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デレクに同意を求めたかと思いきや、ルストはすぐに私のほうを向いた。
「ということですので、オクタヴィア殿下。この部屋に手を加える……調べる許しを私にくださいますか?」
あいているべき部分に硝子の嵌まっている青銀色の仮面のせいで、ルストが何を考えているのかを全体の表情から推測することはできない。
ここに来て、焦燥感が増していた。心を落ち着けるため、私は『黒扇』を開いた。こんな時こそふわふわ! ……よし、大丈夫。
……ルストを見返す。
「何が、ということ、なのかしら」
「『玉座の間に手を加えるべからず』。この離宮を譲渡した際に、ウス王が残した言葉は長い間守られてきました。私の行動は、それに反することになるでしょう。王家に弓を引くような不届き者ならば意に介さずとも、私は曲者ではありません。……禁を破ることは恐ろしいのです」
反王家のルストが、弓を引くことを恐れる?
「……だから?」
仮面を着けていても、口元だけは、はっきりとその動きがわかる。ルストの口角があがった。
「だからこそ、せめて、オクタヴィア殿下の許しを。でなくば、ウス王にかわり国王陛下や――現在の『天空の楽園』の所有者は王妃殿下であられるエドガー様といっても過言ではない以上――お二人に罰せられることになってしまいます」
「シル様を助けるためだとしても、陛下とエドガー様はそれを考慮しないと言いたいの?」
「歴史を顧みれば確実に。たとえば、先王陛下は王太子だった時分のイーノック陛下が――」
ルストが笑みを消して、片手を広げ、『空の間』の内部を示した。
「この部屋へ秘密裏に入室したというだけで、厳しい処罰をくだされたとか」
入っただけで? 少なくとも、私の場合はそんなこと――。いやいや、アレクと来たとき、私も許可は取ってたっけ。別に秘密裏に、じゃなかった。
「再度伺います、殿下。私に禁を犯す許しをいただけますか?」
はっきりしていることがある。ルスト自身は、禁を犯すことなんて、恐れていない。なのに、あえてこんな問いを投げかける意味は。
「――これも、あなたがわたくしに要求する覚悟のうちというわけね?」
愚行に愚行を重ねるかどうかの。
「オクタヴィア様」
険しさを宿したまま、成り行きを見守っていたデレクが、私の名前を呼んだ。
言葉をさらに続けることはなく、ただ首を左右に振る。……止めておけって言っているんだろうと思う。
私は『黒扇』の持ち手を握りしめた。もう一度、『空の間』の中を見渡す。
部屋に用いられている色彩は青。格調の高さを感じる。エスフィア王家の紋章も描かれている。
でも、あるのは玉座が一つだけ、というシンプルすぎるもの。
他には気絶している偽警備が二人。立っているのは、私とクリフォード、先客だったデレク、案内役のルスト。
誰かいないか探そうにも――身を潜められるような場所が存在しないんだよね。
でも、シル様が『空の間』にいるというルストの言葉が、嘘でないのなら。ここに私たちをルストが連れてきたのが間違いでないのなら。
この部屋には私の知らない未知の何かがあるってこと。
――玉座の間に手を加えるべからず。
それが明らかになることは、王家として歓迎できないことなのかもしれない。王女である私も、たぶん応じるべきじゃない。
シル様を見つけたいという気持ちは同じはずのデレクも、反対するぐらい。
だけど――。
扇を閉じて、ルストを直視する。
「許すわ」
シル様の危機と天秤にかければ、どっちを選ぶかなんて決まってる!
ここですごすご引き下がったら女がすたる。たとえシル様に何事もなかったとしても、絶対後味の悪さを抱いて後悔する。もし、あのときって。
「そうでなけば、何もする気はないのでしょう? ルスト・バーン。この部屋であなたが行うことはすべて、第一王女たるわたくしの許しあってのことよ。――責任はわたくしに。これで良いわね?」
どうだ! 文句はないはず。
「さあ。どうしたの? 禁を犯しなさい」
催促すると、ルストは仰々しく一礼した。
「――では、オクタヴィア殿下の仰せのままに」
笑みを浮かべたまま、垂れた頭をあげる。
そして、『空の間』唯一の調度品である玉座へと歩き出した。
金色に輝く玉座は、何も色だけじゃない。背もたれ、肘掛け、座面、脚……全パーツ純金製。座り心地は悪そうだけど、ウス王時代の栄華を思わせる贅沢品。部屋のシンプルさを玉座が補ってあまりあるとも言える。
で、金って見た目に反してかなり重い!
前世、金の延べ棒は、ひょいひょい持って放り上げられるものだと私は思っていた。身近でもないし、持ったことがなかったから。……大間違い。延べ棒一つで十キロ以上あるんじゃないかな。
『空の間』の玉座には、金の延べ棒でいうところの十個や二十個は軽く使われている。
そう簡単には動かせない――はずなのに。
予め存在を知っていなければ。もしくは、玉座を念入りに調べなければ到底わからないようなところに、仕掛けがあった。
ルストはそれを無造作に動作させた。
人力では数人がかりでしか動かせないような玉座が、生き物のように移動を開始した。
同時にも独特の音が響き出す。アレクの出立を見送ったとき、歯車室からの操作で門があがったときと似ている。原理は同じなのかもしれない。
『空の間』が、廊下をぐるっと回ってしか入れないような構造になっているのも、このため?
音が止む。玉座は、消えた。
玉座のあった場所には、ぽっかりとあいた空間が。
アレクの顔が、思い浮かぶ。「空の間には行かないで欲しい」と、具合を悪くしながら、そう言ったときの。
――どこかへと続いているんだろう、下へ伸びた階段が見えた。
その様は、私に王城の隠し通路を連想させた。軽い気持ちで足を踏み入れると、蟻の巣のように張り巡らされた分岐点の山で方向感覚を失うことになる。やっとどこかの部屋に出たと思ったら、放置されていた隠し部屋で行き止まりだったり。最悪、遭難なんてこともあり得る。
あれって、危急時の脱出用として作られたものの、逆に賊の侵入に使われたりして年月の間に複雑さを足していった結果なんだよね。
ごくりと唾を呑み込む。
『天空の楽園』は、もとは王家所有の離宮。しかも、王として畏敬の念を抱かれながら、敵も多かったウス王が好んでいた場所。それを思えば、隠し通路が眠っていたとしてもおかしくはない。
……つまり、内部の、迷路状態も?
「――この先の案内も、あなたはできるということ? 広がっているのが、地図を要するような空間であっても」
「地図ならば、ここに」
ルストが人差し指で、自分の頭を指差した。
「申し上げたでしょう? 殿下自らが赴くならば、私もお付き合いしてバークスの元にお連れする、と」
「……道理で、案内が必要になるわけね」
いくら厳重な警備体制をしいていようと、予備知識がなければ見つけようがない入り口と、その先に広がる隠し通路。
むしろ、『空の間』なんて、ある種の聖域。最後の最後でやっと捜索対象に入るような場所。認識されていないなら、そこに在っても、存在しないも同然。
「さながら、玉座は蓋でしょうか? 入室が制限され、通常は監視の目がある上、入れたところでわざわざ玉座に触れようとする者はいない」
「仮に触れたところで、玉座は動くはずもない。……仕掛けを知らなければ?」
「仕掛けを知っていても、それだけでは無駄です。正攻法では、この部屋に入ること自体が難しい。曲者たちのように計画を練るか。――入るだけならば、地位が高ければ高いほど、容易にはなるでしょうが」
仕掛けを知っているだけでも、『空の間』へ入れるだけでも駄目。
……秘密裏に、王太子だった頃の父上がここへ来たのって? 父上も、この入り口を知っている?
――待って。これって何のために残しているんだろう?
たぶん、ウス王時代からある仕掛け。
ウス王は、この入り口を見つけて欲しくなかった――んだよね?
でも、それなら臣下に譲渡するにしろ、何も言わず入り口を完全に塞いでおけばいいんだし、そもそも手放すよりは、王家所有のままにしておけば良かったはず。
案の定、今日まで仕掛けが残っていたから、シル様を狙う『従』にまんまと利用されて……?
……じゃあ、『従』は、どうして。
「しかし――奇妙ですね」
自分が出現させた入り口を見下ろし、ルストが呟いた。その呟きは、私の耳には残念そうに聞こえた。
「何を、期待していたのかしら?」
「期待など滅相もない。ただ、あの音です。少なくとも、この入り口の先にいる曲者には、予定外に仕掛けが動かされたことがわかったでしょう。――何人かはここにやって来るのではないかと思っていたのですが。現に、護衛の騎士殿やナイトフェロー次期公爵は、それに備えておられますしね?」
た、たしかに……!
クリフォードもデレクも、いつでも戦闘に移行できるように体勢を整えていた。ついでに立っている位置も異なっている!
現れた入り口で頭が一杯になっていた私とは大違いだった。
そ、そうか。そういう危険性も予期しておかないといけなかったんだ……!
ていうか。
「……危険性を予期していたにしては、あなたは自然体なのね」
「丸腰の私は逃げるだけですので。戦いはお二人にお任せしますよ」
ひらひらと手を振り、言ってのけている。
その間も、誰かが確認しに階段を駆け上がってきそうな感じはしない。
「曲者たちの間でも……予期せぬことが起こったのかもしれないわね」
こっちの動きに、人手を割けないような。
だったら私たちに追い風! これに乗じて通路へ踏み込むべし。
シル様の元へ急ごう、と私がまさに口にしようとしたとき。
「予期せぬ……。ナイトフェロー次期公爵がここにいらっしゃったように?」
含むところがある物言いで、ルストがデレクへと水を向けた。
「――何が言いたい?」
デレクが冷ややかに問い返す。
「バークスを捜し、この『空の間』へやってきた理由は? もちろん、その判断は正しかったと言えるでしょう。しかしそれが可能な人間は限られる。心当たり――私のように情報を掴んだか。あるいは」
自身が、曲者の一味であるか。
「警備に扮した偽物たちを倒したのがわたしだということは、都合良く忘却するのか?」
「それこそ、曲者同士の間で起こった予期せぬ出来事だったのでは? 否定されるのであれば、バークスを捜して何故ここを訪れたのか、ご説明願いたいものですね」
ルストはもっともらしく言葉を重ねた。
「この先へ殿下をご案内するのはやぶさかではありません。しかし、背後から斬り掛かられるような可能性がある人物とご一緒するのは避けたいものです。殿下はナイトフェロー次期公爵を疑わしくはお思いになりませんか?」
「……思わないわ」
いや、さっきちょっとは疑ったりもしたけど。
「それはそれは」
「敵か味方でいえば、デレク様はシル様の味方でしょう。――曲者の一味であるより、心当たりがあった可能性のほうが高いはずよ」
シル様を狙っているのが『従』だということに驚いていたから、ルストとはまた別のルートから当たりをつけた、とか。立場上、言えないような情報源なのかもしれないし。
デレクが深く息を吐いた。
「オクタヴィア様にはご説明いたします」
そして、私へ向かって口を開いた。
「我がナイトフェロー公爵家は王家と縁が深く、真偽問わず、様々な情報が集まります。ときには、王家以上の。わたしも父ほどではありませんが、それらの情報に触れることができます。……『空の間』に隠されたものがあることは、以前から知っていました。それを踏まえて『天空の楽園』の現在の見取り図を見ると不自然な箇所が目につきます。……だからといって、『空の間』を調べることなど事実上不可能でしたが」
「それだけで、バークスと『空の間』を結びつけたと? ナイトフェロー次期公爵は異様に勘の鋭い方のようだ」
「――結びつけたのは、『空の間』と父の動向だ」
茶々を入れたルストに対し、端的にデレクが答える。
「……ナイトフェロー公爵の?」
思わず私は呟いていた。
え? おじ様?
動揺した私を見、躊躇うようにしてから、デレクは続けた。
「今日の準舞踏会で、父が何事か仕掛けようとしているのは予想していました。我が公爵家からもかなりの人員が割かれていましたしね。それに、レディントン伯爵に武器を所持する許可を頂戴した際、会場の警備体制を知る機会を得ました。……通常の準舞踏会よりも厳重でしたよ。配置を考えたのは父でしょう。ただ、引っ掛かった点が二つありました。一つは、妙に庭園の警備が薄いことです。――誰かに侵入してくれと言わんばかりに」
「それは……」
「ええ。先ほどオクタヴィア様にお聞きしました。反王家の曲者たちを捕まえるため、父たちが仕掛けた罠。そんなことだろうとこちらに関してはさほど問題視していませんでしたが、引っ掛かりが大きかったのは、もう一つのほうです」
「もう一つ?」
一旦、言葉が切られる。
「――『空の間』に関する警備が、増員もなく、通常通りだったことが。しかし父の性格上、これはあり得ない」
デレクが断言した。
「本来は警備を強化すべき場所です。『空の間』に関する情報を所持しているナイトフェロー公爵家当主なら。にもかかわらず、それを怠ったのは故意としか考えられません。……もっとも、準舞踏会が平穏無事に何事もなく終わったのなら、わたしの杞憂ですみました」
でも、途中で、シル様が、いなくなった。
「シルが見つからないと知ったとき、わたしがここへ向かった理由は、会場内と比較して、巧妙にここの警備が手薄だったからです。現に」
苦々しげに、デレクが視線を、入れ替わっていた偽の警備二人へと投げる。
「この事態は、父なら防ぐこともできました。ですが『空の間』が――そこにある隠し通路が使われる危険性を予測しながら、父はそのままにしておいたとしか思えない」
「なるほど」
感心したかのようにルストが相づちを打った。
「そして、『空の間』の警備を排していたわけではない以上、ナイトフェロー公爵はどうとでも釈明できる、と」
「おじ様は……」
何を考えて?
公爵呼びすら、私の頭からは吹き飛んでいた。
「――勘違いなさらないでください。わたしの見る限り、父がオクタヴィア様の敵に回ることはありません。疑わしく思えるような行動があったとしても、オクタヴィア様を害するようなことは避けるはずです。ただし、他の人間に対しては必ずしもそうではない。それだけの話です。……それに、警備の穴に関しては、あくまでもわたしの見立てです。父には父の言い分があるでしょう」
「……そう、ね」
頷く。
うん。わかった。おじ様の考えは、おじ様に訊け。
シル様を無事見つけて、おじ様に会う!
デレクが、ルストへ呼びかけた。
「これでわたしへの疑いは晴れたか?」
「次期公爵に背中を預けることができそうです。お詫び申し上げます。――さて、オクタヴィア殿下。バークスの元へは、ナイトフェロー次期公爵もお連れするということでよろしいですか?」
了承しかけて、一応確認を取る。
「どうなさいますか? デレク様」
「目的は同じです。本音をいえば、オクタヴィア様が行くべきではないと思いますが――」
ルストを見てデレクがため息をついた。
不本意でも、ルスト頼りという状況。ルストが協力しているのは、シル様のところへ私自身が赴くという条件あってのこと。
それをデレクもこれまでのやり取りで読み取ったようだった。ただし、ルストへの当初からの不信の色は消えていない。
「エスフィア王家に仕える臣下として、ご一緒しないわけには参りません」
デレクが、その場で臣下の礼を取った。
「――微力ながら助力いたします」




