5 野心溢れる平民兵士の、深読みしすぎた出世考(前編)
※ある兵士から見たオクタヴィアたちの話になっています。
その日、鍛錬場に、我が国の王女が足を踏み入れた。
弟である第二王子アレクシス殿下の反応は素早かった。
即座に王女殿下の姿に気づき、顔を輝かせると、
「――! 姉上にご挨拶をしてくる。私が戻るまで休憩していろ」
オクタヴィア殿下のもとに疾走していった。この豹変には、何度見ても、自分の目を疑ってしまう。
普段が普段だからなあ、アレクシス殿下って。
――そして、恐れ多くも、第二王子アレクシス殿下の剣の稽古相手を勤めていた、新兵である俺は、一部から激しい、明らかに恋情による嫉妬の視線にさらされ、退散することにした。
理不尽だ……!
お前らはなあ、そんなだから、アレクシス殿下から訓練で指名されねえんだよ!
歩く途中で、休憩中らしいとある同僚を見つけたので、奴としばし立ち話をすることにした。
そうしながらも、つい、目が行くのは、姉弟殿下だ。
まず、第一王女オクタヴィア殿下。御年十六歳。平民出身の俺が、地元の村で思い描いていたような、お姫様だ。村の女たちとは見た目からして違う。銀髪に薄い水色の瞳。たおやかかつ儚げ、どちらかといえば、美しいというより、可愛らしい顔立ちだ。
とても優しそうである。理想のお姫様像が具現化したかのようだ。現に、弟のアレクシス殿下に向かい、優しげに微笑んでいる。アレクシス殿下も、俺たち兵士が目にする、普段の愛想のそもない様子は一体何なのかというぐらいに、姉君に対してリラックスしている。
そんな、仲むつまじい姉弟と――。
「あれさあ……あれだよな。あの戦場にいた奴と同一人物だよな」
俺と同じ方向を見ていた同僚が呟いた。
あれあれ言うなよ。故郷の母ちゃん思い出すだろ。
同僚は俺と同じく平民出身だ。
平民が王城勤めの兵士に採用されるためには、なかなか困難な道が待っている。
コネか、金か、実力か。
どれも持っていない奴は、変な話だが、正規の兵士になる前に、戦場で何らかの功績をあげるしかない。大抵の平民は捨て駒扱いで死ぬんで、生き残りさえすれば、功績になる。
俺も同僚も、この四番目の方法で、王城勤め兵士としての狭き門を勝ち取った。
一年前、俺たちは、サザ神教の信兵たちが国に対して起こした戦いに、国軍側で参加した。サザ神教はエスフィアで信奉者の多い第一教だったが、この戦いでの敗北をきっかけに、前代未聞の醜聞も発覚し、勢力を大きく落とした。
一番は、サザ神教の指導者が殺されたことだ。これで国軍の勝利が決まり、サザ神教への大打撃になった。だが、不思議なもんで、国は、立役者のはずの指導者殺害犯を、処罰するために探している。
まあ、国とサザ神教の間で、きっと平民には想像できないような汚い取引があったんだろう。
……その戦いに参加した、『オンガルヌの使者』という男がいた。勝手に名付けられた名前だ。国か、サザ神教か、どちらに属していたかも、わからない。どっち側の兵士をも殺していたからだ。
オンガルヌとは、サザ神教に出てくる地獄のことだ。それも地獄で最も苦しく過酷とされる架空の地。そして、発覚したサザ神教の醜聞を揶揄して、ある土地に名付けられた名称も、『オンガルヌ』と言うんだが。
とにかく、誰かが、その男のことを『オンガルヌの使者』と言い出した。地獄へ誘う使者ってわけだ。
俺も同僚も、『オンガルヌの使者』を戦場で見た。
そして――あの戦場で、『オンガルヌの使者』と呼ばれていたはずの男とうり二つなのが、オクタヴィア殿下の護衛の騎士なのだ。
俺は頷いた。
「マジで本人だな」
「……オクタヴィア殿下は、どこまで知ってると思う?」
どこまでってなあ。
そもそも俺たちが『オンガルヌの使者』の顔を知っているのは、たまたまだ。だから、生身の人間だということも疑わない。が、『オンガルヌの使者』は、戦のあった土地から離れ、時間がたてばたつほど、抽象化されていっている節がある。
幾人かの所業が混在されてできた、つくりあげられた存在と。
貴族なんかでも、『オンガルヌの使者』の話を鼻で笑う。
なら――王族の方々は?
国王陛下、王妃殿下、セリウス殿下、アレクシス殿下。
それから――オクタヴィア殿下。
まさか、陛下が知らないってことはないだろうが。
……誰の主導で『オンガルヌの使者』が護衛の騎士におさまっているのかって話でもあるよな。
オクタヴィア殿下が何も知らないってよりは――。
「知っていて、手の内に引き込んだってことか? ……あの噂込みで?」
サザ神教の指導者殺害犯は――『オンガルヌの使者』だと囁かれている。
存在を信じていようがいまいが、共通する認識だ。
オクタヴィア殿下は、たおやかな、理想の王女。しかし、城勤めとなってから、どうもそれだけではないらしいことを、耳にしている。
オクタヴィア殿下が、すべてを知った上で、獅子身中の虫を招き入れたんだとしたら、その心は――。
俺はぶるぶると首を振った。伝染したのか、同僚も身震いした。
「ま、まあ、変な想像するのはよそうぜ。他人のそら似ってこともある。おれたちが人違いで覚えてたのかも」
「そ、そうだな」
俺は同僚の発言に乗っかることにした。殿下の護衛の騎士は、『オンガルヌの使者』じゃないのかもな。
……そんなこと、ちっとも信じてないけどな。
同僚も言葉を重ねる。
「オクタヴィア殿下の護衛になったのも、手違いだったのやも!」
しかし、ここで俺はつい、突っ込んでしまった。
「――だとしても、護衛選択の最終決定権はオクタヴィア殿下ご本人だろ?」
「……だよな」
失敗した。また怖い話に戻りそうだ。怖くない話にしよう。
「そうだ。なあ、考えてもみろ。あんな奴を護衛にして、こんなに平穏に時が過ぎるか?」
『オンガルヌの使者』が王女殿下の護衛となって、一ヶ月……もっとか? 経っている。
俺は力強く主張した。
「みろ。オクタヴィア殿下の周囲は平穏そのものだ。流血沙汰も一切ない。城内での不審死もない」
同僚が深く頷く。
「……確かに」
「害がない分、まだいいじゃねえか」
なにしろ目下、俺たちは、『オンガルヌの使者』よりも、もっと身近な、別の害にさらされている。
「まあ、『使者』のほうは、いまのところ実害はないよな」
同意を得た。
「――しかし、野郎どもからの嫉妬には」
「多大な実害がある」
俺、同僚の順で、文章が完成した。二人で、疲れた顔をして、頷きあった。
俺たちの話題は、『オンガルヌの使者』から、兵士内の派閥問題へと移った。
――これは、死活問題なのだ。
俺たちは、ここで出世するしかない。出身の村は違うが、大手を振って送り出されてきたのだ。無職となって帰還しようものなら――村内階級からは抹殺される。むしろ戦場で散りました、と見舞金の一つでもあったほうが、喜ばれる。立派な墓も村に作ってもらえるだろう。
城勤めを続けられても、一兵卒のままでは村に帰るよりはマシという程度。ある程度の階級持ちにならなければ給料も渋い。結婚できても嫁さんも養えない。王都に一軒家なんてとても買えない。永遠に宿舎住まいだ。
そんな侘しい将来を回避するため、城勤めの兵士として、問題となるのは、立ち位置だ。
どこへ組すれば、平民の俺たちが出世できるか?
大部分の兵士は、セリウス殿下信奉者。あの方はカリスマ性があり、ご自身も優秀だ。
しかしなあ……。
俺と同僚が所属しているのは、殿下方の下へ配属される部隊だ。
王城勤めの兵士に合格したとはいえ、まだ見習い期間。
新兵訓練が終われば、希望する殿下方の管轄下で働く。
希望は、よほどのことがなければ、通る。
そろそろ見習い期間も卒業だ。
セリウス殿下か、アレクシス殿下の二択。
オクタヴィア殿下はそこに入っていない。女性で、そもそも戦場で戦うことを想定されていないからだ。
兵を率いる将として、仕えたいほう、将来出世して顔を覚えていただきたいほうを選べ、という意味での二択なのだ。通常、ご本人と話す機会すら、一般兵士にはないのが普通だ。
……俺も同僚も、アレクシス殿下と、話すことがあるし、訓練の相手もよく勤めるが、これは例外だ。俺たちが、ひとえに平民出身のため、貴族出身の兵士とは意識が少々違うことにくわえ、アレクシス殿下の事情による。
「勢力図としては、圧倒的にセリウス殿下だよな?」
同僚が言う。
その通りだ。次期国王だし、平民にあたりがきついということもない。ただし。
「だが、セリウス殿下には、すでに優秀な臣下が揃ってるぞ。しかも貴族階級で、実力者が」
俺は淡々と事実を述べた。身分だけの張りぼてじゃない、すげえ奴らが勢揃い。
貴族で、優秀。平民で、優秀。
有利なのはどっちだ。
さらにいえば、貴族で優秀。平民で、まあ普通の能力。出世するのは、どっちだ。
「平民が食い込む余地はないんだよなあ、セリウス殿下陣営は」
同僚のぼやきは、俺のぼやきでもあった。
「――やっぱ、アレクシス殿下か。努力次第で、俺たちも出世の可能性が見込める」
結局、これが俺たちの結論となる。
「そうだな。アレクシス殿下も優秀だし。おれたちが平民でも気にしてないしな」
「ああ……でも」
俺は口ごもった。
セリウス殿下は、身分に分け隔てない。しかしアレクシス殿下は、別に身分に分け隔てないから、平民でも気にしないわけではない。
溜めを挟み、ついに俺は言い放った。
「…………問題はさ……男同士で平気で恋愛をする、貴族階級の意識だ」
そしてそんな奴らからの!
アレクシス殿下に恋をする兵士たちの、実害の溢れまくる妨害工作や嫌がらせ、嫉妬だ!
セリウス殿下なら、もう恋人がいるので、こんな事態にはならない。アレクシス殿下ならでは。
同僚が、恐ろしいことを口にした。
「――そして、俺たちが、染まってしまわないか、だ」
「!」
考えないようにしていたのに、言いやがったこいつ!
そう。貴族出身の兵士もいる。いるが、そもそも絶対数でいえば平民のほうが多い。平民出で、出世した兵士だって、そこそこいる。
――平民の恋愛として一般的なのは、異性愛だ。
村にいた頃は、男同士の恋愛は、少数派だった。
なのに、こうして王都へ来てみれば。
俺たちのほうが少数派だった!
そして、平民出身の兵士は……。男同士の恋愛に免疫がなかったはずの、王城勤めを続けていた平民出身の兵士は!
大部分が、男も(もしくは男しか)いける口になっている!
そういう意味で、「お前等もどうせ……」なんて生暖かい目で先輩平民兵士に見られる!
もちろん、女性兵士なんてものは、エスフィアには存在しない。兵士と言えば、全員男だ!
怖い。怖すぎる。
身体の震えが止められない。
不敬ながら、アレクシス殿下の気持ちがわかった。