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51 シルと閣下と赤毛の青年(後編)

 

 扉が閉じてゆく。その様をただ、見ていた。

 公爵が出て行ったばかりの部屋には、赤毛の青年とおれだけが残っている。

 ……ナイトフェロー公爵との話は、ごく短い時間で終わった。

 話というよりは、質疑応答だった。


 おれは、公爵に協力を求められた。

 望まれたのは、餌として捕まり、罠にかかること。

 公爵は、餌に気を取られた鼠を捕まえる。


 セリウスがいたら許さなかったと思う。デレクがいても、反対したろう。だから公爵は、おれ自身に尋ねた。


 それから――。


『――確固たる証拠があれば、陛下も動かざるを得ない』


 質疑応答の最中、公爵が口した言葉。あれはまるで、陛下が動きたがっていない――不穏分子を野放しにしたがっているかのようにも、聞こえた。


 去り際の、公爵との会話が、頭の中に留まっている。


『おれが、公爵のお話を引き受けなかったら、どうなりますか』

『貴公に限って言えば、何事もなく準舞踏会を楽しみ、帰宅することになる。選択の自由はバークス殿にある。――良い夜を』


 それまで、疑念を完全には消せずにいた。

 話を額面通りに受け取っていいのか?


 ナイトフェロー公爵こそが、おれを準舞踏会へ誘い出した『誰か』なんじゃないか。

 そして、おれを狙っている何者かなんじゃないか。


 ――だとすれば、おれがこの部屋に来た時点で煮るなり焼くなり好きにできたんだ。捕まえることも。

 おれの疑いは見当違いだった。


 考えるべきは、ナイトフェロー公爵からの頼まれ事を引き受けるか否かだ。


 このまま部屋を出ていっても構わない。本当だと思う。残った赤毛の青年にも、別段、止められたりはしないんだろう。


 おれは、青年のほうを向いた。


「……訊いてもいいですか」

「どうぞどうぞ。俺に答えられることなら」


 軽い調子で、赤毛の青年が答える。それでいて、彼が仮面を取る気配はない。

 公爵の説明では――この青年は、ナイトフェロー公爵の部下ということだった。それも、鼠たちの中に潜り込むことに最も成功している間諜。おれの目にはそんな風には、とても見えない。だけどそれこそが、彼が潜入に成功している証なんだろう。


「もし、おれが協力せず、準舞踏会に戻ったら、鼠はどうなるんでしょうか」

「オクタヴィア殿下狙いのほうは、捕まると思うけど?」

「……え?」

「あれ? 初耳な感じ? 殿下が出席して目立ってくれるから、向こうもこっちもやりやすくなったんだけど」

「オクタヴィア様が狙われているんですか? だったら犯人をさっさと捕まえないと……!」


 青年の胸倉を掴んだ。


「うお! 俺、誇れるの口の上手さと逃げ足だけだから! 次点でダンスね! 暴力反対」

「あ……すみません」


 ぱっと離す。


「……見かけによらないね、バークスちゃん。好戦的?」

「落ち着いているほうが変でしょう! オクタヴィア様が……!」


 赤毛の青年は、露出している頬の部分を指で掻いた。


「あー、そっちは親父殿……閣下の腹心が任されてるから。俺と違って剣技の達人だし、オクタヴィア殿下に危害が及ぶことはないと思うよ。つーか殿下の側にはおっかないのが控えてるし」

「そうか……アルダートン様……」

「そうそう。護衛の騎士殿ね。単純な危険度なら、バークスちゃんのほうが高いんじゃない?」

「まだ、おれが訊きたいことに答えてもらっていません。おれを狙う鼠のほうは、おれがあなたに捕まらなかったらどうなるんですか」


 協力する場合、この青年が、鼠――曲者であり、おれの素性を知るかもしれない人間――のもとへ、おれをさらにどこかへ連れて行く手筈になっている。


「俺も何とか首が繋がってる下っ端だからなあ……。感触からすると、一旦退くんじゃない? 本当ならさ、閣下が出張るところでは、餌が良くてもあまり手を出したくないはずなんだよ」

「どういう……」

「んー。バークスちゃんはさ、警備が厳重なところへわざわざ泥棒が入りたがると思う? 面倒臭そうなところは避けるでしょ。断然楽なほうがいい。警備がガバガバな……つまり、舐めてかかれるぐらいのほうが、泥棒は嬉しい。だからこの準舞踏会の主催者はレディントン伯爵なわけだ。実際のところまったくそんなことはないんだけどさ、先入観を持つわけ。女貴族の取り仕切る準舞踏会なら御しやすいに違いないってね。現に、オクタヴィア殿下狙いの奴らは騙されてるし?」


 言葉を切った青年が、首を傾けて赤色の後ろ髪を掻いた。


「ただし、俺も頑張ってるんだけど、バークスちゃん狙いの――あ、俺が入り込んでるほうね、こっちはあんまり楽観的には見ていない。閣下がいるってだけである程度警戒されてるね。バークスちゃんが準舞踏会に来たから、計画続行な感じ。あとは――この場所かな」

「場所?」

「妙に『天空の楽園』に詳しいんだよなあ、奴ら。閣下もそれを予期してたっぽいっていうか……バークスちゃんっていう餌に綺麗な包装紙をかけて魅力をあげた的な?」

「あの……たとえがよく……」

「うーん……。鼠を巣からおびき出す要素として、『天空の楽園』も欠かせない要因! これならど?」

「あ、はい。つまり……今夜は、鼠を捕まえる絶好の機会、ということですよね?」

「そうなるね」


 聞けば聞くほど、断わる、という選択肢が薄れてゆく。

 最初から、おれの返答は決まっているようなものだった。


「俺ね」


 腕を組み、真剣な面持ちで赤毛の青年が口を開いた。


「閣下と話してるのをバークスちゃんも聞いてたと思うけど、美形や美人は財産だと思ってるんだよね」

「……はあ」


 協力するよう説得されるのかと思ったら――何なんだ?


「男も女も顔がよければわりと中身はどうでもいいかな。ほら、自分にはないものを求めるってやつ?」

「え? いや……」

「あー、いいのいいの。慰めてくれなくても。仮面を外したら美形ってことはないからね、俺。まあ、そこそこ? 雰囲気で美形感を醸し出す技は取得した。まあとにかくさ、だから俺は美人なバークスちゃんにも好感を持っているわけ」

「…………」


 自然と、胡乱な目つきになっていた。褒め言葉だとしてもまったく嬉しくない。


「だからさ、助言! バークスちゃんは閣下のお話を突っぱねるのが良いと思います」

「いや、でも……」


 何なんだ?


「あのさ、バークスちゃんを連れていった先での、バークスちゃんの身の安全の保障はされないよ? 俺の最優先はバークスちゃんを守ることじゃないから。奴らが今夜集まっている場所を突き止めて、捕まえられるよう閣下へ連絡すること。最悪の場合、そのために自分だけ脱出するつもりだし。こっちに関して、閣下は用意した兵を不用意には動かさない。ま、オクタヴィア殿下が関われば別だろうけど。――軽い気持ちで引き受けるのは止めたほうがいい」

「危険、ですか」

「……死ぬかも?」


 じゃあ、なおさら、信憑性がある。

 少なくとも、おれを狙っている人間と直に接触できる、ということだ。それも、向こうは俺が完全に術中にはまったと信じる中、一応の味方がいる状況で。


「やっぱ死ぬのは嫌だよね。俺としても貴重な美人がいなくなるのはちょっと。だから今回は」

「……おれ、行きます」

「はい?」

「ナイトフェロー公爵に協力します」

「……囮になるの? 囮っていうかさ、バークスちゃんは奴らの狙いそのものだけど」

「……みたいですね」


 息を吐いた。いい加減、おれだってその理由を知りたい。その理由が、おれの生まれにあるのだとしたら。


「いやー、俺の言葉の意味、わかってる? 閣下は時機良く助けにきてなんてくれないよ? その上で選べってことなんだけど。このまま準舞踏会を楽しんだからって、後日閣下がバークスちゃんに意地悪をするとかないしさ。そういうところ、さっぱりしてるから閣下は。まー、逆方向でもさっぱりし過ぎてて怖いんだけど。その点をデレク様が受け継いでなくて良かった良かったって俺本気で思う。奥方様に似たんだよな。デレク様は利益相反でも友達は大切にする方だし。いきなり切り捨てたりしないし」


 怒濤の勢いで話し続ける青年の言葉を、おれは遮った。


「あの……さっきから、おれが協力したら困るんですか? そのほうがあなたにとっても任務が遂行しやすいのでは?」

「そうなんだけどねー、ほら、俺美人には親切だから!」


 ぐっと青年が笑顔で親指を伸ばした。


「…………」


 おれはまた、胡乱な目付きになっていた。一瞬、その親指を折り曲げてやりたい衝動に駆られた。


「じっくり考えて決めたほうがいいよ。他に質問があれば受け付けるしさ」


 ……他に、か。


「よければ、この計画の全貌を教えてもらえますか? おれもそのほうが動きやす」

「あ、それは俺も知らないわ」


 手をパタパタと振り、あっけらかんと赤毛の青年が答えた。

 ちょっと耳を疑った。


「……知らない?」

「うん」


 わけがわからない。


「ぜんぶが頭に入ってるのは閣下だけじゃないかなー。俺なんか、そのうちの一の役割を割り当てられてるだけだと思うよ。あ、ちょっと訂正。今回は一から三ぐらいまでは来てるかな」

「……それ、公爵は誰も信じていないってことですか?」

「どうかなー。割り振られた役割に関しては絶大な信頼を寄せられてると思ってるけど? 実際さ、内部から裏切り者が出たら、全部敵に筒抜けになるし。往々にして権力者ってそういうもんでしょ」

「あなたは、不安になったりは、しないんですか?」

「全然? 全貌は閣下の頭の中にあるんだし、俺らはその手足となって動けば良し。閣下がうまい具合に各に数字を割り当てる。それが嵌まれば、閣下の頭の中にある合計の数字になる。仮に数字が狂っても、閣下が修正して指示を出し直すし。基本、閣下は無駄なことはしないよ」


 ――無駄なことはしない。

 広間で出会った少女、リリーシャナのことが脳裏に浮かんだ。

 あの子は、ナイトフェロー公爵が直前にわざわざ招待した、予定にはなかった出席者だ。公爵だけが思い描く意図が、あるんだろうか。


「ま、俺は閣下の部下だからね。慣れてるんだよ。閣下は俺たちをどの部分まで信じるか明確に分けてるだけ。つーか、俺が一から十まで知っている状態で敵に拷問されたら白状する自信あるね。けど、知らなければ答えられない。さっきの質問だけど、閣下がバークスちゃんに伝えるべきだと思ったことは、全部伝えていると思うよ」

「そう、ですか……」

「で、やっぱりバークスちゃんは囮になるんだ?」


 肯定する。


「なります」

「ふーん。バークスちゃんにも、鼠に用があるのかな?」

「…………」


 これには、答えなかった。逆に、問いで返した。


「最後に一つ、質問が」

「いいよいいよ。何?」

「今回のことは、ナイトフェロー公爵が中心になって動いていると思います。でも、おれはともかく、オクタヴィア殿下が……たとえ危険性は少ないとしても狙われているんでしょう? それがわかっていたなら、陛下にお話しして、国軍を……」

「うーん。たぶん無理」


 否定されるだろう、とは思っていた。おれが知りたかったのは、どうして国でなく、公爵が動いているかだ。

 が、こんな風に即答されるとは予想していなかった。


「オクタヴィア殿下を守りはしても、陛下がするのはそれだけ。鼠の一掃には繋がらない」

「……何故ですか」

「閣下の下で働いているとさ。見えなくてもいいものまで見えるんだよね。俺が思うに、陛下ってエスフィアが嫌いだよね。自分が治める国がさ」

「そ……」


 おれは絶句した。

 そんなことは、ない、はずだ。陛下は、立派な王じゃないか。


「これ不敬罪になるかなー。セリウス殿下に言う?」


 言えるわけがない。


「先代の王って、すっげえ怠惰な王で有名だったの。それでもエスフィアはうまく回っていたわけだけどさ、対照的だったのが、当時王太子だった陛下だよ。さすがセリウス殿下の親。そっくり。あ、直接血は繋がってないか。まあ、美形な上に完璧超人だったと」

「あの、何が言いたいんですか?」

「端的に言うとさ、王太子だった頃と全然違う。即位してからの陛下は、一見素晴らしい王様だけど、エスフィアを弱体化させるようなことをしてる」

「……具体的に、例を示せるんですか」

「最近だと、ほら、一年前のサザ神教との戦争。あれだって、陛下、やろうと思えば事前に止められたのに、待ったでしょ。――何かを、推し測るみたいにさ。暴発して本格的な戦になるまで」


 あれは、エスフィアの勝利に終わった。凱旋式が王都で盛大に行われた。


「それが問題視されていないのは、結局はエスフィアが勝って、結果的には、別に国は弱体化してないから」

「…………」


 おれは、何も言えなかった。

 反論できるほど、政情に精通していない。


「セリウス殿下と結婚するかもしれないバークスちゃんは、心の隅にでも留めておいてよ。今夜死ななければ。あと、死んでも俺を恨まないでね」

「……死ぬって決めつけないでもらえますか?」

「遺言ある?」

「……聞けよ」

「あ、バークスちゃんがぐれた?」


 なんだか、身体からどっと力が抜けた。


「……そのバークスちゃんっていうの、止めてください」

「えー、やだ」


 と、ここで、赤毛の青年の調子が変化した。


「――なんて冗談はさておきさ、準舞踏会に戻るならいまなんだけど。閣下の頼み、本気で引き受けるつもり? バークス様は」


 おれは、はっきりと顎を引いた。









 痛みが、首筋に走った。手で押さえるも、遅すぎる。

 目隠しを剥ぎ取った。


 目に入ったのは、青だった。


 ――青い。

 青い、部屋だ。『空の間』のまま?

 まさか。かなりの距離を歩いたのに。


 思考が、まとまらない。

 振った手が、何かにあたった。石の、墓。字が、彫られている。


 ――イデアリア・エスフィア?


 知らない。


『我が「主」』


 ……知っている? いや、知らない。

 かぶりを振る。


 赤毛の青年に騙され、捕まった虜囚として、まず『空の間』まで連れて行かれた。

 目隠しをされた。青年以外に人が増え、さらに歩いた。着いたのが、ここだ。

 赤毛の青年は、誰かに褒められ――そして俺は、何かを、打たれた?

 実の家族について、問い質す時間すら与えられなかった。


 膝をついた。立ち上がりたいのに、できなかった。身体が思うように動かせない。


「毒ではない。しばらく意識を失う」

「!」


 男の声がした。


 意識を、失う? ……嫌だ。

 だったら、毒のほうがマシだった。

 いっそ、死よりも、おれは、意識を失うほうが怖い。子どもの頃から、そうだった。何か知らないものが、顔を出してしまう気がする。


 ――駄目だ。意識を保て。怖い。


 あの人に助けられた時も、そうだった。

 たぶん、あの人が来なかったら、あそこにいた全員――。


 おれ、が。


「何も起こらない」


 言葉と共に、一振りの剣が、無造作に落とされた。抜き身だ。おれが手を伸ばせば、すぐにでも届く距離。……何のために? いや、どうしてか、考える必要はない。――掴めれば。


「お前が、我らの危惧する者でなければ」


 ……危惧する、者だったら?


 声は掠れ、口が動いただけだったのに、男が答えた。


「殺す。……恨むなら、禁忌を犯したお前の両親を恨め。いかなる理由があろうとも、『主』と『従』が――」


 男の言葉を終わりまで聞き取ることなく、意識は沈んだ。



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