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そして、やって来ました鍛錬場!
そこでは、訓練なのに、実戦さながら。
弟が兵士と剣で打ち合いをしていた。
そう、私には金髪にエメラルドグリーンの瞳が眩しい、美少年な弟がいるのである。
弟は小説にも登場しているキャラクター。兄とは敵対したりもする役どころ。
原作ではとくに言及されていなかったので、本来のオクタヴィアとどうだったのかはわからないけど、いまの私は、この二つ下の弟、アレクシスとは仲が良い。アレクと呼ぶ仲だ。
ちなみに我が王家の家族構成は、父(国王)、育ての母(元平民の商人・男)、兄(父の姉君、伯母が出産。伯母は出産後すぐ死亡)、私(父の妹君、叔母が出産)、弟(父を酔わせた公爵家の姫君が一夜の過ちにて出産)、となっている。
……兄妹といえど、従兄弟同士というか何というか。
しかも、誰も言わないけど、血統的に言えば、兄じゃなくて弟が次期国王じゃね? という気がヒシヒシとする。
容姿も一番、父上似。
実際の血の繋がりはどうあれ、建前としてはアレクとは姉弟で、すぐに亡くなった兄の実母の場合とは違い、私もアレクも、生きているのにもかかわらず、実母とは引き離され育った。私の場合、実母に会えるのは年に数回だけ。
私が実母に自由に会えるようになったのは、十五歳も過ぎた頃。幼少時なんて、実母に会えたらそりゃあ実母がいいからなあ。育ての母(男)に、「おかあさまー」って甘えられるかっていうと違うし。いい匂いに柔らかい身体。幼少時に、もっと抱きしめてもらいたかった。
でも、私はまだ良かった。実の母に会えるから。
弟は違う。弟の実母である公爵家の姫君は、領地でひっそりと結婚し、ささやかに暮らしているという。……領地から出るのは叶わないということ。
彼女が一夜の過ちにいたった動機は、父上への恋慕が生じて、と本人が述べたそうだけど、ちょっと怪しい。彼女にはちゃんと恋人がいたらしい。そして現在の夫はその当時からの恋人だったりするらしい。ついでにいえば、夫となった男性は庭師で、身分が低い。貴族の娘っていうのは、ぶっちゃけ政略の駒なわけで、釣り合いのとれた男に嫁がせるのが常。
未婚の娘にとって致命的な不祥事があったからこそ、そうなったのか、不可能を可能にするために不祥事を了承したのか、怪しい匂いがプンプンします。
一回で妊娠、というのもその考えを助長します。
実は、一回で妊娠する薬、というのは存在する。女性が服用し、肉体関係を持つことで受胎する。ただし、母体の負担が重く、最悪命を落とすことだってある。
また、次の妊娠は望めなくなるかもしれない。だから、よっぽどのことがないと使用しない。手に入れることも難しい。そういう薬。
なんでこんなことを私が知っているかというと、最悪、使用する可能性を私が周囲から示唆されているからですね、はい! 一部の貴族階級以上のみの秘伝みたいなものですね!
というわけで、アレクの実のお母様。彼女はそれを使ったんじゃないかと思うんだけど、その辺はうやむやだ。いや、うやむやにされていること自体、きな臭い。
――なんにせよ、当時、父上は怒り心頭だった。彼女に厳罰を与えたかったみたいだけど、その場合、罪ってなに? てなるわけですよ。
国王を襲った? 性的に? 罪は罪かもしれない。
でも酔わせただけだし、少なくとも父上には薬などは使っていない。これは調べられ公表されている。彼女は王を害するつもりはなかった。
しいていえば、抱かれて子を身ごもったのが罪、と。
ていうか、下品ですけど、父上、女を抱けたんだって正直思いました!
酔ってても気づくじゃん。最愛の人だと勘違いしてっていうのも苦しいしね! 身体構造的にね! 突っ込む場所的にもね!
実際、大貴族たちのなかには、公爵家の姫君グッジョブ派も多かったんだと思う。
なので、彼女は、公爵家の所有する小さな領地での隠遁を言い渡された。社交界へは二度と戻れない。生んだ子ども――弟は取り上げられ、母親としての権利はすべて捨てる。
だから、弟は実の母と会ったことが一度もない。
しかも、父上の論理でいくと、弟は過ちの子なのだそうだ。愛の汚点。でも血統的にはこのうえなく正統。
……この辺も、私のストレスがたまる一因だ。
だって、弟優秀だよ? なのに、家族内で、冷遇ってほどではないけど、空気がね。父上は公爵家の姫君に謀られたって思ってるし、育ての母にとっては、自分が生めない愛する男の実の血を引いた子どもだし、兄は父と育ての母が大好きだから、その辺を感じ取っていて、弟をいじめたりはしなかったものの、儀礼的。
私はというと、実のお母様ラブで、父と育ての母にあまり懐けなかったので、弟との交流が多くなった。必然というやつだった。
よって、私と弟は仲が良い。
弟のアレクは十四歳。超優良物件になること間違いなし。
弟には、できるなら可愛いお嫁さんを迎えて欲しいと思っているんだけど、無理かなあ。
この世界的に? BLな世界的にね?
いや、可愛い同性でもいいんだけどね。あー、でも、私の負担をちょびっと軽くするためにも、弟も子どもを作って欲しいなあ。……なあ。
「姉上! 鍛錬場にいらっしゃるなんて珍しいですね」
打ち合いをしていた弟がそれを中断してこちらに駆け寄ってきた。自然と私の顔も綻ぶ。
「ええ。ちょっと……」
男を漁りに!
「ちょっと?」
不審そうに呟き、弟が私の背後を見た。そこにいるのは――私の護衛騎士。
おや。
普段は、すぐ側に控えているとは言っても、もう少し私と距離を取って護衛してくれているんだけど、近くにいる!
あ、鍛錬場だから? 城内とはいえ、外に設置されているし、ひらけた場所だものね。守り方も違うのかも。
「……あの者、今日は気配を殺していないのですね」
弟が護衛の騎士を見、私へと問うように呟いた。
「そうね」
なので、頷いておく。
――でも、そうなんだ? いまは気配あるの?
移動中、まるで一人で行動しているみたい! 煩わしくない! て思うことがあるから(……まあ、この護衛の騎士は自主的に口を開かないんで、それが主な理由になってる気がする)、『気配を殺し、空気のごとく!』とかで私も護衛の騎士の仕事ぶりを表現したけど。
表現しただけ!
そうです。私、気配とか、殺気とか、目に見えないものはわかりません。わかるのは物理的な距離ぐらいです。
気配の有無を察知できるアレクが常人としておかしいんです。
「姉上の護衛としても……比較的、長いほうですよね」
「ええ」
これには本気で頷いておいた。
いやね、王女の護衛なのに、今までがコロコロ変わりすぎだったから!
…………ん?
弟が――弟が、護衛の騎士を熱心に見ている。
なに、この熱い視線!
え? ちょっと待って?
ま、まさか……弟が、彼に一目惚れとか? そんな、弟まで? ……ごめん! いまは、応援できそうにないわ! さっき弟が好きな相手なら、同性でもって考えたけど、護衛の騎士、すぐにいなくなるだろうって予想はしたけど、その相手がアレクだっていうのは、主に私の心理的なダメージが……!
「……駄目よ。アレク。彼はわたくしの騎士だから」
釘をささせていただきます!
「――ますます珍しいですね。姉上が、護衛騎士にそこまで言うなんて。……お前、名は」
ひぃ! 名前? アレクがわざわざ護衛騎士に名前を聞くなんて? これは、興味を持っていることのあらわれ!
でも、おや?
護衛騎士は、口を開こうとしなかった。振りかえると、騎士は控えたまま、微動だにしていない。
「おい、お前」
再度アレクに呼びかけられても、やっぱり返事をしない。これは不味いでしょう。
「あなた。きちんとアレクに返事をなさい」
王女命令を下すと、護衛の騎士が、「は」とようやく言葉を発した。
「――申し訳ありません。しかし、オクタヴィア殿下」
濃い青い瞳が、私を見据える。
「私の主はオクタヴィア殿下ですので。殿下の許可がなくば、たとえ殿下の弟君であろうとも話すわけには参りません。それが名であれば、なおさら」
「……真面目ね」
言って、私は苦笑してみせた。
……そういえば、臣下が王族に名前を尋ねられて本人が名前を答えたら、あなたの元に下りますって意味になるんだった。いわば主の鞍替え宣言。裏切りですよ裏切り。
実際は、単にすーっかりそんなこと忘れてた!
すーんごい古い、エスフィアに伝わる風習。意味を互いがわかっていて行うなら、怖い行為だけれども、もはや形骸化している代物でもある。いまではほとんど気にされることはない。でも、この風習、『高潔の王』五巻において、シル様が新しい部下を得るエピソードで登場する。
「主ではない私とは口を聞かぬ。名を聞くなら、姉上にお尋ねしろということか? ずいぶんと古風な」
ハ、とこちらも理解したらしいアレクが笑った。
おお。偉そうな口調が板についてきてアレクの成長が嬉しいような悲しいような。最近、反抗期の片鱗が見えてきてるんだよね、アレク。
「姉上」
アレクが私に視線を戻す。護衛の騎士の名前を教えて姉上! てことだよね?
この風習の正解は、臣下の主に臣下の名前を尋ねること。
つまり、護衛の騎士の名前は、私がアレクに告げなければならないってこと。
あのね、アレク。お姉ちゃん、教えたいのは山々なんだけど……。
知らないんだってば!
あー、でもでも、ここで名前知らない! なんて言ったらアレクに幻滅されるよね?
広げた扇で、顔を隠す。
目が泳いでしまったのが、バレてないといいけど……。
て、護衛の騎士! 無表情のくせに、口元が僅かに歪んでいるように見えたんだけど? 私のこと、笑ってない? 私が答えられないのを知ってるんじゃ?
あ、思いついた。
私は扇を閉じた。先端で、護衛の騎士を指し示す。
「では、あなたの主たるわたくしが許すわ。アレクに名を教えなさい」
これならまあいけるでしょ!
「は。殿下、ご命令通りに」
騎士が作法に則り、恭しく傅く。
「クリフォード・アルダートンと申します」
前世のオタク知識だと、普通、西欧での爵位名は領地由来が多かった。それに引き替え、『高潔の王』世界、我がエスフィア国の貴族は、姓がそのまま爵位に直結しているので、とても覚えやすい。A公爵だけど、名字はAじゃないよBだよ! とか、名字を聞いて、何たら伯爵ですわね? とか言ったものの、実際は何たら子爵だった! 領地の名前が違うよー、赤っ恥! なんて間違えることもないのだ!
自分で言うのもなんだけど、私は特別頭が良いほうじゃない。数学も英語も苦手だった。十八歳分の人生の記憶はあるものの、それだけ。
そこにオクタヴィアとしての十六年を足したって、加算されるかっていうと、違うと思うんだよなあ……。生まれたときから前世の記憶はあった。私も子どもの頃こそ大人びていたし、「オクタヴィア様はとても優秀でー」なんてちやほやされたけど、実年齢が前世に近づくほど、そんなことも少なくなった。年相応になる。所詮は成人前の精神年齢でしかない。
――それはさておき。
護衛の騎士はアルダートン伯爵家出身かー。アルダートンは、貴族の中でも武で功績を立てた血筋だったはず。……あれ? でもあそこって、子どもは女の子しかいなかったような? 適齢期のイケメンなんていたっけ?
アルダートン……。アルダートン……。うーん……。
「クリフォード・アルダートンだと?」
うーん? アレクったらどうして驚いているんだろ?
「貴様が? ――馬鹿な。何故貴様のような者が姉上の護衛に……」
「アレク。そのような言い方をするものではなくてよ」
アレクが貴様なんて言葉を使うなんて!
「ですが姉上!」
「――殿下が許可されましたので」
護衛の騎士、アルダートンが口を挟んだ。その視線は真っ直ぐに私に注がれている。
「……そんな、姉上。本当ですか?」
アレクが愕然とした表情で私に問いかけてくる。
アルダートン――クリフォードという名前は覚えても無駄になるかもしれないけど、伯爵家としての姓なら、彼が護衛の騎士でなくなっても、社交の世界で役に立つかもしれない――が言っているのは、私が彼を護衛の騎士にする許可を出したってことよね?
思い返してみる。
三ヶ月前……、アルダートンの前任者は、運命の恋に落ちた結果、三日で退職した強者だった。で、急いで後任を決める必要があった。何日か経って、女官長により候補者がまとめられ、私のところに書類であがってきたのが数名。
その中にアルダートンもいたんだと思う。……うん、たぶん。
決定の際、いつものように、前世の秘技を私は使った。どれにしようかな、で決めた。だってどうせどいつを選んでもすぐいなくなるんだし。吟味したって、ねえ?
で、神様の言うとおり~で、人差し指が示した書類が、アルダートンだったんだと思う。決定したので女官長に「彼にしたわ」と渡して、それで終わり。翌日からアルダートンが無事、護衛の騎士に就任。
そして三ヶ月が経過した。私は無事平穏に過ごせているわけで、アルダートンは職務を忠実にこなしていることになる。
私はアレクに向かって微笑んだ。
「ええ。わたくしがアルダートンを選んだのよ。彼はとても良い仕事をしてくれているわ」
「姉上……」
アレクが嘆息した。
「姉上が――姉上自らがそうおっしゃるなら、私がとやかく言うことではないのかもしれませんが……」
すねた様子のアレクの、父上譲りの金髪に、思わず手が伸びた。
「……何ですか?」
誘惑に耐えきれず、頭を撫でてしまった。昔はむしろ撫でてとせがんできたのに、反抗期のせいで、この頃は拒否はしないまでも、私が頭を撫でると、アレクはちょっと不機嫌そうにするようになった。でもそれがまたかっわいいのだ!
一旦、頭を撫でるのをやめてぎゅーっと抱きしめる。
「あ、姉上!」
「アレクシス。大好きよ」
それから頭をなでなで。私の癒やしよ!
私の腕の中で深いため息をアレクがついた。
「姉上……。撫でられるほうの身にもなってください」
……私も撫でられろ、とな?
「あら。アレクが撫でてくれるの? いいわよ。……どうぞ?」
ちょっと屈んでみる。
「…………」
アレクがゆっくりと手を伸ばした。私の頭髪に掌がのり、撫でられる。しばらく私の頭を撫でていたアレクの手が下がった。私の下ろしたままの髪を指で梳く。侍女たちが熱心に手入れをしてくれるおかけで、シャンプーのテレビCMに出れるくらいのさらさら感だと自負している!
「……癖になりそうですね」
「そう? アレクの髪には負けるわよ」
「いいえ。絶対姉上の勝ちです」
「そうかしら? アレクのひいき目じゃないこと? 他の者なら……」
「――まさか他の男に撫でさせるつもりですか」
アレクに髪を引っ張られた。痛い。
「アレクったら。アレク以外に、わたくしの頭を撫でるような殿方がいるはずないでしょう? ただのたとえ話よ」
アレクも一応異性ではあるけど、弟だし、例外中の例外。
そう。もしそんな男がいるなら、真っ先に恋人偽装を頼んで……。
アレクとの一時を過ごしていた私は、すっかり忘れていた。
男漁りのために鍛錬場にやってきたということを!
その場で、鍛錬場を見回す。
……でも、意欲を削られただけだった。だって、あそこで組み手をしている兵士たち、あの密着具合や、嬉し恥ずかしの笑いあいはなんなの? つきあいたてのカップルか!
あっちの上官と部下! 何? あの、剣の振り方を教えていますっていう体での、後ろからの抱きしめ体勢は!
……鍛錬場は、いい男は、確かに揃っているわ……。
でも、駄目ね……。ああ、男同士のカップルの幸せオーラが、複雑に私の心に刺さる……。腐女子の魂は萌えの喜びに打ち震え、恋をしたい乙女としては、入り込めそうな隙の見えない、厳しい現実に打ちのめされる……。辛い。
いけないわ……。アレクの打ち合いの訓練相手を勤めていた若い兵士が、鍛錬場の隅に移動して、ただ同僚と雑談している光景すら、カップルに見えてきた。
「アレク……」
「姉上?」
「アレクは、まだ、わたくしといてね……」
巣立ちの日がくることは知っているけれど! せめて、遅めで!
アレクがにっこりと微笑んだ。
「はい、もちろんです。姉上」
私の弟は天使である!