23
うーん。眠い。
昨夜、あんまり眠れなかったのが効いている。
アレクが体調を崩し、寝込んでしまい――実際は密旨を受け旅立ったわけだけど――夕食会はなしになった。家族全員で食べましょうっていうのがコンセプトなので、顔を出せない家族がいるときは、夕食会そのものが取りやめになる。
そこで、自室で手早く夕食をとり、入浴。就寝という流れで、私は通常のタイムスケジュールより二時間半もはやく寝台に入った。
ところが、眠れなかった……!
明日は久しぶりの準舞踏会だと思うと、逆に目が冴えてくる始末。ルストと会えるのかとか、何か失敗しないかとか、覚悟を決めたとはいえ『黒扇』を持っていくことによって受けるだろう中二病扱いに堪えられるかとか! それから……!
前世の修学旅行のときもそうだった。大きなイベントごとの前夜は、緊張や不安でドキドキして眠れない現象! 朝方になってようやく猛烈な眠気が訪れ、眠ったと思ったら目覚まし時計でたたき起こされる! そして寝不足でイベントに挑む。
今朝の場合は、私を起こしてくれたのは目覚まし時計じゃなくてサーシャだけどね!
それでも、選んだ戦闘装備一式を身に付け、髪型、化粧等、着飾り終える頃には、眠気も消え去っていた。
その眠気が復活したのは、さっき。
準舞踏会が開かれる『天空の楽園』行きの、仰々しい四頭立ての馬車へ乗り込んでから。
――身体に伝わる心地よい揺れが、眠気を誘う。
王家の馬車だけあって、内部が快適に改造されているのも、この場合に限っては難点だった。
長時間座ることを想定して作られた座面、背もたれの弾力! ちょうど横たわれるぐらいの椅子の長さ!
そして忘れてならないのが、御者の腕!
主要な街道は整備されているとはいえ、悪路もあるし、混雑している。くわえて、速度を出せば馬車は揺れまくるもの。ガッタンゴットンどころの話じゃない。馬車酔いで吐き気が……なんてことはざら。
ところが本日の馬車の揺れは、それなりの速度を出しながらも必要最小限。……次に馬車を使うときのために、後で御者の名前を聞いておこう。
「…………」
眠気の分析をしてみても無駄だった。
すべてが「着くまでの一時間、されど一時間。横になるぐらい、いいんだよ? さあ、お眠りオクタヴィア!」って私を誘っている!
良くない、良くない。この箱型の馬車には、全方向で大きな窓がついている。
死角はない! 馬車の中は丸見え!
そして、道中は、クリフォード以外に、七人の熟練兵士が馬で馬車の周囲を囲み、警護にあたってくれている。前方三人、後方三人。馬車の両脇に一人ずつ。
眠ってはいけない……! 私寝相悪いし、たまに寝言を言うし! 寝顔を晒す度胸は……!
第一、私はサーシャたちが仕上げてくれた正装姿。髪も基本は垂らしているけど、一部は結っているし、横になったら乱れてしまう。
でも、目を瞑るだけなら……。ダメダメ! 目を瞑ったら座った状態で眠る自信アリ!
我慢、我慢……。
そうだ! 外の景色を見よう! 端に寄って、と。
「…………?」
途端、私は風景に釘付けになった。
――後方から、二頭立ての馬車がふらふらと、かなりの速度で走ってくるのが、見えた。
進んでいる方向は同じ。街道の幅は、馬車数台が並んでも余裕。準舞踏会が開催される日は、乗っている人間の身分がどうこう、といった理由で馬車同士の追い越しがうるさく言われることはない。
こんな日でもないと王家の馬車を抜かせないと、わざと試みる貴族もいる……んだけど、そんな雰囲気ではなかった。
後方の車輪が片方外れ、箱型部分、その一部が地面と直に接触している状態で走行している。
それだけじゃない。御者が、手綱を握っていない。腕をだらりと伸ばし、意識を失っている? 馬は操縦者を失っても前進しているようだけど、箱型部分は大きく傾き、上下左右に激しく揺れている。
馬車の扉が開け放たれ――。
て、え?
「……シル様?」
眠気が完全に吹き飛んだ。
男だとはっきりとわかる、それでいて中性的な美貌。暴走中の馬車から姿を見せたのは、兄の恋人であり、原作小説の主人公であるシル様だった。シル様は、御者台へ行こうとしている。でも、大きな揺れに阻まれてしまった。
うわあああああ。シル様が片手だけで木製の扉に掴まってるううう!
「クリフォード!」
馬車の窓越しに、すぐ横を併走しているクリフォードに私は叫んでいた。
「向こうの馬車の制御を!」
返事はなかったけど、クリフォードが、馬の方向を変えた。暴走する馬車に接近してゆく。でも、そこで私の乗っている馬車のスピードが落ちた。どんどん引き離される。
馬車の事故は、よくある。どんなに頑丈に作っていても、車輪は外れるし、馬が突然あらぶって制御不能になるのも、多々ある。では、そんな事故の中でも、暴走馬車に行き合った場合の対処法は?
――間違っても近づくな!
どこかに激突すれば、馬車は必ず止まる。乗車している人間の無事よりも、下手に近づき巻き込まれ、被害が拡大することを防ぐことのほうに主眼が置かれる。
だから、速度を落とし、距離を取ろうとした御者は正しいんだけど。
「御者! あの馬車を見失わないように! 可能なら並びなさい!」
街道を、暴走する馬車が疾走し、少し遅れて私の乗る四頭立ての馬車が追う。馬が興奮し出しているのか、シル様の乗っている馬車の速度は上がる一方。しかも、一個だけの脱輪だったのに、後方のもう片方の車輪も、負荷で外れかかっている。
……クリフォードはっ?
進行方向を見る。御者台のすぐ脇まで自分の馬を寄せ、うまく並んだクリフォードが、飛び移った!
手綱を握った、んだと思う。少し、暴走していた馬車の速度が落ちた。
私の乗る四頭立ての馬車と、シル様の乗る馬車が、走りながらちょうど並行になった。
このまま減速すれば……。
「!」
ついに、外れかけていた片方の車輪が、吹っ飛んでいった。
もうすぐ街道の直線は終わり。減速しきらないまま、緩やかなカーブに入ってしまう。クリフォードが手綱を握ったとはいえ、そのとき二輪しか残っていない馬車が、耐えきれるかどうか……。
「馬車と馬車を近づけて!」
御者に向かって呼びかけて、私は金色の取っ手に手をかけた。馬車の外開きの扉を開く。風が顔を叩きつけた。腕の良い御者だったのが幸いした。ジリジリと、私とシル様の間の距離が近づく。これなら……!
「シル様。こちらへ!」
「オクタヴィア様っ?」
大きめの石に引っ掛かり、向こうの馬車がひときわ大きく揺れ――揺れを通り越して、跳ねた。投げ出されそうになったシル様が顔をしかめる。
「お早く!」
私が差し出した手をシル様が握った。右手でこちらの馬車の扉を掴み、縁に足をかける。カーブに入る前に、シル様は、馬車から馬車へと乗り移った。
直後、馬車はカーブへ。二台とも、曲がりきった、けど……シル様がいた箱型部分は、横倒しになって、二頭の馬に引きずられるだけの有様になっていた。
まさに危機一髪?
馬車の事故、怖い。
カーブを脱し、ほどなくして暴走馬車は止まった。いまは邪魔にならないよう、路肩に寄せられている。二頭の馬は、制御不能に陥っていたことなど忘れたように、クリフォードに鼻筋を撫でられ気持ちよさそうにしていた。クリフォードが騎乗していた馬も利口で、自力で主人のもとへ戻ってきた。
安全が確認され、事後処理に当たるため、私とシル様は王家の馬車から降りた。乗りかかった船、お礼を言われたそばから、「無事で良かったですね、はい、ではさようなら!」と別れるわけにもいかなかった。
結果を言えば、人的被害はなし。
一応、事故の原因の一つは、脱輪。後方の車輪が外れ、馬車がバランスを失ったこと。一つは、老齢の御者が発作により、意識を失ったこと。これで馬の制御が不可能に。どちらが先なのかは、はっきりしない。
介抱し、御者の意識は戻ったけど、兵士の一人に医者に診せるよう頼んである。
あとはシル様を兄の元に送り届けるだけ、と私は思っていた。もしくは兄を呼ぶか。最悪、公務で兄自身が来れなくても、代理の人間が即行でやってくるはず。
なので、私はシル様に「どうしますか?」と尋ねた。
でも、返ってきた答えに、私は困惑することとなった。
どちらも否、だったから。
このまま、向かっていた場所へ行くってこと?
「兄上に知らせずに? それで良いのですか? シル様――」
言葉を重ねようとして、私は口を噤んだ。
私とシル様を警護目的で囲んでいた熟練兵士たちの目に宿る、光。
好奇心! プロフェッショナルに徹しようとしつつも、隠せない好奇心が彼らの目に!
「――あなたたち、少し離れていてちょうだい」
彼らにそう頼み、路肩から移動することにし、王家の馬車を止めてあるところまでシル様を誘う。
これで兵士たちを気にせずに話ができる。クリフォードは護衛の騎士として、いつもの距離にいるけど……。
念のため。
「……クリフォード」
「他言無用、でしょうか」
「そうよ」
私はシル様と向かい合った。
会うときは、大抵――もとい、必ず兄も一緒だったから、一対一では、はじめて。
日の光を受けて、濃紺の髪がきらめいている。瞳は榛色。どちらも、挿絵や小説の描写では、美しさがピンと来なかった色。本物はひと味違う、としか言いようがない。
――シル様の正式名称は、シル・バークス。バークス男爵家の三男、ということになっている。曖昧な物言いなのは、シル様に出生の秘密があるから。バークス家は、不倫貴族派でもある。男爵夫人が三人目の子を死産で失った直後に、引き取られたのがシル様だった。そのまま三男としてバークス家で育てられたものの、実の両親が誰なのかは不明。
ちなみにこのことは、読者は結構初期からわかっているけど、作中では中々暴露されません!
今回、シル様は、バークス家の人間として、とある準舞踏会へ出席するため、馬車で会場へ向かっていた。……奇遇ですね! レディントン伯爵主催の準舞踏会ですよ!
でも、私が目にした招待状の出席者一覧には、シル様の名前はなかった。
それもそのはず。シル様も、急遽参加することにしたそうな。
しかも、私の予想では、兄には内緒で?
シル様は普段、バークス男爵家の領地ではなく、王都に滞在している。領地持ちの貴族なら王都に一時逗留用の館も有している。その館から、開催時刻に合わせて出発。
人員は、シル様と、男爵家に長く仕えている御者と、行きだけの賃金で雇ったフリーの護衛。計三人。
男爵家の三男って地位を考えると、妥当。だけど、王子との結婚も確実と噂されている恋人としては、不安が残る人数かつ面子。かといって、シル様個人がいまの段階でエスフィアの兵を所用で借りれるかっていうと……。兄が便宜をはかる、という形ではじめて許容される。
そして、誰でも雇えるフリーの護衛は、賃金以上の働きはしなかった。現に、馬車の暴走を知ってこりゃ駄目だってトンズラしている。シル様だけが馬車に取り残されていたのはそのせい。……まあ、後で自分が誰を見捨てたのかを知ったら、震え上がるかもしれないけど。
兄が知っていたら、シル様を一人で行かせるはずがないのに、この状況。
「シル様。――このような事故があった以上、わたくしは兄上にお知らせするのが一番だと思いますけれど」
シル様にとって、一番安全な場所は、兄の側。車輪に細工の跡がないか。御者の発作が偶然か。トンズラしたフリーの護衛についてとその行方。こういうことも兄は調べるだろうし。
「それでも、知らせずにいたいと?」
「……そうです」
私からの質問に対し、返ってきたのはきっぱりとした一言。榛色の瞳にも、揺るぎがない。
「喧嘩をなさっているわけではないのでしょう?」
王城の一角で、熱烈なキスを交わし合っていたのは、記憶に新しい。
頷いたシル様は、はっとした様子で、畏まってしまった。
「オクタヴィア様。――先日は、ご無礼を」
「その言葉が兄上の発言についてならば、シル様が謝罪なさることはありませんわ」
愛する者云々? あれを言ったのは兄だしね! 恋人同士であっても、兄は兄! シル様はシル様!
「それより、シル様。レディントン伯爵の準舞踏会に出席すること、兄上には伝えていないのですね?」
「はい……」
シル様が、観念したように認めた。
「セリウス……殿下はこのところピリピリしていて、おれが出歩くことを好みません。王城と男爵家の館ぐらいしか……。言えば出席などとても」
首を振り、ため息。
やーい! 兄め、シル様に出し抜かれたー! おっと、いけない。つい……。シル様は事故に遭ったんだし、喜ぶところじゃなかった……。
にんまり笑いになりそうになったのを、広げた扇で隠した。顔を引き締め! 王女の威厳。王女の威厳!
「わたくしの前だからといって、セリウス殿下などと呼ぶ必要はありませんわ。――よく兄の目をかいくぐれましたね?」
「デレクが協力してくれました」
「ナイトフェロー公爵のご子息が……」
兄の友達の一人。デレク・ナイトフェロー?
「彼もレディントン伯爵の準舞踏会の出席者でしょう。デレク様の馬車に同乗なされば宜しかったのでは? シル様が頼めば……」
おじさま用と、デレク用。馬車も二台出るんじゃないかな。安全度も断然高い。
「それは、さすがに……。無用な詮索を受けることになりかねません。おれはセリウスの恋人ですから」
目から鱗が落ちた。
そうだった……! ここはエスフィアの王都!
男同士であっても、まず友情より、恋愛が疑われる世界!
私が浅慮でした……!
第一王子である兄の恋人のシル様が、次期ナイトフェロー公爵と馬車に二人きり! 「三角関係か! シル・バークスは次期公爵にふらついているのか!」てなるわけですね……。
まあ、馬車って窓がつきものだから、中でこっそりイチャイチャとか出来ないんだけどね! 外から丸見え! 備え付けのカーテンを下ろせば、窓をすべて塞ぐことはできる。も、そんなことをしたら、「何か怪しいことを中でやってまーす!」て公言しているようなもの。
だからピッカピッカに磨きこそすれ、窓に余計な小細工はしない。日差し避けにカーテンを下ろすにしても、必ず馬車の内部が見えるようにはしておく。
思う存分見るが良い! それがエスフィアにおける馬車移動! 下手な真似はできない空間なのです!
幌馬車とか、乗り合い馬車もあるから、用途が決まっていれば別。
ただ、王族や貴族が個人で所有する馬車でありながら、窓無しや窓を隠したものが走っていれば、醜聞扱い。色眼鏡で見られる。
それぐらいなら、窓から丸見えでイチャつくほうがよっぼど心証はいい。もちろん、これは夫婦とか、婚約者同士、恋人同士に限った話。
あとは、わざと、アピールのために、この丸見え文化を利用する人もいる。二人で乗ったということを周囲に見せ、関係を匂わせるとか。
「――お一人だった事情については把握しました。ですが何故、そこまでして準舞踏会に参加したいのですか?」
兄へのちょっとした反抗、もしくは息抜きにしては、シル様は頑なな気がする。
「それは……」
「……わたくしには言えない、ということですわね? 兄上にも」
原作小説で、シル様は自分の出生に関わることとなると、すさまじい行動力を発揮していた。自分が何者かわからないっていうのがシル様の全既刊分を通しての悩み。兄を愛していても、応えきれないシーンも多々あり、原因はこれ。出生のことをシル様が兄に打ち明けるのもお世継ぎ問題が本格的に浮上してから。今回もそれ関連?
ターヘン編で、起こる事件と共に、主人公の秘密がついに紐解かれるかも……!てとこまでしか私も読んでないからなあ……。
読者として、シル様に感情移入しまくりで、その正体を想像したもの。
実は兄と血が繋がっていて、近親相姦展開。……これはない。オクタヴィアになってみてわかった。隣国の王のご落胤展開なんてのも考えた。これは一押し!
「家族が……」
俯いていたシル様が、覚悟を決めたかのように、顔を上げた。
「本当の家族が、レディントン伯爵の準舞踏会へ出席すると、情報が」
「え?」
まさかシル様が話してくれるなんて思わなかったから、素が出た。
「――おれはバークス家の人間ではありません。養子、ということになります。ですが養子なら、普通、身元は確かです。おれの場合は」
「シル様?」
「出自がまったく不明なのです」
ちょっ……。え? いいんですかシル様。それ、兄にもまだ話してないことなんじゃ……。
「だから、オクタヴィア様も、セリウス……あなたの兄上にはふさわしくないと判断していらっしゃるのでしょう。……認められないのも、当然だと思います」
ええええええ?
『――オクタヴィア様は、どうすればおれを認めてくださいますか?』
二日前、シル様にされた質問。あれってそういう意味?
正確には、こうだった?
『――オクタヴィア様は、どうすれば(出自がまったく不明な)おれを認めてくださいますか?』
いや、わからないって! シル様!




