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「二人とも、相変わらずのようね」
シシィは容姿から連想されるのと違って、大人しい文学少女なんだよね。
彼女の生家、レウレー家は代々ウィンフェル子爵の所領に住む学者の家系で、博識な人々の間では有名だったらしい。
研究内容は動植物について。あっちに珍しい動物が、植物が――となれば、どこでも赴く父親に連れられ、彼女は私と同い年にして隣国のカンギナや諸国を訪れた経験がある。
そんなシシィは、小説好きで、他国の書物にも詳しい! 複数の言語も操れる才媛!
カンギナに伝わる英雄譚があれほど女っ気なしで「お前のために死ぬなら本望だ」「もはや、これが……愛なのか憎しみなのかわからない」と男同士で言い合う私の腐女子魂歓喜の代物だったって判明したのも、シシィのおかげ!
夜。蝋燭の明かりでシシィが翻訳し貸してくれた本を読みつつ、台詞や行間に漂うボーイズラブの匂いに、何度寝台の枕を叩いたことか!
二次元な萌えの補給源は、他国にもあった……!
エスフィアとの戦争をカンギナ側から、カンギナが正義でエスフィアは悪! て感じで書いた話だから、当然城の書庫には置いてなかったし。
でも腐女子の観点からいうと、ウス王物語と甲乙付けがたい内容! 花丸です!
シシィとの手紙は毎回、読書感想トークで盛り上がる。シシィは清い目で物語を見ているけど、それもまた良し!
たまに会えた時なんて、私もシシィも大盛り上がりでつい周りを忘れがちになり、そんなとき、婚約者を窘めるのがヒューイ。
そして私もはっとし、緩んだ王女モードをきゅっと引き締めるのがパターンだった。
「殿下も、ご健勝そうで何よりです」
ヒューイがシシィの隣に立ち、正式な挨拶となる礼をした。
シシィもそれに倣う。
「……ヴィア様。申し訳ありません。嬉しくて、つい、手紙を書くときのように……」
「謝る必要はないわ。わたくしもシシィに会えて嬉しいもの」
扇を閉じて、私は満面の笑みになった。手と手を取り合って喜びたいほど!
そうそう。シシィは『黒扇』が平気なタイプ。この扇を入手してからすぐの時期に会ったとき、ぜんっぜん態度が変わらなかった。お父さんが動植物学者だから、レヴ鳥に対してもお父さん譲りの見方なのかも。
直接会ったのは、シシィが用事で王都に来た五ヶ月前で……手紙は一ヶ月前にもらったのが最後。返事を出したのに、シシィらしくなく便りがなくて、また私から出しちゃおうかなって思ってたところ。
「けれど……あなたたち、何故この準舞踏会に?」
嬉しいのは嬉しいんだけど、そこが疑問。
ヒューイは子爵になっていて、普段は領地にいる。シシィもヒューイとの婚約が決まってからは、ウィンフェル子爵領で子爵夫人となるべく修行中。
ウィンフェル子爵領から王都へは馬車でかっ飛ばして五日ぐらい。ただ、大がかりな橋の改修工事のため、いまは王都への直通ルートが断たれている。これが山越えの迂回ルートを使わなきゃとなると、倍どころか、四倍ぐらいの日数になる。当然、費用もかさむ。
一回の準舞踏会への出席のために、王都に来るのは労力がかかりすぎる。
それに、シル様といい、父上の執務室で目にした招待客リストに、シシィたちは載っていなかった。うん。絶対。シシィの名前がリストにあったら、私は気づく!
私の質問に答えたのはヒューイだった。
「諸侯会議のため、王都入りしているんです。会議は約一ヶ月後ですが、遅れることのないよう、前倒しで王都へ」
「諸侯会議……」
これは、エスフィア国中の領地持ち貴族を集めて行われる大会議のこと。
貴族議会が結成され、様々な問題が六日に渡り審議される。王都から離れて住んでいる貴族もこのときばかりは王都入りする。一応、お金を払えば欠席可。
いつ行うかは国王が決める。でもだいたいは、年に一度の舞踏会にあわせて開催されていた。だけど、今年の舞踏会はまだ先だし、これは季節外れの諸侯会議。
――そして原作だと、諸侯会議で、シル様と兄の結婚を巡り、お世継ぎ問題が取り上げられる。
もしかして、そのための諸侯会議?
まだ先のことだと思ってたのに、すぐそこに迫ってる?
王女は政治にノータッチなんで、たとえ会議が城で行われていてもそれに関わることなく、スケジュール通り私の日常は進むんだけど……お世継ぎ問題が浮上するなら無視はできない。
約一ヶ月後に諸侯会議、と。記憶!
「子爵家としてのウィンフェルは長年、領地に引きこもっていましたし、王都での逗留用の館も建てていなかったので……段取りを整えるためにも、シシィだけを連れて、領地は信用できる者たちに任せてきました。この準舞踏会へは、殿下が出席されると聞いて参加しました。……シシィの頼みで」
ヒューイがシシィに笑いかける。なんの思惑もない微笑みの応酬。
愛する婚約者の頼みで、ヒューイは頑張った模様。堂々とした惚気!
思い出したように、ヒューイが付け加えた。
「僕たちだけじゃありません。殿下のご出席を知り、レディントン伯爵に頼み込んだ貴族は多いようです」
「そう……」
私は頷き返し、
「それならば、シシィ」
シシィにちょっと抗議してみた。
「わたくしにも手紙で知らせてくれれば良かったのに。返事を待っていたのよ?」
私とシシィの仲なのに!
「――手紙は、届いていませんか?」
シシィがやっぱり、と言いたげな顔つきになった。
「……届いていないわね」
この様子……何かありそう?
シシィによると、王都入りをする報告で一通。王都に到着してからも、一通。私に手紙を出していたらしい。……でも、私の手元にはその二通は届いていない。シシィも、私からの返事がないので不思議に思っていたそう。
シシィの手紙は裏技で、特別扱いで届くよう手筈を整えていたのに。
同じ裏技でも、ルストへの仲介を頼んだエレイルからの手紙は、届いた。
王城外からの手紙だから? 城の窓口へ送られる前に、問題が起こったとか。
私とシシィが親しいのを、快く思わない人たちがいたから――黙らせたんだけど――いまになってまた妨害されてる?
反対の理由は、王女のご学友には貴族ではないシシィは相応しくないっていうもの。
いやいや、ご学友って意味では同性で同年代で博識なシシィって適任だから! あと身分云々も、王女本人が許している場合は、本来、特に問題にならないもの。ぶっちゃけ、私の側からの贔屓はあり! それが王女権力。……だけど逆は許されない。
とにかく、シシィからの手紙が届いていないようなのは改善しないとね! シシィとの手紙トークのためにも! ……シシィと話していると、高校でクラスの友達とお喋りしているみたいで、懐かしくて……楽しいんだ。
「ごめんなさい、シシィ。たぶん、手違いがあったのだと思うわ。次からは決してこのようなことが起こらないようにするから」
「ヴィア様……。お立場上、明かせないことが多いのはわかっています。でも、もし私にできることがあったら、何でもおっしゃってくださいね。もちろん、ヒューイにも」
「ヒューイにも?」
「ヴィア様のお力になりたい思いは、私もヒューイも同じですから」
シシィの言葉で、思い浮かんだ。
……そうだ。ヒューイに力になってもらえば?
偽の恋人役。それを引き受けてくれそうなフリーな貴族男性の知り合いは、私にはいない。
でも、婚約者持ちでも、と範囲を広げれば、そこそこ親しいほうの知り合いではあるのがヒューイ。シシィ繋がりでこうして内輪では名前呼びもしている。
かといって、恋人役を頼むなんて論外だったから、はなから除外していた人物。
シシィとめでたく婚約後、ヒューイは子爵位を継いだばかり。王都での基盤を整えるため、諸侯会議まではこっちに滞在するみたいだし、本人は不可能でも、友達を紹介してもらえばいいんじゃ?
男同士の交流ってものがあるはず!
女の子であるシシィと愛し合っているヒューイなら、私では見当もつかないその他派貴族とのツテなんかも……!
でもなあ……。
優しい目付きでシシィを見つめるヒューイを観察。
ヒューイは、たぶん恩を感じてくれていそうなのは伝わってくるんだけど、打ち解けることのできたシシィと違い、こう……丁寧なのに、一歩引かれている感じがする。かといって、嫌われているわけでもなさそう?
いい人タイプで、周りが助けたくなるような雰囲気を持っているのがヒューイ・ウィンフェル。
誠実で、腹芸は私より下手。ここは親近感!
でも、だからこそ、接すると、微妙な緊張感を持っているのがわかる。シシィが近くにいるとものすごく緩和されるんだけどね!
果たして、お友達を紹介してって頼むべきか。頼まざるべきか……。
悩んでいると、ヒューイのほうから話しかけてきた。
「殿下、その……」
ヒューイの視線が、人に囲まれて大人気のデレクへ向けられ、私へ戻った。言いにくそうに、言葉が続けられる。
「本当に、デレク様は破滅などしたりは……?」
ダンスの件? それより、気になることが。
「……名前を呼ぶほどの間柄だったのかしら?」
「殿下にダンスを申し込もうと決意して、はじめて王都を訪問して困っていたときに、デレク様に良くしていただいたんです。それが縁で。大貴族なのに、面倒見の良い方ですね」
ヒューイとデレクの意外な繋がりが判明した。
「わたくしとデレク様が踊ったことに、驚いた?」
「殿下は否定されましたが……僕は、栄光を掴んだ側だと言われています。デレク様のことを他人事だとは思えません。実際、僕を取り巻く環境は大きく変わりました。――過大評価だと感じるほどです」
デレクも、すごくヒューイのことを評価してたっけ。その評価自体は、私とは関係ないんだけどなあ……。
「……いいこと、ヒューイ。わたくしとダンスを踊ったところで、そこに意味などないのよ。ただのダンスだわ。それ以上でもそれ以下でもないのに」
「では、僕の状況は……」
「シシィとあなたの仲が成就するよう、手助けをしたのは認めるけれど、それだけよ。子爵としてのあなたへの評価は、あなたが形作ってゆくもの。ヒューイ・ウィンフェル、自信を持ちなさい。あなたが弱気なようでは、わたくし、シシィを任せられないでしょう? 別れさせてしまうかもしれないわよ?」
「それは、困ります」
ヒューイが即座に言い返し、息を吐いた。
「――そうならないよう、僕なりに、期待に応えなければなりませんね」
「ええ。頑張ってちょうだい」
頑張るのは私もだけど。
とりあえずは、私もこの準舞踏会で。
チラッとそれぞれ別の人垣の中にいるシル様とデレクに視線を投げる。
話題の人物の周囲に人が集まる。ごくごく普通の、平和な光景。
ただしこの準舞踏会、私にとっては、イレギュラーなことが多い。
デレクと踊ることになったのもそうだし――踊っている最中に教えてもらった、兄の記憶のことや、シル様の肉親が、この会場内に本当にいるのか、罠だったら、とか。シル様については、私が出張るよりデレクに任せておいたほうが良さそうだけど。
……そのデレクの存在そのものも、やっぱり謎だなあって改めて感じたし。シシィの手紙未達事件もこの準舞踏会に来たから、発覚した。
できることなら、いますぐすぱっと解決したい。
だけど、私は万能じゃない。
まずは自分のこと。ここでできること。
「――ところで、ヒューイ」
「……はい?」
「どなたか、あなたのご友人を紹介してもらえないかしら? この準舞踏会に来ている方ならなお良いわ。わたくし、新たなお友達を作りたいの」
ヒューイに、お友達を紹介してもらおう作戦を発動することにした!
が、わかりやすくヒューイが動揺した。
薄まっていたはずの、私への緊張感が復活してる。
「殿下はどこまで……いえ」
口ごもったヒューイが、折り畳まれた一枚の紙を取り出した。
「――オクタヴィア殿下に、僕の友人がこれを。受け取るかは、殿下がお決め下さい」
ヒューイの友人が?
私は紙を受け取った。ヒューイの瞳が見開かれる。
「殿……」
さっそく中身を読んでみた。
『饗宴の間にて、一曲お誘いすることをお許しください。
ルスト・バーン』
私がこの準舞踏会に来た目的であるルストからのメッセージ……!
饗宴の間は、この会場に幾つかあり解放されている間のうちの一つ。ルストはそこにいる?
紙切れをたたみ直し、私は顔を上げた。
「……彼と知り合いなのね?」
「位の同じ、子爵家に生まれた者同士ですし……所領も近いので、昔から交流がありました」
「彼が、雲隠れしてからも?」
「……そうです。神出鬼没で、もしオクタヴィア様が、自分のことを僕に尋ねてきたら、渡して欲しいと。昨夜、僕の元に現れ、内容を明かしてその紙を置いていきました。会場では、まだ見掛けていません」
いや、友達を紹介して欲しいって言っただけなんだけど……ヒューイがそんなことを頼まれていたなら、ルストのことしか思い浮かばないか。
ていうか、ヒューイへ友達紹介をお願いしてなかったら、私、ルストにはたどり着けずだったってこと? あ、危な……!
「――お会いになるんですか?」
「そのつもりよ」
「……失礼を承知で、お伝えします。あいつは、あまり王家に良い感情を持っていません。僕にとっては大切な友人ですが――殿下にとってそうかは」
保証できないってことだよね。
ルストは反王家で暗躍。兄やシル様と敵対するキャラクターだし。
「それなら、あなたも、わたくしにこの伝言を渡すべきではないわね?」
「あいつの話では、会うのを望んでいるのは、殿下のほうだと、お聞きしました」
「彼の言う通りよ。先に望んだのはわたくしのほう」
そして、そのルストから、場所の指定があったんだから、行かないはずがないでしょう!
私はシシィに目を向けた。シシィは、私とヒューイの間の空気がちょっと妙になってから、口を開いていない。でも、私たち二人を心配そうに見守っている。
「シシィ。わたくし、失礼するわ。こういった格式ばっていない場所で、あなたが王都にいる間に、またお話しできる?」
「はい。手紙にはお書きしたんですけど、翻訳した新作の本を持ってきたんです。ヴィア様にお渡ししないとって」
「……まあ!」
ものすごーく読みたい!
「手紙を……いいえ、使いを送るわね」
心の中にメモメモ!
対照的な表情を浮かべる二人の見送りを受けて、私は広間を出た。
饗宴の間では、ある趣向が凝らされていた。
音楽が奏でられ、人々がダンスに興じているのは『天空の楽園』内での共通事項。
違いは饗宴の間に入る客は、入口で事前に仮面の着用が義務づけられていること。
お楽しみ空間ですね!
顔を隠し、しがらみを一時の間だけ、完全に忘却。
有名人だと、髪型やドレス、服装、体型なんかでも誰かバレバレなんだけど、そこはそれ、身分には目を瞑って楽しみましょう! 本当にお互いが誰なのか、わからないことだってある。
私も金色の装飾が施された仮面を手にした。顔の上半分を隠すタイプ。装着!
離れて護衛していたクリフォードも、私に合わせて移動してきている。饗宴の間での護衛任務に入ろうとしていたクリフォードに、だけど待ったがかかった。
「護衛の騎士殿も、仮面をお着けください」
クリフォードが眉をひそめる。
見れば、招待客だけじゃなく、会場が用意している警備や給仕も、饗宴の間では仮面を装着している。護衛の騎士だけ素顔ってわけにもいかないらしい。
「クリフォード。規則のようだわ」
「……わかりました」
仮面を配っている青年がクリフォードに手渡したのは、漆黒の仮面。仮面のカラーやデザインはいろいろあるのに、さすが会場のプロ。彼は入場する一人一人を見て、渡す仮面を選んでいたらしい。
漆黒の仮面は、クリフォードに異様に似合っていた。顔を隠しても、超優良物件は、ますますそれが引き立つのか……。うまい具合に騎士成分が中和され、野性的な面が出てるっていうか……。
それと、仮面を被っていても、制服を着用しているし、そうでなくてもクリフォードを見間違えることはないんだけど……どことなく普段とは違う気分で見てしまう。
――身分を忘れて、か。
凝視していたら、仮面から覗く、あの濃い青い瞳に見返され、何となく視線を逸らす。
気分が違うからか、恥ずかしい感じ? ……うん、たぶん。
「……殿下?」
「行きましょう」
私は早歩きになった。
二人とも仮面を着けているので、今度こそ、待ったがかかることなく、饗宴の間へ。
誰一人として素顔を晒していない空間へ、私たちも混じった。




