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「それなのに、オクタヴィア様は、胸に秘めていてくださいました。感謝しています。おれとセリウスのことを反対しているのなら、真っ先にこのことを公表すれば良かったのに」
「わたくし……」
駄目だ。思考停止。
シル様、以前から、『私が知っていた』ということを前提に話してる?
何故に。
シル様の出自が不明だなんてことは、原作小説を読んでいればむしろ知っていて当たり前の知識。でも、そんな素振りをシル様に見せたことは……私、失言してた? というか、失言できるほど、シル様と会ってない! 何らかの行き違いによる、シル様の思い込みな可能性が……!
いやいや、実際に私は知っていたわけだから、結局正解?
「わたくしには、シル様が何をおっしゃっているのか……」
「――これは、おれのもとへ戻るよう、オクタヴィア様が手配してくださったものではありませんか?」
礼服に身を包んだシル様が、首元からペンダントの鎖を引っ張り出した。外すと、手のひらに載せる。鎖に通してあるのは、小さな小さな指輪。どんなに細い指の持ち主でも、大人では指に填めるのは難しい。
シル様が見せてくれたのは、守りの指輪、と呼ばれるもの。
こんなところで、これが出てくるとは……。
指輪を食い入るように見つめて、私はため息をついた。
「……商人が、話したのですね」
――子どもが生まれると指輪を作って持たせ、お守りにするのがエスフィアでの習わし。赤ん坊の指に合わせたサイズだから、とても小さくなる。そうして作られた指輪の名称が、守りの指輪。
一人につき、一つだけ。作るのは生みの親。指輪の内側に、赤子の姓名と生年月日を彫る。
その赤子が養子に出された場合、姓は違ってしまうわけだけど――紛失したり、何らかの理由で作られていなかった場合は別として――実の両親を尊重し、以前の姓名は残し、新しい姓を追加して指輪に彫る。
シル様の指輪には、『シル』という名前と生年月日。バークス家の養子に入ってからの、『シル・バークス』という文字が彫られてある。
ここからわかることは、シル様の実の両親と育ての両親が違うということ。
指輪自体は作っているから、実の両親からシル様への愛情はあったということ。
実の両親の姓が彫られていないので――記せなかったということ。
なにがしかの問題を抱えて誕生した赤子の場合は、名前だけになってしまう。身元不明と同じ。そして、訳あり。
――さて、シル様と実の両親を繋ぐ唯一の物品である、この守りの指輪。原作小説開始早々、バークス男爵家から盗まれてしまう。犯人はシル様に懸想していた男爵家の使用人。想い叶わず、その腹いせに、シル様が守りの指輪を入れていた宝石箱を持ち出して、行方をくらましてしまった。使用人は指輪が入っているとは知らず、シル様が大切にしていたから盗んだんだけど……クズですね!
時は経ち、シル様はある人物と城下に出かけた際、この指輪を店で発見し、買い戻す。
ある人物が誰かって?
――私です!
オクタヴィアが宝飾品も扱っている店に入り、シル様は店内で売られていた宝石箱に目を留める。盗まれたものにそっくり。そう。使用人は宝石箱を売り払っていた。開けると、中は空っぽ。次にシル様は箱の二重底を開く。そして現れたのが、シル様の守りの指輪。仕掛けの中に隠して保管してあったから、見つからずに無事だったんだよね。
以来、シル様は、指輪を鎖に通し服の下にペンダントとして身につけるようになる。
だけど、原作とは違い、この世界では、私とシル様が城下で仲良くお買い物なんてあり得ない光景だったりする。
ということは、シル様は、守りの指輪を取り戻せないかもしれないわけで……。
そんな、まさかね。
私と行かなくても、兄と出掛けて店に入るとか、別の方法でシル様も取り戻すはず。
大丈夫大丈夫。楽観視していたら、ある日、事件は起こった。
まだクリフォードが護衛の騎士になる前ぐらい。護衛の騎士がぽんぽん交替していた頃、城下視察の一環として、私は『黒扇』を特注した商人が構える店を訪れた。
……そこで、店内で売り出されていた、それっぽい宝石箱を、発見してしまったのである……!
思い違いかもしれないと、恐る恐る手に取った。二重底なんてないかもしれないと、確認してしまった。……小さな指輪が入っていた。……内側に彫られた文字は違うかも!
シル様の、守りの指輪だった。
……うん。
指輪を、そっとしまい直した。
押し寄せる責任感と罪悪感。
シル様が指輪を取り戻す時期は過ぎていたのに、店にある……!
馬鹿な……。これ、明らかに私がオクタヴィアなせい?
出生の秘密を持つ主人公に残された実親との繋がり。『高潔の王』では、それに該当するのが守りの指輪。
主人公が、今後も取り戻せないままなんてこと……。
そんな、まさかね。
とは、現物を前にしてはもう思えなかった。
――そして私は考えました。
シル様へ守りの指輪を届ける方法を。
宝石箱を買ってしまって、私が直接シル様に渡す。……いろんな意味で厳しい。シル様の滞在する館を私が訪ねるには、それらしい理由をつけてスケジュールを調整し通達、向こう側の返答も待って……と、すごく仰々しくなり、かつ目立つ。
城にシル様が来たときを狙って会う――可能だけど、これだと兄も当然シル様の側にいる。兄の目の前で、いきなり私が宝石箱をシル様に渡したら? 不自然すぎる……!
直接は無理。なら、間接的に。他力で!
私は、店を営む商人に目をつけた。
王女になって知ったこと。人は権力とお金に弱い! 商人を口止め込みで買収。シル様のところへ、宝石箱とカモフラージュの商品を持って行商へ行ってもらった。
シル様に宝石箱を見てさえもらえれば、あとの展開は決まったようなもの。
現に、宝石箱をシル様が購入したと商人から報告を受けて、私はすっかり安心していた。
――のに。
「……いつ、わたくしが関与していると?」
「商人が、おれが滞在している館へ行商で訪れたときから、です」
早すぎ。
「出入りする人間は、精査されるので……。追い返されそうになった商人がそのときに、自分が来たのは王女殿下のはからいだと」
行商が貴族の館を訪れて売り込みをするのは珍しくない。むしろ喜ばれるのに、そこまで徹底するってことは、兄の意思?
「オクタヴィア様の名前を出したため、おれが会って判断することになったんです。商人は、バークス家から盗まれた宝石箱を商品として持参していました。――箱の中には、この指輪が」
シル様が、指輪を乗せた手のひらを少しだけ持ち上げた。
「商人から、オクタヴィア様は店にあった宝石箱から指輪を見つけ、戻してからすぐ、おれのところへ行くよう指示を飛ばしたと聞き出しました。箱は絶対に開けるなと厳命され、理由は教えられなかったとも」
複雑さの滲む笑みが、その口元に浮かぶ。
「――『知った上』で配慮して下さったんだと、気づきました」
つ、筒抜け……。こめかみがピクピクするのを感じる。口止め込みで買収したのに。もう、指輪がシル様の元に戻らないよりはマシだったと思うしか……。
落とした視線の先。シル様の手のひらの上では、守りの指輪がささやかに煌めいている。
――あれ?
私は瞬きした。
指輪の外側に、装飾文様が描かれている。
お店で見たときは、シル様の守りの指輪なのか否か、内側に彫られている文字のほうに気を取られていて、たぶん見過ごしていた。だけど、これって……。
私の手の甲に、一度、鮮やかに浮かんだもの。
『従』が『主』に対し、つける繋がり。
――『徴』の文様に、似てる?
「オクタヴィア様」
名前を呼ばれて、我に返った。
シル様と目を合わせる。シル様は、守りの指輪を握りしめた。
「お願いします。――事故のことを、セリウスには伝えずにいてくれませんか。どうしても、準舞踏会に行きたいんです」
そうだった……!
本題は、事故にあったシル様の処遇。私のほうは、シル様を説得して、兄に使いを送るつもりで話していたんだよね。
それなのに、シル様による予想外すぎる怒濤の連続告白で、本題のほうがすっかり頭から吹き飛んでた……。守りの指輪の文様も気になるし。
「…………」
扇を顔に寄せ、ふわふわ羽根の感触で心を落ち着ける。
さて、どうするか。
「シル様。実の家族が準舞踏会に出席するという情報の、信憑性は? 罠の可能性はないのですか?」
「可能性は――否定できません。もしかしたら、馬車の暴走も、事故ではないのかもしれません。ですが少なくとも、おれへ情報を流した者は、おれがバークス家に生まれるはずだった第三子ではないと知っています」
「……罠であったとしたら、仕掛けた者もまた、準舞踏会にやって来るでしょうね」
「ええ。その者は、おれの実の両親についても、何かを……。それに賭けたいんです。……いいえ、いまのところ、それに賭けるぐらいしか」
「賭け、ですか……」
よし、決めた。
私はパシンっと扇を閉じた。
「兄上には知らせませんわ」
「……良いのですか?」
希望は持っていたものの、半ば諦めていたのに正反対の答えが返ってきた。そんな顔をシル様はしていた。榛色の瞳が見開かれている。
「構いません。わたくしが決めたことです」
罠の可能性も織り込み済みでシル様は行動を起こしたみたいだし、その心意気に応えましょう!
シル様が乗った馬車の暴走にオクタヴィアが遭遇し、シル様が出自の手がかりを求めて準舞踏会に出席する、なんて出来事は原作小説では書かれていなかった。もちろん、すべてのことが小説で書かれているわけじゃない。私がシル様と城下へ出かけなかったように、書かれていても実現しないこともある。
もしかして、一連のことって、守りの指輪がシル様の手元に戻るのが遅れたせいで起こっているのかな、なんて勝手に思ってしまっていたり。
吉と出るか凶と出るか。この変化を生かすことは、私にとってもある種の賭けだ。
吉と出る、に賭けてみようじゃありませんか。
――兄がシル様一筋のまま国王に即位して、世継ぎ? 世継ぎは妹から子どももらうから!
ていう決着でめでたしめでたしになる未来への予防策として、せっかくのこの機会、シル様に恩を売っておこうという打算も、少々。嘘です。……少々より多い。
「ただし、条件があります」
「……はい」
シル様が真剣な面持ちで頷いた。
私がシル様に出した条件は、全部で三つ。
一つ目、『天空の楽園』まで、シル様も王家の馬車に同乗すること。
着くまでにまた危険なことが起こらないとも限らないもんね。私も準舞踏会の出席者で、目的地は同じ。それなら一緒のほうが安心できる。
二つ目、デレク・ナイトフェローには馬車の事故のことを話すこと。
兄に知らせない以上、そのかわり、ある程度の事情を伝えておくなら誰かって考えると――兄側の人間であり、シル様のいわば共犯者でもあるデレクになる。
三つ目、実の家族について何かわかったら、私にも教えること。
これは……単なる私の我が儘です! 試しに言ってみました! 原作小説では不明だったシル様の正体だよ? 『徴』に似たあの文様といい、知れるものなら知りたい!
――で、こうなった。
「…………」
「…………」
「…………」
『天空の楽園』へ向かう、短い旅路は再開された。
馬車内の乗車人数は、計三人になっている。
私、シル様。そして――クリフォード。
私とクリフォードが隣り合って座り、向かい側の座席にはシル様という配置。
普段、私に護衛されているということを感じさせないほど控えているのが上手いクリフォードも、この限られた密室空間では空気というわけにはいかない。座っているだけなのにもかかわらず、その美丈夫っぷりで存在感を放っている。
……何故、こうなったのか?
馬車移動における、エスフィアの丸見え文化が関係している!
兄の恋人とその妹という関係とはいえ、私とシル様は未婚の男女。しかも私は王女。
馬車の事故に遭ったシル様を乗せただけ、という事情はあっても、それは後で説明しなければ目撃者にはわからないことだし、憶測は生んでしまう。……まあ、それでも、シル様がデレク・ナイトフェローと乗ることに比べれば、全然だとは思うんだけどね!
考え出された解決方法が、乗車人数を増やすこと。
二人きりが駄目ならば、三人にしてしまえばいいのだ!
制服で護衛の騎士だとひと目でわかるクリフォードが最適という結論が出た。
これは警護の面からも提案された。
再出発にあたり、男爵家の御者と壊れた馬車のことを任せるのに、兵士が一人、警護から外れている。八人から七人へ。守られる側としてはたいした違いじゃないように思えるけど、守るほうとしては、この差は大きいらしい。
ただし、馬車内にも警護の人間がいれば、不安要素は大きく軽減される。実際、警護目的で騎士や兵士が同乗することはないわけじゃないし、この場合は、どんな組み合わせで馬車に乗っていようが問題視されない。ケースとしては少ないけどね。よっぽどな危険地帯を通るときぐらいかな。
そういうわけで、私たちは三人で馬車に揺られている。
「…………」
「…………」
「…………」
私がクリフォードをシル様に紹介して以降、誰一人として口を開いておりません!
――でも。
私は扇越しにシル様の様子を窺って、ちょっと首を傾げた。
シル様、クリフォードが気になっているみたいなんだよね。それも、訊きたいことがあって、思い切って話しかけようとするも、結局止める、を繰り返しているような感じ?
何だろ。
はっ! もしかして。
もしかして……さっき、クリフォードにも聞かれているのに、あんなに突っ込んだ話になってしまったことが引っ掛かってるのかも? 私はクリフォードを信用しているから問題なくても、シル様にとっては知らない人間だし。……私が保証してみる? 原作小説ぐらい私とシル様の仲が良いなら効果もあるんだろうけど、あんまり意味なさそうな……。他には……。本人の宣誓?
「――シル様。クリフォードの宣誓を望みますか?」
「……宣誓、ですか?」
何故? とでも言いたげな表情が返ってきてしまった。あれ? 違う?
「わたくしとシル様が先ほどお話ししていた内容について、見聞きしたことを外部に漏らさないという宣誓ですわ」
「ああ……そういうことですか」
シル様が納得したように頷き、ついで首を横に振った。
「事前にオクタヴィア様とアルダートン様の間で、他言無用と取り決めて下さっていましたよね。それだけで充分です。疑うつもりはありません」
「ですけれど……」
「オクタヴィア様が信頼を置く方なのでしょう? それに……」
「それに?」
言うか言うまいか迷っている様子だったシル様は、私が促すと口を開いた。
「その……アルダートン様は、四年前に、おれの命を救ってくれた方、ではないでしょうか?」
シル様がクリフォードを気にしていた理由は、これ?
四年前というと、いま、シル様は十七歳だから、十三歳のとき。クリフォードは、二十一歳のとき。ただ、命の恩人にしては、クリフォードのシル様への反応がなさ過ぎるような……。シル様も確信が持てなくて、訊こうとして止める、の繰り返しになっていた、と。こういうことかな。
「わたくしは存じませんが……。クリフォード」
自分のことかもしれないのに、窓の外へ視線を定めていたクリフォードが、私のほうを向いた。それから、シル様に対し、首を振る。
「私がバークス様を知ったのは、殿下の護衛の騎士に就任してからのことです。今日まで、言葉を交わしたこともありませんでした。――人違いかと」
失望の色が、シル様の榛色の瞳に宿った。
「別人、なんですね……」
深いため息と共に言葉が吐き出される。
「申し訳ありません」
クリフォードの謝罪が、どこか冷たさを伴って響く。
「――シル様を助けた方は、それほどクリフォードに似ているのですか?」
「似ているんですが……顔形がというわけではなくて……それより……すみません。うまく言えません。どちらにしろ、おれの勘違いでしたから」
シル様の命の恩人。かなり重要だよね。原作小説にはなかったけど……うーん、これは、ターヘン編で語られる予定だったエピソードとか?
「その方に会えたら、お礼を?」
「はい。助けられたときは言えずじまいだったので、会えたら、お礼を言って……尋ねてみたいことがありました」
「尋ねてみたいこと?」
「……あなたは、おれの肉親ではありませんかって」
命の恩人も、出生の秘密を掴む手がかり?
私の疑問を読み取ったのか、「そうじゃないんです」とシル様は苦笑した。
「根拠は、何もないんです。ただ、おれがそうだったらいいと思っているだけで」
そのシル様の言葉を最後に、馬車の中は再び沈黙に包まれた。




