に割って入った時点で退散していった。

 王城の兵士の背後には当然、公権力がついている。ごろつきもわざわざ兵士に喧嘩を売るようなことはしない。奴らも絡む相手は選んでいる。


「……ガイくん。ごめん。俺、熱く見つめられてもさ、好みってものがあるからガイくんの気持ちにはちょっと……」

「違うぞ」

「ガイくんの顔がもっと美形だったらおれの食指も動」


 俺は問答無用で遮った。


「お願いだから永遠に動かさないで下さい」

「お、丁寧なのに無礼! 貴族社会でもやっていけるねガイくん!」


 けらけら笑っているこのステインは、なんとナイトフェロー公爵家に仕えている。

 この衝撃の事実を知ったとき、正直俺は思ったものだ。

 人材不足なのか? ナイトフェロー公爵家! 


 ――とにかく、大貴族に仕えているから貴族の事情に通じているし、本人は平民なので、貴族寄り、平民寄り、どちらの考え方にも適応している。

 たまにこうして飯を食うぐらいには付き合いやすい奴だ。


 今日も、昼飯を食べに来たらここで仕事関係の知人と落ち合う予定だというステインとバッタリ会い、それまで暇だというので相席することになった。

 こいつの知人が来たら俺が席を移動すればいいだろう。


「そういえばさ、準舞踏会、アレクシス殿下は来てなかったんだよね」


 ステインが新たに話を振ってきた。


「それが?」

「いやあ、俺、オクタヴィア殿下のエスコート役はアレクシス殿下だと思ってたからさあ。舞踏会だとそうだし」


 極秘事項だが、アレクシス殿下はいま王都にいないからな。いや、なんでそんなことをステインが気にするんだ? ……まさか。


「ステイン……。アレクシス殿下に惚れてるんじゃないだろうな……?」

「あー、ないない」


 こっちの気が抜けそうな調子で片手が振られる。


「そっとお姿を拝見できればいいなあ、ぐらい。アレクシス殿下はさ、あの美少年顔ですんげえ厳しいし! 人を選んでるよね。下心ある奴は視界に入れてすらもらえない。見てると、基本人嫌いだよねー。だけど俺、望みがある恋愛をしたいし、美形に嫌われると死んじゃうから、心が!」

「まあ……殿下の環境を思えば。つーか、よくわかるな」


 興味がないのに、恋愛感情を押しつけられてりゃ、そりゃあなあ。女の子だって、どうでもいい男に迫られたら迷惑すぎるだろうし、それと似たようなもんだ。

 アレクシス殿下、きっと平民に生まれれば楽だったよなあ。いや、アレクシス殿下の場合、単に女の子に迫られることになるだけか? どちらにもモテる苦労……か。


「俺、閣下のおまけで王城に行くことがあるからねー。美少年を見れそうな機会は逃しませーん。準舞踏会もしかり!」


 しかし、お目当てのアレクシス殿下は準舞踏会に来ていなかったわけだ。


「……アレクシス殿下は体調を崩されているそうだぞ」


 このことは別に隠されていない。今朝、一部の兵士が、「アレクシス殿下のお姿を今日でもう四日……四日も……」と嘆く集団になっていた。

 普段はそんな素振りをあまり見せていない奴らばかりがそうだったんで、俺は震え上がった。わかりやすい奴らのほうがまだ良いのかもしれないな、と考えさせられた一件である。


「えー。準舞踏会の数日前にお見掛けしたときは元気そうだったけどなあ」

「数日あれば体調なんて激変するぞ」

「そんなもん?」

「そんなもんそんなもん」


 つーか、ステインも準舞踏会では美形を鑑賞してるだけってわけにはいかなかったはずだぞ。


「で、その準舞踏会、会場の『天空の楽園』だっけ? 襲撃のほうはどうだったんだ? ……被害とか」


 さりげなく、尋ねてみた。


「あれ? ガイくん知らない? 襲撃はあったけど準舞踏会はつつがなく行われたし、死傷者なんかも出てないよ」

「……いや、一応ってこともあるだろ」


 問い返され、俺は言葉を濁した。


 ……そうなんだよな。

 三日前、レディントン伯爵が主催する準舞踏会の最中、武装した輩による襲撃事件が起こった。未然に防がれ大きな被害はなかったらしいが――狙われたのはオクタヴィア殿下だ。


 そして俺は知っている。殿下の護衛の騎士は、『オンガルヌの使者』なのだ。 

 襲撃者たちに対する容赦なんてあり得るのか? 


 俺ですら首の皮一枚で繋がった身だ。

 明確な敵対行動を取ったとなれば……死屍累々。ヤバい奴らを一掃! 一方的な血みどろの惨劇が密かに起こっていてもまったく全然おかしくない。


「一応……。そんなことを言うガイくんに質問でーす。もしかして王城で被害について疑うような秘密の情報でも仕入れたとか?」


 ヤバい。変な方向でステインの好奇心に火がついた。こうなるとステインは結構しつこい。若干焦りかけたものの、しかし俺はすぐに落ち着いた。

 ――オクタヴィア殿下や『オンガルヌの使者』と接し、寿命が縮みそうだったあのときと比べれば。ステインの追求なんてかなりウザいだけだった。

 命も懸かっていない。天空神のごとく心が凪いだ。


「……あのな、ステイン。俺を誰だと?」

「ガイくんだね」

「まだ所属も決まっていない平の新人兵士が、秘密の情報なんぞに触れる機会があると思うか?」


 あったけどな。


「襲撃についてはほら、あれだ。現場にいた人間の話を聞いてみたくてあんな言い方になっただけだ」

「現場っていってもなー。襲撃犯を見たわけでもなく、知らない間に始まって終わってたからねえ。だいたい、仮にヤバそうな場面に遭遇したら俺は逃げるし。間違っても自分では立ち向かわないね!」

「……戦場でも生き残りそうだな」

「わかる? そもそも戦場に行かないからね!」

「――ステインって怖いものとかなさそうだよな」


 たとえば『オンガルヌの使者』と敵対してもうまく立ち回りそうな気がする。


「え? あるよ。怖いのは、雑魚でも侮ってくれない人間」


 二本目の串焼きにかぶりついていたステインが真面目な顔で答えた。


「はあ?」

「身体的でも精神的にでもいいけどさ、強い奴って、大抵は無意識に驕ってるものなのよ。だから明らかに弱そうな俺みたいなのは警戒対象外ね。多少馬鹿やっても疑われない。能力不足ゆえの失敗だって納得してもらえる。何故なら俺は雑魚だから!」

「雑魚……」


 何故こんなにも堂々と晴れやかに雑魚宣言をしてるんだ。


「雑魚なのは俺の長所だよ、ガイくん。むしろ自慢」


 ステインが胸を張った。ドンと拳で叩く。


「自慢か……? 自慢なのか……」

「そう! 雑魚は大目に見てもらえる。問題なのは、いわゆる強者なのに騙されてくれない奴! 雑魚にも厳しい! 俺も辛い!」

「どう厳しいんだよ」

「戦闘ならさ、雑魚でもきっちり一人一人止めをさす。倒れて死んだ振りしてるところに心臓突き刺してくる。強い弱い、雑魚か否か、性別年齢も関係ない。すんごい平等」

「うわ。嫌な平等だな」


 平等も、発揮される場所によりけりか。


「そうそう。だからさあ、仕事がやりにくくて嫌なわけ。美形は別で」

「結局そこに帰結するのかよ……」


 聞いて損した。


「美形といえば、準舞踏会中に仕事でバークスちゃんと会ったんだけどさー」


 串焼きを食べ終わり、本日のオススメ、隣国カンギナから仕入れているという米を使った煮込み料理を口に運んだ直後だった俺は、咳き込みかけて無理矢理呑み込んだ。


 バークス……。ちゃん呼びには突っ込まない。ステインはこういう奴だ。俺だっていつの間にかガイくんになっていた。

 ただ、バークスって、あのシル・バークスだよな? 

 セリウス殿下の恋人の。そのうちに婚約者、ゆくゆくは結婚だろうっていう。

 準舞踏会での騒動に関する話題で、シル・バークスという名前も頻繁に出ていたが。


「……そういうの、部外者に話していいのか?」

「話しちゃいけないようなことはもちろん胸に秘めてるってー」

「ならいいけどさ……」

「ガイくん、美形じゃないけど良い奴だよね……。ヤバそうなときは俺を呼んでくれれば助けるよ」


 気持ちは嬉しい。嘘偽りのないステインの気持ちだろう。しかしだ。こいつの場合。


「……でも、俺の敵が美形や美少女だったら、俺を見捨てるんだよな?」

「当然ガイくんの敵に回るかな!」


 いい笑顔で、迷いなくステインは言ってのけた。

 窮地に陥っても、絶対ステインにだけは助けを求めてはならない……! 敵が増えるだけじゃねーか! しかもこいつ、単純な近接戦なら俺も簡単に勝てる自信があるんだが、なんか敵に回すと厄介そうで嫌なんだよな……。


 どっと疲れた。俺は息を吐いた。


「――まあ、仕事でも、バークス様に会えて良かったんじゃないか」


 超絶美形のセリウス殿下と並んで立っていても見劣りしない容色だ。美形好きのステインにとっては眼福だったろう。

 しかし、王子に同性の恋人がいることについて、こんなに普通に話せるのはエスフィアならではだな。


「美形っぷりに大満足。でも、意外なところもあったかな」

「意外?」

「オクタヴィア殿下のこと、本気で心配してたし、見た感じ殿下も別にバークスちゃんのこと嫌ってないっぽい?」

「へー」


 俺は煮込み料理を匙でかき込んだ。これも美味い。米もいいもんだな。肉と魚に味が染みこんでいる。


「へーってガイくん、もうちょっと反応をさあ」

「オクタヴィア殿下とバークス様。王女と王子の恋人だぞ。どっちも俺には遠い存在だし、直接話すことも――」


 言葉を切った。俺、アレクシス殿下から伝令役を仰せつかって、その結果、オクタヴィア殿下とも話したんだよなあ……。

 ――ついでに、殿下に仕える『オンガルヌの使者』とも。

 身震いした。怖。


「……話すことも?」

「話すこともないから、劇的な反応なんて期待されても困る」


 実際、オクタヴィア殿下と話す機会なんて、二度目が訪れるのかって感じだしな。それこそ俺が飾り房を剣に付けられるようにでもならないと無理だ。


「お二人の仲が良いなら、喜ばしいんじゃないか?」


 しかし、オクタヴィア殿下のことだ。ただ仲良くってわけじゃあないだろうな。

 三日前の準舞踏会にはバークス様も出席していたという。

 ――それもオクタヴィア殿下と一緒に。

 さらには殿下がナイトフェロー公爵子息のデレク様と開幕のダンスを務め……。


「なあ、ステイン。お前の雇い主……無事か?」

「閣下?」

「いや、デレク様」

「デレク様?」

「だって、オクタヴィア殿下と踊ったんだろ?」


 たかがダンス。されどダンス。

 オクタヴィア殿下と踊るということには、深い意味があったのだ……! 


 貴族社会に属する人間にとっては常識だったらしい。それをいち兵士の俺も知るところとなったのは、準舞踏会にまつわる噂が城内を駆け巡っているからなんだが。

 俺の脳裏をよぎったのは、伝令役として練習室へ行ったとき、オクタヴィア殿下と『オンガルヌの使者』がしていたダンスだった。――死の舞踏。


 それに、だ。

 俺は殿下と踊ったわけではないが、ダンス用の音楽がかかっている練習室で、殿下に耳打ちをした。踊ったわけではないが! これって、危ない橋を渡っていたんじゃないか……?


 後から来る衝撃ってやつだった。

 笑うしかない。同僚に「おい、ガイ。たまに見かける侍女さんたちみたいな目をしてるぞ。死んだ魚みたいな目」と言われた。

 踊っていない俺でさえこうなのだ。必定、準舞踏会で殿下と踊った人物のことが案じられるというものだ……! 我が事のように感じる。


「あー、六、四?」


 ステインがちょっと考え込んでから口を開いた。


「六、四?」


 暗号か?


「デレク様が破滅する、が六割。栄光を掴む、が四割。俺の調べた予想状況。そのうち半々になりそうな気配」


 開いた口が塞がらない。


「あのさあ……」

「単純にデレク様が元気かって話なら、すぐわかるんじゃない?」

「……すぐ?」

「すぐすぐ」


 意味がわからん。城でお見掛けするだろうってことか?

 ……準舞踏会前ならともかく、どうだろうな。

「デレク様は、セリウス殿下を裏切ったのではないか?」なんて話が、セリウス殿下派の先輩兵士から出るくらいだからなあ。

 オクタヴィア殿下が、セリウス殿下の力を削ごうとしている、とも。


 ――昨日、陛下からの告知があった。あれが拍車をかけた。


 ただし、俺が遠目で見かけたセリウス殿下は、表面上は普段と変わらないように見えた。

 オクタヴィア殿下は陛下の計らいで公務をこの三日休んでいる。襲撃のこともある。大事を取って一週間ぐらいは自室で過ごされるのではないかと言われている。

 アレクシス殿下も伏せっているという名目で実際は不在だし――。


「女王? 女王なんてあり得ないだろーが」

「けど、王冠を発見なさったのはオクタヴィア殿下だぜ? 感じるもんがあるだろ」

「そもそもセリウス殿下は王太子じゃねえからな」

「馬鹿野郎! 王太子じゃなくても継承権一位はセリウス殿下だ! 第一王子だからな!」


 客――昼間から酔っ払っている赤ら顔のおっさんが席を囲む仲間と言い争っている。


「あれ、陛下がされた発表の影響だろうねえ」


 ステインが口にくわえた串をプラプラ動かしながら無駄に上手く喋ってのけた。態度はふざけているが、その内容には俺も同意だ。


「……だろうな」


 客のおっさんたちが話していたように、次期国王と目されているセリウス殿下はしかし、王太子ではない。その座は空白。第一王子だし、ほぼ王太子と同義だろうと思われていたが、確定しているわけではないのだ。


 陛下が言明しない限り、セリウス殿下以外も王太子となる可能性はある。

 いま、そうだと思われている継承権の順位も、変動するかもしれない。

 そのことが、浮き彫りになったばかりだ。


 ――オクタヴィア殿下が、失われていた本物の王冠を見つけたことで。


 昨日、陛下が自ら国民に向かって大々的に公表された。

 王家に伝わっていた王冠は、偽物……というか、ウス王の時代に紛失した結果、作られたものだった。しかし本物が発見された。僥倖である、と。


 準舞踏会の会場でもあった『天空の楽園』。もともとは王家の所有していた建物――離宮だったところに本物の王冠が仕舞いこまれていた。

 発見したのがオクタヴィア殿下だ。

 この発表は、各所に波紋をもたらした。


 本物の王冠を、オクタヴィア殿下が、だぞ?

 出来過ぎだ。なるべくしてそうなった。そう想像せずにはいられない。


 準舞踏会での襲撃のこともある。狙われたのはオクタヴィア殿下だが――ただ狙われたわけじゃない。ナイトフェロー公爵とレディントン伯爵と組んで襲撃者を捕まえるために計画を立て、実行したという。

 オクタヴィア殿下がついに動き出した、と解釈される所以だ。

 王女ならば、これまでは携わって来なかったような……能動的な行動に出た。大々的に、だ。本物の王冠という手土産付きで。


 その上、王冠を陛下に届けたのは、ナイトフェロー公爵だ。

 個人的にはオクタヴィア殿下と親しいが、公的には肩入れせず、一定の距離をおいていたナイトフェロー公爵が、オクタヴィア殿下から託された本物の王冠を国王陛下に手渡した。


 ――この図式の意味することは一つ。


 ナイトフェロー公爵が、公的にオクタヴィア殿下についたってことだ。

 着々と殿下は足場を固めている。

 俺も貴族たちの権力闘争にこの三日で随分詳しくなったもんだ。出世のために役立つから良いけど。


 ……にしても、本物の王冠が戻ってきたなら、こっそりすり替えてしまえば良かったのにって思うのは、平民ゆえの浅知恵ってやつか? 俺たち国民は、陛下が被られる王冠が本物だと疑ってもいなかったんだから、わざわざ公表しなくてもな……。


 ――王太子のこともだが、陛下のお考えを俺が見通そうってのが無理な話か。


 黙々と煮込み料理を食べ続け、米の一粒まで完食した俺は、匙を置いた。

 息を吐く。食った食った。

 置いた匙のかわりに、炭酸水の入った杯を手に取る。


「お、来た来た。こっちですよー」


 細長い筒状のパンに切り目を入れ、味付け肉の薄切りを挟んだものを食べていたステインが、定食屋の入り口に現れた人物を振り返って、手をあげた。

 ようやく落ち合う予定の知人が来たのか、と炭酸水を飲みながら、そっちを何気なく見た俺は、大きく咳き込んだ。


「ぐっ。げほっ!」


 炭酸が喉を直撃する。


「ステイン……! おま」


 これなら、誰が来るかは言っておけ!

 仕事関係の知人って、お前が仕えている公爵家のご子息だろうが! デレク・ナイトフェロー様が、こんな庶民の定食屋に来るなんて聞いてないぞ!









 俺たちの座る席に来たデレク様は、けらけら笑うステインと、炭酸水に噎せる俺を見、何やら察したようだ。深いため息をついた。


「ステイン……」


 デレク様が低い声を出す。


「俺は無実ですよ? ちょーっと誰が来るのかぼかしていたせいで、ガイくんが驚きすぎたぐらいで! ガイくんにはひどいことなんてしませんってー。お友達なので! ね、ガイくん!」

「違います」


 俺は即効で否定した。


「……だそうだが?」

「え? ガイくんひど! 俺友達だと思ってたのに!」


 いや、俺たちが友達だったことはない。せいぜい飯仲間、だ。


「――ステインが、迷惑をかけてすまない。何かやらかしてないか? こう見えて悪い奴では……」


 半ばで、ふと気づいたかのように眉を顰めたデレク様が言葉を切った。咳払いする。


「あー……、かわりに詫びる」


 悪い奴か。悪い奴なんだなステイン。


「ええーっ。そこは悪い奴じゃないって断言してくださいよ! 擁護! 俺のガイくんへの心証が!」

「いえ! 俺なんかに謝る必要はありませんので、はい!」


 俺は畏まった。


「デレク様とガイくん、俺を無視してないですかー?」

「とりあえず……君が良ければ相席して構わないか?」

「どうぞ!」

「おーい……」


 空いていた椅子に座ると、デレク様は妙に慣れた様子で給仕の少女に料理を注文した。少女の顔がキラキラ輝く。見よ、この笑顔! ……俺とステインには向けられなかったものである。顔面差別だな、差別。


 それにしても――服装から何から、様になっている。もちろんデレク様が、だ。持って生まれた格好良い顔立ちはどうにもならないのだが、公爵家のご子息――貴族に見えないのだ。まったく違和感なく、デレク様は庶民行き付けの定食屋に溶け込んでいた。


 これってお忍びってやつか? 公爵家の秘密の類いか? 

 この定食屋があるのは貴族なんか寄りつかない地区だし、そもそも一般の王都民は高位貴族であろうと顔なんて知らない。だから誰も公爵子息が来ているなんて思いもよらないんだろうが――俺がステインといたのはデレク様も想定外だよな? 

 俺は同席したままでいいのか? どうなんだ?


 ――デレク様が注文した料理が届く。店からのおまけです、と少女はもじもじしながら、追加の一皿を机に置いた。……店からじゃなくて、明らかに少女からの自腹だな、自腹。


「嬉しいよ。ありがとう」


 デレク様が笑顔を返す。


「ごゆっくりどうぞ!」


 真っ赤になった少女が飛び跳ねそうな勢いで厨房に戻った。ステインが白けた声を出した。


「あーあ。デレク様の外面に騙され毒牙にかかった計算高い少女がまた一人……」


 計算高い……そこはいたいけって言ってやれよ。


「断われと? 空気を悪くするだけだ。この顔が役立つなら有効利用したほうが良い」


 少女へ返した笑顔をとっくに消していたデレク様が、食事の前の天空神への祈りの言葉を口にし、料理を食べ始めた。下品ではないが、食べ方も平民式だ。

 ところで、デレク様、俺の素性について一切聞かないのな!

 俺はある答えに行き着き、ステインを見た。もしや……。


 公爵家ともなれば、影武者がいるかもしれないじゃないか。

 デレク様によく似た別人か?


「何だ……。影武者だったのか。ステイン。そういうことははやく言えよ」

「デレク様本人だけど?」


 馬鹿な。


「……本人ですまない」


 公爵子息に謝られてしまったぞ! 


「本人なのに影武者とは……。ガイくん最高! デレク様の食べっぷりがいけてないからですよ」


 不機嫌そうにデレク様が答えた。


「……不味いものを食う羽目になって腹が減ってるんだ。入っていたのは自白薬か、幻覚薬あたりか? あれなら毒入りのほうが味は良い」

「そりゃ毒入りはすぐにぺって吐き出されたりしないように味を改良するもんですし」

「薬品入りもどうせ人に食わせるならもっと改良すべきだ。努力が足りない」


 そんな努力いらないですデレク様。つーか、会話が怖ええええ!

 どこで何を食ってきたんだよデレク様!


 俺はがっと杯を掴み、飲みかけの炭酸水を一気に飲み干した。

 炭酸水は、店内に設置してある大樽の蛇口をひねると出てくる仕組みになっている。客が自由に何杯でも飲んでいい。


「俺、炭酸水を注いできます」


 席を立とうとした。が!


「あ、俺が行ってくるよ、全員分!」


 おいいいいいい! しかし、無情にも杯を持ってステインは行ってしまった。公爵子息と平兵士が残されてどうしろと。顔は知ってたけど初対面だぞ。デレク様にいたっては俺の存在すら知らなかったはずだ。


 ……沈黙がいたたまれない。意を決して俺は口を開いた。


「その、デレク様。ここでお会いしたことは俺、墓場まで持っていきますので……」

「――ステインの連れなら、おれにとって害はない。愚かな人間でもない。自分でも不本意だが、その点だけは信用している。君に何かする気はない。安心していい」


 元凶のステインを、ほんの少しばかり俺は見直した。


「むしろ引っ掛かるのは、何故おれと君を会わせたかだな」


 黒パンをちぎったデレク様が、それを口の中へ無造作に放り込む。


「心当たりは?」


 心当たり……。俺はごくごく普通の平兵士だ。デレク様に披露できるような特技もない。となると。


「……ステインに、割りと本気で友達だと思われているから、でしょうか……?」


 これぐらいだな。俺の敵が美形でなければ助けてくれる気はあるらしいしな。……敵に回るのも本気だと思うが。


「そうか……」


 何故か深い同情が、デレク様の茶色い瞳に宿った。「お前、大変だな」みたいな!

 何なんですかその反応は!

 あ、目が逸らされたっ?


「ただいま戻りましたー。炭酸水のご到着!」


 席に炭酸水の注がれた杯を三つ持ったステインが、席に座ってきた。









 ……休日を満喫してきたはずなのに、疲れているのは何故だろうか。デレク様と会ったせいだな。そうだな、主にステインのせいだな。

 しかし、怖い会話をしていたが、デレク様が元気そうだったのはわかった。定食屋には、ただ飯を食いにきただけのように見えたが……。


 城門近くで夕空を見上げるとレヴ鳥が悠然と翼を広げ飛んでいった。

 今回は、靴に糞を落とされなかった。

 そのかわり、一枚の黒い羽根がヒラリと落ちた。

 拾い上げ、俺は羽根と睨めっこした。


「…………」


 ……レヴ鳥の知らせか? 


 そんな一抹の不安を抱え、兵舎に戻った俺を待っていたのは班長だった。

 俺のようなまだ所属の決まっていない新人兵士を取り纏めている。


 ちなみに、強面の班長には貧乏貴族の三男で文官の恋人がいる。幼馴染み同士で長年じれじれした挙げ句に両想いになったとか。料理上手で笑顔が可愛いだの先輩兵士たちが話していた。

 しかし、俺はその話を聞き、『彼女さんですか。いいですね!』と心からの感想を言い放ち、場をシーンとさせた前科を持っている。あのときは班長も苦笑いだったな……。微妙な思い出だ。


「戻ったか、ガイ。休日はどうだった?」

「は! 満喫しました」

「何よりだ。お前に連絡しておくことがある。明日の勤務内容が変更になった」

「変更でありますか」


 巡回場所か? それとも訓練が増えるのか?


「セリウス殿下とオクタヴィア殿下が、城下の視察に行かれる」

「両殿下が……?」


 セリウス殿下とオクタヴィア殿下が? よりにもよってこの時期に?

 お二人で出掛ける……なんて、これまでなかったよな?

 何がどうなったらそんなことになるんだ?


「オクタヴィア殿下の視察予定はもとからあったものだ。殿下は公務を再開したがっていてな。それを聞いたセリウス殿下が便宜をはかることになった」

「それで……ご一緒に視察を……?」


 班長が頷いた。


「オクタヴィア殿下の身の安全のため、セリウス殿下が自ら、特別に警護する人員を厳選したそうだ」


 当然、セリウス殿下派の騎士や兵士で固めたんだろうな。


「……しかし、オクタヴィア殿下から要望があってな」


 あ、嫌な予感がするぞ。


「セリウス殿下が厳選した人員は知らない者ばかりなので、自分の知る兵士も明日の警護に加えて欲しいと」


 ますます、嫌な予感がするぞ。


「オクタヴィア殿下があげた名前の中に、ガイ・ペウツがあった。お前は新人だ。不安視する声もあがったが、セリウス殿下が承認された」


 気絶したくなった。


「よって、ガイ。両殿下の城下町視察の警護を任じる。心してあたれ」

「は……!」


 しかし、俺は王城の兵士。

 返事は一択、かつ機敏に。これしかないのである。


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― 新着の感想 ―
[一言] これが第3巻に入らなかったものだと、書き込んでいる時点で視察の回が始まっていないため、第4巻に入れても違和感は無いと思われ。
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